仮SS:嵐の予兆


 江戸の容堂公の元から放たれた佐幕派の上士・寺村左膳は単身京へと乗り込んでおり、土佐勤王派が望んで工作していた朝廷からの容堂召喚の勅令を延期させるなど、内々での工作作業を行っていた。その工作が成った事を受け急ぎまた江戸へと戻ろうとするその前に、『桜川はつみ』なる者との面会を望む。

 上士である寺村左膳は齢28にして国学に通じた秀才として江戸・容堂公の側用人として抜擢され、この頃は佐幕派の若き筆頭として容堂から重宝されていた。細身で控え目な印象の強い外見であったが、どこぞで手に入れたのか西洋の眼鏡の下に垣間見れる切れ長の目と細く整った眉、すっと通った鼻筋といった顔立ちからは非常に知的な印象を受けると同時に、相手の懐へは簡単に踏み込めない壁の様な者を感じさせる雰囲気があった。

 容堂公の御前で乾退助と時勢を論じたり、後の世においては後藤象二郎と共に大政奉還の建白書を作成したりと終始佐幕派として容堂の側にいた人物である。とはいえ、はつみも歴史上の人物としての寺村に関する予備知識は殆ど持ち合わせておらず、手前に静かに張り出された『壁』の雰囲気もあって、まるで吉田東洋と面した時と同じぐらいの緊張感を抱いてしまっていた。

 藩邸からの手紙を通し、念を押してか土佐藩邸ではなく料亭に呼び出されていたはつみ。この頃、はつみを『護衛』すると共に『監視』をしていた田中新兵衛は土佐に帰藩しており、もう一人同じくはつみを監視していた柊智も、日夜寝る間も無い程につぎ込まれている武市の激務を補佐する為、はつみと行動をする事は極端に少なくなっていた。その為動きやすいと言えば動きやすい状態でもあり、土佐においては『佐幕派』と言われる寺村からの呼び出しにも応える事ができていた。


 護衛としてついていた寅之進と以蔵は別の部屋で待たせ、緊張した様子で現れたしたはつみに対し、寺村は

「自分は容堂公のお側に仕えており、生前吉田東洋様からの文にてそなたの名をよく聞いた。」

 と、意外にも柔らかな好青年の如く響く声で話しかけていた。互いの挨拶もほどほどに、彼はさっそく本題を切り出してくる。

「今、容堂公は朝廷と幕府の為にと日々大変にご尽力され、それのみならず西洋諸国への対応についても意見を求められるなどしており、吉田様がおっしゃられていた様にそなたの様な識者がおればと思う。…聞けばそなたは自ら土佐を出てこの京へとやってきたそうだが…そなたにとってこの京ほど危険な場所はなかろう。何故、武市殿の傍におられるのか?」

 真に言いたい事、聞きたい事についてどう切り込むべきか腹の探り合いといった様子もあったが、吉田東洋がジョン万次郎に続く特異な才を持つ者としてはつみの事を気にかけ、山内容堂へと報告をしていたという事実が今の寺村の行動を後押しする根拠となっている様だ。そして、山内容堂の側近とも言われる人物からの接触は、実ははつみにとって非常に望ましい出来事である事は間違いない。

 武市の側にいる理由。それは武市の運命を変えるためだ。

 何をすればいいか正解を知る訳ではない。誰かに相談できる訳でもない。ただ、歴史を振り返った時、やはりキーパーソンとなるのは山内容堂公その人しか考えられなかった。

 結局のところ、その右腕でもあった吉田東洋を殺された容堂公と武市の距離感というのは、最初から最期まで、時勢を吟味する容堂公の掌の上で転がされている以外の何でもなかったという風に考えていた。しかしそのような『歴史』を知っているにも関わらず、今、結果的に吉田東洋暗殺を止める事ができず、藩主を担ぎあげて勝手に上洛を果たし、京の高貴な人々へ工作を行って朝廷を動かし、勅令を以て幕府や容堂公自身の動きを思うがままに制御するという事実が歴史通りに進んでしまっている。この致命的な現状の上でなんの後ろ盾もない自分に何ができるか考えた時、武市の側にいて、武市が思う容堂公の真の考えについて察知し、京での活動内容を修正をするきっかけとなる言動を繰り返す事だけだと考えていたのだ。
 武市への進言もなかなかうまくいかない現状ではあったが、もし、容堂公の方から武市に対する印象を変える機会が訪れたとあれば、それを活かさない手はない。

「私は、武市さんと容堂公の溝を埋めたいと考えています。」

「…溝を?」

 一言疑問を呈して返すに留めた寺村であったが、この返答だけを聞いてもやはり、この桜川なる男装の娘がまるで千里眼の様な俯瞰で物事の筋道を見極め思案している事を察する。はつみはじっと自分を見つめる知性溢れる瞳に内心は緊張を増しながらも、気を奮い立たせるかの様に改めて背筋を伸ばし、話を進める。

「はい。主には、開国に伴う西洋諸国に対する知識の強化や土佐藩の富国強兵、教育改革の必要性についての根本的な価値観について、お二人の間で共有できる事が増えればいいなと思っています。」

「…何故に?」

「それは…時世を混乱たらしめた将軍継嗣問題については一旦の区切りができていて、目下日本中を巻き込んで問題となっているのはやはり、開国騒動をめぐる朝廷と幕府の在り方だったり、西洋諸国に対して実際どのように対峙するべきか…つまり攘夷を決行するべきかどうかという所ですよね。そこの所で、土佐一藩としても一丸となって時世を乗り切る事が、結果的に誰にとっても大事な事だと思うんです。」

