―表紙― 高杉晋作外伝 物語






江戸遊学編
文久元年6月―12月

●文久元年…高杉22歳・はつみ20歳
 ―江戸―
仮SS/お手並み拝見
7月。長州世子の小姓役として江戸勤務となっていた高杉は、長井雅樂の『航海遠略策』に異を抱きつつも父親からの『関わるな』『勤めに専念しろ』といった押さえつけに従い、『志士』としての大事を成せずにいた。
百聞は一見にしかず
8月。思想やその知識の出所、性別、そして初見で自分をしっている様であったその真相と桂との関係など…色々と思う所のあった高杉が、自らはつみを訪ねて利用中の旅籠にやってくる。不意を突いて尋ねても男の格好をしていたが、やはりこやつは女だと悟る。…悟って尚『知りたい』とする欲求が自身の中にあると同時に、フと香ったよく知る香りに、何かが琴線に触れてしまった。
仮SS/暴れ牛R15
9月はじめのとある日、桂の訪問を受けるはつみ。公武合体を望む帝は長州藩長井雅樂の『航海遠略策』を良策とし、これが名実ともに主要藩論となるだけでなく朝廷幕府の両方から信を受ける事態となっていた。水戸との『成破の盟約』を果たさんと画策する桂や久坂、そして高杉らは焦燥を極め、事ここに至って高杉の機嫌は特に悪く…いつ何をしでかすか分からない―と、桂の愚痴を聞いていた。
仮SS/女傑評議
9月。高杉、桂、久坂、伊藤の4人で飲んでいた矢先、話題がはつみの話になる。切り出したのは伊藤で、彼もなかなかに物好きな事から少々浮ついた話題として『桜川殿はやはりどう見ても女子ですよね?最初は騙されかけましたよー』とその名を出した様であったが、高杉はあからさまに機嫌を悪くして無言になり、久坂は難しそうに眉間にしわを寄せて酒を煽り出す。
はつみ塾入門?
10月。長井の件から一転して高杉の幕府英国使節団入りが決まり、英語を学ぼうとする高杉。桂も以前取り組んだ経験があり、伊藤を交えた三人ではつみの旅籠へとやってきた。高杉に手製の単語帳を『プレゼント』する。
女傑評議その2
妹?恋人?嫁?妾?
11月。英国遊学の話がなくなった高杉を励まそうと連れ出していた桂と、龍馬がばったりと出くわす。
詳細 そのまま飲みに行く事になった3人であったが、龍馬がはつみに次いで『異国』の事を話せる男であった事もあって、高杉の英国遊学が中止になった点に嫌味なく同情を示す。それなりに打ち解けて無礼講となり、女遊びが始まる。
「坂本君は奥方が国におられるのか?」
「いやいや、わしなんぞに嫁ぐ嫁などおらんきね!」
 ここから、男達の女関係についてあらゆる情報交換が行われ…そして追求こそしなかったが、皆が皆はつみに一目置いているというのを何となく察する三人であった。
浅草寺クリスマス
12月。改めて上海渡航が決まった。あと10日もしない内に江戸を出立する為、準備や下調べに掛かり切りとなると懸念して急遽はつみを呼び出した。
詳細 やや久方振りの再会でうっかり『冬の装いもいいな』等と考えてしまう自分の頭を振り付ける高杉。馬で出迎えられた事に焦るはつみを後ろに乗せ、浅草浅草寺へと向かう。
浅草寺で旅の無事を願い、おみくじを引き、仲見世通りの茶屋で一休憩を愉しむ。英国行きが無くなってしまったのは残念であったが、はつみから貰った英語の単語帳は今も読んでいると…妙に素直な高杉。今の上海は英国が拠点としているのできっと役立つと伝えると、君は本当にわからない女だと鼻で笑った。
「以前君が言っていた言葉だが…長州に僕が必要となる時が本当に来ると思うか?」
 海を渡る最中に命を落とす事も十分に考えられる上、異国に渡った事で周囲からの認知が変わってしまうのではないかと思わないでもない…と精一杯強気ながらも、彼が期待の裏に隠す不安を覗かせてくれた事に、はつみは全力で背中を推す。 そして、今日は太陰暦ではあるが12月25日という日付であった。


