―表紙― 高杉晋作本編 物語



⚠実際の団体・組織・人物とは一切関係ありません⚠



●時代の寵児、令和にあらわる:後編●



「…して、君はどこの藩の者か?」
 はつみも相変わらず興奮状態が続いているものの、寸刻前の己を猛省し、幾ばくか落ち着きを取り戻しつつあった。しかし谷の摩訶不思議な質問は続く。
「川崎市に住んでいる川崎市民です」
「僕は川崎なら知っておるし足を運んだ事もあるが、その『かわさきし』というのは知らぬ。故にどこの藩の事じゃと申しておる」
「んーと、藩ではなくて神奈川県という都道府県の中に、川崎市が含まれているんです」
「…神奈川は知っておるな。だが『けん』とは何だ?」
 反射的に腕組みを解き、眉間に皺を寄せて話に食いついてくる。彼が本物の高杉晋作であるなら、明治初めの廃藩置県以降に設置された県だの市だのという概念はなくて当然だ。何故なら、史実上の彼は明治に改元されるおよそ1年前の慶応3年に結核で亡くなっているからである。
 故に廃藩置県に連なる様な事前知識は彼にはない。おまけに廃藩置県そのものが、国あるいは大名達の在り様を大きく変える大きな改変だ。『藩がなくなった』という事実そのものに驚き戸惑っている、という所であろう。心底『意味が分からない』といったとまどいが、手に取るように伝わってくる。

 そしていい加減、ことある毎に『彼が本物の高杉晋作なら』といちいち疑心暗鬼に考えるのも面倒くさいという所に思考が至る。時空トリップだとか異世界ものというジャンル作品の読み過ぎだろうか…と思うほど、今『高杉晋作』が目の前にいるという現実は信じ難いものである一方、本当に江戸時代末期からやってきた人物であるという事を前提で話をした方が、彼との会話も『一旦は』ソツなく進むというものでは…?とも思ってしまうのだ。はつみも自称歴女のはしくれなだけあって、ある程度は彼の言う事象を理解…或いは想定する事ができるのだから、尚更である。
「え~っと、あ、そうだ!ちなみに、私の実家は横浜にあるんですよ。」
 かの横浜ならば谷も聞きなれた地名だろうと挙げて見せたのだが、思った通り非常に分かりやすく相槌を打って見せてくれた。
「横濱か、それも知っておるぞ。ここから近いのか?」
「そうですね、電車で30分くらい…かな?」
「でんしゃとは何だ?」
「あ、丁度…あれですよ」
 当然電車も知らない様子の彼に、丁度、田園都市線車両が二子玉川駅から発車して中央林間方面へと走り出したのを指さした。電車は大橋の上を『いつも通り』走り抜けていくだけなのだが…
「な…なんじゃアレは!?」
 谷の反応ときたら、もう偽物やらドッキリだなどと疑う事なく『高杉晋作』本人だと信じたくなるほど臨場感と躍動感と新鮮味に溢れるものであった。彼は1歩2歩と前のめりになり、驚愕の表情をしながら『ゴォーーーー』っと音を立て走り抜けていく電車を見つめている。彼が冒頭に言った『天まで届くような屋敷が地から生え並んでおる』というビル群を表す独特のフレーズに合わせて言うのであれば、『轟音と共に横長の箱が猛烈な勢いで地面を滑っている』といった所だろうか。

 電車が見えなくなった所で、谷は眉間に皺を寄せて振り返ってくる。
「…今一度聞くが…ここは日本なのだな?」
 彼の知る長州ではない。彼が知る二子、神奈川、横濱でもなさそうだ。だが『日本ではあるのだな?』と。
「はい、ここは日本ですよ。でも…」
「うん?」
「昔の日本とはだいぶ違うかも知れないです」
 ようやく核心めいた事を述べたはつみに、彼は一瞬驚いた表情を見せたがすぐに視線を据え、更に3歩4歩と間近まで迫って来た。…すぐ目の前に並ぶとはつみの方が少しだけ身長が高く、彼は強い視線で『見上げてくる』といった形だ。
「妙な事を言うな…。悪い様にはせん。まことの所を申せ。」
 状況的には彼が言う台詞ではない様に思うのだが、当時の英国外交官アーネスト・サトウによる逸話にある様な『魔王』たらんとするこの態度が彼らしいといえば彼らしいと感じつつ、はつみはウエストポーチからスマホを取り出し、時刻画面を表示して見せながら言った。
「今は西暦2023年、令和5年3月です。」
「西暦…俊輔が言うておった西洋の年号か?」
 また出て来た『俊輔』と、英国留学を果たした彼に通じやすい『西洋』いうワード。やはりほぼ間違いなく「伊藤俊輔」の事だろうと思いつつ、谷が非常に珍しそうにスマホを覗き込んでくるので『ひぃぃ近いぃ』とも思いながら、そのままスマホの画面を見せてやりつつ彼の反応を待った。

