「これと、これと…ブルゾン合わせれば大丈夫かな。歩いてたら暑くなるかもしれないし」
谷がテレビを興味深そうにいじりつつ没頭している横で、奥の寝室へ向かったはつみはクローゼットの中身とにらめっこをしていた。ひとまず、ジェラピケのふわもこパジャマで外出させる訳にはいかないので、彼が着れそうな洋服を選んでいるのである。
当然ながらどれもレディースな上に最近好んで集めているパンツ系はもっぱらスキニーかガウチョ系パンツであった為、谷に選んだ服は腰回りや肩回りに余裕のあるサルエルやフリーサイズのカットソーくらいしか選択肢はなかった。
「(着替えたりするのにパーテーションみたいなのも一個あるといいかもなぁ。ダイニングから丸見えだしわざわざ脱衣所で着替えるのも面倒だし)」
一人暮らし用の1DKでワンフロアタイプなので、リビングと私室兼寝室の間に間仕切りめいたものがない。故にいつも通りクローゼットの前で着替えをするとなると、互いの姿が丸見え状態であった。谷の方へと視線を送ると彼も視線に気付き、はつみに合わせる様にこちらへ向かってきてくれる。
「ベッドか。寝心地がよさそうじゃな」
「はい!どうぞ横になってみてください」
テーブルチェアと同じ様に長崎や上海あたりで馴染みがあったのだろうか。ベッドが寝る場所であるという事は知っている様だ。ならば話が早いと、クローゼットからチョイスした服を手にしたまま『どうぞどうぞ!』となんの下心もなくベッドへと誘うはつみ。内心苦笑しながら呼ばれるがままベッドへ近付いた谷であったが
「おっ?」
と小さく声をあげて停止したので、はつみには谷が見つけたであろう『もの』について反射的に検討がついた。
「あ、猫ですか?」
はつみは谷の横を通り抜けてベッドへと歩み寄り、その影からじっと谷をみつめているハチワレ猫を抱き上げて見せてやった。
先ほど朝食の催促にきた『はんぺーた』。細月代の様に少し長めに割れたハチワレ模様と青い瞳、白のえぷろんとくつしたがとても愛らしい、それでいてどこか品の漂う猫だ。保護猫であった彼ははつみ以外の人間に対して決して打ち解けやすいタイプではなかったが、谷が近付いてきてもはつみの腕から逃げだそうとする素振りは見られない。
「あれ?高杉さんに興味があるみたい。」
「そうか?僕はあまり猫に馴染みがないんじゃが…。ふふん、おのし、随分と小奇麗にしてもらっておるな。」
不意に触れようと手を出したので「危ない」と思ったが、摩訶不思議な事にはんぺーたは谷の指を拒絶する事はなかった。流石に喉を鳴らしてリラックスとまではいかないが、『まあ、ええよ』と言わんばかりに甘んじてこちょこちょを受け入れている。はつみは心底驚いた様に、腕に抱く猫の顔を覗き込んだ。
「ええ~?本当に珍しい。どうしちゃったの?」
「名は何と申す?」
まんざらでもない様子で名を訪ねる谷に、はつみは少し恥ずかしそうに答えた。
「はんぺーたっていいます」
「半平太?」
想像通り…というか、彼が高杉晋作だというのならこの名前には聞き覚えがある事だろうという意味で、彼の反応は思った通りのものであった。はつみは頷きながら補足の説明を付け加える。
「はい。土佐の武市半平太さんの名前です。」
「…ああ…。」
「ちょっと恥ずかしいんですけど、武市さんに憧れてて。あっ、もちろん尊敬してるっていう意味ですよ?それで、家族になるこの子に名前をつけちゃいました。」
谷が一瞬ひるんだのは『犬猫に武士の名をつける現代価値観とのギャップ』といった所も勿論あるにはあったが、単刀直入に言うのであれば『はつみが武市半平太に何らかの特別な想いをよせている』という点であった。まさか、ここでもまた『土佐の武市半平太』が自分の前に存在感を表すとは…。
「……」
「……」
どちらかというとはんぺーたの方から谷へと視線が注がれ、一人と一匹は見つめ合っている。敵意がある訳でもなさそうだが、打ち解けたという訳でもなさそうだ。はつみは二人の顔を見比べながら「あわわ…」と様子を見守っている。
一旦空気を読んだのか、はんぺーたははつみの手から飛び降りてリビングにあるキャットタワーへと進んでいった。どうやら先ほどまでは見知らぬ男の訪問故に奥へ引っ込んでいた様だったが、通常運転に戻る様子だ。彼なりに谷の事を認めたという事なのだろうか。いつもの様にお気に入りの上段へと昇ると、上からじっと谷を見下ろしてから毛づくろいをし始めた。
