―表紙― 登場人物 物語 絵画

登場人物





桜 川 は つ み


その他設定資料(旧イラストを含む)
10111213

私は、
貴方と生きたい!


ごく普通の家庭に生まれ育った、ごく普通の女子大生。
明朗快活で素直。他人に対し思いやりのある少女。
人との交流を好む外向的な性格だが、本能的に相手の温度や距離感を大切にする一面も。
人並みに迷い悩んで落ち込む事もあるが、冷静に対策を思案し解決へ向けた努力をする事ができる。
恋愛経験は、中学校・高校生の頃に片想いの同級生や先輩がいた程度。
(つまりほぼ未経験)
入学したばかりの大学では幼稚園教諭を夢見て教員免許一種の取得を目指していた。
「幼稚園の先生になりたい!」とする夢は小学校高学年の頃から続くもので、
その為にピアノを習っていた事から現在ではこれが趣味の一つにもなっている。

コミック・アニメ・アイドルなどのファンとなって活動する『推し活』を、複数の友人あるいはネット上の友人達と共有していた。その内、とあるコミックが題材としていた『幕末時代』に興味を持ち、独学でこれを学ぶ。『聖地巡り』と称して各地の史跡観光地を巡るなど、趣味として精力的に打ち込んでいた。
―詳 細― 人との交流を好む外向的な性格だが、本能的に相手の温度や距離感を大切にする一面も。
人並みに迷い悩んで落ち込む事もあるが、冷静に対策を思案し解決へ向けた努力をする事ができる。
恋愛経験は、中学校・高校生の頃に片想いの同級生や先輩がいた程度。
(つまりほぼ未経験)
入学したばかりの大学では幼稚園教諭を夢見て教員免許一種の取得を目指していた。
「幼稚園の先生になりたい!」とする夢は小学校高学年の頃から続くもので、
その為にピアノを習っていた事から現在ではこれが趣味の一つにもなっている。

コミック・アニメ・アイドルなどのファンとなって活動する『推し活』を、複数の友人あるいはネット上の友人達と共有していた。その内、とあるコミックが題材としていた『幕末時代』に興味を持ち、独学でこれを学ぶ。『聖地巡り』と称して各地の史跡観光地を巡るなど、趣味として精力的に打ち込んでいた。

・横浜出身
・20**/10/12生まれ
(1012…永遠-とわ-に)
・都内H大学:一年生
(サトウの石碑がある)
・英語検定2級、TOEIC780
(大学受験時)
・ヤマハピアノグレード4級
(3級テストを控え)
・その他、書道・珠算など

・不定期で瞳が翡翠色に見える。普段は鼈甲色
・身長162cm、細身、手足が長くしなやか。
発育が良いので血色や姿勢が良く、浮世離れして見える。
・時空トリップの影響か、月経が停止すると共に肉体の老いも停止する。

・愛刀…神刀・桜清丸(シントウ・オウシンマル)
 見る者によって、その刀身には水面に揺蕩う桜の花びらが映り込んで見える。
・ルシ…はつみと行動を共にする、赤青オッドアイの白ハヤブサ。
・幕末時代での変名…
 鬼椿権蔵(オニツバキゴンゾウ)
(命名:陸奥とくじ引き)

・Image Colors:桜色/虹色

その他、各キャラへの敬称など ●一人称:私
●二人称
・坂本龍馬←龍馬
・武市半平太←武市さん
・桂小五郎←桂さん
・高杉晋作←高杉さん
・乾退助←乾(年上なのに)
・池内蔵太←内蔵太くん、内蔵太
・池田寅之進←寅くん
・岡田以蔵←以蔵くん
(年上なのに)
・陸奥陽之助←陸奥
・小松帯刀←小松さん
・アーネスト・サトウ←
サトウさん、アーネスト
・沖田総司←総司くん
・アレクサンダー・シーボルト←
アレク
・柊智←柊くん
・村田経臣←経臣くん
・土方、永倉、斎藤←
それぞれ『さん』付け
・千葉佐那子←佐那ちゃん
・お万里、お琴←
お万里ちゃん、お琴ちゃん






坂 本 龍 馬


わしが
おまんを攫っちゃるぜよ


 迷い込んだはつみを匿ってくれた『土佐郷士(下士)・坂本家』の次男。
新しいもの好きで、海をこよなく愛する開放的な青年。
 家は裕福ではあったが、金で郷士株を買い上げて得た士分であった為『偽侍』と罵る輩も少なくはなかった。幼少期はひ弱で、且つ、上士らによるあらゆる軋轢に晒される事が日常茶飯事に起こる日々に泣いて過ごす事も多くあった。多感な少年へと成長してからも、信じられない程の理不尽に叩きのめされた日も。
それらの経験を経て、豪快で物怖じしない、体躯の逞しい男へと成長する。剣に打ち込み、江戸剣術修行へ赴いた際にも立派に勤めを果たした。

 何事にも笑顔で対峙し、どんぶり勘定とも言えるが細かい事には拘らない。豪快でありながらも柔軟で広い視野と優しい心を持ち、少年の様な無邪気さも持ち合わせている。それは一見何も考えていなさそうな軽い男と見られがちでもあったが、決してそうではないという事は彼と時を共にすればおのずと知れる事実である。一度話せば老若男女問わず様々な人が彼を慕い、そして誰もが彼に何かを期待する…。
そんな魅力に溢れていた。
 …そう、例え今は、ただの石潰しとして日々をフラフラと生きるだけの『次男坊』であったのだとしても。

 ある日、姉の乙女が見慣れぬ着物を着た娘を坂本家に連れ込んできた。黒船来航以前から元々親戚の影響で『異国』に興味のあった龍馬は、尋常ではない未知の輝きを湛えながら眠っている彼女を見つめながら『彼女はきっとかぐや姫だ』と悟る。『何の』かぐや姫か具体的な事はまた別として、この彼女との出会いこそが自分の何かを変えてくれるのではという予感で武者震いまで起こる程に、釘付けとなっていた。

龍馬の心にあいた『穴』には誰一人として気付かない。
いつも笑顔であり、いつも動じず、いつも優しい。…果たしてそれは、かつては泣いて笑って悔しがってと多感であった少年の本質なのだろうか?

 誰も『気付かない』あまり、龍馬本人ですらも忘れてしまった何かが、呼び起こされようとしていた。
―詳 細―  家は裕福ではあったが、金で郷士株を買い上げて得た士分であった為『偽侍』と罵る輩も少なくはなかった。幼少期はひ弱で、且つ、上士らによるあらゆる軋轢に晒される事が日常茶飯事に起こる日々に泣いて過ごす事も多くあった。多感な少年へと成長してからも、信じられない程の理不尽に叩きのめされた日も。それらの経験を経て、豪快で物怖じしない、体躯の逞しい男へと成長する。
 剣に打ち込み、江戸剣術修行へ赴いた際にも立派に勤めを果たした。

 何事にも笑顔で対峙し、どんぶり勘定とも言えるが細かい事には拘らない。豪快でありながらも柔軟で広い視野と優しい心を持ち、少年の様な無邪気さも持ち合わせている。それは一見何も考えていなさそうな軽い男と見られがちでもあったが、決してそうではないという事は彼と時を共にすればおのずと知れる事実である。一度話せば老若男女問わず様々な人が彼を慕い、そして誰もが彼に何かを期待する…。
そんな魅力に溢れていた。
 …そう、例え今は、ただの石潰しとして日々をフラフラと生きるだけの『次男坊』であったのだとしても。

 ある日、姉の乙女が見慣れぬ着物を着た娘を坂本家に連れ込んできた。黒船来航以前から元々親戚の影響で『異国』に興味のあった龍馬は、尋常ではない未知の輝きを湛えながら眠っている彼女を見つめながら『彼女はきっとかぐや姫』だと悟る。『何の』かぐや姫か具体的な事はまた別として、この彼女との出会いこそが自分の何かを変えてくれるのではという予感で武者震いまで起こる程に、釘付けとなっていた。

 龍馬の心にあいた『穴』には誰一人として気付かない。
いつも笑顔であり、いつも動じず、いつも優しい。…果たしてそれは、かつては泣いて笑って悔しがってと多感であった少年の本質なのだろうか?

 誰も『気付かない』あまり、龍馬本人ですらも忘れてしまった何かが、呼び起こされようとしていた。


・物語:画竜点睛
・土佐出身
・天保6年11月15日生まれ
(1836/01/03)(約6才年上)
・身長175cm・筋肉質・逞しい
・天空海闊、太漢気、好青年、仮面
・一人称:わし
・二人称:おんし、おまん、はつみさん
・Image Colors:蜜柑色

その他設定資料(旧イラストを含む)






武 市 半 平 太


おんしに
触れてもええか…?


 実直で誠実な人物。
他人に厳しく己にも厳しい。
 土佐の白札郷士の家に生まれ育った彼は、常に己を律し行動する、武士の鑑とも言える様な人格者。
当時の成人男性平均身長を遥かに超える長身であり、表情も稀薄で生真面目な様子からかなりの圧を感じるのも事実ではあったが、その立ち振る舞いには一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香るかの如き趣があり、多くの人心を惹きつける。
 面倒見もよく、指導者としての頭角は若い頃から備わっていた。江戸三大道場桃井へと剣術修行に出た際には剣の腕のみならずその人格も高く評価され、風紀の乱れがちであった門下生たちを厳しくも適切に取り締まった。これにより道場の品位を再び押し上げる事へ多大な貢献をした。そこから更に人望の篤さと器の大きさ、政治手腕等が申し分ない程に開花し、土佐郷士達だけでなく他藩志士らからも多くの支持と信頼を寄せられる様になる。

 また、大きな体躯からは想像がつきにくいが手先も器用な方で、10代の頃から手習いを受けていた美人画や水墨画はかなりの腕前である。詩作なども嗜んだが、大好きな浄瑠璃を歌う事は下手であったとするなど、趣味に興ずる人間深い一面も持ち合わせていた。
 そして若くして両親を亡くし祖母と二人きりになった武市は、それを機に妻・富と婚姻している。表情稀薄で多くの者達からの尊敬を集める『武市先生』であると同時に、周囲から『鴛鴦夫婦』と言われる程善き夫であり、善き妻という関係であった。妻の存在に感謝し、その彼の誠実さはたとえ二人の間に子が生まれなくても決して揺らぐことはなく続いていく。

…はずだった。
まさか、『恋』というものを知ってしまうまでは…。
―詳 細―  土佐の白札郷士の家に生まれ育った彼は、常に己を律し行動する、武士の鑑とも言える様な人格者。
当時の成人男性平均身長を遥かに超える長身であり、表情も稀薄で生真面目な様子からかなりの圧を感じるのも事実ではあったが、その立ち振る舞いには一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香るかの如き趣があり、多くの人心を惹きつける。
 面倒見もよく、指導者としての頭角は若い頃から備わっていた。江戸三大道場桃井へと剣術修行に出た際には剣の腕のみならずその人格も高く評価され、風紀の乱れがちであった門下生たちを厳しくも適切に取り締まった。これにより道場の品位を再び押し上げる事へ多大な貢献をした。そこから更に人望の篤さと器の大きさ、政治手腕等が申し分ない程に開花し、土佐郷士達だけでなく他藩志士らからも多くの支持と信頼を寄せられる様になる。