一念発起編
文久2年1月―同年6月

●文久2年…高杉23歳・はつみ21歳
 ―長崎~上海―
仮SS/異文化こみゅにけーしょん
1月から長崎入りをしていた高杉であったが、上海の情勢が芳しくないとして長期滞在をする事態となっていた。当初3月出航との予定でもあったが、それも伸びに伸びて4月の中旬である。そしてようやく、幕府が所有する蒸気船『千歳丸』の整備が整い次第近日中に出航との報せが舞い込んでいた。


京・天誅編
文久2年7月―文久3年3月

●文久2年…高杉23歳・はつみ21歳
 ―京―
仮SS/唇に金平糖
8月。武市の看病中のはつみと『偶然』再会するが、実は長州藩邸にて土佐上洛とはつみの存在についての報を得た為に、土佐藩邸の周辺で偶然を装って様子を伺っていた所へ買い出しに出ていたはつみと寅之進、以蔵が帰ってきたという流れであった。

 ―江戸―
(閏8月下旬)高杉、世子に防長割拠を建言した後、脱藩。『狂挙』に出る。
(9月)高杉、加藤有隣に諭されて帰藩。うやむやに許される。
仮SS/虫の居所
11月。京では良い形で別れた高杉を尋ねる為、長州藩邸へ手紙を出していたはつみ。それを受け取った伊藤が旅籠を訪れてくれたので、そのまま寅之進と一緒に彼のいる料亭へと足を運ぶ事となった。しかし想像もしていなかった程に『飲んだくれた』日々を送っていたであろう高杉を目の当たりにする。
仮SS/女傑評議5
11月12日。梅屋敷事件の前日、萬年屋にて龍馬・武市・高杉・久坂・柊(武市の供)の面子で呑んでいた。

(11月)高杉ら、御楯組血盟(30名前後)「百折不屈、夷狄を掃除する」
(12月12日)御楯組、品川英国公使館焼き討ち決行。
 …だが『完成間近』で無人の公使館を焼き払っただけであった。行動を成し意思表示をする事に意味があるのは重々承知ではあったが、やはり、こんな『小攘夷』で何かが変わるとは思えない…高杉の胸に渦巻くのは達成感ではなく、ただひたすらに『一体どうすれば、世が動くのか』『どうすれば、長州が、そして日本が強くなる為の道筋をつけられるのか』といった焦燥、そして虚しさで溢れる心の内なのであった。

●文久三年…高杉24歳・はつみ22歳
仮SS/東狂R15
1月。高杉には「小三」という馴染みの芸者がいたが口が軽かった為別れを告げていた。…このように、彼はまた、酒色に溺れるや探れた日々を送っていたのだが…そこへ思いもよらぬ、土佐からの客人が現れた。岡田以蔵という軽格の武士だ。
(2月下旬)高杉、世子に言われて迎えに来た井上聞多と共にしぶしぶ江戸を発つ。
(3月11日)孝明天皇、将軍家茂、賀茂社行幸。
(3月11日)高杉、上京。賀茂社行幸を雨の中遠巻きに見る。
(3月15日)高杉、西洋軍備増強と長州割拠にはあと10年が必要だと言われ、であればと10年暇を申し出る。笠間亡命事件と外国人襲撃未遂事件の処分という事で受理される。
(3月23日)高杉、将軍家茂が近々帰東するという噂を聞き周布へ相談し、家茂が抑留の勅諚を拒否すれば斬ろうと説く。将軍を斬る為の刀として毛利の家紋を削り落とした大業物を受け取るが、昨年末に結成された御楯組は26人もいたのに、今回応じる者は入江九一ただ一人だった。嘆き、酒色に溺れる。
※この頃、伊藤の脅しによって男から解放され自由の身になった幾松と桂が恋人同士となっている。


 ―京―
仮SS/傍若無人R15
3月。聞多に引きずられ渋々京に着くも、結局10年暇を申し出て狂人の様に酒色に溺れる。高杉の様子を池内蔵太から伝え聞いたはつみが高杉の根城(妙満寺境内の一隅)へ顔を出した事で、昨年江戸で喧嘩別れをして以来の再会となった。


