―表紙― 高杉晋作本編 物語



⚠実際の団体・組織・人物とは一切関係ありません⚠



●已むを得ず、同棲開始●



 無事社会人となって3年目を目前に、自宅へ男を連れ込むのは実は初めてのはつみ。ちょっぴりドキドキしながら『ど、どうぞ…!』『ああ、可愛らしい部屋だね』『ウフフそんな事ないドゥフ』なんていう芳ばしい妄想をしていたが、相手が相手なせいか実際にはまったく違うものとなってしまった。

「ど、どうぞ…!」
「部屋の中も随分明るいな。おお、てーぶるにちぇあか。僕は嫌いではないぞ。」

 『慣れたもんだろう?』とでも言いたげのドヤ顔で、ダイニングに置かれた椅子に腰かける谷。よくある築10年の木造アパート、1DK(お家賃9万駐車場無し)の小さな自宅だが、初めての一人暮らしともなりそれなりにインテリアには気合を入れていた。故に『可愛らしい部屋だねフフフ』なんて言われる妄想をしていた訳で、実際には思わず『そこ?』とつっこみたくなる様な斜め上の感想が谷の口からは飛び出したのだった。そもそもアパートの外観を見た時ですら『随分煌びやかだな。酒楼か?』などと言ってきた程である。煌々と灯りを放つ電灯そのものがまず珍しかったのか、至って普通に灯っているだけのそれを『煌びやか』と言ってしまう。テーブルセットについても、長崎上海あたりでよく見かけたという意味での発言なのだろうか。よほどのカルチャーショックがあるという事をよくよく理解し、対応しなければなるまい…と、室内へと案内しながらも、はつみは唇を富士形にしていた。
「いい匂いがするな」
「え、そ、そうですか?」
 そんな矢先、急にちょっと嬉し恥ずかしな感想がもたらされて思わず心臓が高鳴ってしまう。
「ああ、君からも同じ匂いがした。部屋の香りだったんだな」
 途端に気を良くしたはつみが電子ピアノの上に置かれたディフューザーを持ってきて『これですよ』と教えてやると、事もあろうか棒をつまんで食べようとしたので慌てて『香りを愉しむものだ』と、早速『そこ!?』なところから教える事態となった。続けて当たり前の様にエアコン暖房のスイッチを入れるが、その際にも『何の音だ?』と新鮮味ありありな反応を示してくれる。これは逐一大変そうだ。

「それじゃあの…早速お風呂に入ります?」
「おお、助かる」
「じゃあちょっと準備するので、待っててくださいね」
 初めて出会った男を初めて家に招いて一発目に風呂を薦めるという、その手の猛者も驚くであろ手練れの業ともいえるが、ここまで歩いて帰ってくる道中に『まず風呂に入りたい』と言う谷の要望を受けての事だった。如何せん彼の話によれば、この約160年後の日本とやらへくる直前、確かに井戸へ飛び込んだのだという。全身で水中に飛び込み、腰に差していた大小の刀や履物もどうやらその時に落としてしまったと。確かに間近でしっかり彼を見ると、着物などのくたびれ感はどちらかというと薄汚れてしまっている為のものであったし、髪もところどころで束になってバリバリだ。帰ったら風呂に入って食事という流れを想定し、コンビニへ立ち寄ったりもした。 「ここは何だ?小物問屋か?」  いかにもらしい発言を真顔で放つ谷であったが、早朝で殆ど客のいない時間帯だった為目立たずに助かった。それでも店員からは『何事か?』『撮影か?』とでも言わんばかりの視線を感じたものだ。逐一驚きを隠せないでいる谷と一緒にあれこれ見ている内に、食料だけでなく男性下着をはじめとする各種アメニティも必要だとか色々と目に付き、気付けば結構な買い物をしていた。