 また、大きな体躯からは想像がつきにくいが手先も器用な方で、10代の頃から手習いを受けていた美人画や水墨画はかなりの腕前である。詩作なども嗜んだが、大好きな浄瑠璃を歌う事は下手であったとするなど、趣味に興ずる人間深い一面も持ち合わせていた。
 そして若くして両親を亡くし祖母と二人きりになった武市は、それを機に妻・富と婚姻している。表情稀薄で多くの者達からの尊敬を集める『武市先生』であると同時に、周囲から『鴛鴦夫婦』と言われる程善き夫であり、善き妻という関係であった。妻の存在に感謝し、その彼の誠実さはたとえ二人の間に子が生まれなくても決して揺らぐことはなく続いていく。

…はずだった。
まさか、『恋』というものを知ってしまうまでは…。


・物語:不鳴蛍焦身
・土佐出身
・文政12年9月27日生まれ
(1829/10/24)(約12才年上)
・身長182cm・筋肉質・逞しい
・誠実、徳高望重、表情希薄
・一人称:俺、私
・二人称:おんし、おまん
 桜川殿→はつみ殿→はつみ
・Image Colors: 薄花桜 

その他設定資料(旧イラストを含む)
武はつテンプレ1武はつテンプレ2






高 杉 晋 作


君が嫌だと言っても、
離さない


 代々毛利家へ仕える、由緒正しい家に生まれ育つ。 高杉家を担う唯一の男子として自覚を持ち、特に父の言い付けは守って生きてきた。
しかし、その父から『関するな』と言われている時世の関心毎について逸る心を御する事ができず、こっそりと吉田松陰の松下村塾へと通うようになる。師による的確な教育方針により、彼は『識の高杉』と称される程の伸びをみせた。

 しかしこの『識』が、『陽頑』『暴れ牛』などと評された性格が、この時代においての高杉を孤高の存在へと押し上げていく。師・松陰も交友し深く語り合っていたという横井小楠、上海視察団への参加。これらから得た『識』が、同志である志士達との微妙なズレを生じさせてしまって止まない。焦燥と苛立ちから傍若無人の徒となって女酒に溺れてみるが、そんな事で憂さが晴れる訳でもない。
 結果『狂人』の如く、『破天荒』で『孤高』な所業を繰り返してゆく。

 若干の飽き性は否めないが筆まめな一面があり、新たな務めに就く毎に新たな日誌を綴る事を好む。また、日頃から妻や子などに対し声を荒げる事はなかった。この様に、彼の『破天荒』さとは荒々しい性格を示しているのではなく、時世と識が噛み合わない彼の葛藤そのものを示しているかの様であった。

 しかし同じ様に『孤高』の道を行く者がいた。
出会った頃から利発すぎる物言いで癪に障る事も多かった『男装の麗人』。
彼女の時世を説く言葉、高杉の焦燥を見抜くかの様な言葉はいつも深く心に刺さり、その言葉について…彼女について幾度となく考えさせられた。
そして、一つの仮説に辿り着く…。
―詳 細― しかし、その父から『関するな』と言われている時世の関心毎について逸る心を御する事ができず、こっそりと吉田松陰の松下村塾へと通うようになる。師による的確な教育方針により、彼は『識の高杉』と称される程の伸びをみせた。

 しかしこの『識』が、『陽頑』『暴れ牛』などと評された性格が、この時代においての高杉を孤高の存在へと押し上げていく。師・松陰も交友し深く語り合っていたという横井小楠、上海視察団への参加。これらから得た『識』が、同志である志士達との微妙なズレを生じさせてしまって止まない。焦燥と苛立ちから傍若無人の徒となって女酒に溺れてみるが、そんな事で憂さが晴れる訳でもない。
 結果『狂人』の如く、『破天荒』で『孤高』な所業を繰り返してゆく。

 若干の飽き性は否めないが筆まめな一面があり、新たな務めに就く毎に新たな日誌を綴る事を好む。また、日頃から妻や子などに対し声を荒げる事はなかった。この様に、彼の『破天荒』さとは荒々しい性格を示しているのではなく、時世と識が噛み合わない彼の葛藤そのものを示しているかの様であった。

 しかし同じ様に『孤高』の道を行く者がいた。
出会った頃から利発すぎる物言いで癪に障る事も多かった『男装の麗人』。
彼女の時世を説く言葉、高杉の焦燥を見抜くかの様な言葉はいつも深く心に刺さり、その言葉について…彼女について幾度となく考えさせられた。
そして、一つの仮説に辿り着く…。


・物語:相縁奇縁
・外伝:高杉晋作異聞奇譚
・長州出身
・天保10年8月20日生まれ
(1839/9/27)(約2才年上)
・仙才鬼才、陽頑、漢気、狂、孤高
・身長155cm、筋肉質、やせ型、無骨
・一人称:僕
・二人称:君、桜川殿→はつみ
・Image Colors:深緋

その他設定資料(旧イラストを含む)
高はつテンプレ1高はつテンプレ2
外伝イメージ1 ・ 外伝イメージ2






乾 退 助


俺は、好いた女子を
娶りたい


 土佐上士の中でも大身となる乾家の嫡男として生まれる。
 幼いころから逸話に絶えない悪童であったが、それは彼が極めて性根の真っすぐな気の強い男子で、且つ筋金入りの現実主義者であった事に大きく起因する。子供の頃、物乞いの母子へ姉の振袖を与えた事を咎められた際、彼は『裕福な我が家にあっては一枚の贅沢品にすぎない振袖が、この冬を越す事も否まれる物乞いの母子にとっては命の存続を左右する大事な品となります』と言い切り母親を驚かせる。この頃から、生まれ持った現実主義観を以て民本主義の片鱗を現し始めていたのだった。そしてその『現実主義観』は、あらゆる迷信事を身を以て証明してみせるという実証主義観へも派生してゆく。ある時『御守を捨てると神罰が下るのか』という迷信を試した際に『バチ』があたり、片耳が難聴になってしまった。しかしその結果は結果として受け入れ、乾は事実を知ろうとする行為自体を後悔したり、改めようとはしなかった。

 成長するにつれ性への関心も深まる中、行き過ぎて『男色(狼藉)事件』まで起こしてしまう。一方で、これらの時点で婚姻歴は2度となっており、いずれも周囲からの世話で得た乾家にとっての良縁であった筈だが…やはり気の乗らない、『現実』のないウワの婚姻生活は長くは続かなかった。 この様に対人面においても徹底される『現実主義』っぷりは『公正明大さの証明』としても度々周囲を感心させている。恐れ知らずの性格は『相手に忖度せず事実や道徳観に基づいた正論と喧嘩にて成敗する』といった挙動を一貫し、公正で漢気あるその言動故に彼を慕う者が増えていた。気付けば地域の荒くれ青少年をまとめる『総長』へと推されて就いた事もある程であった。
 しかし喧嘩に明けくれた乾はある日罪を得てしまい、廃嫡の上城下から離れた神田村へと追放。無期限禁足という重い処罰を受けるに至る。しかしこの神田村での生活であらゆる身分の者達とありのままに交流を重ね、身分に固執しない適材適所の思想を根付かせ、人物として一回りも二回りも変化を遂げた。

 そして4年後。罪を許され城下へと戻った23才の春。城下は『かぐや姫』の噂で持ちきりであった。自分の目で確かめたくなった乾は『訳あり』の彼女が軟禁されている面会謝絶の庵へと足を運ぶ。
 そこで、生涯忘れ得ぬ女性と出会う事となった。
―詳 細―  幼いころから逸話に絶えない悪童であったが、それは彼が極めて性根の真っすぐな気の強い男子で、且つ筋金入りの現実主義者であった事に大きく起因する。 子供の頃、物乞いの母子へ姉の振袖を与えた事を咎められた際、彼は『裕福な我が家にあっては一枚の贅沢品にすぎない振袖が、この冬を越す事も否まれる物乞いの母子にとっては命の存続を左右する大事な品となります』と言い切り母親を驚かせる。この頃から、生まれ持った現実主義観を以て民本主義の片鱗を現し始めていたのだった。そしてその『現実主義観』は、あらゆる迷信事を身を以て証明してみせるという実証主義観へも派生してゆく。ある時『御守を捨てると神罰が下るのか』という迷信を試した際に『バチ』があたり、片耳が難聴になってしまった。しかしその結果は結果として受け入れ、乾は事実を知ろうとする行為自体を後悔したり、改めようとはしなかった。

 成長するにつれ性への関心も深まる中、行き過ぎて『男色(狼藉)事件』まで起こしてしまう。一方で、これらの時点で婚姻歴は2度となっており、いずれも周囲からの世話で得た乾家にとっての良縁であった筈だが…やはり気の乗らない、『現実』のないウワの婚姻生活は長くは続かなかった。 この様に対人面においても徹底される『現実主義』っぷりは『公正明大さの証明』としても度々周囲を感心させている。恐れ知らずの性格は『相手に忖度せず事実や道徳観に基づいた正論と喧嘩にて成敗する』といった挙動を一貫し、公正で漢気あるその言動故に彼を慕う者が増えていた。気付けば地域の荒くれ青少年をまとめる『総長』へと推されて就いた事もある程であった。
 しかし喧嘩に明けくれた乾はある日罪を得てしまい、廃嫡の上城下から離れた神田村へと追放。無期限禁足という重い処罰を受けるに至る。しかしこの神田村での生活であらゆる身分の者達とありのままに交流を重ね、身分に固執しない適材適所の思想を根付かせ、人物として一回りも二回りも変化を遂げた。

 そして4年後。罪を許され城下へと戻った23才の春。城下は『かぐや姫』の噂で持ちきりであった。自分の目で確かめたくなった乾は『訳あり』の彼女が軟禁されている面会謝絶の庵へと足を運ぶ。
 そこで、生涯忘れ得ぬ女性と出会う事となった。


・物語:同床異夢
・外伝:日日是好日
・土佐出身
・天保8年4月17日生まれ
(1837/5/21)(約4才年上)
・質実剛健、漢気、現実主義、表情稀薄、潔癖症
・163cm、筋肉質、細身、無骨
・一人称:俺
・二人称:おんし、桜川→はつみ
・Image Colors:舛花色

その他設定資料(旧イラストを含む)
乾はつテンプレ1乾はつテンプレ2
ビジュアル中期ビジュアル後期
外伝イメージ






桂 小 五 郎


可愛い人…
傍にいてくれないか


かの知将・毛利元就の血を引く藩医・和田家の長男として生まれる。
後に大組・桂家の養子となり、士分を得た。
しかし養子となった翌年、養子縁組はそのままで生家へ戻るなど少々複雑な家庭事情の中で育った。和田家(実父)は多くの遺産を小五郎へ残した為、小五郎は金で士分を得たのだと言われぬ様、忍耐強く、剣術学問ともに人一倍の努力を重ねる。

