―表紙― 登場人物 物語 絵画

三千世界の鴉を殺し…中編





「高杉さん!来たぜよ!」
「おう坂本君、御到着か」
 洋装軍服に例の上海で購入したお気に入りのコートを羽織った高杉(谷)が、部屋の中央に置かれた大机に海図を敷き広げ、仁王立ちをして一行を迎え入れる。
 事にはつみの姿を見た彼はにわかに眉を上げた。
「なんじゃ、この鉄砲娘はまた戦場に身を乗り出すのか?それとも、また僕に説教でも垂れに来たか?」
 元治元年の四カ国艦隊報復戦争の事、更にさかのぼれば出会ったばかりの頃から『顔を合わせては説教』ばかりだった彼女との顔合わせについて言っているのだろう。世間一般では女が船に乗るどころか往来で男と連れ立って闊歩する事自体、周囲をざわつかせるのに十分なのであって、いくら男装しているからといって自ら戦場へ赴こうとするなどまったくもって『女の道』を外れる行為であった。―とはいえ高杉ならではの『冗談』であるのは一目瞭然で、『女の道』をまともに考えた所であらゆる価値観の違う『今生かぐや姫』たる彼女に対しては今更な話なのも重々承知の上での戯言である。高杉なりに、今想定される彼女の心情を推し量った上でワザとその様な事を言ったのだった。
「いえ…社中一員として出来る限り頑張ります」
 しかしはつみの反応は思っていた程宜しくない。すかさず龍馬が道化を演じて場をごまかす程だ。高杉は知らぬ顔で流されてやったが、はつみの様子がおかしい事は先月はじめにワイルウェフ号の事があったと報告を受けた時から想定していた為、大方察しが付いていた。

 ワイルウェフ号沈没時に同時出港していたユニオン号(現乙丑丸)には、長州から薩摩への兵糧500俵と共にはつみも乗っていたと聞く。薩摩がこの500俵を謝辞したと長州へ報告に戻って来た際には彼女の姿はなかった。その間、自然の篩にかけられ沈没したワイルウェフ号の犠牲者を追悼していたと聞いている。
…彼女がまた大切な者を亡くしたのだという事は、誰に聞いた訳でもなく察していたという訳だ。


 ―それはそうと、と高杉は話を切り替える。彼女との再会を喜びたい内心を押さえつつ、今は矢継ぎ早にやらねばならぬ事が押し寄せているのが現状であった。

 この時すでに周防大島は開戦の火蓋を切っており、次々と伝令などが舞い込んでいる。
「松山が大島の住民らに狼藉などやってくれおってな。兵を送り、僕も丙寅丸で大島へ向かう事になった。その後小倉方面に乙丑丸も出すつもりじゃが、坂本君、君らもこの船に乗って戦場にでるつもりはあるか?」
「おお!もちろんぜよ!『あん時』高杉さんに言うた事は忘れちょらんき、ついにその日が来たっちゅう訳じゃ。」
「ははは!実に愉快じゃな!坂本君、期待しとるよ」
 と、ひと昔前のはつみなら『あん時って?二人で何を話してたの?』などと気さくに首を突っ込んでくるところだろうが、どうやら今はそういう心境ではない様だ。彼女も一応愛想笑いの様なものを浮かべてはいるが、いつぞや自分を真正面から説教をしていた頃の様な輝かしい様子は殆ど見受けられない程に、背負う影が濃かった。
「船か港付近で待機しておいてくれ。」
「おう!わかったき」
 簡潔に述べる高杉に龍馬がそう応答した直後、高杉達の会話が終わるのを待っていた伝令や相談者が立て続けに報告に駆け込んできた。当然ながら今この時も最前線では戦闘中、或いは現場から放たれた伝令が随時移動中であり、報告や会議は常に絶えない。更に、功山寺決起の際には非常に才気あふれる采配で勝ち戦を進めた高杉の存在は今の長州の支えそのものと言ってよかった。そうやって人心をも掌握するが故に多忙を極める彼の元から去った龍馬達は、乙丑丸に乗り込み伊藤と連絡を取り合いながら戦準備を進めるのだった。


「…はつみさん、大丈夫でしょうか」
「ん…そうじゃのう…」
 甲板に立ち遠くの海を見つめているはつみの後ろ姿を、離れた場所から見つめる寅之進と龍馬。ひと月前に亡くなった池内蔵太との関係をはつみから直接聞いた訳ではなかったが、色々と察しの鋭かった陸奥が内蔵太から直接聞き出しひと波乱あった為、龍馬達ははつみと内蔵太の事情をある程度には理解していた。ついでに陸奥の心情もだが。