 はつみは手早く風呂の準備をして給湯ボタンを押し、その流れで今度はキッチンへ向かい買ってきた物を整理し、あるいは用意していく。リビングにいる谷が不意に『よろしく頼む』と言っていたが、適当に返事をしておいた。
「(服はとりあえず私のパジャマでも着てもらおう。しょうがないよね)」
 谷の身長が自分より少し小さいくらいなのをいいことに、安易にそんな事を考えるはつみ。脱衣所の棚からパジャマを取り出し、買ってきたばかりの男性用下着を重ねて適当な所へ置くなどしてゆく。一方の谷はといえばディフューザーの件を経て改めて部屋の中を歩きだし、目に付くあらゆる物を物色し始めていた。特に触られてまずいものもないし好きにさせていたのだが、5分程経ったところで『お風呂が沸きました』という給湯器のアナウンスが流れた時に
「うん、今行く」
 と、アナウンスに返事をしてはつみの所までやってきたのにはつい笑ってしまった。どうやら先ほど不意に『よろしく頼む』と聞こえたアレも、給湯器の『お湯張りをします』というアナウンスに対しての返答だった様だ。思わず笑ってしまった事が彼にばれないうちに、慌てて取り繕ってみせたが。


 早速風呂場へと向かう二人であったが、フと、『幕末当時の風呂事情は詳しくないが流石に令和の風呂事情とは色々と異なるのでは?』『つまり説明が必要なのでは?』と気付くはつみ。
「お風呂から上がったらこのタオル…あ、ふわふわのこの布で体を拭いて下さいね。下着と着替えはこっちに置いてます。」
「うむ。」
「シャワーの使い方は…使うの大変そうだし一旦使わなくても大丈夫かな…」
「うん?」
「えっと、これが風呂桶なので、体を流す時はこれを使って下さい。体をあらうやつはこれで、このボディーソープをつけて泡立てます。で、髪を洗う時はこれがシャンプーで、こっちが…」
「ちょっと待て、やたら作法が多いな?何が何だかさっぱりじゃぞ」
「ああ…ぅきゃぁっ!?」
 確かにボディソープだシャンプーだ何だと言われても分からないよなぁと振り返ったはつみの視界に、既に着物を脱ぎ上半身を露わにしている谷の意外にも雄々しい姿が飛び込んでくる。思わず見てしまった下半身には資料等でしか見た事の無い、いわゆる褌めいたものが垣間見えた。見られた側は何とも思わない様子であったが、はつみは慌てて視線を背け、顔を真っ赤にしながらバスタオルを広げて投げつける。
「うわわわっ!と、とりあえずこれ体に巻いてくださいっ!!!」
「ああ。なんじゃ、意外と武家の女子の様な反応をするんじゃな。ははは」
 はつみにはよくわからない『あるある』めいた事を言って一人笑う谷は、『まあここの主はおそなたじゃからな』と言いながら素直に指示を受け入れる。されるがまま、どこぞの女子の様に胸の辺りからタオルを巻きつける姿となってから改めてバスルームへと足を踏み入れた。そして改めて、ボディーソープ・シャンプー・リンスの説明を口頭で聞くのだが…。
「女中でもない君にそこまで手を焼かせてすまんが、ここは一度、君が直接世話を焼いてみせてくれはせぬか?」
「へっ?」
「きみの所作を手本に、善処する」
 確かに直接手本を見せてやりながら覚えるのが一番良いのだろうが、しかし恥ずかしいというか何というか…。とはいっても実際何かと困るのは谷本人であるし、それならついでにシャワーの使い方も教えてやれるだろうと、はつみは腕まくり足まくりをしてついでに腹もくくった。
「わかりました。じゃあすみませんけど…最初だけちょっと入らせてもらいますね?」
「おう、僕は構わんぞ。よろしく頼む」