 若き日の江戸剣術修行においても極めて優秀な実績を誇り、加えて目を引く長身と中性的な美貌、温和で真面目な人格と教養高さが品を奏で、老若男女構わず人気を攫っていく。特に女性からはところかしこから羨望の眼差しや黄色い声援が向けられ、いつも良い香りを漂わせているとももっぱらの評判だ。
 時事においては物事の芯を捉える事に長け、人望も極めて篤い事もあって人材をまとめ上げる事に優れた才を発揮する。しかし一方で、心労に耐える事も多かった。
 そんな彼を慰めるのは柔らかな女性の存在だ。結婚の経験もあるが家の特殊な事情もあって長続きはしなかった。桂家の跡取り問題も勿論あったが特殊な家族構成で前妻を悩ませた事を想えば、その優しさ故に『私の元へ嫁ぐ娘は気の毒だ』とも考えてしまう。  だからこそ桂は、女性を『正妻』『妾、愛人』として拘束する事なく『互いに拘束しない関係』を前提とした交流を望んでいた。

 水戸との成破の盟を取りつけるなど『尊王攘夷』の急先鋒として活動していたが、師であり友でもあった吉田松陰の様に『海外情勢』を学ぼうとする姿勢も併せ持つ。そして文久元年・夏は江戸、これが切っ掛けで稀有な女性との出会いを果たすに至った。
 彼女の才は非常に抜きん出た価値観によって構築・洗練されたものであったが、同時に男女間の恋愛についてもまったく違うものを抱いている様であった。桂を前になし崩し的にはならない様子の彼女に対し、自身が袖下に常用している『匂い袋』を贈る。…子供や女性らが『良い匂いだ』と喜ぶから身だしなみとして持ち歩いていた匂い袋だったが、その香がいつも自分を思い出すきっかけとなってくれたなら…と。
 単純に喜ばせる為ではなく、自分への依存性を見出そうとする。その様な意図で女性に何かを贈ったのは、初めての事であった。
―詳 細― しかし養子となった翌年、養子縁組はそのままで生家へ戻るなど少々複雑な家庭事情の中で育った。和田家(実父)は多くの遺産を小五郎へ残した為、小五郎は金で士分を得たのだと言われぬ様、忍耐強く、剣術学問ともに人一倍の努力を重ねる。

 若き日の江戸剣術修行においても極めて優秀な実績を誇り、加えて目を引く長身と中性的な美貌、温和で真面目な人格と教養高さが品を奏で、老若男女構わず人気を攫っていく。特に女性からはところかしこから羨望の眼差しや黄色い声援が向けられ、いつも良い香りを漂わせているとももっぱらの評判だ。
 時事においては物事の芯を捉える事に長け、人望も極めて篤い事もあって人材をまとめ上げる事に優れた才を発揮する。しかし一方で、心労に耐える事も多かった。
 そんな彼を慰めるのは柔らかな女性の存在だ。結婚の経験もあるが家の特殊な事情もあって長続きはしなかった。桂家の跡取り問題も勿論あったが特殊な家族構成で前妻を悩ませた事を想えば、その優しさ故に『私の元へ嫁ぐ娘は気の毒だ』とも考えてしまう。  だからこそ桂は、女性を『正妻』『妾、愛人』として拘束する事なく『互いに拘束しない関係』を前提とした交流を望んでいた。

 水戸との成破の盟を取りつけるなど『尊王攘夷』の急先鋒として活動していたが、師であり友でもあった吉田松陰の様に『海外情勢』を学ぼうとする姿勢も併せ持つ。そして文久元年・夏は江戸、これが切っ掛けで稀有な女性との出会いを果たすに至った。
 彼女の才は非常に抜きん出た価値観によって構築・洗練されたものであったが、同時に男女間の恋愛についてもまったく違うものを抱いている様であった。桂を前になし崩し的にはならない様子の彼女に対し、自身が袖下に常用している『匂い袋』を贈る。…子供や女性らが『良い匂いだ』と喜ぶから身だしなみとして持ち歩いていた匂い袋だったが、その香がいつも自分を思い出すきっかけとなってくれたなら…と。
 単純に喜ばせる為ではなく、自分への依存性を見出そうとする。その様な意図で女性に何かを贈ったのは、初めての事であった。


・物語:清香残懐
・長州出身
・天保4年6月26日生まれ
(1833/8/11)(8才年上)
・精金良玉、温和、品、情熱、忍耐、長身
・170cm、筋肉質、細身
・一人称:私
・二人称:君、貴女、はつみ君
・Image Colors: 本紫 

その他設定資料(旧イラストを含む)






池 内 蔵 太


俺と夫婦になってくれ!

 土佐郷士の中でも微禄の家に生まれ、貧困の中で育つ。しかし貧しさなど跳ね返す程の、明るく大柄で空けっ広げ、素直で感情も豊かな青年。
男気溢れる兄貴気質故に弱い者いじめなどを見かけようものなら全力で弱者を庇い、上士の悪童らと喧嘩となる事も多かった。だが喧嘩となれば百戦錬磨の負け知らずであり、その心と体の強さ故に多くの郷士達から慕われる。体力馬鹿と称されるが、実は岩崎弥太郎などに師事し進んで学問の研鑽を詰んでいた上に、藩にも認められて赴いた江戸遊学において儒学の権威・安井息軒の門下にもなるという学識高い一面も有している。
 一方で、家柄度外視で見れば非常に青空の似合う爽やかな『いい男』で、女性からは羨望の眼差しを向けられる事も多かった。そういった事への僻みや彼との喧嘩で負けを被った恨みも含め、日頃から郷士へのあたりの強い上士達からは常に『教育』の対象とされていた。
 時折、喧嘩で怪我をした内蔵太に対し勇気を出して介抱を申し出る娘もいたが、内蔵太自身その辺りの事には極めて鈍感であり、彼が『手を付ける』等という事も一切なかった。

 そんな内蔵太であっても、突然土佐城下に現れた『かぐや姫』と噂される人物を紹介された時には男としての本能に刺激がほどばしり、鳥肌が立ってしまう。勢い余って思わず『俺と夫婦になってくれ』と一目惚れの告白をしてしまうが、相手から返ってきた言葉は思いもしない『いや…あり得ないでしょ?』であった。
 …内蔵太は思う。100歩譲って断られた事自体は不問としても、『あり得ない』とは…?返ってきた聞き慣れない言葉の意味を理解する為に時間を要する内蔵太。そして何を思ったか、『あれは男の格好をした男女ではなく、女みたいな女男だったのだ』と悟るに至る。
 嗚呼、やっちまった…
 自分が出した斜め上の結論を疑おうともせず。しかし初めて己の心身に走った衝撃から『彼』を忘れる事はできそうにない。会って話す度に溢れそうになる想いを胸に、『自分は男色だったのか…』と思い悩む日々が始まるのだった…。
―詳 細― 男気溢れる兄貴気質故に弱い者いじめなどを見かけようものなら全力で弱者を庇い、上士の悪童らと喧嘩となる事も多かった。だが喧嘩となれば百戦錬磨の負け知らずであり、その心と体の強さ故に多くの郷士達から慕われる。体力馬鹿と称されるが、実は岩崎弥太郎などに師事し進んで学問の研鑽を詰んでいた上に、藩にも認められて赴いた江戸遊学において儒学の権威・安井息軒の門下にもなるという学識高い一面も有している。
 一方で、家柄度外視で見れば非常に青空の似合う爽やかな『いい男』で、女性からは羨望の眼差しを向けられる事も多かった。そういった事への僻みや彼との喧嘩で負けを被った恨みも含め、日頃から郷士へのあたりの強い上士達からは常に『教育』の対象とされていた。
 時折、喧嘩で怪我をした内蔵太に対し勇気を出して介抱を申し出る娘もいたが、内蔵太自身その辺りの事には極めて鈍感であり、彼が『手を付ける』等という事も一切なかった。

 そんな内蔵太であっても、突然土佐城下に現れた『かぐや姫』と噂される人物を紹介された時には男としての本能に刺激がほどばしり、鳥肌が立ってしまう。勢い余って思わず『俺と夫婦になってくれ』と一目惚れの告白をしてしまうが、相手から返ってきた言葉は思いもしない『いや…あり得ないでしょ?』であった。
 …内蔵太は思う。100歩譲って断られた事自体は不問としても、『あり得ない』とは…?返ってきた聞き慣れない言葉の意味を理解する為に時間を要する内蔵太。そして何を思ったか、『あれは男の格好をした男女ではなく、女みたいな女男だったのだ』と悟るに至る。
 嗚呼、やっちまった…
 自分が出した斜め上の結論を疑おうともせず。しかし初めて己の心身に走った衝撃から『彼』を忘れる事はできそうにない。会って話す度に溢れそうになる想いを胸に、『自分は男色だったのか…』と思い悩む日々が始まるのだった…。


・物語:嗚呼、池内蔵太
・土佐出身
・天保12年生まれ
(1841)(ほぼ同じ年)
・光風霽月、漢気、一本気、天然、美男、長身
・170cm、筋肉質、無骨
・一人称:俺
・二人称:おんし、おまん、桜川→はつみ
・Character Story:嗚呼、池内蔵太
・Image Colors:天色

その他設定資料(旧イラストを含む)






池 田 寅 之 進


貴女を守る
『男』になりたい


 土佐郷士の中でも微禄の家に生まれ、貧困の中で育った。
 齢5歳の頃に父と母を亡くし、近い親戚もいない為、祖父、そして2歳年下の弟との3人で暮らす。
寅之進は嫡男ではあったがあまりにも幼齢であった為、隠居の身であった祖父が後見人として家督を預かり、老体に鞭を打って孫二人を育てるといった少々特種な事情のある家であった。両親のいない寂しさに屈してしまっていたのは当時わずか3歳であった弟の方で、兄であった5歳の寅之進は優しく弟を支え、そして祖父には心配をかけまいと常に気丈に振舞い、且つ、遊び盛りの気持ちを抑えしっかりと祖父を見てその仕事を覚えてゆく健気な子供であった。元々家禄の少ない家ではあったが、無情にも先の事情(当主不在の特別処置)を理由に禄が減らされ、下男などを置く事もできない中で寅之進は弟の世話や家事などをこなすのに精一杯。どこかの塾で学問を学んだり、徹底して剣術を磨き上げるといった余裕などない少年時代を過ごしていた。

 真面目で責任感が強く、且つ苦労を表に出さない、極めて健全で爽やかな好青年へと成長。坂本龍馬などは親愛の意を込めて『小さな武市半平太』という意味の『小武市』などとあだ名をつける事も。15歳になった寅之進が正式に家督を継いだ時は皆が祝福し、その後すぐに祖父が亡くなった時だけは酷く落ち込む姿が見られたものの、そこからは一層、郷士職であったり弟の為の内職なりにと励む姿が逆に周囲の誰かを勇気付けたりする様な影響力もある青年となっていた。