京・天狗編
文久3年4月―元治元年6月

●文久3年…高杉24歳・はつみ22歳
 ―長州・下関―
今生かぐや姫
攘夷戦に浮かれ、攘夷報復戦に慌てふためく情けない藩政に呆れ果てる高杉。 結局10年暇も二か月と経たず藩政へ呼び戻され、対応を押し付けられる。 攘夷戦で割拠どころではなかったが理想としていた奇兵隊を結成し、総督となった。 ある日、白石と幕府批判をボヤきあう中で、とあるはつみの言葉を思い出す。
奇兵隊、理想と現実
818の政変、『国賊』長州と七卿落ち、朝陽丸事件が立て続けに勃発する。 正規軍を支えるはずの奇兵隊。身分を取り払った機能的なこの軍は高杉の夢であり誇りだった。 しかし身分を越えて奇兵隊に期待と望みをかけてくれた400石の大身・宮城彦助が、 『身分』に固執する者らによって引き起こされる事件に巻き込まれてしまう。

●文久4年/元治元年…高杉25歳・はつみ23歳
 ―京―
女傑評議5
藩主世子の取り立てで新地160石を与えられ、父の「育み組」から自立した長州藩士となった高杉。 818以降、京での朝廷工作に苦心する久坂に焦れて進発に逸る来嶋又兵衛を説得する任を仰せつかり、 頑固な勇猛爺と対話をする。しかし嫌気がさして、爺の代わりにという口実で自らが京へ飛び出した。