 まず、案の定といっていい程にシャワーに対する高揚をみせた谷は「こいつはいいな!」とこれを非常に気に入り、使用方法について熱心に聞いて来た。直ぐに使い方を覚え、頭からお湯を浴びて行くうちにタオルが外れてしまい、あわやあわやの事態に陥ってしまう。
「うわわわわ高杉さん!わ、私がいる間だけは操を守ってくださいっ!」
「あははは!何じゃて?操?はっはは面白い事を言うのう、君は」
「いいから腰に巻いて下さい!一人でお風呂に入る時はすっぽんぽんで全然構わないんで!」
「ははは、わかったわかった。」
 と、最後の砦である下半身だけは死守してもらいつつ、次にシャンプーリンスの使い方を指南する。
「まずはこの『シャンプー』で頭全体の汚れを落とすんです。こうやって髪につけてわしゃわしゃしていくとどんどん泡立っていくので、いっぱい泡立てて下さいね」
「おっ、おおっ、凄い泡だな!」
「この泡が目に入ると結構染みるので気を付けて下さい」
 正面の鏡にうつる谷の様子を見ながら、髪につけたシャンプーを更に泡立てて行く。何とも不思議なものだ。彼の鍛え上げられた上半身の露出にはいまだ慣れず目のやり場にも困る程だったが、こうして髪の洗い方などを指南していると、どこか微笑ましいというか可愛らしいというか…親戚の男の子の世話でも焼いてるかの様な心持になってくる。何かにつけて谷が極めて新鮮な感情で真新しい反応を示してくれるからなのかも知れないが。
 頭皮も含め十分に洗ったのち再びシャワーで洗い流し、目に泡が入ってひと騒ぎ。落ち着いたところで次は『髪洗いの仕上げ』と説明をしてリンスに取り掛かる。
「これは何だ?」
「リンス、コンディショナーって言って、髪の毛を保護してくれるというか…髪をふわっとさせてくれるんです。あといい香りもして素敵なんですよ♪」
「髪をふわっと……」
「こっちはあんまり泡立たないので、髪の毛全体になじませる感じで…」
「そうか、だから君の髪は絹糸の様なんだな」
「え?」
 はつみに向って言っている様で他の誰かに言っているかの様な谷に視線を向けると、はっとした様子で視線が合う。
「いや、なんでもない。」
「…じゃあ、多分高杉さんの髪も、これで絹みたいな髪になっちゃうかも知れませんね?」
「はは、そうだな。そいつは楽しみだ!」
 次の瞬間にはいつもの谷の様子に戻った様だった。はつみはその一瞬の違和感に自分でも気付いたか気付かないかぐらいの感覚で、どちらにしても特に取り留めもない様子でリンスを洗い流してやる。

 次に体を洗うのだが、何となく要領を得た谷にはボディソープとボディタオルの使い方は殆ど説明の必要もなかった様だ。そもそも、元の時代では髪も含め全身を『洗い粉』というもので洗うスタンスだったそうで、部位や目的ごとにつけるものが違うという点を理解出来れば後の所作についてはほぼ問題なさそうだと言う。…とはいえ相変わらず豊富な泡立ちには感動している様子であったが。
「それじゃあ、全身洗い終わったらシャワーで洗い流して、バスタブ…お風呂に入って温まって下さいね」
「うむ、承知した。」
「困った事があったら、気軽に呼んでください」
「ああ」
 そうしてようやく、浴室から撤退したはつみであった。

『っあああ~~~~。随分明るいが、気持ちのいい風呂だなぁ』
 谷が両手両足を伸ばし一糸まとわぬ姿でバスタブに入った時には、はつみは色んな意味で疲労困憊状態であった。しかしこの経験を踏まえ、次いで高杉が下着やTシャツ、パジャマなどの着替えに困らない様にと思案を巡らせた結果、ひとまず『着用図』を紙に描いて置いておく事にした。