 それから間もなく、16歳となる年の春。顔を合わせる人合わせる人から『そろそろ嫁を迎えたらどうか』等と言われる様になった頃に、城下近辺において『かぐや姫』の噂が広がり始める。自分には無関係だと思っていた彼女との出会いこそが、寅之進の『運命』そのものを大きく変え、そして寅之進がいたからこそ『かぐやの君』の物語は今日へと語り継がれる事となる。
―詳 細― 寅之進は嫡男ではあったがあまりにも幼齢であった為、隠居の身であった祖父が後見人として家督を預かり、老体に鞭を打って孫二人を育てるといった少々特種な事情のある家であった。両親のいない寂しさに屈してしまっていたのは当時わずか3歳であった弟の方で、兄であった5歳の寅之進は優しく弟を支え、そして祖父には心配をかけまいと常に気丈に振舞い、且つ、遊び盛りの気持ちを抑えしっかりと祖父を見てその仕事を覚えてゆく健気な子供であった。元々家禄の少ない家ではあったが、無情にも先の事情(当主不在の特別処置)を理由に禄が減らされ、下男などを置く事もできない中で寅之進は弟の世話や家事などをこなすのに精一杯。どこかの塾で学問を学んだり、徹底して剣術を磨き上げるといった余裕などない少年時代を過ごしていた。

 真面目で責任感が強く、且つ苦労を表に出さない、極めて健全で爽やかな好青年へと成長。坂本龍馬などは親愛の意を込めて『小さな武市半平太』という意味の『小武市』などとあだ名をつける事も。15歳になった寅之進が正式に家督を継いだ時は皆が祝福し、その後すぐに祖父が亡くなった時だけは酷く落ち込む姿が見られたものの、そこからは一層、郷士職であったり弟の為の内職なりにと励む姿が逆に周囲の誰かを勇気付けたりする様な影響力もある青年となっていた。

 それから間もなく、16歳となる年の春。顔を合わせる人合わせる人から『そろそろ嫁を迎えたらどうか』等と言われる様になった頃に、城下近辺において『かぐや姫』の噂が広がり始める。自分には無関係だと思っていた彼女との出会いこそが、寅之進の『運命』そのものを大きく変え、そして寅之進がいたからこそ『かぐやの君』の物語は今日へと語り継がれる事となる。


・物語:忠櫻録
・土佐出身
・天保15年生まれ
(1844)(3才年下)
・胸襟秀麗、好青年、努力家、真面目、誠実、童顔
・159cm、中肉中背
・一人称:俺、自分
・二人称:貴女、はつみさん
・Image Colors: 黄支子色 

その他設定資料(旧イラストを含む)






岡 田 以 蔵


おんしがおると…
調子が狂う


 土佐郷士の中でも微禄の家に生まれ、貧困の中で育つ。
 大多数の上士は郷士に対し理不尽に振舞う事が当然の風潮にあったが、以蔵は特に目を付けられやすい子供であった。弟想いのおとなしい性格で付け込まれ易く、且つ、身なりさえ整えれば高貴な出の人物かと見紛う程の整った顔立ちだった為、それを僻んだ一味が『下士は下士らしい顔でいろ』と以蔵の顔めがけて暴行を加えるという日々。軽格の岡田家は泣き寝入りしかできる事はなく、以蔵にとって自分の顔はもはや『家族をも不幸にする忌々しいもの』でしかなかった。自己肯定感も皆無のままに、自らの顔を前髪で隠す様になる。内向的な性格に加えてこの風貌では距離を置く者も増えたが、少しでも上士からの軋轢が減るのならと願う少年にとってはどうでもいい事だった。だが、同じ様な理由で暴行に遭っていた池内蔵太は太陽の様な力強さで堂々としているのを傍目に見ると、それができない自分に対して更に嫌悪が重なっていくのも否めなかった。

 やがて以蔵は、己の周囲にしか認知の及ばない、この世の理や文化などには興味を持たない極めて閉鎖的な青年へと成長。だがその分『感覚』は鋭く研ぎ澄まされていった。特に剣においては『眼前に迫る太刀筋を読む』という所で非凡の才を発揮し、通う道場では『無口で愛想も顔面もない敵なしの剣士』として畏れられる。名もなき若き剣豪がいると噂を聞いた武市半平太の目に留まり、以蔵の剣だけでなく、訳あって閉鎖的で粗野な性格となった彼の性根を理解した上で、剣を通し人の輪へと誘っていく。以蔵も馴れ合い自体は極めて苦手であったが、武市の顔を立てるつもりで周囲との関わりを無下にする事はなかった。

 そしてある日、『かぐや姫』などと噂される妙な娘と出会う。
 やけに華やかな娘で苦手であった。だが女子に甘味茶屋で団子を食べようと誘われるのは初めての事であったし、触れられるのも初めてで…直感的に意識してしまう。乾という元男色の上士に言い寄られながらも逆に振り回している様子が見ていて小気味よく、そして恩師であり妻のいる武市に対し只ならぬ想いを抱いているであろう事も含め、色んな意味で彼女の事が気になっていく。
―詳 細―  大多数の上士は郷士に対し理不尽に振舞う事が当然の風潮にあったが、以蔵は特に目を付けられやすい子供であった。弟想いのおとなしい性格で付け込まれ易く、且つ、身なりさえ整えれば高貴な出の人物かと見紛う程の整った顔立ちだった為、それを僻んだ一味が『下士は下士らしい顔でいろ』と以蔵の顔めがけて暴行を加えるという日々。軽格の岡田家は泣き寝入りしかできる事はなく、以蔵にとって自分の顔はもはや『家族をも不幸にする忌々しいもの』でしかなかった。自己肯定感も皆無のままに、自らの顔を前髪で隠す様になる。内向的な性格に加えてこの風貌では距離を置く者も増えたが、少しでも上士からの軋轢が減るのならと願う少年にとってはどうでもいい事だった。だが、同じ様な理由で暴行に遭っていた池内蔵太は太陽の様な力強さで堂々としているのを傍目に見ると、それができない自分に対して更に嫌悪が重なっていくのも否めなかった。

 やがて以蔵は、己の周囲にしか認知の及ばない、この世の理や文化などには興味を持たない極めて閉鎖的な青年へと成長。だがその分『感覚』は鋭く研ぎ澄まされていった。特に剣においては『眼前に迫る太刀筋を読む』という所で非凡の才を発揮し、通う道場では『無口で愛想も顔面もない敵なしの剣士』として畏れられる。名もなき若き剣豪がいると噂を聞いた武市半平太の目に留まり、以蔵の剣だけでなく、訳あって閉鎖的で粗野な性格となった彼の性根を理解した上で、剣を通し人の輪へと誘っていく。以蔵も馴れ合い自体は極めて苦手であったが、武市の顔を立てるつもりで周囲との関わりを無下にする事はなかった。

 そしてある日、『かぐや姫』などと噂される妙な娘と出会う。
 やけに華やかな娘で苦手であった。だが女子に甘味茶屋で団子を食べようと誘われるのは初めての事であったし、触れられるのも初めてで…直感的に意識してしまう。乾という元男色の上士に言い寄られながらも逆に振り回している様子が見ていて小気味よく、そして恩師であり妻のいる武市に対し只ならぬ想いを抱いているであろう事も含め、色んな意味で彼女の事が気になっていく。


・物語:汝光輝ヲ生ズ
・土佐出身
・天保9年1月20日生まれ
(1838/2/14)(3才年上)
・陰鬱、顔隠し、感情抑圧、自己肯定感、美形
・160cm、筋肉質、やせ型、無骨
・一人称:俺
・二人称:おんし、おまん、桜川
・Image Colors: 黒紅 

その他設定資料(旧イラストを含む)
中期ビジュアル

岡田直人





陸 奥 陽 之 助


ぶっちゃけ
俺の事好きなんだろ?


 飄々としていて軽口と屁理屈とボヤきばかり漏らすダメな優男。
 父は国学者であり紀州藩500石取りの大身であったが政治闘争に敗れ幽閉されてしまい、残された陽之助ら一家は路頭に迷う事となってしまう。幼心に『父の仇を討つ、その為には政治舞台に返り咲く』と慟哭した感情のままに、利発で気の強い、頑固な一面も持ち合わせている。わずか13才でまともな手持ちもないままに一人江戸へ飛び出し、貧困を極めながらも書生として勉学に励んだ苦労人。

 ロクな事しか口走らないので周囲からは人が離れていく事が多いのだが、頭脳は極めて明晰。物事の偏見に縛られず本質を見極め、論理的に考える事ができる。考察にはそもそもの知識が必要である事も重視しており、日頃から本を読みあらゆる知識や理論を学び蓄える努力も怠らない。そしてあらゆる事に思考が及ぶという事は、実は非常に思慮深いという事にも繋がるのだが、彼はそういった性根の優しさや影の努力は表に出さない。出したらナメられる、自分が不利になるとすら考える『あまのじゃく』でもあった。

 勉強一筋の様にも見えるが実はそうではなく、かなりの女好きである。17才の頃には江戸で安井息軒の門下生となっていたが、体調を崩し駆け込んだ医者の下で年上の吉原女と出会い、陸奥の見た目の良さもあって可愛がられた末にねんごろになった上、病気が良くなった後もそのまま吉原へ通う様になる。結果的に安井息軒から破門される程の失態を犯したが、彼の女好きが治まる事は無かった。

 そんな矢先、『尊王攘夷』に湧く江戸のとあるツテから妙な話を聞く。『やけに夷狄に詳しい女男がいるらしい』『本人は帝ありきの世の中だとか言ってるらしいが辻褄があわねェよな』これだけの会話でも陸奥としては押さえておきたい点が明確に複数存在した。『外国識者』『尊王派』そして『女男』。こんなに興味を引かれる奴は初めてだと内心心躍らせ、次の日を待たずに早速調査に乗り出したのだった。
―詳 細―  父は国学者であり紀州藩500石取りの大身であったが政治闘争に敗れ幽閉されてしまい、残された陽之助ら一家は路頭に迷う事となってしまう。幼心に『父の仇を討つ、その為には政治舞台に返り咲く』と慟哭した感情のままに、利発で気の強い、頑固な一面も持ち合わせている。わずか13才でまともな手持ちもないままに一人江戸へ飛び出し、貧困を極めながらも書生として勉学に励んだ苦労人。

 ロクな事しか口走らないので周囲からは人が離れていく事が多いのだが、頭脳は極めて明晰。物事の偏見に縛られず本質を見極め、論理的に考える事ができる。考察にはそもそもの知識が必要である事も重視しており、日頃から本を読みあらゆる知識や理論を学び蓄える努力も怠らない。そしてあらゆる事に思考が及ぶという事は、実は非常に思慮深いという事にも繋がるのだが、彼はそういった性根の優しさや影の努力は表に出さない。出したらナメられる、自分が不利になるとすら考える『あまのじゃく』でもあった。

 勉強一筋の様にも見えるが実はそうではなく、かなりの女好きである。17才の頃には江戸で安井息軒の門下生となっていたが、体調を崩し駆け込んだ医者の下で年上の吉原女と出会い、陸奥の見た目の良さもあって可愛がられた末にねんごろになった上、病気が良くなった後もそのまま吉原へ通う様になる。結果的に安井息軒から破門される程の失態を犯したが、彼の女好きが治まる事は無かった。

 そんな矢先、『尊王攘夷』に湧く江戸のとあるツテから妙な話を聞く。『やけに夷狄に詳しい女男がいるらしい』『本人は帝ありきの世の中だとか言ってるらしいが辻褄があわねェよな』これだけの会話でも陸奥としては押さえておきたい点が明確に複数存在した。『外国識者』『尊王派』そして『女男』。こんなに興味を引かれる奴は初めてだと内心心躍らせ、次の日を待たずに早速調査に乗り出したのだった。


物語:
男女ニ友情ハ成立セズノ件

・紀州出身
・天保15年7月7日生まれ
(1844/8/20)(3才年下)
・思慮分別、天邪鬼、努力家、自信家、長身、美男
・168cm、やせ型
・一人称:俺
・二人称:お前、桜川→はつみ
・Image Colors:青磁色

その他設定資料(旧イラストを含む)






小 松 帯 刀


おいでは
おはんを癒すこつは
できんでごわすか…?