(2月20日)~『元治元年』に改元~


東西奔走編
元治元年7月―慶応元年5月

●元治元年…高杉25歳・はつみ23歳
 ―長州・萩―
長州激震
脱藩罪で野山獄へ投獄された後座敷牢となり、自宅にて蟄居面会謝絶となっていた高杉。 英国密留学から帰っていた井上聞多がやってきて、高杉の父は知らぬ顔をして面会を黙認する。周布との獄中会話以降外の情報は殆ど得られていなかった為、先日ついに世子定広が進発した所までの情報を得る。同時に諸外国が長州へ報復戦争をしかけようとしている事についても話し、朝幕からも諸外国からも目の敵にされている現状を再確認する。また、英国の通訳官アーネスト・サトウと私的に会話をした事なども伝える。その中にははつみに関する話題もあった。
 ―長州・下関―
窮途末路
蛤御門での長州大敗退から一月も経たぬ内に、今度は西洋四カ国艦隊が攘夷戦争報復の為に 調整・準備を終え、馬関へ向け横濱を出港するだろうとの報告が長崎から入る。井上聞多と共にイギリス本国を見て来た伊藤俊輔は 『排他的攘夷の不可能』を藩政へ説く一方、蛤御門から一早く生還していた池内蔵太にとある協力を願い出る。 一方、内蔵太はある意味で高杉が激怒しそうな情報をもたらした。伊藤は悩むが、策を決行する。
邂逅
伊藤や井上による藩政説得も空しく、ついに四カ国艦隊による報復攻撃が始まった。 高杉はまたも慌てる政府から引っ張り出され、事情もよく分からぬままに政務座役へ再任。外国との講和談判へと駆り出された。 数度に及ぶ講和談判中にもどこか物見遊山な藩政に裏切られ、そのせいで講和反対派から命を狙われるなど紆余曲折あったが、最終的に西洋列強との講和に成功。ひと段落ついたある日の夜、下関港に突然礼砲の音が響き渡り、来訪者が現れる。
似た者同士
はつみが英国の外交官と『接待』している間、龍馬と共に破壊された台場を見に行く。 互いの思想などを話し合う中でなかなか良い具合に意見が合う二人。しかしはつみの話に及ぶと 嘘か誠か二人してシラを切り通す。はつみを斬った犯人について、龍馬に問う。
First meeting. etc
シーボルトのリクエストで『ふわふわパンケーキ』を作る。英国の紅茶もセットで。 高杉は上海の英国教会等で『治療を施してから布教活動を行う』とする為政者を見ていた為警戒していたが シーボルトやサトウについてはその様な気配はなかった。結局、『メレンゲ』を作らされる。
シーボルトのピアノ
『日本最古のピアノ』が萩にある事を知っていたはつみ。 それは数年前、シーボルトの父が萩の商人熊谷家へと送った友愛の証だった。
まるで『女装』
はつみに『着物』を仕立てる様白石に要望。着飾る姿を初めて見て、出た言葉がこれ。
惚れた好いた
内蔵太・伊藤・寅之進による惚れた好いた話。
 内蔵太ははつみの着物姿を初めて見る。伊藤はお万里が気になっている。
 『はつみは高杉が惚れている』為に割り切っているとする伊藤。
 はつみ人気に愕然とする寅之進。一方でお万里の好意には気付いていない模様。
 柊はこれ以上慣れ合うつもりはないといって去っていく。
 はつみや武市、尊王攘夷に対する気持ちが複雑すぎる故。
音楽は国境を越えて
言葉以外の芸術文化が、異国人同士の友好と共感を育むという事を体現。しかし一方ではつみの異質さを心底危ぶむ。
外交官のたまご
撤退する四カ国艦隊の軍艦に乗せられて去っていくはつみ達。 彼女が突然現れた理由を伊藤に問い詰め、白状させた。 一人長州に残ったサトウは、高杉もかつて長崎で目にした『抑圧された女神』について話をする。
 ―長州~福岡・平尾山荘―
逃亡
藩主は『武備恭順』を掲げるが、正義派を徹底的に排除・処刑し全面恭順の思惑を抱く俗論派の勢いが増す。 そんな中、勇敢にも『武備恭順』を唱え続けた井上聞多が襲撃に遭い、思い詰めた周布が突如自決した。高杉は
正義の士
長州は幕府と戦う事なく恭順の意を示し、永代家老以下家老3名の切腹と参謀4名の斬首を受け入れた。 『国賊』の誹りを受けた中山忠光も殺され、更には五卿をも引き渡し藩主父子に謝罪の上蟄居などを要求されているとの情報を受ける。今や何の後ろ盾もない高杉であったが、ただ正義の為には命など二の次。今こそが『その時』だと悟った。
「あなた様が成さねば誰に成し得る事ができましょう」
「うん。昔、同じような事を言った者がおる。『その時』長州に僕がおらねば成る事も成らぬとな。望東尼よ、その心がわかるか?」
 ―長州・功山寺―
雷電と共に
『長州には眠れる虎、いや猛牛あり』と、伏する高杉に期待を寄せた内蔵太が中国探索を切り上げ長州に戻る。 同時に内蔵太は伊藤と再会。彼の士気を爆裂的に上げさせる極秘情報…つまり、桂の生存についての情報を携えていた。そこへ、高杉が下関へ到着する。
剛毅果断、時来たる
奇兵隊および諸隊への説得を続ける高杉であったが、武備恭順を説きつつ幕府との戦を避けようと独自路線を行く赤禰や 撤兵条約に含まれる五卿の福岡移転に食いつく月形ら、それら全ての間を駆け回る中岡らとの動きが合わず時ばかりが過ぎてゆく。しかし高杉の視野には、五卿を失った途端、幕軍よりも先に俗論派が正義を打ち滅ぼすであろう道筋だけははっきりと見えていた。命は惜しくない。だが長州の正義の為には 『成』さねばならない。正義の為に散っていった仲間達、はつみの言葉、内蔵太がもたらした情報も胸に抱き、高杉は伊藤の元へと向かった。
功山寺挙兵
12月15日深夜、雪。功山寺挙兵
船上クリスマス
下関新地会所の奉行ら追い出しに成功した高杉は精鋭を率いて三田尻へ向かい、戦闘なしで軍艦の拿捕に成功する。三田尻から下関へ向かう船中、気付けば『12月25日』であった。


●元治二年/慶応元年…高杉26歳・はつみ24歳
 ―長州・萩―
「回復私議」
軍艦を奪い、庄屋民衆ら5万に迫る支援を受ける高杉ら遊撃隊に対し、奇兵隊諸隊もついに応じ萩正規軍と激突した。 数に劣るが遥かに士気が高い正義派は高杉の覇気に満ちた指揮の下、山口の制圧へ至る。萩へと迫った高杉はついに、再び正義派に勝利をもたらした。
(4月7日)~『慶応元年』へ改元~
 ―長州・下関―
頑固と素直
表向きは藩主に弓引いた形の高杉は藩政から身を引き、外遊を志しこれが受け入れられ、伊藤と共に長崎に留まっていた。 しかし第二次長州征討の報を受け考えを改め、長州下関へ戻る。再び萩藩による下関領地替えの件に着手し「回復私議」でも述べた様に開港を推し進めようとしたが、長府・清末の攘夷党に命を狙われる。
その噂は癸亥丸に乗り込んで操練技術を磨いていた内蔵太の耳にも届くほどで、高杉を守らんと内蔵太が駆け付けた所で刺客に襲われてしまう。井戸の中に飛び込んで事無きを得た二人であったが、暫くそこで息をひそめる間に緊張感無くはつみの話で盛り上がってしまう。