「じゃが俊輔から最後に聞いたのは確か1865年。年号は慶応に改まったばかりだったはず…
令和…聞いた事がないぞ」
「そうです。ここは、1865年の慶応から160年くらい先の日本なんですよ。」
「なっ……」

 キリッとして覇気のある目元も、この時ばかりは眉があがり目が見開かれ、口も「な」の形からぽかんと開いたまま、ただただはつみを見つめてくる。
「…ひゃ…160年じゃと?」
「本当にあなたが『あの』高杉晋作さんなら…ですけど…」
「僕が高杉晋作でなければ誰が高杉晋作だと…―ハッ!?」
 あまりにも衝撃的な事を言うはつみに気おされてなるものかと言わんばかりに言葉を続ける谷。しかし自分で言った言葉に驚いて「ハッ」と口元を押さえた後、ゆっくりと手をおろしながら改まって問うてきた。

「何故、その名を知っておる?」
「あ…」
「僕は『谷潜蔵』と名乗ったはずじゃろう」

 はつみにとってはどうと言う事はない。『谷潜蔵といえば高杉晋作』という幕末好き故の思考回路が働いただけの事。ただの『知識』である。だが状況もよく分かっていない彼の心境からすれば、知らぬ土地で自分の『ホトガラフ』が出回っているだけでなく、名乗ってもいない旧名を知られているというのは驚きを通り越してさぞ不安であろう。
 はつみはまず自分が落ち着く為に深呼吸をし、今度こそきちんと説明してやる様にと務めて言葉を紡ぎ出した。
「あのっ!大丈夫、聞いてください」
「……申してみぃ」
 谷は再び腕を組み『魔王』の風格を漂わせ始めていたが、それこそはつみも気圧されされない様、腹を引き締める。
「私は高杉さん達がいた160年前の江戸時代が好きで、それについて書かれた本をよく読んでいるんです。三国志…とか、ええと鎌倉幕府のお話とか、多分そういう感じで」  三国志や鎌倉幕府などにまつわる史書には心当たりがあるのか、掴みは悪くない様だ。
「だから、高杉さんの名前が長州藩主の命で谷潜蔵に改名になったという事も、歴史上の知識として知っているんです。」
「………」
 しかし、驚いた様な表情ながらも微動だにしない彼が、今どういう感情を抱いているのかまでは、はつみには読めない。歴史の事を本人に伝えるのは良くなかったかも知れない、軽率だったかも知れない等とも思いつつ、しかし言ってしまった以上は自分の気持ちも含めて正直に、そして丁寧に話さなければなるまい。やはりどうしてもこう考えてしまうのだが、『もし本物の高杉晋作』であるのなら、今この状況に一番困り果てているのは彼本人なのだ。
「ごめんなさい…私も160年前の人が今目の前にいるなんて、正直まだ半信半疑で…。」
 真っすぐすぎる彼の視線に躊躇いつつも、何とか誠心誠意応えようとする。
「でももし本当なら凄く困っていらっしゃると思うから、何かお力になりたいとは思うんです。高杉さんの事はその、書籍などで読んで尊敬していますし…私なんかに何ができるのか分からないけど…」
「……そうか…」
 思い詰めた様な声で短い相槌を打つ谷。ショックを受けるのも、思い詰めるのも、言葉を失っても無理はないと思いつつも、彼ははつみに対し言葉を続けてくれた。
「江戸時代…僕らがおった頃の事を、ここではそのように言うておるのだな」
「はい…」
 彼は混乱の中にあっても思考を巡らし、はつみの言葉を感慨深そうに受け止めている。電車が、先程とは反対方向からやってきて再び大橋を渡り、二子玉川駅へと入っていく。しばらく黙ってそれを見やった彼は、電車が見えなくなるのと同時に視線をはつみへと流し、改めて向き直ってきた。