 薩摩5500石取喜入領主・肝付家の四男として生まれる。跡目重視の家風にあって両親や乳母らの充分な愛情には恵まれずに育ったが、本人は至って穏やかで爽やか、そして落ち着いた品のある少年へと成長した。
 生まれながらに体が丈夫ではなく剣もそこそこではあったが、少年期から学問の才が開花する。しかし齢17の頃、世間では浦賀にペリーの艦隊が現れ騒ぎとなっていたが彼本人はというと周囲が心配するほど琵琶に打ち込んでいた。名手と言える程までに上達していたが、家令が恐れながらも『将来藩主様に仕えるお方がその様にあられていてはいけない』と建言してきたその勇気に深く心を撃たれ、己の士分は主の為にありその為に自分ができる事は学問を深める事なのだと建言を受け入れ、泣きながら琵琶を納戸に放り込む。そして2度と琵琶に手をかける事はなかった。以後学問、剣に加え馬術にも積極的に取り組んだが、特に乗馬の技巧は右に出る者はいないとされる程上達したという。

 21歳の時に奥小姓として斉彬公に仕え、間もなくしてその命により小松家の娘・千賀と婚姻して『小松家当主・吉利領主』となる。こうした急遽の婚姻であっても妻・千賀とは恙なく仲良くなり、湯治旅行へ新妻のお千賀を連れて行くなど、世においては珍しくも小松らしい柔軟で愛情深い夫婦生活が始まっていた。引き続き斉彬公からも若くして一目置かれ、領民からは名君として喜ばれ、家臣に対しても寛大で一致団結慕われる当主であった。

 27歳の時に藩主周辺にて政権交代が起き、その煽りを受けた小松も弁天波止場係へと左遷された。そしてこの波止場には、少し前まで長崎遊学に出ていたという砲撃・狙撃の手練れ・村田経臣という若者も配属されており、小松はこの村田を通して長崎における異国の学問、軍備、文化といったものを更に深く知っていく。特に気になったのは、長崎遊学時の村田に対し『これからは英国語や国際司法について学ぶ方がいい』と助言をし、更にはかのシーボルト医師やその子息らとの知己を得るきっかけになったという『桜川はつみ』なる男装の女性についてだ。しかしいかな理由であれ妻のいる身で他の女に期待する訳にはいかないと頭を振るって忘れる事にした。
 時同じくして、藩が長崎から買い付けた一隻の蒸気船が弁天波止場の沖に碇泊される運びとなり、近くこれを藩主が見学するからという事で小松が案内役を申し付けられる。真新しい異国の船と技術を完璧に披露した小松に感心した藩主から『更に精進せよ』との意向あり、文久元年1月、小松は村田経臣を共に加え意気揚々と長崎遊学へと向かう。  …そこで図らずも『桜川はつみ』なる人物と出会う事となった。
―詳 細―  生まれながらに体が丈夫ではなく剣もそこそこではあったが、少年期から学問の才が開花する。しかし齢17の頃、世間では浦賀にペリーの艦隊が現れ騒ぎとなっていたが彼本人はというと周囲が心配するほど琵琶に打ち込んでいた。名手と言える程までに上達していたが、家令が恐れながらも『将来藩主様に仕えるお方がその様にあられていてはいけない』と建言してきたその勇気に深く心を撃たれ、己の士分は主の為にありその為に自分ができる事は学問を深める事なのだと建言を受け入れ、泣きながら琵琶を納戸に放り込む。そして2度と琵琶に手をかける事はなかった。

 21歳の時に奥小姓として斉彬公に仕え、間もなくしてその命により小松家の娘・千賀と婚姻して『小松家当主・吉利領主』となる。こうした急遽の婚姻であっても妻・千賀とは恙なく仲良くなり、湯治旅行へ新妻のお千賀を連れて行くなど、世においては珍しくも小松らしい柔軟で愛情深い夫婦生活が始まっていた。引き続き斉彬公からも若くして一目置かれ、領民からは名君として喜ばれ、家臣に対しても寛大で一致団結慕われる当主であった。

 27歳の時に藩主周辺にて政権交代が起き、その煽りを受けた小松も弁天波止場係へと左遷された。そしてこの波止場には、少し前まで長崎遊学に出ていたという砲撃・狙撃の手練れ・村田経臣という若者も配属されており、小松はこの村田を通して長崎における異国の学問、軍備、文化といったものを更に深く知っていく。特に気になったのは、長崎遊学時の村田に対し『これからは英国語や国際司法について学ぶ方がいい』と助言をし、更にはかのシーボルト医師やその子息らとの知己を得るきっかけになったという『桜川はつみ』なる男装の女性についてだ。しかしいかな理由であれ妻のいる身で他の女に期待する訳にはいかないと頭を振るって忘れる事にした。
 時同じくして、藩が長崎から買い付けた一隻の蒸気船が弁天波止場の沖に碇泊される運びとなり、近くこれを藩主が見学するからという事で小松が案内役を申し付けられる。真新しい異国の船と技術を完璧に披露した小松に感心した藩主から『更に精進せよ』との意向あり、文久元年1月、小松は村田経臣を共に加え意気揚々と長崎遊学へと向かう。  …そこで図らずも『桜川はつみ』なる人物と出会う事となった。


・物語:姫 沙 羅
・薩摩出身
・天保6年12月14日生まれ
(1835/12/3)(6才年上)
・英明闊達、雄弁明快、魅力的、紳士、天然
・165cm、中肉、やや病弱
・一人称:おい、私
・二人称:おはん、君、はつみさぁ
・Image Colors:白菫色






アーネスト・サトウ


貴女はわたしの女神だ

イギリスはロンドン、プロテスタント(ルーテル派)であり一般的な中産階級家庭の三男として生まれる。
 幼いころから本の虫で、学業においても卓越した才を持ち両親たちの期待を背負っていた。階級や宗教を問わない男子私立校Mill Hill Schoolを首席で卒業した後、University College Londonへ入学する。

 1860年、すなわち日本においては桜田門外の変という一大事件が起こった年の秋。大学一回生の16才であったアーネストは兄が貸本屋から借りて来たイギリス外交官/ローレンス・オリファントによるエルギン卿使節団の中国・日本訪問に関する回想録を読み、日本に興味を持った。
『日本とは空が常に青く、太陽が常に照り続けている国。男達はバラ色の唇と黒い瞳を携えた魅力的な乙女たちに伴われて座敷に寝そべり、築山のある小さな庭を窓越しに眺めながら過ごす。神々の祝福を受けたかの様な、色鮮やかで、現世におけるおとぎの国。』
 これに強烈な魅力を感じたアーネストは続け様にアメリカ/マシュー・ペリー提督の遠征記にも目を通した。オリファントの回想録よりもずっと冷静な体裁で書かれていたが、現実的な主観と具体的な報告内容により一層日本のイメージを確固たるものにできた。以後他の事は考えられなくなる程、日本への興味を深めていく。

 1861年夏、アーネストの日本への興味情熱はまだ続いていた。そんな折に大学の図書室で日本・中国への通訳候補生を外務省へ推薦する旨の募集告示を目にし、募集資格であった『17才以上』とする項を紙一重でクリアしていた事に一人ガッツポーズをする程歓喜してしまう。この後の大学生活や学位習得がいかようになるかなど二の次で、これに応募する事に一切の躊躇いもなかった。難色を示す両親を説得し、最年少にして試験を受けた結果首席で合格。外務省から通訳候補生としての任を正式に拝命し、大学は飛び級で卒業となった。そして彼は迷わず『日本行き』を希望する。
 しかし当時イギリスでは『日本語を習得する為にはまず中国語を学ばなければならない』などとされており、ひとまずは中国上海領事館において中国語や漢字を学ぶ出だしとなってしまった。ここでの『無意味』な学習は、この後およそ1年にも及ぶ。それほどまでに、イギリス国内ひいては世界においての日本言語、文化等はまったくの『未開』であったのだ。

1862年初夏の頃。本当にここ上海での学習が日本語習得に役立つのだろうかとの疑惑を殆どの者が抱いていた頃、以前この上海領事館に所属し今は日本横濱公使館に所属するイラスト記者、チャールズ・ワーグマンの風刺漫画冊子『ジャパン・パンチ』が創刊される。ひと月遅れ程で上海にもこれが配布され、アーネストとしては貴重な日本を知る活きた資料であるとして早速手に取ってみた。チャールズ氏のオリジナルキャラクターによるイギリス人好みの風刺が、彼が見た日本の「おかしな文化」「解せぬ風潮」などを中心に物語られていく。つまりそこに描かれている事の殆どは実際に取材した上で描かれているものだと考えれば、一つ、とても気になる『風刺』がアーネストの心を捉えていた。 『抑圧された女神』と題付けられた、男装をした日本人女性を描いた風刺だ。手にはメモを持ち、そのメモには英語がびっしりと書かれてはいるが、周囲にいる日本人の男達に押しつぶされ発言の機会を奪われている。別のシーンでは、見るからに政治の事などは理解できていないであろう幼い男子が多くの大人を指示し、それを守る男達が刀で周囲を刀で威嚇する。それに怯える男装の女神が正しい知識を振るう事無く去っていくといった様子などが描かれていた。

 現在イギリスにおいては人種及び階級差別問題の他に子供の労働や女性の社会進出などについても声高に問題が唱えられている。その関心毎から取り上げられた風刺である事は理解できたし、『女神』というのも本来キリスト教においては矛盾の生じる表現であった為、よりフィクション性を持たせたキャラクターである事も理解できたのだが…いずれにしても、これを作成したチャールズは『抑圧された女神』をイメージさせる様な才知溢れる女性と日本で出会ったという事になる。
 …オリファント卿の本でイメージした時といい決して下心が前面にあった訳ではなかったが、アーネストは男子学校出身で『そういった』経験も乏しく、年齢的にも『そういった事』に興味がないといえば噓になる。実際、日本についたらまずはチャールズ氏にこの冊子についてインタビューをしたい、あわよくば『抑圧された女神』のモデルになった女性について詳しく聞いてみたい…等と、一層胸を膨らませるに至った。