 武市に次いで内蔵太をも亡くした。『大切だと思える人』『そう思えるかも知れない人』を立て続けに亡くした彼女の心はどれだけか深く傷ついただろうか。それだけでなく、彼らが亡くなったその責任が自分にあるかの様に思い詰めている節も見られた。折を見てはつみのせいではないと伝えはするが、彼女は誰にも言えない事情を抱えているかの様に、自分だけが知る自分を許せない様でもあったのだ。
「…何であろうとわしらははつみさんを『支える』。その道を見つける。…ただそれだけぜよ」
「………はい。」
 『でも、龍馬さんは…』と言いかけて、寅之進は大人しく頷いて見せた。
 寅之進はわかっている。自分にははつみを受け止める器がない事を。それがない自分に嘆く夜はいまだにあるのだが、頭の中では、己の使命は『ただはつみの傍に在り続け、彼女を守り支える続ける事』なのだと納得しているし、それがはつみ本人によって許されている今の立場に誇りも感じている。しかし龍馬はそうではない。彼には器がある。何よりそれを武市自身が認めていたのだから…。それなのに龍馬は自らが抱くその器を見て見ぬ振りしているのか、寅之進と同じ様な『保護者』の様な目線ではつみの傍に居続けている。…内蔵太の事だってそうだ。『あの日』、敢えてはつみと内蔵太を長崎に残し、龍馬は寅之進を連れて薩摩へと向かった。はつみと内蔵太がそういう仲になればと内蔵太の背中を押したのは龍馬だったのだ。その事にも寅之進は気付いていたが、何も言わなかった。だがその時も今回と同じ事を思ったのだ。
『何故、龍馬ほどの器を持つ人がはつみを受け入れようとしないのか。本人もはつみを異性として大切にしているのは、傍から見ていて明確なのに』
 …と。


 最前線であった大島では、占領した敵兵(松山藩兵)による暴力・略奪・虐殺が多発。島の北と南から敵軍の砲撃と上陸を受け滅茶苦茶な状態で、応戦していた長州兵も敵方の日本最新鋭にして最大級の蒸気船・富士山丸やその他二隻の精鋭蒸気船による砲弾幕に撤退を余儀なくされていた。
 高杉はその惨状に対処するべく任を受け、敵方の富士山丸に対しその10分の1程の排水量でしかない丙寅丸に乗り込んで大島へ向かうという訳だ。

―の筈だったが。
 その前に高杉は忙殺される合間を縫って馬を駆り、港で戦支度の為に碇泊している乙丑丸のもとへと現れる。甲板で黙々と作業をしていたはつみの耳にも、無遠慮に駆け寄ってくる蹄の音とどうを掛けられていななく馬の声が聞こえた。ザッという人が降り立った音と共に颯爽と歩き出す音も聞こえ、誰か来たのかと思った矢先。

「はつみ!!!!おるか!!!!!」
 
 突然大きな声が響き渡り、忙しく戦支度をしていた者達がなんだなんだと顔を出し桟橋へと視線を落とし始めた。高杉は自分を見下ろす見物人の中にはつみの顔を見つけると挑戦的にニヤリと微笑み、『今そっちへいくぞ』とばかりにはつみを指をさし、コートの裾を翻しながら遠慮なく乙丑丸へと乗り込んでいく。

「た、高杉さんどうしたんです?!」
 魔王(サトウ曰はくLucifer)の如く無遠慮に甲板へとやってきた高杉に慌てて駆け寄ったのは、乙丑丸の薪水調達を世話してくれていた伊藤俊輔だった。龍馬と寅之進、そして後からはつみもこの輪に合流した。
「大島はどうされたんです!?」
「そう騒ぐな。大島へはこれから向かう所じゃ。」
 まったくおのしは小うるさいなと言わんばかりに顔を歪める高杉は、伊藤もそっちのけに直ぐはつみの方へと向き直った。そして何のためらいもなく、真っすぐに声をかける。