「にゃ~」
 ダイニングテーブルで男性のボクサーパンツ着用図をせっせと描いているはつみに、奥の寝室からやってきた飼い猫が『俺の朝食はまだか』と声を掛けてくる。
「あっ、はんぺーたごめん~!遅くなっちゃったね…!今ごはん準備するね」
 はんぺーたと呼ばれた黒猫は『心得た』とばかりに、ダイニングの一角に設けられた自分の食卓…食皿へと進んでいった。先ほど谷がいる間は奥の部屋でじっと様子を見ていたのだろうか。
「は~い、遅くなってごめんねはんぺーた。どうぞ召し上がれ」
 ぱたぱたと慌ただしい様子でやってきた猫の下僕たるはつみは慣れた様子で猫の朝食を出し、彼が食べ始めたのを見てから再び『着用図』を書き始める。そして間もなくして、脱衣所に谷が出てくる物音が聞こえて来た。
『確かこの布で体を拭うと言うておったな』
「あっ、やばっ…!高杉さん、ちょっといいですか?」
『うん?』
 着用図を持ち、慌てて脱衣所のドアの前に立つ。
「あのっ体を拭いたらそこに置いてある服を着て欲しいんですけど、一応これ、描いてみたので参考に…」
『うん?ああこれか』
 ドアの下から紙を差し込むと向こう側へと引き取られていった。
『ほぉー、これが下帯の代わりになるのか。これは確かに説明がないとよう分からんな。』
「あの、汚れた着物とかは洗っておくので、そのまま置いておいてください」
『分かった。よう気が利いて助かる。』
「はっ!アッ、イエッ…!じゃ、じゃあごはん用意して待ってますんで…!」
 お礼を言われると『いえいえ』と返せるのだが、不意に褒められるとどうも『不整脈』が起きてしまう。そそくさとドアから離れたはつみは宣言した通りコンビニで買ってきた朝食の配膳準備に取り掛かるのだが、注意散漫な様子で『しかしなぁ…』とまたぼんやり考え始めてしまっていた。
「(高杉晋作ってあんなに素直な人だったの?ちょっと意外な気もするぐらいなんだけど…)」
 彼にとっては右も左も分からないという特殊な状況であろうが、取り乱したり不機嫌な様子は欠片も見られない。その代わり何度『うん』『助かる』などといった態度を示してくれただろう。今回の『令和風呂初陣』に至っては、あれこれと指導する側であるこちらの話をよく聞いてくれ、それこそ気を荒げる事もなく対応してくれたお蔭で無事済ませる事ができたというものだ。


 はつみが知る高杉晋作にまつわる人物描写として、松下村塾の師・吉田松陰から『陽頑』と評されていたり、同塾の優れた仲間である吉田稔麿からは『暴れ牛』、伊藤俊輔からは『雷電の如く』、英国外交官アーネスト・サトウからは『魔王のよう』などと評されたものがある。そして何より高杉本人が、とある獄中生活において極めて冷静に己と向き合った結果『自分は頑愚であり、その行いは直言直行、傍若無人』と自己評価している。更に彼に関する様々な逸話を辿れば、やはり短気であったり我の強い破天荒者とする印象もあるにはある。
 また、幕末史上、長州の大きな転機となった事件の一つに彼が主体となって勃発した『功山寺挙兵』があるが、その際、正義派として挙兵するには時が迫っているというのに何時まで経っても慎重すぎる姿勢で動き出そうとしない周囲に苛立っていた彼が、『俗論派への工作に向かっている赤禰武人を待ちましょう』と言われた。するといよいよ我慢の限界に達し、『赤禰ごとき土百姓に天下国家の何が分かる!』と怒鳴ったという話も印象的だった。士分や身の丈の何たるやというところでも、己が生まれ持った立場やその役割に厳格な責任とビジョンを抱いていた事の表れでもあると感じたからだ。