そして同年…文久2年8月。
青々とした素晴らしい晴れ空の元、アーネストはついに日本へと上陸する。
―詳 細―  幼いころから本の虫で、学業においても卓越した才を持ち両親たちの期待を背負っていた。階級や宗教を問わない男子私立校Mill Hill Schoolを首席で卒業した後、University College Londonへ入学する。

 1860年、すなわち日本においては桜田門外の変という一大事件が起こった年の秋。大学一回生の16才であったアーネストは兄が貸本屋から借りて来たイギリス外交官/ローレンス・オリファントによるエルギン卿使節団の中国・日本訪問に関する回想録を読み、日本に興味を持った。
『日本とは空が常に青く、太陽が常に照り続けている国。男達はバラ色の唇と黒い瞳を携えた魅力的な乙女たちに伴われて座敷に寝そべり、築山のある小さな庭を窓越しに眺めながら過ごす。神々の祝福を受けたかの様な、色鮮やかで、現世におけるおとぎの国。』
 これに強烈な魅力を感じたアーネストは続け様にアメリカ/マシュー・ペリー提督の遠征記にも目を通した。オリファントの回想録よりもずっと冷静な体裁で書かれていたが、現実的な主観と具体的な報告内容により一層日本のイメージを確固たるものにできた。以後他の事は考えられなくなる程、日本への興味を深めていく。

 1861年夏、アーネストの日本への興味情熱はまだ続いていた。そんな折に大学の図書室で日本・中国への通訳候補生を外務省へ推薦する旨の募集告示を目にし、募集資格であった『17才以上』とする項を紙一重でクリアしていた事に一人ガッツポーズをする程歓喜してしまう。この後の大学生活や学位習得がいかようになるかなど二の次で、これに応募する事に一切の躊躇いもなかった。難色を示す両親を説得し、最年少にして試験を受けた結果首席で合格。外務省から通訳候補生としての任を正式に拝命し、大学は飛び級で卒業となった。そして彼は迷わず『日本行き』を希望する。
 しかし当時イギリスでは『日本語を習得する為にはまず中国語を学ばなければならない』などとされており、ひとまずは中国上海領事館において中国語や漢字を学ぶ出だしとなってしまった。ここでの『無意味』な学習は、この後およそ1年にも及ぶ。それほどまでに、イギリス国内ひいては世界においての日本言語、文化等はまったくの『未開』であったのだ。

1862年初夏の頃。本当にここ上海での学習が日本語習得に役立つのだろうかとの疑惑を殆どの者が抱いていた頃、以前この上海領事館に所属し今は日本横濱公使館に所属するイラスト記者、チャールズ・ワーグマンの風刺漫画冊子『ジャパン・パンチ』が創刊される。ひと月遅れ程で上海にもこれが配布され、アーネストとしては貴重な日本を知る活きた資料であるとして早速手に取ってみた。チャールズ氏のオリジナルキャラクターによるイギリス人好みの風刺が、彼が見た日本の「おかしな文化」「解せぬ風潮」などを中心に物語られていく。つまりそこに描かれている事の殆どは実際に取材した上で描かれているものだと考えれば、一つ、とても気になる『風刺』がアーネストの心を捉えていた。 『抑圧された女神』と題付けられた、男装をした日本人女性を描いた風刺だ。手にはメモを持ち、そのメモには英語がびっしりと書かれてはいるが、周囲にいる日本人の男達に押しつぶされ発言の機会を奪われている。別のシーンでは、見るからに政治の事などは理解できていないであろう幼い男子が多くの大人を指示し、それを守る男達が刀で周囲を刀で威嚇する。それに怯える男装の女神が正しい知識を振るう事無く去っていくといった様子などが描かれていた。

 現在イギリスにおいては人種及び階級差別問題の他に子供の労働や女性の社会進出などについても声高に問題が唱えられている。その関心毎から取り上げられた風刺である事は理解できたし、『女神』というのも本来キリスト教においては矛盾の生じる表現であった為、よりフィクション性を持たせたキャラクターである事も理解できたのだが…いずれにしても、これを作成したチャールズは『抑圧された女神』をイメージさせる様な才知溢れる女性と日本で出会ったという事になる。
 …オリファント卿の本でイメージした時といい決して下心が前面にあった訳ではなかったが、アーネストは男子学校出身で『そういった』経験も乏しく、年齢的にも『そういった事』に興味がないといえば噓になる。実際、日本についたらまずはチャールズ氏にこの冊子についてインタビューをしたい、あわよくば『抑圧された女神』のモデルになった女性について詳しく聞いてみたい…等と、一層胸を膨らませるに至った。

そして同年…文久2年8月。
青々とした素晴らしい晴れ空の元、アーネストはついに日本へと上陸する。


物語:
Fabulous emotions

外伝:
Alternative Romance

・Ernest Mason Satow
・英国出身・通訳官
 文久2年8月来日

・天保14年6月3日生まれ
(1843/6/30)(2才年下)
・高材疾足、知的、紳士、社交的、ロマンティスト&リアリスト、本の虫
・173cm、中肉、足長、8頭身
・一人称(日語):私
・二人称(日語):貴女、ハテュミ→はつみ
・Image Colors:胡桃染

その他設定資料(旧イラストを含む)






沖 田 総 司


一人の男として、
貴女をお慕いして
おりました


 江戸詰め白河藩士の家に生まれるが物心つく前に両親と死別。家督を相続する事ができず、齢9才にして試衛館の内弟子となる。試衛館では優れた人格者でもある近藤を始め、多様で個性的な門人や食客達とおおいに触れあい、好奇心旺盛で物怖じしない、性根の真っすぐな少年へと育った。
 試衛館にあっては時にやんちゃ、時に喧嘩と『嗜んで』はいたが、姉の教育により将軍のお膝元にて生粋の武士家系に生まれたとする風格はしっかりと備わっている。一方で子供や猫、無垢なものが好きという穏やかな一面も持ち合わせており、物怖じしない性格というのもあってどこか飄々とした掴み処の無い奴だとも言われる。また剣の才においては早くから開花し、齢10歳にて大人の指南役を撃破した事も。

 老若男女意識せず必要な時必要な人へ気さくに話しかける為、彼に熱をあげる女性も少なくは無かったが、沖田本人はそういった視線は全て土方歳三という兄貴分に注がれているのだと勘違いをしている。食客達からも『良からぬ知識』をアレコレと吹き込まれるが『私には剣しかないですよ』としれっとしている。

 文久元年6月15日。天下祭の一つとされる『日枝神社大祭』を見て回っていた。その帰りに神社の境内で遊ぶ子供たちを眺めていた沖田は、楽し気に階段を駆け上がってきた人物に気が付く。自分と同じ齢と思われる少年であったが、変わった着物を羽織っていたのと腰の大小に加え背中にももう一本大を背負っていた事、そして白いハヤブサと思われる鳥が懐いている様子が目を引いた。彼は周囲を見渡してから沖田に視線を合わせ、会釈をしながら話しかけてくる。
「すみません、この辺りに井戸はありますろうか?」
「ああ、あちらにありますよ」
 沖田が指差した方向、木陰に隠れて分かりづらい場所にあった井戸を見つけた少年は爽やかに礼を言い、再度階段の下を覗き込んでいる。しばらくすると階段からもう一つの人影が現れたのだが、髪をひと房に結い上げ男の格好をしていたものの登り疲れて力ないその仕草で直感的に『男装をした女性』だと察した。『変わった二人だなぁ』と呑気に眺めていた所で、彼女が満面の笑みで顔をあげた…その瞬間。初夏で蒸し暑いはずの周囲が突然満開の桜に包まれたかの様な華やかさに包まれる。

彼女を中心に刻がゆっくりとなり、桜吹雪が舞い…視線が釘付けにされる。
手のうちわも落としたまま見とれていた沖田は、子供に袖を引かれている事にも気付けないでいた。
―詳 細―  試衛館にあっては時にやんちゃ、時に喧嘩と『嗜んで』はいたが、姉の教育により将軍のお膝元にて生粋の武士家系に生まれたとする風格はしっかりと備わっている。一方で子供や猫、無垢なものが好きという穏やかな一面も持ち合わせており、物怖じしない性格というのもあってどこか飄々とした掴み処の無い奴だとも言われる。また剣の才においては早くから開花し、齢10歳にて大人の指南役を撃破した事も。

 老若男女意識せず必要な時必要な人へ気さくに話しかける為、彼に熱をあげる女性も少なくは無かった。しかし沖田本人はそういった視線は全て土方歳三という兄貴分に注がれているのだと勘違いをしており、食客達からも『良からぬ知識』をアレコレと吹き込まれてはいたものの『私には剣しかないですよ』としれっとしている

 文久元年6月15日。天下祭の一つとされる『日枝神社大祭』を見て回っていた。その帰りに神社の境内で遊ぶ子供たちを眺めていた沖田は、楽し気に階段を駆け上がってきた人物に気が付く。自分と同じ齢と思われる少年であったが、変わった着物を羽織っていたのと腰の大小に加え背中にももう一本大を背負っていた事、そして白いハヤブサと思われる鳥が懐いている様子が目を引いた。彼は周囲を見渡してから沖田に視線を合わせ、会釈をしながら話しかけてくる。
「すみません、この辺りに井戸はありますろうか?」
「ああ、あちらにありますよ」
 沖田が指差した方向、木陰に隠れて分かりづらい場所にあった井戸を見つけた少年は爽やかに礼を言い、再度階段の下を覗き込んでいる。しばらくすると階段からもう一つの人影が現れたのだが、髪をひと房に結い上げ男の格好をしていたものの登り疲れて力ないその仕草で直感的に『男装をした女性』だと察した。『変わった二人だなぁ』と呑気に眺めていた所で、彼女が満面の笑みで顔をあげた…その瞬間。初夏で蒸し暑いはずの周囲が突然満開の桜に包まれたかの様な華やかさに包まれる。

彼女を中心に刻がゆっくりとなり、桜吹雪が舞い…視線が釘付けにされる。
手のうちわも落としたまま見とれていた沖田は、子供に袖を引かれている事にも気付けないでいた。


物語:初 恋
・新選組一番隊隊長
・撃剣師範

・天保15年夏生まれ
(1844夏)(3才年下)
・剣士、好青年、一途、好敵手、成長
・168cm、筋肉質、やや病弱
・一人称:私
・二人称:貴女、はつみさん
・Image Colors:勿忘草色

その他設定資料(旧イラストを含む)








追憶の使徒・ルシファ

白はやぶさの姿設定画

・ルシファ、ルシ、???
・??出身
・???生まれ
・赤髪の美少年、中性的、記憶喪失、白陶器のような肌、ガラス玉の様なオッドアイ
・桜清丸、月と椿の園、幽世、白羽のはやぶさ
・Character Story:-
・Image Colors:-






英国公使館



■イメージ2
アレクサンダー・
フォン・
シーボルト

・Alexander von Siebold
・独国出身・通訳官
・弘化3年6月25日生まれ
(1846/8/16)(5才年下)
・安政6年来日
・6ケ国語バイリンガル、奥手、真面目、勘違いされがちな目付き、ギャップ(可愛い小物好き)
・一人称(日本語):僕→私
・二人称(日本語):貴女、はつみ