「結構落ち着いた性格なんですけど、遊んであげるととてもはしゃぐので今度是非遊んでやって下さい」
「そうか…やはり猫なのだな」
「???」
「いや、やはりその様な名であると、御仁の顔がよぎってしまうのでな」
そうか、この人は『本物の武市半平太』を知っているんだなぁと改めて思う瞬間でもあった。谷が武市と最も深く関わったのは、やはり文久2年時の梅屋敷事件の前後だろうか。是非本人の口から話を伺いたいという思いも込み上げてきたが、出会って早々、彼本人の事ですらない誰かの事を根掘り葉掘りというのは失礼だろうなと、はやる心に蓋をする。
―と、谷は一歩進み出て、キャットタワーの上でくつろぎ始めたはんぺーたに向け姿勢を正した。
「武市殿。厄介になりまする。」
「(武市殿て…)」
クッと頭を下げてから姿勢を戻し、またはんぺーたを見上げる。ノリでやっているのかとも思ったがどうやら真面目に挨拶をしている様だ。かたや上で溶けていたはんぺーたの方もスッと姿勢を正し、透き通るブルーアイズでじっと谷を見つめる。そして
「にゃー」
と一鳴きしてから再びくつろぐのであった。
「えっ、返事したの?うそでしょ…(ちゅ~るも出してないのに何でこんなに反応するんだろう…)」
どういう訳か通じ合っているかの様な二人。とりわけ、大人しくはあるが元野良らしく人見知りでもあるはんぺーたが『返事』までするとは…しかも本来の名前である「はんぺーた」と呼ばれた訳でもないのに。と、唖然とした表情で谷の横顔を見つめていると、『ふっ』と笑った彼が視線をよこしてくる。
「どうやら聞いた話の通り、畜生であってもそれなりに通じ合う事がある様だな。」
「(ちくしょうって…)いやでも高杉さんすごいですよ。こんなに早くはんぺーたとコミュニケーションを取れる様になるなんて。」
「こみ…なんじゃと?」
「あ、コミュニケーション。相手と意思疎通する事です。」
「なるほど、やり取りか。」
『じゃが特にこれといった事はしておらんぞ』等と返しを受けながら、二人は改めてクローゼットの方へと向かう。先ほどチョイスした服を持ち出して谷に手渡し、前後ろの判別がつきにくいサルエルパンツの着用を手伝ってやりながら尋ねた。
「でもなんで『武市殿』なんです?」
先ほどの谷の『挨拶』について面白かったので尋ねてみたところ、寧ろ『思った通り』斜め上の返答が返ってくる。
「流石に呼びづらいじゃろう。君も御仁を前にして『はんぺーた』と呼べる自信があるか?」
「ご本人を前にってなると確かにそうですけど、はんぺーたは猫ですよ?」
「まぁそうなんだが…そもそも僕らの感覚だと犬猫に御仁の名前など付けたりせんからな。流石に躊躇いが出てしまうというもんじゃ」
「そっかぁ確かに高杉さん達の感覚だと違ってきそうですね。あはっでも面白いですね!武市殿って呼んだら余計に武市さんみたいじゃないですか」
「…む。それもそうだな?はっはは」
―と、笑いながら、そうこうしている内に着替えが完了する。
「…うわぁ!うわぁ、うわぁ…いいじゃないですかぁ…!」
一旦カットソーとサルエルを着込んだ谷を見てから、突然慌てた様子で玄関先へ駆け出し、想定していたブルゾンジャケットを持ってきて更に着せてみる。
「うわぁ~~~!い、いい!高杉さんっ!凄く似合ってます!」
まるで駆け出しのアイドルでも育成しているかの様な興奮がはつみを鼻息粗くさせている。一方的に散々はしゃいだ後で、ようやくクローゼット内部に設置されている全身鏡を谷に見せてやった。
「ほお。なんとも奇抜な出で立ちじゃが、存外着心地は悪くないな。袴のような履き心地じゃ。」
当然ながら谷にとって着慣れない服装だがまんざらでもない様で、着心地も悪くはなさそうだ。はつみはと言えば谷のあまりの着こなしっぷりと変貌っぷりに言葉を無くし…いや、むしろドン引く程に感動している。まるで芸能人を追いかけている時の様なミーハーなノリで見入ってしまっていたのだが、その点で言えば、谷は少々身じろぎする思いであった様だ。
「あ~…ゴホン。本当におかしくはないんじゃろうな?」
「もっ、勿論ですよ!!!」
