仮SS:越えられない壁


 2月中旬。容堂が入京してからたったひと月程の間ながら、ここ半年で猛威を振るった『土佐勤王一派』の勢いはみるみる内に先細りの様子を見せている。『土佐勤王一派』つまり『土佐勤王党』という、土佐藩政においては認められていない『徒党』の存在をついに容堂が耳にし、それについて直接武市からの報告を要求した。一方、藩邸には脱藩をしたはずの龍馬の姿もあった。

 武市は容堂と対面してこれを釈明しながらも内心『覚悟』をしていたが、この件について何か処罰されたり叱責を受けるといった事は起こらずにいた。下士達に対しては身分を越えた国事斡旋を行うべからずと厳しく取り締まる一方で、武市に対しては『ねんごろに』対応をしている事が、勤王党一味の危機的状況に対する認識を混乱させる効果もみせている。無論、はつみはその容堂の態度の『裏』を知っている為、焦燥は募る一方だ。

 彼女の表情が目に見えて日に日に強張っていく頃、およそ一年前に脱藩した坂本龍馬が『12日間の謹慎』という短期間での簡易的な処罰にて例外的にその罪を許されていた。龍馬の謹慎があける2月下旬、彼は藩邸に出ていた武市と再会し思わぬ話を聞かされる。

 武市は反発し合う薩摩と長州の間を土佐が取り持つべきとして、各藩士の基を奔走している。土佐勤王派として公武合体派の容堂公に対峙する必要性もさながら、藩の調整として更に容堂公を説得していかなければならない場面がある。
 土佐の妻へは心配させぬ様良い事のみを文にしたためていたが、実際は容堂との間には大きな溝がある事を武市本人もひしひしと感じ取っていた。だが土佐一藩勤王として帝に仕える事を説き続けるという使命と大義を手放すつもりはない。―それはつまり、容堂公との『対峙』ではなく『対決』になりかねない事を、武市は龍馬だけに話す。

なぜ龍馬だけに話すのか。

「…俺に何かあった時は、はつみの事をたのんだぞ。」

「はあ?いきなり何を言うぜよ武市さん」

 後ろ手を畳に付き、両足を投げ出した姿勢でちゃちゃちゃと笑う龍馬。彼が笑って誤魔化しているのだという事も、武市にはわかりきっていた。

「『いきなり』ではない。情勢が激化の一途を辿る中で、ずっと考えておった。」

 様々な疑惑、問題が武市の前に突き付けられていたが、目下とりわけ容堂が声を荒げているのは青蓮院宮令旨問題である。この件について、武市の右腕左腕とも言える間崎哲馬や土方楠左衛門、平井収二郎らが事細かに詰められており、事ここに至って平井収二郎は他藩応接役を解除され、公家に対する一切の出入り接触を禁止するという処分まで下されている。また、藩主と共に土佐へ下った勤王派達の再入京を全面的に禁止とするなど、容堂公が『土佐勤王党』に執着しているのは明白であり、故に、武市は容堂との『対決』を覚悟していたのだった。

 話を聞く龍馬はその深刻さを察しつつも、あえて能天気な反応をしてみせる。

「ちゃちゃちゃ!それは武市さんががんばらにゃ。わしでははつみさんに釣り合わんぜよ」

「そんな事はない。龍馬。」

「ちゃちゃ…」

「たのんだぞ。」

「…無理じゃち言うちょるのに。まったく…頑固じゃのお、アギは。」


 龍馬、そして武市にはそれぞれ越えなければならない壁が存在する事を、自覚していた。






※仮SS