―表紙― 登場人物 物語 絵画

女傑評議





※仮SSとなります。 プロット書き出しの延長であり、気持ちが入りすぎて長くなりすぎてしまった覚書きの様なもの。
途中または最後の書き込みにムラがあって不自然だったり、後に修正される可能性もあります。ご了承ください。



9月。高杉、桂、久坂、伊藤の4人で飲んでいた矢先、話題がはつみの話になる。切り出したのは伊藤で、彼もなかなかに物好きな事から少々浮ついた話題として『桜川殿はやはりどう見ても女子ですよね?最初は騙されかけましたよー』とその名を出した様であったが、高杉はあからさまに機嫌を悪くして無言になり、久坂は難しそうに眉間にしわを寄せて酒を煽り出す。

「話題、間違えちゃいましたかね…」と桂にボヤく伊藤であったが、更に深く切り込んできたのは難しい顔をしていた久坂であった。ただし話題はやはり時世に絡むものである。はつみが女子だという事は皆で知らしめあった訳ではなかったが、とっくに暗黙の了解であった様だ。
「あの娘は開国思想が過ぎる。それどころかあの知識量は女子でのうても異常っちゃ。学びの出所も記憶がのうてようわからんとの事だが…危険ではないのか?」
 この夏、久坂は土佐の巨魁・武市半平太とも知り合い、密に情報を出し合って文を交わし合う仲間となっていた。同じ時期に江戸へ来ている桜川はつみが土佐参政の便宜を受けており、武市殿はこれにどうお考えをお持ちか…と気にならなくはなかったが、相手は『生真面目』を絵に描いた様な人柄である故、久坂から女の話を切り出すのも憚られた。同じ様な理由で結局、彼女の話は他方からは聞いていない様だ。久坂、そして桂や伊藤も、彼女の思想や発言の内容とよく一致している高杉の意見を求めたが、知ってか知らずか高杉は黙って酒を煽るだけだ。先日はつみと喧嘩別れした事ははつみから桂へ報告が行っており、更に料亭の主人から直接一部始終を聞いた伊藤から桂へも報告が行っている。押し倒した事までは両者とも言わなかった様だが…いずれにしても高杉が返さない以上はと代わりに返答をしたのは桂であった。
「彼女は確かに変わり者だけれど、どちらかというと学者肌な人物だと思っているよ。世論を操作しようとしたりその為の策を講じたりという感じはしないな…けれど確かに、記憶を失くす前は一体どこの誰だったのかは気になるね。」
「あれだけの情報と達者な弁舌の才をお持ちですからね。おまけに美人。僕と同じ年。」
 ちなみに最近知り合った土佐の池内蔵太も併せて同じ年だが、面白い事に彼ははつみの事を『男』だと思いながらも、どうやら気を寄せているらしい…等と、確かに面白い話題ではあるが正直今はどうでもいい話題に久坂はため息をつく。「無用に手を出すなよ」等と返す矢先、伊藤は楽しそうに腕を組みながら『いやいやでも、ここからは真面目に思う所ですけどね』と話を続けた。
「我々ですら幕府の根本から否定をする様な発想は出てなかったところに、ですよ。あそこまで潔い幕府批判は…正直鳥肌が立ちましたけどね。ひょっとしたら彼女は今、日本で一番の『過激論者』なんじゃないですか?」
 滅多なことを言うんじゃないよ、とたしなめる桂の横で、ずっとぶっきらぼうな雰囲気を出していた高杉が突然大きな声で笑い始めたのだから、皆驚かない訳はなかった。
「はははは!…まあ、そういう事だろう。もっと言えば、今これだけ『夷狄を知っての富国強兵に備えるべき』と言う僕が君らに切られずにおるのも、天は帝であらせられ、且つ開国は帝の威厳の下に行われ夷狄どもの好きに条約を結ばせ搾取させる為のものではない、現にその事態を招いた『幕府』に対して肩を持つ気はないという点で話が噛み合っておるからであろう。途中までは長井の言うと事と同じじゃとは、あの桜川も言うておった。それにあいつもこういった話をする相手はどうやらきちんと選んでおる様じゃぞ。…つまり君も『わかってくれるはずだ』と思われていたと言う訳だ、久坂君」
 確かに…とうなる久坂は一部厳格な一面も持ち合わせている事から『女の身でしゃしゃり出ている』という点にはやや腑に落ちない様子ではあったが、更にダメ押しの如く、高杉が更に言葉をかける。
「であるからな、久坂くん。ここは僕が預かる。…もしあれが意にそぐわぬ事をやり始めたら、その時はやるがいいさ。…僕の事もな。」
 彼に備わった天性の覇気とも言うべきか、必要な時必要に応じて急に凄みを出すのがまた彼が人心を集める才の片鱗でもあった。思う所もあった久坂は『高杉君の名に免じて』と潔く頷き、桂と伊藤は同時に思う所あった様で『これは…』と目線を合わせている。

 数日後、久坂は周布と共に長井雅樂の斡旋活動阻害と藩主東勤阻止の為江戸を発ち、一方『長井を斬る』とまで息巻いていた高杉には思いもよらぬ『ロンドン万国博覧会場の幕末使節団参加』つまり『ヨーロッパ視察』の話が舞い込んでいた。この抜擢はもちろん高杉の身分相応であり、若く、長州代表に相応しい覇気と度胸もあり、そして吉田松陰にして『識の高杉』とまで言わしめたその努力と才によるものであった。…が、高杉を目に掛ける桂や周布ら内内の『調整』がなかったとは、決して否めない。  案の定、高杉からはあっという間に手前の『小攘夷』と己の思想との摩擦に悩む様子は見られなくなっていた。『気難しいが意外と分かりやすい奴なのだ』と、桂と同じく高杉を心配していた長州世子・定広は、桂からの報告を受けて「善き」と笑っていた。





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