仮SS:似た者同士



話しは少々遡る。

 はつみが襲撃に遭いその背中に傷を負った6月中旬、高杉晋作は脱藩罪により野山獄に繋がれていた。
 その後すぐに自宅謹慎となり、諸外国4カ国連合艦隊による下関戦争回避の為に伊藤俊輔・井上聞多が緊急帰国した際には、いかに藩論を変えるかの是非を乞うべく彼らの訪問を受けている。この時すでに7月になろうとしていた頃だが、はつみが襲撃されたという情報はまだ入っておらず、話題の一つとして、伊藤が帰国時に会した英国公使オールコックの通訳官(当時はまだ通訳生)アーネスト・サトウがはつみの事を知っている様だと伝えている。彼がはつみを見知るきっかけとなったジャパン・パンチという英国紙にはつみの記事が掲載され、本国イギリスでも話題になっていたとも伝えると、高杉は笑って『世界にも通用するか。はははっ小気味いいな!』と、こんな状況であるにも関わらず不思議と上機嫌な様子であった。

 この間、伊藤は独断ではつみを呼び寄せるべく、江戸遊学時代からの誼である池内蔵太に相談を持ち掛けていた。この時初めて、はつみが襲撃に遭い背中を大きく負傷したという事実を知る。内蔵太とは慎重に話し合った結果、彼女を連れてくるか否かは直接現地へ赴いた内蔵太本人の裁量にゆだねる事となった。そもそもはつみを呼び出そうとした理由は、イギリス通訳生のアーネスト・サトウからの心証がよく、外国に対しほとんどまともな『武器』を持たない長州に少しでも有効となりうる人材を集めたかったという、伊藤の崖っぷちの戦略の一つであった。
内蔵太が柊と神戸へ向かう一方で、はつみが負傷したらしい情報は高杉にも届けられる。又聞きの又聞きで『はつみの背中に大きな刀傷』という事以外は何一つ物証も証言もない話であったが、伊藤が思っていた以上に高杉はこの話が気に入らなかった様だ。その後、伊藤には下手人を探し出す様指示している。

 下関戦争へ向けての藩論改革は紆余曲折ありつつも結局は『攘夷』つまり『応戦』の方向のままであった。伊藤らの緊急帰国と尽力も空しく、8月5日、ついに四国連合艦隊による報復砲撃、下関戦争が勃発してしまう。しかしすぐに高杉と伊藤は和平交渉役として8月8日に講和交渉の席に付き、途中俗論党に命を狙われつつも14日には見事交渉成立させている。
 伊藤の独断で呼び出しを受け、急ぎ神戸を出立していたはつみ達が下関に現れたのは8月17日の事だった。


 この日の内に伊藤は高杉との会合の席を設け、高杉は『鬼椿権蔵』という驚くべき変名を使って現れたはつみや龍馬とおよそ一年半ほどぶりに再会した。伊藤がはつみを『通訳』として呼んだ理由を(アーネスト・サトウの個人的な感情への推察は伏せた状態で)説明するのだが、高杉はそんな事よりもはつみが怪我をした経緯の方を聞きたがっていた。どんな話よりも興味深そうに
「何があった?」
 とはつみに詰め寄る。はつみは襲撃事件について柊の名前は伏せた状態で話したが、高杉は大人しく聞いていた様に見せかけ、犯人をぼかされたこの話には納得が行かなかった様だ。少し席を外すといって外へ出て行ったが、そのまま彼は帰ってしまった。



さて。ここからが本題である。

 翌日8月18日、はつみは伊藤の手引きにより朝からアーネスト・サトウと会っていた。
寅之進や陸奥達は揃って英国旗艦ユーリアラス号を望める場所からはつみを見送っている。はつみをサトウのところまで送り付けた伊藤はその後高杉と合流し、宿舎にて待ち合わせをしている坂本龍馬の元へと向かった。
「坂本君。来たぞ」
「おう高杉さん、んじゃ今日はどうするぜよ?」
 外国人たちの保護の為に一層警備が増強されている港付近ではあったが、手放しに護衛も無く歩く事は危険であり推奨されない。それでも龍馬に対し大砲を見に行かないかと提案する高杉に
「ほんなら行こうかえ。わしが護衛代わりじゃ」
 と龍馬自ら護衛を兼ねて同行し、伊藤と別れ、馬に乗り破壊された砲台を見に出かけたのだった。