「僕の船に来い。共に行くぞ」

「高杉さん!」

 伊藤が声をあげるのを龍馬が制止し、一歩前へ進み出る。
「高杉さん、一体どういうつもりぜよ」
「おお坂本君。君は『一体何をしておるんだ』?」
 少々ひっかかる物言いをする高杉であったが、誰もがその言葉の意味を理解できずにいた。
「何って、戦準備を―」
「あぁ違う違うそういう事じゃあない。だが説明してやる間も無いのでな。」
 そう言うと有無も言わさずはつみの手を取り、あっと驚く周囲の目線も気にせず、午後の日差しを浴びて鼈甲の様に透け、不思議な事にところどころ翡翠色が混じるような気配を放つ彼女の瞳を真正面から見つめる。

「どうせ戦に赴くのであれば、一度はこの高杉の戦をお目にかけたい。
 来い、はつみ。」

「―はい。」

「!はつみさん…」
 はつみが頷くと彼女と対面する男4人はそれぞれに違う表情を浮かべ反応した。高杉は『うむ』と力強く頷き、龍馬は心配そうに言葉を失い、寅之進は戸惑い、そして伊藤は苦々しく眉間に皺をよせる。
「高杉さん!なんて無茶な…はつみさんにとっても危険ですし、同船する者達にとっても動揺を招きますよ!」
 大胆にもはつみの手を引きながらツカツカと歩き出す高杉に並行して伊藤が食いつく。龍馬は彼らを追わず、追わない龍馬に戸惑って寅之進も動けずにいた。
 張り付いて苦言を呈してくる伊藤をかわしながら下船した高杉はひらりと馬に乗るとはつみにも手を指し伸ばし、後方へと乗せてやった。そして最後の最後まで考え直せと言ってくる伊藤や甲板上から意味深な視線で見下ろしてくる龍馬、そして寅之進へと視線を送る。周囲の視線を受け、さあ何を以て申し開きしてくるのかと思いきや。

「―それでは諸君!!健闘を祈る!!!」

「えっ!?ちょっ高杉さん!」

 伊藤からの苦言は完全無視。覇気のある声でそう言うと乗組員たちの「おーっ!」という掛け声を背に、伊藤の制止もむなしく威風堂々とした様子で馬を駆り去っていった。『聞く耳持たず』という言葉を見事に体現しきった、唯我独尊を極めし一幕であった。

 伊藤が再び乙丑丸に乗り龍馬達の所へ行くと、高杉の破天荒すぎる無茶振りに謝罪しつつも『何故止めなかったのか』と龍馬に尋ねる。馬で走りゆく二人の姿に視線を投げかけながら、龍馬は大きく息を付き、呟いた。
「…『何をしておるのか』、か…。げにまっこと、おんしの言う通りぜよ…」
「???坂本さん?」
 さっきは咄嗟に理解できなかった高杉の言葉。有無も言わさず嵐の如くはつみを搔っ攫っていった彼を見て、やっと分かった気がしたー。



 高杉がはつみを連れて丙寅丸に乗り込むなり、蒸気を噴き上げ汽笛を鳴らし、高杉達は大島へと向けて瀬戸内海を進み始めた。高杉は船室には入らず常に甲板で乗組員たちに声を掛けては笑い声をあげ、自然と皆の士気と団結を高めている様だ。丙寅丸の砲術長は最後の松下村塾生である山田市之允、そして機関長は元土佐勤王党である田中顕助が務めていた。この田中とは顔見知りであり、特に東洋暗殺の前後に渡っては討論を繰り広げたものであった。(彼の叔父は東洋暗殺の下手人那須であり、田中自らも関わったと疑われていた) 文久三年818政変を期に謹慎処分を言い渡され、元治元年夏になるとついに脱藩し、長州へ逃れた。高杉に心酔し『弟子入り』を申し出たらしく、薩長同盟初期の頃においても中岡と共に行動して西郷を説得し続け、はつみ達とは違う切り口から貢献していた。
このように彼らもはつみとは要所要所で再会をしていたが、まさか高杉が自ら連れてこの丙寅丸に搭乗させるとは思ってもみなかった様で、その心情を推し量るに際し、武市といい高杉といい何故この娘に夢中になるのかと事ある毎にはつみを見やっていた。