アルジャーノン・
バートラム・
ミットフォード

・Algernon Bertram Mitford
・英国出身・書記官(通訳兼)
・天保8年1月20日生まれ
(1837/2/24)(4才年上)
・慶応2年9月来日
・温和、チャラ、スタイリッシュ、繊細、協調性
・一人称(日本語):私
・二人称(日本語):レディ、貴女、はつみ



チャールズ・ワーグマン
・英国出身・イラストジャーナリスト
・天保3年8月6日生まれ
(1832/8/31)(9才年上)
・文久元年3月来日
・素晴らしい絵画の才能を持った気さくな画家



ウィリアム・ウィリス
・英国出身・医官
・天保8年3月27日生まれ
(1837/5/1)(4才年上)
・文久2年5月来日
・190cm、100キロ越えの優しい巨漢。日本赤十字の始祖。



フェリーチェ・ベアト
・英国出身・フォトジャーナリスト
・天保3年生まれ
(1832)(9才年上)
・文久3年春?来日
・気さくで恐れ知れずの戦場カメラマン



野口富蔵
・会津出身
・天保12年生まれ
(1841)(ほぼ同年)
・慶応元年9月頃、サトウに仕える
・気骨と勇気溢れる信頼すべき会津武士



ラザフォード・オールコック
・英国出身・初代(総領事)公使
・文化6年4月生まれ
(1809/5)(32才年上)
・安政6年6月来日
・極東在勤のベテランと称され、部下からの人望厚い人物。開国直後の日本をつぶさに見極め譲歩すべき点を本国へ訴え、更に日本の師団をロンドン万博へ招待するなど尽力した。画家のチャールズと共に長崎から江戸まで陸路横断をし、函館にも旅行。外国人で初めて富士山登頂を成した。



ハリー・パークス
・英国出身・二代目公使
・文政11年1月10日生まれ
(1828/2/24)(13才年上)
・慶応元年6月来日
・頭脳と感情の『キレ』外交で圧倒的な存在感を示し、成功を収めた。フランス公使ロッシュとは『嫉妬し合う二人の女の様に張り合っていた』とミットフォード談。






試衛館・新選組




土 方 歳 三
・新選組副長
・天保6年5月5日生まれ
(1835/5/31)(6才年上)
・青い炎、シニカル、頑固、才気、 秘めた情熱、美青年
・一人称:俺
・二人称:お前、桜川



永 倉 新 八
・新選組二番隊隊長
・撃剣師範
・天保10年4月11日生まれ
(1839/5/23)(2才年上)
・兄貴肌、仲間想い、漢気、剣士
・一人称:俺
・二人称:お前、はつみ



斎 藤 一
・新選組三番隊隊長
・撃剣師範
・天保15年1月1日生まれ
(1844/2/18)(3才年下)
・寡黙、人見知り、剣士、義理堅い、諜報員
・一人称:自分、俺
・二人称:あんた、桜川



近 藤 勇
・新選組局長
・天保10年4月11日生まれ
(1839/5/23)(7才年上)
・包容力、豪胆、気さく、漢気、武士、純粋
・一人称:俺、私
・二人称:君、お前、桜川殿



芹 沢 鴨
(新選組前身)
・誠忠浪士組局長
・天保3年生まれ
(1832年)(9才年上)
・豪胆、武士、酒乱、衝動的、唯我独尊
・一人称:俺
・二人称:お前、桜川






その他・志士


土佐勤王党

■柊智・設定
柊 智
・土佐出身
・天保15年2月生まれ
(1844/2)(3才年下)
・秀才、焦燥、繊細、依存、憎愛
・一人称:俺
・二人称:あんた、桜川


・他、関り深い人物
平井収二郎(上士)、間崎哲馬、島村寿之助、島村衛吉、田内衛吉、吉村虎太郎etc




海 援 隊
・関りの強い人物
(★海軍操練所・勝塾から在籍、●亀山社中から在籍、■海援隊から在籍)
詳細 ★近藤長次郎
 土佐。饅頭屋長次郎。幼い頃から聡明で河田小龍を始め江戸遊学まで行き様々に学び、文久2年12月、龍馬と共に勝門下となる。山内容堂にも認められ名字帯刀を許される程の秀才ぶりであった。長崎においては長州薩摩両藩からの信任厚かったが、褒賞を巡る処理が社中規約に抵触し、切腹。
★菅野覚兵衛
 土佐。文久2年12月、勝門下となる。『土佐人』らしい気骨のある男。乙丑丸(ユニオン号)船長。生前龍馬の希望もあり、戊辰戦争前長崎にてお龍の妹・起美と結婚。その後振遠隊に参加し奥羽へ進発した。小松帯刀の斡旋で白峰と米留学に出る。
★沢村惣之丞
 土佐。元土佐勤王党。龍馬と共に脱藩。文久3年1月、勝門下となる。龍馬暗殺の際には京へ急行し天満屋事件に参加した。その直後、慶応4年1月戊辰戦争勃発に併せて長崎奉行所を海援隊が接収するも薩摩兵を誤射してしまい、責任をとる形で切腹した。
★望月亀弥太
 土佐。文久3年1月、勝門下となるも『尊王攘夷』に傾倒。同じ土佐出身で尊王攘夷派・龍馬の蝦夷開拓計画に関わっていた北添佶磨と池田屋事件に巻き込まれ、両者自刃
★高松太郎
 土佐。龍馬の甥。文久3年1月、勝門下となる。
★新宮馬之助
 土佐。龍馬の幼馴染。文久3年1月、勝門下となる。色白の美男ですぐに上気する事から「赤づら馬之助」と呼ばれた。絵の才能があり河田小龍に学ぶと同時に海外情勢に興味を持つ。家業の陶磁器焼き継ぎの修行を名目に土佐を出た。ワイルウェフ号事件の際にはユニオン号に乗船しており鹿児島へ入ると真っ先に龍馬の元へ駆け込むなど中心格の隊士として活動した。
★黒木小太郎
 鳥取。千葉重太郎門下。文久3年1月から勝門下となる。千葉重太郎に学んだ剣術の達人。非常に胆力のある人物。ワイルウェフ号船長となるが間もなく海難に遭い死亡。
★北添佶磨
 土佐。元土佐勤王党。文久3年1月に勝門下となり、5月には龍馬の蝦夷開拓計画のため蝦夷地を情勢探索、攘夷海防を建言。7月に江戸へ帰着して以来千葉重太郎方へ滞留、また上京し龍馬らと合流。『尊王攘夷』に傾倒しており、蝦夷開拓は二の次だった様でこの事業がまさに実行へ移される直前、池田屋事件に巻き込まれ自刃となった。
★白峰駿馬
 長岡。元治元年4月、勝門下となる。英語及び操船・砲術・造船術などよく励んだ。太極丸船長(慶応2年10月~)龍馬暗殺の際には長崎から京へと急行した。小松帯刀の斡旋で菅野と米留学に出る。
★佐柳高次
 讃岐。万延元年、勝海舟らと共に咸臨丸で太平洋横断を経験している。神戸海軍操練所が開設した元治元年5月、この事業に合流した。亀山時代にはワイルウェフ号に乗船するが奇跡的に助かった4人のうち一人で、のち乙丑丸、いろは丸と乗船し、頼もしい士官・水夫頭としてリードした。いろは丸沈没事件の際にはいちはやく紀州明光丸へ乗り移って船員達に助けを求め、海援隊員の救助活動に乗り出す。その後の賠償交渉でも存在感をあらわにした。戊辰戦争では佐々木三四郎指揮のもと長崎奉行所をおさえ、のち新政府陽春丸で函館戦争へ進発。その後も多くの船の船長を歴任した。
●石田英吉
 土佐。医師の家に生まれ緒方洪庵に学んだ。天誅組の変で内蔵太と中山忠光を守り生き抜いた6人の一人。長州派として奔走し奇兵隊の創立にも携わっている。社中では長岡謙吉と並んで中枢を担い「二吉」と称賛された。第二次長州征討では乙丑丸(ユニオン号)の砲術長としても活躍している。戊辰戦争では海援隊として長崎奉行所を接収した後、幹部として振遠隊に参加し、奥羽へ進発した。
●小谷耕蔵
 越後。いろは丸船長。やや粗暴で佐幕論者だった為少し浮いていたが龍馬が大らかに擁護した事で強く傾倒した。いろは丸沈没事件では紀州藩を相手取った訴訟問題の解決に奔走した。
●野村辰太郎
 土佐白札。砲術や英語を学んだ士。慶応2年6月亀山社中に参加し、中枢人物として活躍した。戊辰戦争時、沢村惣之丞の自刃に立ち会う。閏4月の海援隊解散ののち振遠隊に幹部として参加。奥羽鎮撫総督府の参謀添役となり戦功を挙げた。
●山本洪堂
 福井。医者の息子で松本良順に学んだ。長岡と並んで社中や隊の医官を務める。陸奥や高松太郎らと大阪での事業展開を担っていたが、龍馬の死後長崎へ向かった。戊辰戦争では長崎奉行所を接収した後、幹部として振遠隊に参加。朝陽丸で函館湾海戦に参加。乗船していた船が沈没させられるが一命を取り留めた。
■長岡謙吉
 土佐。元土佐勤王党。事務全般。二代目隊長。土佐城下医師の長男で河田小龍やシーボルトに学んだ。石田英吉と並んで「二吉」と言われ、逸材とされた。龍馬暗殺時は大阪におり、戊辰戦争では海援隊を率いて瀬戸内海の旧幕府領を押さえた。
■中島信行
 土佐。いろは丸賠償訴訟の処理などを引き受け、後陸援隊へ移籍。(陸援隊は鳥羽伏見の後は京都に帰還し、御親兵として京に留まっている)
etc

 ※海援隊追記※
 海援隊は龍馬の死後急速に求心力を失い、長崎残留組と大阪残留組の二つに分裂したまま戊辰戦争を迎える。長崎にて土佐上士の佐々木三四郎が海援隊を率いて長崎奉行所を接収するが長崎自警団『遊撃隊』と軋轢が生じ、この時沢村惣之丞が誤射のため薩摩兵を殺害してしまい責任をとって切腹している。
海援隊は閏4月に解散。多くの者が、同時に『遊撃隊』を元に発足した官軍『振遠隊』に参加した。『振遠隊』の名は海援隊に由来するとも言われ、イギリス軍の調練を行う359人の部隊であった。長崎の地役人の次男や剣客、浪人達で編成されている。中でも石田英吉、菅野覚兵衛、野村辰太郎、渡辺剛八は幹部(軍監)、山本洪堂は医官として従軍。奥羽および函館戦争に参加している。





土佐上士勤王(討幕)派
小笠原唯八
・文政12年生まれ
(1829)(12才年上)
乾と勤王の誓いを立てた三人衆の一人。
戊辰戦争では官職を辞して乾の許へ馳せ参じる。
会津若松城下での戦闘にて新島八重の鉄砲部隊に撃ち抜かれ、戦死。
若い時は乾と同じく『盛組』江ノ口辺の総長であった。