 壇ノ浦台場では破壊された砲台と海を望む。
「知っておるとは思うが、砲撃戦争の前に都で戦が起こってな。久坂など多くの者が逝ってしもうた。」
「ああ…その時わしは都におったが、とても『都』とは言えん酷い有様じゃった。」
「御所に向けて矢を放つとは…正気の沙汰ではない。皆狂っておった。…師の言葉、そのまんまの通りにな」
 彼らの師たる『吉田松陰』の言葉は、彼らの心に今も深く根をはって生き続けている。師の教えは彼らを大いに思案させ、目を見開かせ、そして成長させ…その強力な響きに良くも悪くも皆が縛られていた。
しかし今回の禁門の変での朝廷側の動き、幕府の動き、そして下関戦争で身を以て知った『攘夷』の無謀さ。これらをどう受け入れていくのか、視点をどう転嫁させていくのかがこれからの長州の議題であると高杉は語った。その話に龍馬は深く聞き入り、
「海軍操練所は幕府の管轄っちゅう事にはなっちゅうが、高杉さんが世界を見るち言うなら、わしはいつでも協力しちゃるぜよ」
 と話す。高杉は『心強いな!』と笑い、マジメ話はここまでだと言い切ると
「今度は大マジメな話なんだがな」
 と切り出す。
「はつみの背を斬ったのは誰じゃ?…君は知っているのだろう?」
「大マジメな話ち…その事かえ?」
「何を言う。これ以上に知りたい事など他にない程に大マジメだぞ。」
 頭一つ背の高い龍馬の顔をジロリと見上げた高杉は砲台のがれきの上に座ると腰瓢箪を取り出し中身を一口煽る。そして
「で、どうなんだ?」
 とあくまで話を進めようとするのである。
「シラを切るんであればいくらでもできる自信はあるんじゃが…」
 と前提を置いた上で龍馬は答えた。
「はつみさん本人がそれを伏せようとしちょるき。わしの口からは言えんぜよ」
「むっ…」
「それに、この話はすでに本人間で決着をつけちゅうき。はつみさんがそいつに対し『昔っからおんしの言動には困っておるから直接話をしに来い、それでチャラにしちゃる』ちゅうてな。まっこと胆の据わった女子ぜよ」
 『はつみの中では済んだ話』なのだと言う事をちゃちゃちゃと笑いながら話す龍馬に対し、話を聞いた高杉は何か思い至ったのかしばらくしてから
「ああ確かにそういう女子だな」
 と言い、腰に下げた酒瓢箪を一口煽った。龍馬にもそれを差し出し彼がそれを煽ると
「ところで坂本君。君ははつみとはどうなったんだ?」
 と、これまた唐突に切り出した。

 先ほどは『いくらでもシラを切れる』と言った龍馬が「ふぇ?」と本音かワザとか素っ頓狂な声をあげる。
「抱いたのか?」
 高杉は続けてどうなんだ?と真正面に仁王立ちして訪ねてくるのだ。先ほどまでの開国だ日本の未来だ襲撃事件の下手人だといった話よりもよっぽど本腰を入れて訪ねてくる無遠慮さは、まるで魔王の様だと(誰かと同じ様に)思えた。
「いやいやですから、わしとはつみさんはそがな仲ではないき」
「まァだそんな事を言っとるのか?」
「まだもなんも、最初からそうですき」
 前にもこの様な押し問答をしたが、これについて高杉は『絶対に』意見を曲げるつもりはない様だ。それこそ、彼には「龍馬がシラを切っている」様に思えるのである。あくまで男女の関係でもないしそういう感情もないと言い張る龍馬に、高杉は酒瓢箪を奪い取りまた一口煽っては
「男子たるもの!」
 等と叫び始める。突然唄い始めた高杉に流石の『奇人』龍馬も唖然として彼を見つめた。