 だが、先の獄中における自己分析の続きとして『国家の謀の為なれば深謀深慮』とも評している一面がある様に、『陽頑で短気な性格』である一方『人一倍思考が進むが故、結果として一人抜きん出た破天荒とも取られる行動を取ってしまう』点もあったのではと、後世の研究者の一部からは評されているのもはつみは知っていた。人よりも先駆的な視野を持ち、それを以て考察と言動を成した結果、隠遁や投獄の期間も含め巡り巡って故人らの志を引継ぐに至り、まるで天に生かされていたかの様にあらゆる場面において要とされた彼だったからこそ『時代の寵児』とされる因果の一つだったのではとも思う。
 実際、彼が創立した、彼に同調する大身の武士や土百姓ら有志によって成る『奇兵隊』も、身分問わず適材適所として人を活かそうとする先進的な取り組みと言えよう。身分に関してもこの奇兵隊は長州の正規軍・先鋒隊の下に属する組織としてきっかりと区別をしていたのだが、それにしたって国を守る兵に土百姓を取り立てるといった奇抜な案に異を唱える者も大多数存在していた。結果、奇兵隊を良く思わない先鋒隊との間で痛ましい事件が起き、高杉もまた、その責任を取る為に奇兵隊総督から更迭された事もあった。
 更には、師・吉田松陰が幕府老中に対し襲撃を試みた際、高杉を含む多くの松下村塾門人および吉田の友人が『吉田に同意しない』とする選択をした。この事に吉田は酷く失望したが、中でも高杉に対しては名指しで『高杉は思慮が深いのになぜ分かってくれなかったのか』と、高杉の識や先見の明を評価していたが故の落胆ぶりを後世に残している。
 そして、こうした国家の為の謀に関するに留まらず、高杉晋作といういち人間として『妻や子供らに声を荒げた事はない』とする話もしかり、『天下国家の問題に心身を投じるよりも、由緒ある高杉家の一人息子として父の言いつけ通り家訓に準じるべきか』と葛藤し続けていた話など…彼の『深慮』について推し量るに足る逸話はそこかしこに散見されるのだ。


 …とはいえ、その事と『気さくである事』は直結していなかった為、はつみは彼に対しちょっとした誤解を抱いていた様だと感じたのである。
「(いや~…やっぱり、会ってみないと分からないものだよね~…まさか会えるなんて思ってもみなかった人だけど…)」
 …などとしみじみしながら、暖めた肉まんと野菜スープを電子レンジから取り出す。ーと同時に、背後からドアが開く音と共に風呂の香りがフワリと漂い、声をかけられた。
「お世話様。いい風呂だった。」
「あ、………うわぁ」



 振り返ると、『着用図』通りにふわもこパジャマを着こなした谷がそこに立っていた。ジェラートピケで買ったかわいいピンクストライプのニットドレス。お気に入りのパジャマである。彼の身長は162cmのはつみよりも少し低いので丈感は問題なさそうなのだが、谷が着ると随分とまた違う趣があった。首の太さや肩の張り、胴回りからおしりのラインまでやはり女性とは違うので、同じ服を着たとしてもシルエットがまるで違うのだ。
 そう、それはまるで『彼シャツ』ならぬ『彼女パジャマ』を目の当たりにするというエモさ…。
「この筒形のせいでこいのぼりの様とも思うたが、着てみると随分楽だな。肌触りもすこぶるいいし、匂いもいいな。」
「アッ(匂いの事言われるの照れるって!)よ、よかったです!エヘ」
 我ながらのぼせた様な事を考えてしまう脳バグっぷりにもはや開き直りつつ、谷へと近付いていく。
「他は大丈夫ですか?下着とか、締め付けは気になりませんか?」
「いや、最初はどの様なものかとも思うたが、意外といいぞ。」
「他にももっと緩い感じの下着とかあるみたいなんで、気になったら言ってくださいね」
「そういうものなのか。あいわかった。今のところは問題ない。」
「よかったです!じゃあ~こっちへ来てください。髪の毛乾かしましょう。」
 再び脱衣所へと招きドライヤーを取り出すと、少し音がするからと警告してからスイッチを入れた。

―ブオォ~~~~~~

「おおお…なんじゃ、温風が出てきおったぞ」
「これで髪の毛を乾かしたり、整えたりするんですよ。じゃあちょっと触っていきますね」
 そう言って、おもむろに谷の髪をドライし始める。谷はその音のせいで何事かと驚きを隠せないままでいたが、はつみが手慣れた手櫛で髪を乾かしてゆくうちに緊張もほぐれて来た様子だ。まるで撫でてもらう猫の様に、大人しく心地よさそうに目を細めている。
「頭の地肌に近づけすぎたり同じ個所に当て続けると火傷しちゃうので、気を付けて下さいね」
「うん。どうやら僕にも簡単に扱えそうな代物の様じゃな。その音はまだ少々慣れんが」
 あの高杉晋作の髪を乾かすという状況を意識すればするほど違和感を感じながらも、彼にとっては全く新しい世界での未体験な事の連続だろうによくぞ落ち着いているものだと改めて思う。自分が幕末にタイムスリップしたらどうなるかなど、はつみには想像に難しい。だが、例え運よく匿ってくれる状況にありつけたのだとしても、とにかく不便だろうし病気も心配だし、何より身分による命の差別や治安の悪さを思えば、不安としか思えないものだ。

