―表紙― 高杉晋作本編 物語



⚠実際の団体・組織・人物とは一切関係ありません⚠



●日記と潜蔵●



 朝食が終わったところで今後の事について少し話をする事になった。
「とりあえず、高杉さんの服とか身の回りのものを一通り買い揃えましょう!」
「僕はこのままでも構わんぞ」
「いや…(そのお姿も確かにエモいですけど)それは家で寝る用の服だから、外に出るときはちゃんとした服を着ないと目立っちゃいます」
 早朝にランニングシューズを貸したり今のふわもこパジャマを貸した時には良い反応だったのでてっきり喜んでくれるかと思っていたのだが、意外にも谷は渋い表情のまま腕を組み、今にも唸り出しそうに眉を顰める。
「言いにくい事だが、僕には一切金がない。藩の公金もアテに出来ぬしな。」
 そうだ、高杉という人は藩の公金を『必要に応じて』ガンガン使う人物なのであったとはつみは思い出す。当時彼が言い出した『入用』とするモノが『軍艦購入』や『西洋遊学』などとスケールが大きすぎたが為に『藩の金を自分の金の様に使う人であった』という逸話もあったが、上海視察前の長崎滞在時に後先考えず公金を使い果たしたという破天荒エピソードには創作であるとの声も大きい。(上海では少なくとも拳銃2丁や地球儀、地図などをまとめて買い込むお金はあった様だ)
 現に今も、この様に資金面について率直に懸念の意を示しているという事は、一応その辺の節度なり区別という認識は持ち合わせているという事だろう。はつみの金を気にかけてくれているのだ。
「確かに無限にお金がある訳じゃないですけど…そこは気にしないでください!」
「恐れ入る」
「いえいえ!私も楽しくなってきちゃいましたから!」
 こちとらはつみは社会人になってから丸2年彼氏なし。時折り誘われて合コン・町コン・オフ会めいたものに参加するもいまいちピンと来ず、浮いた話の一つもない。未婚の友人とカフェを巡りカラオケに入り浸りJ系アイドルのおかっけをする一方、趣味とする『武士活』についても史跡探索やら幕末妄想をするのが楽しみだった。そんな感じで気付けばそれなりに溜まっていた貯金の一部を、『高杉晋作の新生活』の為に散財するという一大イベントには寧ろ心が踊り始めているのだ。
 立場をわきまえているつもりなのか大人しくしている谷を余所に、ウキウキしながらメモとペンを取り出し、すらすらと書き始める。
「あとは高杉さんの服と、靴と…あとバッグとお財布も…」
「ばっぐとは何じゃ」
「荷物を入れる袋、かな?こういうやつです」
 そう言うと今度は玄関から2,3点のバッグを持ち出し披露する。見慣れない物品ではあったがその機能性についてすぐ理解した谷は
「風呂敷で十分じゃろう」
 と、また堅実な返答だ。
「ん~確かに和服の時は風呂敷でもよさげですけど…いろんなバッグがあるから高杉さんが気に入るのもあるかも知れませんよ?見るだけ見ましょうよ!」
「…おぬしがそう言うのであれば」
「はい決まり!」
 はつみが楽しそうに手記をつけているのを見ながら、再び腕を組み『無駄遣いをさせたくないのに、参ったな』と眉を上げ息をつく谷。妻の雅子も気が強い方の娘であったが、『はつみ』の場合は何と言うか『聞き手を巻き込む勢い』の様なものがあると『常々』思っていた。記憶の中にいる、はつみと同じ顔と声をした『彼女』もそんな女性だった。考え方もまるで物事の地図や設計図を俯瞰で見下ろしているかの様に客観的で、話をしていると心地よく胸が高鳴ってくる。
 …手記を取りながら自分の為にあれこれ考えてくれる目の前のはつみにもうっかり込み上げてくる胸の高鳴りを、自嘲めいた苦笑いで誤魔化した。
「あとはぁ…食器類やお布団はゲスト用のがあるからそれで…と。うーん。高杉さん、今思い付くので何かほしいものとかありますか?」
 不意に視線を受け表情を戻す谷。
「そうじゃな。念のため聞くが、大小を求める事は出来んか?」
「刀ですか?」
「そうじゃ」
「ああ…売ってるには売ってるんですけど、所持するには特別な許可が必要になったりするらしいから…私じゃお力になれないかも…」
 今は銃砲刀剣類所持等取締法という『決まり事』があり、故にその所持には行政に許可を求める必要があるのだと説明した。谷は興味深そうに頷き
「豊臣の刀狩りのようなもんじゃな。今の世にはもはやその様なものは必要ないという事か」
 とこぼす。ということは、刀を魂ともする武士と呼ばれる者も、もはや存在しないのだろうと何となく悟った。長崎の米国宣教師などから聞いた『身分のない国』、当時ではにわかに理解しきれなかったそのような枠組みが、今この日本では当たり前のように取り入れられているのだろうと。
「では郷に入れば郷に従えの精神で参ろう。今申した事は忘れてくれ。」
「すみません」
「君が謝る様な事ではないぞ。だが、色々と興味深いな。」
「今はとにかく色んな本が充実してますから、高杉さんが知りたかったり読みたい本が沢山見つかるかもしれませんね!じゃあ本屋さんや図書館にも行ってみよう」
 はつみは谷が興味深そうに頷くのを見て、安心し嬉しそうに『本屋』と手記に記す。刀については希望に添えられそうにないが、そういえば『高杉といえば意外と読書家』であった事も思い出していた。そして高杉晋作といえばという意見をもう1つ、本人の口から聞くことになる。
「もうひとつ頼みたい義があるのだが。」
「はい!」
「僕にも紙と筆を与えてもらえれば有り難い。」
「もちろんですよ!お習字ですか?」
「それもいいが、手記をとりたい。日誌だな。」
「ああ~!なるほど!」
 合点がいったのか人差し指を立てる仕草をしてから『日記帳』『筆記用具』そして『習字セット』と記すはつみ。高杉晋作が残した6篇の日記は有名である。彼の筆まめさ、一方で飽きっぽさ、お茶目な一面まで垣間見える貴重な幕末資料だ。
「今度の日誌はどんなタイトル…どんな表題にするんですか?」
「なんじゃ?その反応もしや…僕の日誌までもが今に伝わっておるのか?」
「はい!今風に読みやすい様に編集されたものが新たに出版されてたりしてて、私もそれを読みました」
「……」
 やや眉間に力を込め、しかしどちらかというと困惑した様子で固まる谷。そんな彼に対しはつみは、日記を読んだ中で最もエモーショナルな一文であった件について触れる。
「8月20日のお誕生日、今年はいっぱいお祝いしましょう!」
「お、おぬし…からかっておるな?」
 赤裸々に日々を綴った日誌が『出版』され、あまつさえ目の前のはつみにも読まれていた上にイジられるとなると『赤面』せずにはいられない。『心の中でこっそり自分の誕生日を祝った』と記憶にある一文が、この令和に生きる日本人の間に『高杉晋作は自分の誕生日をこっそり祝う軟弱者』と思われたとなればもはや切腹も辞さぬほどの恥だ。
「いえいえからかってませんって!誕生日をお祝いするなんて当たり前の事だし」
「そ、そうか?」
 どこかホッとした様子を垣間見せる谷に、はつみは『イジった訳じゃなかったけど、こっそり祝ってるって事は私たちの感覚とはやっぱちょっと違った感覚だったのかな』と態度を改める。
「今と幕末って生活様式や価値観とかも結構違うから、当時の人が自分の誕生日を意識するなんて事もなかったと思われてたんです。『昔の人はお正月にみんな一斉に年を重ねる『数え年』で認識してたんだよね?どうなんだろうね?』っていう感じで。」
「まあ、あながちそれも虚偽ではないが」
「へぇ~!そうなんですね!面白いです、今は自分の誕生日がきたら一つ年を取るっていうのが定例だから、みんなそれぞれの誕生日でお祝いしたり、年を一つ重ねたって認識をするんですよ」
 はつみの話を真に受けているのか谷の赤面は次第に収まりを見せ、
「…相変わらず君は話上手じゃなあ」
 と、声のトーンにも落ち着いた様子が見られた。『相変わらず』とはどの事を指しているのかと一瞬ひっかかるはつみであったが、すぐに話の続きへと移行する。
「えへへ…伝わったならよかったです!あ、今は色んな日記帳が売られてますから、新しいのを選ぶのもきっと楽しいですよ!私も文房具が好きで大きなお店を知っているので、案内しますね」
「そうか…うん、よろしく頼む」
 うまい具合にまとめられたのを受け入れた谷は、最後に「ウフフ」と笑うはつみの顔を見てやはり『相変わらずだな』と寧ろ心がほころぶのを感じる。他人に意見を押し通される事には我慢ならない事が多い谷であったが、彼女にこうして言いくるめられるのは正直嫌ではなかった。そんな風に思っている事は一切表に出さない様、心がけてはいたが。