はつみは船首付近の程よい場所に腰掛け、潮風を浴びながらキラキラと輝く瀬戸内海を見やっている。これから戦闘が始まるなど、まるで他人事の様な気持ちで受け止めていた。
「随分と落ち着いておるな。」
 一通り周回し終えたのか高杉が戻って来た。はつみの傍までやってくると近くの手すりに寄りかかり、腕を組んで視線を送る。
「それとも怖くなったか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
はつみは相変わらずの『愛想笑い』だ。高杉のまっすぐに自分を見据える視線に気付いてか気付かないでか、目を合わせようとはせず彼女は高杉の衣服へと視線を向ける。
「高杉さん、洋装似合ってますね」
「ははっ、何を言うかと思えば。」
 黒い詰め襟のジャケットとストレートパンツといった軍装は、『高杉といえば着流し風』というイメージの強いはつみからするとかなり真新しい姿だった。海上の強い日差しで暑さもある故かいつものコートは脱いでおり、襟を開き腕捲りをして着崩している。また、腰には刀と共に酒瓢箪を下げ、胴には短刀と扇を差している。それもどこか粋で高杉らしいなと思う。
「拳銃も持っておるぞ。」
 腰の後ろにホルスターを付けており、そこにはつみに譲渡したのと同じ拳銃S&Wを装着していた。君も持っているな?と言われると、はつみは上着の胸元を開いて内シャツを覗かせ、装着したショルダーホルスターの左脇下に潜ませるS&Wを見せてやった。満足気に頷いた高杉は
「今回の戦で使うかも知れんからな。めんてなんすをしておけよ?」
 と付け加える。
「はい、バッチリです。」
ようやく視線を合わせてきたはつみは親指を立て『ぐーど』という諸外国でいう所の『Good』の動作をしてみせた。そしてまた愛想笑いを振る舞った後、潮風に暴れる前髪を払うかの様に顔を上げ、そのまま遠くの水平線を見つめ始めた。

 高杉は手すりに寄りかかり腕を組んだまま、はつみの横顔をじっと見据える。

「…自らも海に散ろうと考えておるのか?」

「え…?」

はつみの視線が水平線から外され、すーっと吸い寄せられる様に高杉の視線と重なる。まっすぐ射抜く様な視線も、後ろに寄りかかり腕をくんだ体制も声のトーンも変えないまま、更にもう一言付け加えた。

「亡くした者を追って」

「……そんな事は…」

 二人の間には池内蔵太の顔が浮かんでいた。高杉は内蔵太とは江戸で知り合いよく語り飲み明かした。共に闘ったし逃亡もしたし、井戸に潜伏した時は場に合わない色恋の話などもした、戦友と言っていい存在だった…と、はつみも生前の内蔵太から聞いている。故に今高杉が何の事、誰の事を言っているのかはすぐに察した様だ。
だが口にした返答には迷いが見て取れ、実際彼女が死のうとしている訳ではないのだとしても、深い悩みの為にかつての輝きを失いつつあるのは明確に分かった。
「止めておけよ。後追いなど君には似合わん」
「……」
 つっけんどんな物言いにはつみは視線を落とし、言葉を返す。
「…大丈夫…。私は皆さんの様に、命を懸けて何かを成すという事が…まだよく分からないままなので……」
「構わん。適材適所という言葉がある。君はそれでいい。」
 平然と、真正面からはつみを見据えて言い切る高杉。やはり彼は、はつみを否定する意図があってこういう物言いをしている訳ではないのだ。突然軍艦を買ってみせたり自分を連れ去ったり、周囲から『破天荒』だと思われる様な突発的な行動も、彼の思考回路の中ではしっかりと計算が組まれている。
「…高杉さん、もしかして私を心配して連れ出してくれたんですか?」
「ーんっ?!」
 真っ直ぐにはつみを捉えていた高杉の目がパチリと見開かれ、図星だとばかりに口ごもった。
「何を言うかと思えば…」
「ははっ、そうですよね」
「~~~ッチ…」
 だが意外と女性からの不意な攻め言葉には弱いのか、はつみの前ではこのように拗ねたり一瞬の戸惑いを見せる事も多かった。身分の高い彼にこのような態度で挑んでくる者自体稀有だったというのもあるが。とはいえはつみ本人は、そんな高杉の事情など出会った頃から今になっても気付かないでいる。今も、別のおなごなら微細に汲み取り『高杉はん、わてを気遣って下さって…』と可愛らしくはんなりと身を委ねてくる様な所だが、はつみはケロッとした様子で話を切り替え、高杉に焦れったい舌打ちをさせ、それでも何を取り繕う事もなく再び遠く水平線を見やっているのだ。

「適材適所、かぁ。島原の乱以来徳川250年の歴史を経てずっとそれなりに平和で、戦の仕方やコツなんてきっと殆どの人が忘れたりしてるのに…高杉さんは本当にすごいなぁって思います。」