そうか…と言いながらも腕を組み少しそっぽを向く谷であった。どうやら『見惚れる』ほど『べた褒め』されて恥ずかしがっている様だというのは、少し遅れてから何となくはつみにも察知できた。
「アッ(またイジってるみたいに思わせちゃったら失礼だよね…!)じゃ、じゃあ私も準備しますんで、もう少しだけ待っててもらっていいですか?」
「わかった」
はつみの尋常でない熱視線から解放された谷はどこかホッとした様子で頷き、リビングの方へと歩み出す。彼がどこか物思う表情を浮かべている事を見ていたのは、猫のはんぺーただけだった。視線に気付いた谷ははんぺーたを見上げ、ふっと眉を上げる。
「(…御仁でも妬く事があるんか)」
谷の心の声を聞いてか聞かないでか、はんぺーたは『しらんけど』とでも言いたげにあくびをした。
「(いつだってあれの視線を独り占めしとったろうに)」
『…ま、猫に言った所で負け惜しみだな』と自嘲めいた笑いを浮かべ、気持ちを切り替える谷であった。
一方、谷がそんな物思いに揺れている事など知る由もなく、はつみは『いざ』とばかりに気合を入れてクローゼットに向き合っている。
「(あんなにカッコよく着こなしちゃって…やっば、私何着ていけばいいんだろ。え、女子っぽくした方がいい?それとも高杉さんに合わせた方がいいのかな…えぇ…ていうかちゃんとメイクもし直さないとやばくない?うわわわなんかまるでデートみたいヒエェェスーハースーハー)と…とにかく急がないと…」
脳内で存分に思いの丈を巡らせた後、気を取り直して服を選び始める。…といっても急に現代のカジュアルでエモーショナルな若者に変貌した谷と街中を歩くのだと言う事を考えると、服を選ぶ熱量も半端ではない。一方の谷はねこじゃらしを見つけてはんぺーたにちょっかいを出していたが、その内洋服という洋服がクローゼットからベッドへ向かってどんどん投げ出されているのを目にし、はつみが乱心でもしたのかと不思議そうに眺めていた。自分が乱心させているとは、微塵とも気付かず。
そして結局、時計は塩梅よく10時を指す所となる。
「では武市殿。また後程。」
谷はキャットタワーの上から視線を投げてくるはんぺーたにきっちりと挨拶をし、真新しい街の探索に胸躍らせながら部屋を出るのだった。
谷がテレビを興味深そうにいじりつつ没頭している横で、奥の寝室へ向かったはつみはクローゼットの中身とにらめっこをしていた。ひとまず、ジェラピケのふわもこパジャマで外出させる訳にはいかないので、彼が着れそうな洋服を選んでいるのである。
当然ながらどれもレディースな上に最近好んで集めているパンツ系はもっぱらスキニーかガウチョ系パンツであった為、谷に選んだ服は腰回りや肩回りに余裕のあるサルエルやフリーサイズのカットソーくらいしか選択肢はなかった。
「(着替えたりするのにパーテーションみたいなのも一個あるといいかもなぁ。ダイニングから丸見えだしわざわざ脱衣所で着替えるのも面倒だし)」
一人暮らし用の1DKでワンフロアタイプなので、リビングと私室兼寝室の間に間仕切りめいたものがない。故にいつも通りクローゼットの前で着替えをするとなると、互いの姿が丸見え状態であった。谷の方へと視線を送ると彼も視線に気付き、はつみに合わせる様にこちらへ向かってきてくれる。
「ベッドか。寝心地がよさそうじゃな」
「はい!どうぞ横になってみてください」
テーブルチェアと同じ様に長崎や上海あたりで馴染みがあったのだろうか。ベッドが寝る場所であるという事は知っている様だ。ならば話が早いと、クローゼットからチョイスした服を手にしたまま『どうぞどうぞ!』となんの下心もなくベッドへと誘うはつみ。内心苦笑しながら呼ばれるがままベッドへ近付いた谷であったが
「おっ?」
と小さく声をあげて停止したので、はつみには谷が見つけたであろう『もの』について反射的に検討がついた。
「あ、猫ですか?」
はつみは谷の横を通り抜けてベッドへと歩み寄り、その影からじっと谷をみつめているハチワレ猫を抱き上げて見せてやった。
先ほど朝食の催促にきた『はんぺーた』。細月代の様に少し長めに割れたハチワレ模様と青い瞳、白のえぷろんとくつしたがとても愛らしい、それでいてどこか品の漂う猫だ。保護猫であった彼ははつみ以外の人間に対して決して打ち解けやすいタイプではなかったが、谷が近付いてきてもはつみの腕から逃げだそうとする素振りは見られない。