 そうこうしている内に谷の髪も乾いてきた。それで尚更まざまざと感じるのだが、こうしてこざっぱりした事で先ほどまでの谷とは違う雰囲気を醸し出す様になっていた。何というか、先ほどまでは髪もバキバキで所々束にすらなっていたのが、サラサラとふんわりしただけでなく艶やしなやかさが出て輝きが増して見える。美容院に連れて行って毛先などを整えてもらうとかなり良いのでは…?などと思いつつ、最後にブラシで整えてやった。
「はい、完成!」
「頭がさっぱりと軽い気がするな。それにやはり匂いがいいぞ。ほら」
 そう言って頭を振りつけて残り香を嗅ごうとする谷に、
「あはは!気に入ってもらえてよかったです!」
 と笑いかけ、手慣れた動きでドライヤーを片付けた後にダイニングへの扉へ向かう。
「じゃあ高杉さん、そろそろ朝ごはんにしませんか?簡単なものだけど、もう準備できてますんで。」
「あさげか。ではいただこう。」
「はい!じゃあこちらへどうぞ!」

 谷はダイニングテーブルへと案内されながら、ようやくはつみが素直な微笑みを見せてくれた事を何気なく噛みしめていた。その声、その笑顔は、やはり谷の記憶の中にいる『彼女』と同じ。見間違えるはずもない。
「―はつみ。」
「?は、はい」
 席につき、はつみが用意してくれた暖かな朝食を前にしながら、改めて名を呼んでみる。鼈甲色をした瞳がきらりと谷を見つめ返した。
 その瞳に見覚えはあったはずだが、やはり『違う』事にも気付きつつ、彼女に問いかけた。
 
「…僕は、君が知る『高杉晋作』だと思うか?」
「え?」
「『江戸時代』から来た者じゃと…信じるか?」

 はつみは急に本題を突き付けられた感覚に陥りつつも、出会ったばかりの2時間前とは打って変わってちゃんと落ち着いた自分がいる事も自覚できていた。信じるか?と言われて、返す答えは既に決まり切っている。
「はい。信じてます。」
 ―信じたい、という方が正しかったが、彼の問いに対しYesかNoかで答えるなら迷うことなく『Yes』の『信じている』となるだろう。見慣れぬ世界にただ一人放り出された谷。それでも、たまたま出会った自分を『信じる』と言って身を任せてくれた。攘夷だ開国だと言って殺し合っていた世界から来たのであれば尚更、右も左も分からぬ場所でどこからか襲われるのではないかと警戒もした事であろう。はつみにとっても最初こそ不審とも冗談かとも思ったが、今となっては彼の一本気な気持ちに応えたい、助けになりたいと思う自分がいるのも確かだった。
 このように、はつみには色々と思う所があっての『Yes』であったが、谷にとってみればその一言で充分であった。口角を上げて微笑み頷くと、躊躇う事なく更に深く見つめ入る視線を投げ続けてくる。