「…君は僕を知っておるのだな」
「はい。」

 むしろファンです、とまでは流石に言わずとも、即答で頷いてみせた。
 一方の彼はまたどこか物思う様な視線で暫くはつみの目を見つめ続け、その後、一つ息をつく。
「―ふぅ」
 そして改まった様子で背筋を伸ばし、気持ちを切り替えた様にためらいの無い真っすぐな視線ではつみを見つめた。
「では君に、改めて状況の説明を頼みたい。どこか落ち着いて語れる場はないか?」
 そう言うと、スンッと鼻をすする。よく考えれば春先の早朝、吐く息が白くなる様な気温の中で、彼は着流しの着物に薄い羽織一枚と裸足という出で立ち。寒くて仕方ないはずだった。
 しかし、すぐにどこかへ案内してやりたいのはやまやまだが、『落ち着く場所』といっても金銭も何も持ち合わせていないであろう彼に、一体どこを紹介すればいいのか…。

「えーと……」
 心当たりがない訳では、ない…。
 …まったくもって常識的でないのは重々理解している。『うそでしょ』『異世界トリップ妄想しすぎ!』と思いつつも、はつみは彼にとある提案をする事にした。

「よ、よかったら、ウチに来ますか…?」

 つまりは初対面の男を突然家に誘うというのがとんでもない事だ一大事だ本当にそれでいいのか―!…というなのだが、これも『脳がバグってる』から成せるヲタクを極めし所業だこれは極めて非常事態なのだッッと開き直った言い訳で自分に言い聞かせる。
「君の屋敷にか?」
 何気なしに返ってくる『屋敷』というワード。この一言からしていよいよ現代人の反応ではない気がする。もしこの一連の出来事がドッキリか何かで目の前の着物男が高杉晋作になりきっている誰かなのだとしたら、もういつ日本アカデミー賞を総なめしてもおかしくはない程のアドリブ演技であろう。そんな事をモーレツな勢いで頭の端っこで考えつつ、会話を続ける。
「屋敷っていうか、ただのアパート…狭い家なんですけど…」
「?『あぱぁと』というものについては知らぬが、僕は君の言う事を信用する。
 …君に任せる。」
「アっ…は、はい!」
 まっすぐな瞳でそう言われ、つい胸がぎゅっと高鳴ってしまう。

「(こ、これが高杉晋作のカリスマの波動…!?)」

 などとしっかり浮ついた事を考えつつ、はつみは彼を連れて歩き出したのだった。


「家までは少し歩きます。…あの、良かったら私のシューズ履いてみませんか?」
 足元があまりにも辛そうに見えるので履いていたランニングシューズを差し出してみたのだが
「君が裸足になってしまうではないか」
 と丁重に辞退してくる。それでも『いいからいいから』『靴下履いてるから大丈夫!』『一回履いてみてください!ねっ!』と押してみると、少々困った様な顔をしてから結局押し切られる様にして履いてくれた。本気で遠慮する様子は見られなかったので、興味はあった様だ。
「おお…こいつはいいな!ありがとう」
 その感想は素直な笑顔を呼び起こす程良かった様で、はつみもお節介を押し付けておきながらうっかりほっこりしてしまう。谷ははつみよりも若干背が低いというのもあって足のサイズもフィットしている様子だ。当然はつみは靴下で歩く事になったが彼の笑顔が見れた事は自分が思っていた以上に喜ばしく、素直にもっと何かしてあげたくなる、支えたくなる様な気持ちになっていく。
「…まったく君は…お節介者じゃな。」
「えへへ、すみません」
 谷の言葉は率直にはつみの耳へと届いたが彼の内心には別途含む事情があった様で、はつみの返事を受けると自嘲めいた微笑を浮かべた。

「(それにしても高杉晋作ってこんなにイケメンでイケボだったんだ…奇兵隊とか功山寺の時の決起宣言とかめちゃくちゃかっこよかったんだろうなぁ~。身長は確かに低いけど、なんかあんまり気にならないもん。覇気がすごくて。そりゃみんな士気あがるわ。何ていうかもう、みんなの『推し』だったんdr)」
「?なんじゃ?」
「アッ!イエ!ごめんなさい、なんでもないですっ」

 そんな高杉晋作こと谷潜蔵と共に、多摩川のほとりで清々しい朝日を浴びながら自宅への道を辿るのであった。




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