「あれ?高杉さんに興味があるみたい。」
「そうか?僕はあまり猫に馴染みがないんじゃが…。ふふん、おのし、随分と小奇麗にしてもらっておるな。」
不意に触れようと手を出したので「危ない」と思ったが、摩訶不思議な事にはんぺーたは谷の指を拒絶する事はなかった。流石に喉を鳴らしてリラックスとまではいかないが、『まあ、ええよ』と言わんばかりに甘んじてこちょこちょを受け入れている。はつみは心底驚いた様に、腕に抱く猫の顔を覗き込んだ。
「ええ~?本当に珍しい。どうしちゃったの?」
「名は何と申す?」
まんざらでもない様子で名を訪ねる谷に、はつみは少し恥ずかしそうに答えた。
「はんぺーたっていいます」
「半平太?」
想像通り…というか、彼が高杉晋作だというのならこの名前には聞き覚えがある事だろうという意味で、彼の反応は思った通りのものであった。はつみは頷きながら補足の説明を付け加える。
「はい。土佐の武市半平太さんの名前です。」
「…ああ…。」
「ちょっと恥ずかしいんですけど、武市さんに憧れてて。あっ、もちろん尊敬してるっていう意味ですよ?それで、家族になるこの子に名前をつけちゃいました。」
谷が一瞬ひるんだのは『犬猫に武士の名をつける現代価値観とのギャップ』といった所も勿論あるにはあったが、単刀直入に言うのであれば『はつみが武市半平太に何らかの特別な想いをよせている』という点であった。まさか、ここでもまた『土佐の武市半平太』が自分の前に存在感を表すとは…。
「……」
「……」
どちらかというとはんぺーたの方から谷へと視線が注がれ、一人と一匹は見つめ合っている。敵意がある訳でもなさそうだが、打ち解けたという訳でもなさそうだ。はつみは二人の顔を見比べながら「あわわ…」と様子を見守っている。
一旦空気を読んだのか、はんぺーたははつみの手から飛び降りてリビングにあるキャットタワーへと進んでいった。どうやら先ほどまでは見知らぬ男の訪問故に奥へ引っ込んでいた様だったが、通常運転に戻る様子だ。彼なりに谷の事を認めたという事なのだろうか。いつもの様にお気に入りの上段へと昇ると、上からじっと谷を見下ろしてから毛づくろいをし始めた。
「結構落ち着いた性格なんですけど、遊んであげるととてもはしゃぐので今度是非遊んでやって下さい」
「そうか…やはり猫なのだな」
「???」
「いや、やはりその様な名であると、御仁の顔がよぎってしまうのでな」
そうか、この人は『本物の武市半平太』を知っているんだなぁと改めて思う瞬間でもあった。谷が武市と最も深く関わったのは、やはり文久2年時の梅屋敷事件の前後だろうか。是非本人の口から話を伺いたいという思いも込み上げてきたが、出会って早々、彼本人の事ですらない誰かの事を根掘り葉掘りというのは失礼だろうなと、はやる心に蓋をする。
―と、谷は一歩進み出て、キャットタワーの上でくつろぎ始めたはんぺーたに向け姿勢を正した。
「武市殿。厄介になりまする。」
「(武市殿て…)」
クッと頭を下げてから姿勢を戻し、またはんぺーたを見上げる。ノリでやっているのかとも思ったがどうやら真面目に挨拶をしている様だ。かたや上で溶けていたはんぺーたの方もスッと姿勢を正し、透き通るブルーアイズでじっと谷を見つめる。そして
「にゃー」
と一鳴きしてから再びくつろぐのであった。
「えっ、返事したの?うそでしょ…(ちゅ~るも出してないのに何でこんなに反応するんだろう…)」
どういう訳か通じ合っているかの様な二人。とりわけ、大人しくはあるが元野良らしく人見知りでもあるはんぺーたが『返事』までするとは…しかも本来の名前である「はんぺーた」と呼ばれた訳でもないのに。と、唖然とした表情で谷の横顔を見つめていると、『ふっ』と笑った彼が視線をよこしてくる。
「どうやら聞いた話の通り、畜生であってもそれなりに通じ合う事がある様だな。」
「(ちくしょうって…)いやでも高杉さんすごいですよ。こんなに早くはんぺーたとコミュニケーションを取れる様になるなんて。」
「こみ…なんじゃと?」
「あ、コミュニケーション。相手と意思疎通する事です。」
「なるほど、やり取りか。」