佐々木三四郎
・文政13年生まれ
(1830)(11才年上)
乾と勤王の誓いを立てた三人衆の一人。
大政奉還案、イカルス号事件の辺りから龍馬らと交流。
長崎にてイカルス号事件の処理にあたり、戊辰戦争では海援隊を軍事的に率いて長崎奉行所を接収した。


谷干城
・天保8年2月生まれ
(1837)(4才年上)
武市に傾倒した尊王攘夷派。土佐勤王党が藩政を掌握すると藩主側近及び他藩応接役として活躍。 生粋の『攘夷派』であったが慶応3年長崎で海援隊や後藤と思想を交え、視野を広げる様になる。 鳥羽伏見戦勃発時は在京中ながら公武合体および佐幕派が牛耳る派閥内で閑職をあてがわれていた。 しかし西郷から『薩土討幕の密命』に則り乾の上京を要請されると直ちに独断にて土佐へ戻り、 乾や長岡らと共に挙兵。土佐迅衝隊を進発させた。若い時は乾と同じく『盛組』小高坂辺の総長であった。
吉田東洋が暗殺された際に現場近くで姿を目撃されており、犯人ではないかと調べを受ける事もあった。その真相は…


片岡健吉
・天保14年12月生まれ
(1844)(2才年下)
勤王討幕を貫く乾と志を共にした上士の一人。迅衝隊左半大司令として上京、会津戦争まで駆け抜けた。 『盛組』下辺総長となっていた乾とは近所で生まれ育ち、共にやんちゃもした。


小南五郎右衛門
・文化9年10月生まれ
(1812)(29才年上)
藩主時代の容堂の側用人などを務めた土佐勤王党協力者。武市らが処刑された際、士分剥奪の処分を受ける。 後に再び復帰し、乾率いる迅衝隊に従軍した。





土佐公武合体及び佐幕派

山内容堂、吉田東洋、後藤象二郎、寺村左膳、岩崎弥太郎、小八木五兵衛etc





長州

伊藤俊輔、久坂玄瑞、井上馨、周布政之助、三吉慎蔵 etc





薩摩




■村田経臣
村田経臣
・薩摩出身
・天保15年7月生まれ
(1844/8)(3才年下)
・寡黙、真面目、義理堅い、表情稀薄、銃バカ、土方似
・一人称:おい、俺
・二人称:おはん、桜川


・他、関り深い人物
西郷吉之助大久保一蔵中村半次郎田中新兵衛、 島津久光、吉井幸蔵、五代才助、森有礼etc





幕府・公卿、大名・要人、その他

・幕府
 徳川家茂、一橋慶喜、勝海舟、大久保一翁


公卿衆
 三条実美・東久世通禧・他


大名・要人
 伊達宗城、松平春嶽、横井小楠


その他




本間精一郎
・越後出身
・天保5年(1834)生まれ
・饒舌多弁、利発、派手、軟派、一匹狼、虚言癖
・一人称:俺
・二人称:あんた、はつみ、おはつ





市井の人々



―土佐―

・坂本家
トリップ当時、得体の知れない娘であるはつみを匿い、保護役を引き受けてくれた。のみならず、類まれなはつみの才を信じ多額の投資をしてくれた。龍馬がはつみを娶る事を望み、あらゆる画策をした事も。
権平、伊予、栄、乙女、春猪、岡上樹庵

・武市家
武市半平太の妻と、忠実で気の利く下男。
富、丑五郎
 etc


―京―

・京料亭『白蓮』
文久2年10月頃からはつみや寅之進が懇意にした料亭。
四条大橋の近く。西木屋町通り高瀬川に面している。(川の対岸は木屋町通り)

主人:咲衛門(さきえもん)
看板芸妓:お万里、お琴


・甘味処『鈴蘭』
文久2年秋前、岡田以蔵の人生を変える因果の一つとなる娘と出会う。
四条と五条の間、鴨川の向こう側にある東川原町。柿町通り付近に並ぶ。

看板娘:道(みち)
おかみ:幸(さち)
 


―長崎―

・トーマス・グラバー
スコットランド出身、はつみより3才年上。

詳細 1859年(安政6年頃)21才の時に上海にて英国企業ジャーディン・マセソン商会に入社し、同年秋に長崎へ上陸する。その後1861年(文久元年)にジャーディン・マセソン商会長崎代理店としてグラバー商会を設立。特産品の貿易を始め武器及び蒸気船の販売を主とし、英国公使館とも連携して各藩代理とのパイプ役なども務めた。薩摩スチューデントなどの極秘英国留学への手回しなど、発覚すれば老シーボルトの様に追放されかねない際どい事も請け負っている。
世界から切り離された日本にも優秀な人材は多くいると認める中で、特に薩摩の小松や五代を評価する。慶応元年からは小松の紹介によって世にも珍しい女志士であり英語ピアノを駆使するはつみと出会い、その他3名と共にインターンとして受け入れ、世界のビジネスについて指南した。(グラバーははつみに対し『君の美貌とピアノ、英語力ならアクトレスも目指せる。君がそれを目指すなら私がパトロンになってもいい』とまで言う)


・何礼之
長崎の唐通事の家系に生まれた。はつみより1つ年上。

詳細 早くに父を亡くし、5歳より中国語を学び10歳の頃から英語を学び、フルベッキ宣教師にも学んで早くから「英語の達人」と言われた。
文久3年7月以降取り立てられて幕臣となり、慶応3年7月より江戸・幕府開成館にて開成所教授職並、11月より軍艦役主格・海軍伝習生徒取締就任。維新後、慶応4年6月に小松帯刀により取り立てられ随行上京して大坂に転出。同9月、一等訳官に就任。以後、中央にて様々な職を歴任し、岩倉具視使節団にも随行した。
若き日の万延元年から万延二年の短い期間、長崎遊学に来たはつみらに宿泊先を与え、且つ英語を教えてくれた。以後も長崎にてよく相談に乗ってくれる。


・楠本イネ
アレクサンダー・フォン・シーボルトの異母兄弟。

詳細 文政11年1歳の時、父シーボルトが日本から追放される。
13の時、シーボルトの弟子であった二宮敬作に呼ばれ宇和島へ。蘭医学を学ぶ。
18歳で岡山の石井宗謙に入門し、石井からのセクハラに耐えながらも産科医を目指す。
24の時石井に乱暴され、一人で娘タダを出産。
(石井の事は文字通り『憎んで』いたとタダによる回想)
27歳で宇和島の二宮の元へ戻り、当時宇和島藩のお抱えだった村田蔵六から蘭学等を学ぶ。
安政5年31歳、師匠二宮、その弟子周三らと共に長崎へ戻り産科医を開業。
安政6年、父シーボルトがアレクサンダーと共に来日。再会する。
シーボルトは立派に産科医を営んでいる姿を見、弟子である二宮敬作の忠義も含め感涙した。
文久2年、師敬作が死去し、シーボルトと共に江戸へ行った周三も幕府により入獄。
(数年前のシーボルト事件の際、歴史書の翻訳など手助けしていた事が発覚した為)
宇和島へ赴き、藩主宗城に面会。娘タダに「高子」の名を授かる。
(その高子は慶応2年、二宮周三と結婚。)
その後、明治以降アレクサンダー支援のもと東京で産科医を開業したり明治天皇の一子を取り上げたりする。

イネ、そしてその娘高子ともに、男難に遭う人生であった。(高子の夫周三は明治10年若くして死んでしまい、その後高子はイネと同じく男に乱暴され娘らと共にイネの元へ戻っている。)
万延元年、イネはシーボルトの紹介で来院したはつみを診察し、以後も機会があれば親身に看てくれた。 混血である自分とはまた違う意味で『特殊』な趣のあるはつみが男難に遭わないか、常に気遣ってくれている。


・フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
楠本イネの父。鳴瀧塾、医者として高名
・二宮周三
鳴瀧塾の熱心な生徒。来日したばかりのアレクに根気よく日本語や書道を教えた。
・フルベッキ宣教師
・小曽根英四郎
・大浦慶
・長崎英国領事館関係者



―江戸―
 ・千葉道場…
千葉重太郎千葉佐那子
 ・試衛館
 ・影真堂
 ・横濱村
  etc










キャラ別イメソン

好きなアーティストの曲で動画に出来たら…
的な妄想・願望。

※個人的妄想の範疇で楽しむものであり、楽曲の使用などは行っておりません※


幕末恋愛遊戯かぐやの君

全編イメージソング…タペストリー(Sn・w M・n)
『起』オープニング…ANGELUS -アンジェラス-(島・ひとみ)
『承』オープニング…深紅(島・ひとみ)
『転』オープニング…if...(D・ PUMP)
『結』オープニング…Sakura(A・ASHI)
エンドロール…Voyage(浜・あゆみ)
恋愛(陽)PV…Precious Girl/He・! Say! J・MP
-全編イメージソング-
タペストリー(Sn・w M・n)

-『起』オープニング-
ANGELUS -アンジェラス-(島・ひとみ)

-『承』オープニング-
深紅(島・ひとみ)

-『転』オープニング-
if...(D・ PUMP)

-『結』オープニング-
Sakura(A・ASHI)

-エンドロール-
Voyage(浜・あゆみ)

-恋愛(陽)PV-
Precious Girl/He・! Say! J・MP

桜川はつみ&ルシ

Baby Don't Cry(安・奈美恵)
Salvia(島・ひとみ)
I'm proud(華・朋美)

坂本龍馬

Daylight(A・ASHI)
恋(星・源)
言えないよ(郷・ろみfeat三・春馬ver)

武市半平太

雪の華(中・美香)
First Love(宇・田ヒカル)

高杉晋作

今夜月の見える丘に(B・z)
迷宮ラブソング(A・ASHI)

番外編:高杉晋作異聞奇譚

HELLO HELLO(Sn・w Man)

乾退助

Mazy Night(k・ng・prince)

番外編:乾退助外伝日日是好日

---

桂小五郎

Pretender(O・fic・al・男・ism)
君のうた(AR・SHI)

池内蔵太

To be free(A・ASHI)
リリック(T・KIO)

池田寅之進

ふれあうだけでAlways with you~(三・大知)
My Resistance -タシカナモノ-(K・s-My-・t2)

岡田以蔵

Find The Answer(A・ASHI)

陸奥陽之助

Do you... ?(A・ASHI)
Catch Love(K・s-My-・t2)

小松帯刀

Lovin' you(K・ng ・ Prince)
瞳の住人(L・・rc〜・n〜C・el)

アーネスト・サトウ

Stay with me(三・大知)

沖田総司

Way of Difference(G・AY)
Bitter sweet(A・ASHI)

ルシファ(???)

forbidden lover(L・・rc〜・n〜C・el)
あなた(L・・rc〜・n〜C・el)



(おまけ)
かぐやの君~明治百花繚乱編~

-オープニング-
Is It you?(h・tomi)

-挿入歌(はつみと伴侶のピアノ語り弾き)-
---

-エンドロール-
Rainbow(西・カナ)