 ―IF・現代―
【番外編】高杉晋作異聞奇譚
刺客に襲われ井戸に飛び込んだ高杉。気が付くと見知らぬ河のほとりに経っていた。 驚く程滑らかに整地された地面に立ち、川の対岸には縦長の箱状の建物が立ち並ぶ。 背後に足音が聞こえて振り返るとはつみとそっくりの顔をした女が立っており、 心配そうな、否、怪訝そうな、不安そうな表情で自分を見ていた―。

(4月7日)~『慶応元年』に改元~


朧月編
慶応元年閏5月―慶応2年5月

●慶応元年…高杉26歳・はつみ24歳
 ―長州・下関―
女傑評議7
高杉、うのと四国亡命から戻るもすっきりしない『風邪』が続く。 薩長同盟と武器購入の件での会合が下関で行われたが、途中で長崎のはつみから武市半平太が処刑されたとする急報がもたらされる。 高杉はこの時初めて、はつみと武市の間柄について知った。
運命の影
武市の死からおよそ半年後。鹿児島・小松の元で休養していたはつみが薩長同盟に際し木戸らの対薩摩感情を緩和する目的で上陸した。 高杉は相変わらず慢性的に体調がイマイチで『風邪』で寝込む事もじわりと増えていた。『心当たりのある』はつみはまたも大きな世話を焼こうとするが、今回に至って高杉は別の意味でこのお節介を勘繰る。
女傑評議8
内政の為に萩へ戻った木戸を説得し続ける為、木戸と共に下関を出たはつみを心配する寅之進と陸奥。 高杉は木戸がその内心に抱く『彼らしくない』はつみへの心境を思い、故に二人の関係がどうなるかと思案していた。また、寅之進らから武市の件に関するはつみのこれまでの行動歴などを聞き、とある仮説が高杉の中で強まってゆく。


●慶応2年…高杉27歳・はつみ25歳
下心ではない
高杉、上海で購入した二丁の拳銃を龍馬とはつみへ贈る。(S&W、龍馬にModel1、はつみにModel2) はつみにはホルスターも付けてやったのだが、これが思いのほか…であった。


転 機
慶応2年6月

●慶応2年…高杉27歳・はつみ25歳
 ―丙寅丸―
三千世界の鴉を殺し
第二次長州征討開始。
・前編
 丙寅丸にて大島奪還へと向かう高杉(谷)のもとに、亀山社中操船の乙丑丸(ユニオン号)が間に合う。龍馬らに同行する形で姿を現したはつみの様子を見た伊藤俊輔が、出会った頃の回想をする。
・中編
「どうせ戦に赴くのであれば、一度はこの高杉の戦をお目にかけたい。来い、はつみ。」
「―はい。」
・後編
(僕の思う『恋人』はな…恋をした相手、それはもうすでに『恋人』だ…)
 だから、君の膝枕を要求するのだ。
奇襲、丙寅丸【挿絵付】
『是より、長州男児の肝っ玉をお見せする』
ぬしと朝寝がしてみたいR18
歴史上鮮やかに残る丙寅丸奇襲戦の直後、咳の発作を起こし船室で喀血する高杉を見て「やはり」と漏らすはつみ。 高杉は自分の身など二の次ではつみの秘密の核心に迫り、朧めいたその心に手を差し伸ばす。


才気飛翔編
慶応2年7月―慶応3年9月

●慶応3年…高杉28歳(享年27)・はつみ25歳
 ―長州・下関―
相縁奇縁R18
下関で療養中の高杉を見舞う。
「妻には愛情、妾には慕情、尼には人情。それとは別に、尊く親愛の念を抱く人がいる。…君だ。」

君に降る花、そよぐ春風
4月14日。
訪れる初夏。春風がはつみの頬を撫で、去ってゆく。




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