『じゃが特にこれといった事はしておらんぞ』等と返しを受けながら、二人は改めてクローゼットの方へと向かう。先ほどチョイスした服を持ち出して谷に手渡し、前後ろの判別がつきにくいサルエルパンツの着用を手伝ってやりながら尋ねた。
「でもなんで『武市殿』なんです?」
先ほどの谷の『挨拶』について面白かったので尋ねてみたところ、寧ろ『思った通り』斜め上の返答が返ってくる。
「流石に呼びづらいじゃろう。君も御仁を前にして『はんぺーた』と呼べる自信があるか?」
「ご本人を前にってなると確かにそうですけど、はんぺーたは猫ですよ?」
「まぁそうなんだが…そもそも僕らの感覚だと犬猫に御仁の名前など付けたりせんからな。流石に躊躇いが出てしまうというもんじゃ」
「そっかぁ確かに高杉さん達の感覚だと違ってきそうですね。あはっでも面白いですね!武市殿って呼んだら余計に武市さんみたいじゃないですか」
「…む。それもそうだな?はっはは」
―と、笑いながら、そうこうしている内に着替えが完了する。
「…うわぁ!うわぁ、うわぁ…いいじゃないですかぁ…!」
一旦カットソーとサルエルを着込んだ谷を見てから、突然慌てた様子で玄関先へ駆け出し、想定していたブルゾンジャケットを持ってきて更に着せてみる。
「うわぁ~~~!い、いい!高杉さんっ!凄く似合ってます!」
まるで駆け出しのアイドルでも育成しているかの様な興奮がはつみを鼻息粗くさせている。一方的に散々はしゃいだ後で、ようやくクローゼット内部に設置されている全身鏡を谷に見せてやった。
「ほお。なんとも奇抜な出で立ちじゃが、存外着心地は悪くないな。袴のような履き心地じゃ。」
当然ながら谷にとって着慣れない服装だがまんざらでもない様で、着心地も悪くはなさそうだ。はつみはと言えば谷のあまりの着こなしっぷりと変貌っぷりに言葉を無くし…いや、むしろドン引く程に感動している。まるで芸能人を追いかけている時の様なミーハーなノリで見入ってしまっていたのだが、その点で言えば、谷は少々身じろぎする思いであった様だ。
「あ~…ゴホン。本当におかしくはないんじゃろうな?」
「もっ、勿論ですよ!!!」
そうか…と言いながらも腕を組み少しそっぽを向く谷であった。どうやら『見惚れる』ほど『べた褒め』されて恥ずかしがっている様だというのは、少し遅れてから何となくはつみにも察知できた。
「アッ(またイジってるみたいに思わせちゃったら失礼だよね…!)じゃ、じゃあ私も準備しますんで、もう少しだけ待っててもらっていいですか?」
「わかった」
はつみの尋常でない熱視線から解放された谷はどこかホッとした様子で頷き、リビングの方へと歩み出す。彼がどこか物思う表情を浮かべている事を見ていたのは、猫のはんぺーただけだった。視線に気付いた谷ははんぺーたを見上げ、ふっと眉を上げる。
「(…御仁でも妬く事があるんか)」
谷の心の声を聞いてか聞かないでか、はんぺーたは『しらんけど』とでも言いたげにあくびをした。
「(いつだってあれの視線を独り占めしとったろうに)」
『…ま、猫に言った所で負け惜しみだな』と自嘲めいた笑いを浮かべ、気持ちを切り替える谷であった。
一方、谷がそんな物思いに揺れている事など知る由もなく、はつみは『いざ』とばかりに気合を入れてクローゼットに向き合っている。
「(あんなにカッコよく着こなしちゃって…やっば、私何着ていけばいいんだろ。え、女子っぽくした方がいい?それとも高杉さんに合わせた方がいいのかな…えぇ…ていうかちゃんとメイクもし直さないとやばくない?うわわわなんかまるでデートみたいヒエェェスーハースーハー)と…とにかく急がないと…」
脳内で存分に思いの丈を巡らせた後、気を取り直して服を選び始める。…といっても急に現代のカジュアルでエモーショナルな若者に変貌した谷と街中を歩くのだと言う事を考えると、服を選ぶ熱量も半端ではない。一方の谷はねこじゃらしを見つけてはんぺーたにちょっかいを出していたが、その内洋服という洋服がクローゼットからベッドへ向かってどんどん投げ出されているのを目にし、はつみが乱心でもしたのかと不思議そうに眺めていた。自分が乱心させているとは、微塵とも気付かず。
そして結局、時計は塩梅よく10時を指す所となる。
「では武市殿。また後程。」
谷はキャットタワーの上から視線を投げてくるはんぺーたにきっちりと挨拶をし、真新しい街の探索に胸躍らせながら部屋を出るのだった。