「『血道を上げてこそ人生の煌きたらん!』…あー三味線が無いと締まらんな」

「はぁ…」

「要するに『弱気が美人を得た例はない!』そういう事だ、坂本君」

「はぁぁ…」

 龍馬はへいへいと言わんばかりに苦笑していたが、そうやって仮面をかぶる彼の心に響いたであろう手応えを高杉も(勝手に)感じていた。…別に彼の恋路を応援するとかそういう事ではないのだ。ただ、はつみは出会った当初から高杉にとって妙な存在というか、得難い存在であるという意味では高嶺の花ともいえるべき人であったから、色々と気になるのだ。
 最初は、面白そうな女子だからいつもの様に可愛がって懇意にしてやろうと考えた。ある日『今日こそ触れてやろう』と距離を詰めてみたらとんでもない女で、高杉がどうしても逆らえない父親にさえも言われた事のない様な大説教をド正論の下にかましてきたのだ。何と小賢しくも憎らしく、そしてなんと輝きの強い女子かとも思ったものである。…実は他にも気に入らない事があってその時は『君とは相性が悪い様だな!』等と言って彼女を追い払ってしまった事もあったのだが…細かい事は(みっともないので)忘れた(フリをする)。
 …ともかく、それ以来、高杉ははつみを抱く事を諦めた(訳ではなかったが)。『輝きが強すぎるものには虫がよう集まる。抱いてもつまらぬ』などと考える様になったのだった。(言っておくが負け惜しみではない)

「高杉さんの言いたい事はようわからんけども」
「わからんのかい」
「あの船にアーネスト・サトウという人物がおったがじゃろう。」
「おお…通訳のサトウ殿か。おったぞ。」
 高杉のツッコミもそこそこに受け流し、龍馬は煌く海に浮かぶ英国旗艦ユーリアラス号を見やりながら問う。高杉は龍馬の隣に並ぶと、今度はユーリアラス号へ向けて堂々と仁王立ちをしつつ頷いて見せた。
「彼がどうした。」
「いや、はつみさんが楽し気に文通をしちゅうき、一体どがなお人なんじゃろうかと思うて…」
「…なに?文通じゃと?」
 聞き捨てならぬことを聞いたとばかりに高杉の視線が鋭く煌くのを、嫌な予感でしか受けられない龍馬。
「どういう経緯なのだ?」
「どうもこうも…去年の秋ぐらいじゃったかの?―」
「っく…どんだけの男と関わっておるのだ…魔性の女子めっ…」
 思った通り、嘘か誠か様子のおかしい高杉に遠い視線を送りながら呼びかけ続ける。
「あの~…高杉さんよ~…?」
「相分かった、相分かったぞ坂本君。それならばこの僕も文にて通じようではないか。はつみと。ん?どう思う?」
 自分より頭一つも背の低い高杉なのに、根っからの身分の良さなのかその性格故なのか、頭3つ程高い所から物を言われているかの如き勢いに『はぁ…』と鼻をほじらん勢いの龍馬。
「文通でもなんでもしたらええが、わしの質問はどうなっちゅう」
「はん?あ~、ああサトウ殿だな?そうだなシュッとして賢そうな、いい男だったぞ。まあ通訳としてその場におっただけだからな、彼自身の事は僕にもわからん」
 そこまで弾丸的に返答をして、『だがどうして、フーム』とばかりに腕を組む。
「あのしれっとした様子ではつみと文通を続けているとは、なかなかのヤり手かもしれんな。そもきっかけはたかが瓦版の如き紙切れにはつみの事が書いてあっただけだろう?どこの誰ともわからん女子を、そこからどうやって探し出したのだ?しかも自由に歩く事も難しい異国の地でじゃぞ?そうとうの執念が必要だぞ…」
 普段から割とよく話すし『つっこみ』も多い御仁であったが、今日、今の話題はことのほか彼を饒舌にさせるようだ。というか、こういう痴話話ができる様な相手―すなわち龍馬の様な存在―と久方ぶりに会えたのも、彼にとっては絶好の羽を伸ばす機会だったのだろうとも思う。
「いや~はつみさんはまっこと楽しそうに、素晴らしい人じゃと言うておったが」
「そうか、それで彼の事が気になっておったのだな?坂本君は」
 尻尾を掴んだとばかりに龍馬へ視線をやるとニヤリと笑い、愉快そうにまた仁王立ちをする。
「いいのか?今日、会っておるのだろう?あの船で。二人で。」
「そうですのう、今まさにあそこにおるがじゃろ」
 と返す。
「『鬼椿権蔵殿とは初対面のはず』だと聞いておったが…なるほど、俊輔がその様な段取りを取る訳だ。ふーむ、やはりあやつは何か知っておったな…。これは聞きださねばなるまいよ」
 クックックと、また一つおもしろき事でも見つけたかの様に含み笑いをする高杉に合わせて笑うも、視界の遠くの方で人気を感じた龍馬はサッと馬の手綱をとり高杉へ差し出す。
「まあ、続きは馬に乗りながら。そろそろ戻ろうぜよ」
「ああ~。うん、そうだな。まったく世知辛い事になったもんだ」
 刺客らしき者達の遠くからの気配に高杉も気が付いていた様だ。手綱を受け取り難なく馬に乗り込むと、
「いくぞ坂本君!」
 と言うなり馬を駆った。
 今回アーネスト・サトウと直接会えるかどうかも分からなかった龍馬は彼の事を聞きたかったのだが、講和交渉の席でしか会った事がなく『彼自身の事は僕にもわからん』と言った高杉の言葉ももっともだなと、自分を納得させるのだった。

