―表紙― 登場人物 物語 絵画

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※仮SSとなります。 プロット書き出しの延長であり、気持ちが入りすぎて長くなりすぎてしまった覚書きの様なもの。
途中または最後の書き込みにムラがあって不自然だったり、後に修正される可能性もあります。ご了承ください。



2月。土佐内では徒党を組む事を禁止されている中、武市らが中心となって発足した土佐勤王党には多くの郷士達が参加を望み、『尊王攘夷論』『夷狄打ち払うべし』『幕府から理不尽に隠居をさせられた容堂公の擁護』がこれまで以上の苛烈さを以て急速に膨れ上がっていた。しかし武市半平太をはじめとする直訴は文字通り『門前払い』をされ、『このままでは薩摩、長州に出し抜かれ土佐が無様にも藩論を変えられぬ軟弱と謗られ、置き去りとなってしまう』といった焦燥と苛立ちが、勤王党内に募る。
 そんなある日、はつみは再び吉田東洋からの呼び出しを受けていた。

 江戸・横濱における異文化交流や外国語事情などについての意見書を提出していたはつみであったが、これがまあまあ評価された様であった。「おんしの俯瞰的な視野の広さには感心するが、いかんせん血肉が通っちょらん。」当事者としての感覚ではない、歴史の『知識』を通してこの世界を見ているはつみには胸に刺さる…いや、これ以上ない的確な言葉を放つ東洋。
「じゃがやはり才はあるな。おんしが望むのであれば、わしが直々に政治っちゅうもんを指南してやってもよいぞ。」「退助もおんしが共に学ぶとあれば、わしの話にも耳を傾けるやもしれんのお」
 カッカッカと笑う東洋を前に、はつみは神妙な気持ちを抑えきれないでいた。…今も郷士達は、いかにこの参政・吉田東洋を一藩勤王・攘夷へと丸め込もうか必死に画策を繰り広げている。…文久2年の春は、はつみにとっては『第二の井口村永福寺事件』の様なものだ。武市の運命を分かつその事件を意識した時、吉田東洋の運命もまた、クローズアップされる…。
「『外』が気になるか。最近まっこと騒がしいきのお。」
 はつみの憂い顔に気付いたか、郷士達の視線や言動が気になるのだろうと悟る東洋。まさか運命の分かれ道だとは思っていないだろうが、はつみはそれなりに合わせて「尊王攘夷への機運が高まっています。公武合体を目指す薩摩のs久光公が上洛への動きを見せていますが、彼らはそれを『尊王攘夷の為の上洛』だと期待し、土佐もそうあるべきだと活動を活発化させています。」と返した。
「そのようじゃ。毎日のように門前に座り込まれてたまらん。おんしはいまだに武市と話をしゆうがか。」
「はい、武市さんは土佐をまとめるのに必要な人です。…開国論と尊王思想が必ずしも相反しない事、帝のご真意もきっとわかっていらしゃるのではと…」
「いや、あやつは分かっておらんじゃろう。容堂公が『幕府から理不尽な処分を申し付けられた』ち本気で思いゆう。結果的にはそう見えるが、故にあやつらに『真』は見えておらん。勤王とは言うが恐れ多くも帝の御心が真に望まれゆう事を理解しちょったらば、闇雲に夷狄を打ち払えなどと騒ぎ立て要人らを殺しまわる輩をなんとか抑え込む方が先じゃろう。」
「…確かに……」
 煙草の吸い物に火を灯し、何度か種火を煽ってから頃合いの善いところで煙を吸い、吐き出す。はつみも武市の事に関しては様々に思案している様には見えたが言葉が重いようで、弁を冴えなくなるのだと東洋には見える。少々の沈黙の後、煙草をくゆらせるとひと際長く煙交じりの息をついた。
「…おんしもじきに狙われるぞ。どうじゃ、このままここに居座ってみるのは。」
「え?」
 思わぬ提案に驚くはつみに、東洋は再びカッカと笑う。
「案ずるな、おんしを囲おうなどとは思っちょらん」
「ち、違います!そんなんじゃないですけどっ…」
 もう一つ煙草をくゆらせてから炭火鉢に『カンッ』と燃えカスを落とした東洋は、来月早々に開校される藩校:文武館(のち致道館)について話し始める。以前はつみも言っていた様に、かねてより『教育』の必要性を重視していた東洋そして容堂は、あらゆる分野において教育を施し有望な人材を多く輩出する為の施設としてこれを開設するのだとし、はつみには英国語ならびに外国文化方の教授をと考えているのだと言った。これは東洋だけでなく江戸で謹慎中の容堂の耳にもすでに入れてあるとの上で、
「万次郎はまっこと逸材であったが、幕府方に引き渡してしもうたき。じゃがおんしという才が現れた。」
 と言い、はつみに期待している様子を伺わせる。これほどまでに自分の『唯一とする取柄』を重宝してくれる事はこの上なく有難い事だと分かっていたし、命の危険も『承知』と言うにはいささか現実味や危機感に欠ける心持ではあったが、それなりに理解はしていた。正式に東洋の後ろ盾が付けば自分も今よりは安全になるだろうし、立場も安定する。そして東洋も…自分が傍にいて常に注意喚起していれば、『天誅』を切り抜けられるかもしれない。
そう、井口村永福寺事件の時の、池田寅之進の様に…。
…そうすれば、武市の運命もきっと、変わる…。

―しかしそれでも、自分がどうしたらいいのかわからなかった。武市の運命を開放へと向かわせる為には、彼やその周囲からどんなに拒まれようとも武市の側にいなければいけない気もしていたのだ。

「外を歩かれる時は必ず、護衛を数人つけてください。本当に、細心の注意を払って下さい」
「カッカッカわしを老人扱いかえ?」
「違います!本当に、心配だから…」
「わかったきわかったき、まっことおんしは変わった気風の女子じゃのう。そがなことをわしに言うがは…おお、退助ぐらいぜよ。おんしら似合いじゃが、ようくっつかんかったか。ッカッカッカ!」
 武市半平太への想い故に、この吉田東洋へはついつい偏見的なイメージを抱いてしまっていた自分が恥ずかしいとつくづく思う。吉田東洋という人の損失を山内容堂が心から嘆いた理由、この二人が手堅くも先見の明を凝らし、賢く時代を乗り切ろうとしていたという事をまざまざと感じる。だがもう少し、郷士達に興味を持ってくれていたら…彼らと対話を重ねる機会をもっと設けてくれていたら…と思わずにはいられなかった。





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