 身を委ねて甘えるどころか、また、どこかから取り出した設計図でも眺めているの様な、俯瞰的とも他人事とも言える物言いで語っている。

「長州男児の肝っ玉ここにあり、ですよね!ふふっ」

 なかなかストンと掌に落ちてきてくれない、風にあおられあちこちへと舞い踊る桜のはなびらの様で癪に触るのに、掴み取りたい、掌に添えてじっくり愛でたいという気を抱かせる。そして、彼女の発言は時に何よりも奇妙で、高杉の頭の思案筋を刺激するのだ。…特に今の一言で、これまで思案してきた『はつみという娘に関する仮説』が、より一層確信へと近付いていた。

「…かつて君は僕にこう言ったな。『その時高杉が長州にいなければ、乗れる波にも乗れなくなってしまう』『長州にとって大切な事を成し遂げ残していく人なのだ』ーと。」

 急に神妙な声色になったのが少々気にかかったが、はつみは素直に頷いて見せた。勿論よく覚えている。文久元年の夏、政敵を斬って亡命すると言い出した暴れ牛たる高杉と口論になった時の話だ。
「ふふっ…亡命してやるーって我儘言ってた時の事ですよね?懐かしいですね」
「ああ、だが昔話を楽しみたい訳ではないぞ」
 高杉は手すりから背を起こすと更に一歩二歩とはつみの傍へ歩みより、 真っ直ぐに視線を投げ掛ける。

「あの時君には何が見えていた?
 …雪降りしきる中挙兵する僕の姿が、今この丙寅丸で指揮を執る僕の姿が、君には見えていたのか?」

「!…それは…それこそ適材適所の話で…」

「先ほど『長州男子の肝っ玉』云々と言っていたな。どこでそれを聞いた?」

「っ…」

 その言葉は、およそ一年半前の雪が降りしきる中、長州の政権を恭順派から正義派へと奪還する為に功山寺挙兵した高杉が五卿らに向かって述べた言葉であった。頼りだった奇兵隊諸隊は日和を決め込み、高杉の味方といえば捨て身で駆けつけてくれた伊藤俊輔率いる力士隊半数と、木島又兵衛が残した遊撃隊のみ…と、決して多勢ではなかった。件の言葉をはつみに直接話伝えたとすれば、伊藤か、もしくは数日後に合流した内蔵太かくらいのものか…。その他巡り巡った噂で耳に入ったのだとしてもおかしくはないと言えばおかしくはないのだが、どうも高杉にはこれが引っ掛かったのだ。そして案の定睨んだ通り、とでもいうべきか。はつみが高杉の言葉を知った経緯には安易に口にできない事情があるのかの様に、彼女は分かりやすく戸惑い、閉口した。
「これは適材適所の話ではないぞ。暴れ牛の事も、池田屋の事も、長州が辿る命運も、…過去の事は勿論はるか未来の事も、君は『すべて知っていた』。僕はそう考えている。」
「……」
 真っ直ぐに詰め寄ってくる高杉に、神妙な視線で応えるはつみ。こんな風に、自分の真髄について迫ってきた人はいなかった。正直、土佐を脱藩した今なら『記憶をなくした』などと妙な嘘をつかなくてもいいのかも知れないとも思う。…そう思うのなら、この身の正体をあっけらかんと打ち明けても良いのではとも思うのだが、時を越えて今ここにいるという自分の存在意義に激しく自信を喪失していた。

…武市に続き内蔵太を失った今だからこそ尚更、自分がこの時代にやってきた意味は一体何だったのかと。むしろ、この時代に降り立った当初よりもずっとずっと受け入れ難い心境の真っ只中にある。

…そんな心境を抱きながら真実を話した所で、高杉が納得いく話をしてやれないのでは、互いに徒労でしかないのではないかと…自分でも驚くほどに投げ槍で後ろ向きな感情が沸いてしまう。


「高杉さん!三田尻に入ります!」
緊張感が高まるところに、三田尻港着の報告が入る。興を削がれた様子の高杉であったがすぐに気を切り替えた様で、この後船の整備や薪水調達などに入る船員たちには、明日の早朝、大島遠崎沖で奇兵隊ら長州軍と合流する旨を伝える。やがて船が三田尻港に入り接岸されると、はつみの手を取って真っ先に小舟に乗り込み、三田尻へと上陸した。今日はもうじき日没であり、潮も引くので最後の薪水調整なども含めここに碇泊するつもりの様だ。


●三千世界の鴉を殺し…後編●





※ブラウザでお戻りください