 その後、高杉は龍馬に言われた通り『はつみ自身がが黙っている、或いは終わった事、と決めた背中傷の下手人』については不問とする事にした。その代わり、伊藤に対し今回急にはつみを呼びつけた事にサトウがどのように絡んでいるのか、また伊藤自身にどのような魂胆があったのかを聞きだした様だった。彼の行った事にどうこうという訳ではなく、単純にはつみとサトウの事が知りたかったのである。
 ある程度の経緯を聞き納得をした高杉は、翌日サトウがはつみ達の宿舎に招かれ楽しくしているという報告も受ける。すると身分の高い宍戸刑馬として講和交渉の席を共にしたというのに、その個人的な宴に参加するとも言いだした。
「いや~流石にラフ過ぎませんか?」
「らふとはなんだらふとは?」
「あ、砕けた…というか、軽いといいますか…」
「なるほど。おのしもはつみと同じ様な口ぶりになってきたよの。留学すれば皆その様になるのか?はっはっは」
 ともかく僕は行くと決めた、と言う高杉は、伊藤の額を人差し指でぴんと払い笑い飛ばしてやった。

 かくして翌日の夕刻頃、高杉は『宍戸刑馬』として、笑い声でにぎわうはつみたちの寄宿先へと酒を持参し現れる。
「長州の酒はどうだサトウ殿!」
「エエ、ヒジョーに美味だとおもいマス。少し、米の甘味ヲ感じマス。それがイイ。それに魚も大変オイシイです。」
 酒の場は高杉のカリスマによる独断場であった。はつみは二日酔いの上に手料理を頑張り過ぎたとあってダウンしているというのもあったが。
「おお!よく分かってるじゃないか!ははは、今日は長州の良いところをその胸に刻んでいってもらいたい。さて我らが長州はかの毛利元就公が―…」
「あ~サトウさん、お時間の方は大丈夫ですか?」
「まったく大丈夫デス。宍戸殿に日本史の講義ヲして頂けるトハまたとない機会デス。是非聞かセテ頂きタイ」
 サトウの、この時代における天性の外交官たる資質がフルに研ぎ澄まされた夜でもあった。高杉の謎の講義は夜遅くまで続き、突き合わされた龍馬や陸奥、内蔵太らはうつらうつらと船をこぎ、サトウの他寅之進は今も尚、まじめに高杉の話を聞き入っている。
「…早く帰りたいよ…」
 奥の部屋でずっと爆睡しているはつみの足元に苦笑を送り、伊藤はふぅとため息を付くのであった。
そしてこの夜の出来事は後日高杉自身の口から桂へと渡り、桂は早くの内からアーネスト・サトウに興味を持つ事となるのだった。







※仮SS