「正直なところ、この先僕の身がどのようになるかは皆目見当もつかん。じゃが、僕は君と共にいたいと思う。」
「―へっ…?」

 言葉の受け取り様によっては告白ともとれる言葉に思考が停止し、素っ頓狂な声を上げたまま硬直してしまうはつみ。

「僕をここに匿ってほしい。」
「エ…ァ…匿って…?」

 『匿う』という神妙なワードに『あ、やっぱそっち?助けて欲しい的な?』と醒めた意識が戻りかけた瞬間、再びドストレートな攻め句が発せられた。

「君に、ここへ通う様な男がいなければ…の話だが。」
「え…ええ?通う男、て…!?」

 これまた極めて独特な言い回しだが、彼の言いたい事はすぐに理解できた。要するに付き合っている彼氏がいるかいないかという事だが、当然、一人暮らしの自宅に初めて彼氏を呼ぶ際の段取りを丹念に妄想していたはつみにとっては耐性のない話題であり、当然その『彼氏』という存在に心当たりもない話である。
「いっ、いませんよそんな人は!いませんけど…(どゆこと?やっぱあっちの話?急な告白的な?!)」
 『そっち』なのか『あっち』なのか。そもそも冷静に考えれば何故後者である『あっち』のような突拍子な思考が生まれてくるのかも謎だと思うところだが、いずれにせよ『同居・同棲・ルームシェア』を申し込まれていると捉えて間違いないらしい。
 …とはいえ、それはそれで『年頃の異性と二人、一つ屋根の下で暮らす』という状況そのものが尋常な事ではない。谷がどう思っていようが関係なく、単純にはつみの心の準備が成っていなかった。そう、彼女は乙女()なのだから。
「(どストレートすぎて逆にわかんない…わかんないけど…)」
 ―とはいえ、とはいえ。彼の状況を考えれば当然放り出す訳にもいかない。…答えは決まっている様なものなのだが、答えよりも気持ちが追い付かない状態のまま、いまだ視線を外す事なく真っすぐに見つめてくる谷にしどろもどろながらも視線を返した。
 先ほどは『意外に優しい』『素直かも』等と浮かれて考えていたが、『押すべき時には陽頑に押す。雷電の如く、時に傍若無人な程に』これこそが『時代の寵児・高杉晋作』の真骨頂。大げさかも知れないがはつみの人生(異性と会話をした)史上、類を見ない程のド直球すぎて、その一端を垣間見た様な気にすら陥った。これだけ真っすぐ見つめられながらハッキリと伝えられたのだから、しっかりと返さなければいけない。まさに『腹が決まる』とはこの事かと思う程、気持ちが固まってゆくのを感じた。
「狭い部屋ですけど…うちなんかで良かったら、高杉さんが落ち着くまで自由に使って下さい」
「…恩に着る。」
 両手を腰脇に添え、グッと頭を下げる谷。背筋の伸びた美しい礼に『本物の武士みたい』とうっかり見入ってしまいそうになる自分を諫め、『気にしないでください』とすぐに頭をあげさせた。
「へへ…じゃあ~、ひとまずごはん食べましょっか!」
「おう」
 少し照れ笑いを浮かべた後に食事を勧めると、谷も素直に応じ割とこなれた様子でテーブルにつく。勧められるがままに箸を持ち、具沢山の野菜スープを飲み始めた。
「…うまっ!なんじゃこの汁は!?」
 一口すすった所で驚いた様に手元のスープをみやり、次いで先ほど初めて電車を見た時と同じ様な顔ではつみに視線を投げかけてきた。その様子に、おかしいような嬉しいような愛らしいような、不思議な感情のままに笑みを漏らしてしまう。
「あははっ。コンソメの野菜スープですよ。」
「こんそめ…(根染め、という事か?)…うん、うまい。」
 次いで手にした肉まんにも感動した様子を見せる。
「(大変そうだけど、たのしくなりそう。…料理も頑張らなきゃ)」
 一緒に朝食を食べながら、はつみも自然な笑顔でそう思っていた。今後考えるべき問題もあるだろうが、今はできる限り、彼の助けになれたら…と心から思っている。

「(…それにしても、イケメンイケボで視線も強すぎて脳みそぶっ飛びそうになっちゃう…高杉さんに他意はなさそうだけど、あんなの続けられたらこっちがもたないかも…)」
 乙女()なはつみの心境など知る由もなく、目の前の食事を平らげた谷は手を合わせて
「ごちそうさん」
 と言い、目が合ったはつみに対し口角を釣り上げ、笑顔を見せるのだった。




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