 意気揚々に、手にしたペンを置くはつみ。
「よし!ひとまずこんなところかな?また欲しいものとか出てきたら気軽に言って下さいね」
「うん、痛み入る」
「いえいえ、とんでもありません。早速今日出かける感じで大丈夫ですか?」
「勿論構わんぞ。」
 時計を見ればそろそろ9時を示そうとしている。そういえば…と谷に時計の見方について聞くと
「長崎や上海で西洋の時計を見知った。」
 と言うので、『さすが高杉晋作!』などと返しながら10時になったら家を出ると伝える。
「狭い部屋ですけど自由にくつろいでくださいね!あ、お手洗いや飲み物食べ物はこっちで…自由に使ったりしてくれて全然構わないので」
 と、場所を覚えるのにそう難儀はしない広さである家の中を改めて案内する。トイレの使い方や冷蔵庫の開け閉め、ペットボトルの開け方やコップ等食器の場所を教え、ガスコンロは火が出て危ないので生活に慣れるまでは一旦使わない様にとの旨を伝える。さてくつろごうかとテレビを付けると谷が一生懸命テレビの中の人達に話しかけ始めてしまった為、テレビの中に人がいる訳ではないという事と、チャンネルと時間によって『放送』されている内容が違う事、テレビ欄の味方、リモコンの使い方となどを教え―気付けば結局、30分が経過しようとしていた。




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