「うん…成程。貴女はそのようにお考えなのですね。」

 ―と、また『壁』を作るかの様な物言いで感想を述べ、更に『土佐一藩として』はつみの考えを引き出そうとする。

「情勢に対し土佐一藩を語る上で、何故容堂公と武市殿の『溝』をどの様に捉えているのですか?」

「尊王という思想や、真の攘夷というものに対する擦り合わせが必要なのではと思っています。でも武市さん個人との溝というよりは、今、藩主様と共にこの京へやってきた『尊王攘夷派』とする方達一人ひとりの考え方というか…。冷静に論理だてて時世を考えている人も勿論いる中で、少し単純に過激な方へと走りすぎている人達がいる事は事実だと思います。そしてそういう人達の挙動が、より過激で露骨な政治改変を望もうとする…。」

「うん…」

「帝が真に懸念されている事というのは、異国嫌いであるとか勅許もないままに修好通商条約を結んだといった事よりも、その条約の中身を深くご理解された故の非常に賢明なお考えによるものだと思います。世界の国々は国同士の条約などによってその関係性が成り立ち、保たれています。ですがどちらかに有利な条約を結べばどちらかが搾取され領土を奪われる側になる事も事実で。一度目の和親条約は了承なさったのに、二度目にして通商の条項が含まれていた修好通商条約に対して激怒され、攘夷を口にされたというのは、そういった事を特に懸念されての事だったと考える方が自然です。自分を尊王家だと言う人であればこそ、そういった帝のご真意を汲むべきなのではとも思うのです。そして、容堂公は既にその事を深く心得ていらっしゃるからこそ、朝廷と幕府との間で献身的に奔走なさっているのではありませんか?」

「うん…そういった見方も出来る事は、否定しません。貴女の意見は留意に値すると思います。」

(……これは……驚いたな…・・)

 西洋に対する知識、中でも真なる先進国として名高い英国や米国についての見識や語学力などはもちろん貴重な才であろうが、かの吉田東洋が、身分や女子である事すらも度外視してまでこの者を取り立てていた理由とは、まさにその地図全体を見下ろすかの様な俯瞰と先見の明によって理論立てた思想を語る所だった。生半可な男では顔負けの切れる頭脳、明朗な語り口も含めての事だったと、早くも実感し始める寺村。
 その上で、ある知己の事も思い出す。

「…所で少し話を変えますが、貴女は確か、乾とも知己の仲…でしたね。」

 どこか歯切れの悪い言い方をしたのは、乾もまた、身分や思想などを度外視でこの娘を娶ろうとしたり、よほど本気だったのか殊更吉田東洋からもその事をつつかれていた事を知っているからだ。そして何より、寺村家の親族が乾の姉と婚姻している事から、年に何度かは顔を合わせる様な親族関係にもあった。

「もしや、そのような話を彼にもした事があったのかな?」

「そう…ですね。東洋様とよく3人で話合いをしましたし、横濱へも一緒に足を運んだことがあります。」

 乾は子供の頃に難聴となってしまった事が災いしてか学問の方は捗らなかったものの、独学で孫子を学び、その地頭の良さと恐れ知らずで真っすぐな性根で喧嘩屋としても論客としても一目を浴びる人間だった。非常に敬虔な勤王家であり毅然と攘夷を唱えていた乾であったが、ここの所、その方向性がにわかに変わってきた事、彼の視野が世界に対する柔軟性を備えてきた事を、寺村は気付いていたのだ。そしてその事にはつみが関係しているのかと言われれば納得の能力を、今の会話で悟ったとも言える。

「ふふっ。寺村さんは乾とはよくお話になるのですか?」

「うん…最近は特に江戸詰めで毎日顔を合わせるからね。それに、彼の事は幼いころからよく知る仲だから、そういった意味でも多少は。まあ、気が合うって事はなかったのだけれど。」

「ははっ!確かに、寺村さんと乾は正反対って感じがしますもんね。ふふっ」

 とはいえ、寺村が少し『壁』を取り洗ってくれたかの様な話し方聞こえ、はつみは満足そうに笑う。寺村の方も思わず地を出しかけてしまった事に気付きすぐに表情を取り持ったが、先ほどまではあの武市の側女になっている様な娘でもあるからと構えていた心が不思議と懐柔されかけている事にも気付いてしまう。一時期城下で『今生かぐや姫』の噂が立ち上った事があったが、浮世めいた器量と言動のみならず、接した者を魅了するという意味でも確かにその片鱗はあるのかもしれないとも思う。更に言ってしまえば、これが彼女が持つ『策』である可能性すらあるとも言えるだろう。女の性を武器にすると言えば非常に下世話な話になるが、古来より女性の存在が政治を動かす事が度々あった事も否めない。
―その事を振り返り、寺村は再び姿勢をただし、態度を改めた。…この様に秀才肌な寺村であっても、女子が嫌いな訳ではないから、尚更の事だ。

「乾への影響も含め、貴女の事を私なりに少し理解する事ができました。良い話が聞けた例として、私からも一つ、貴女のお考えに足りていない点について忠告しておきましょう。」

 寺村の様子が少し打ち解けたように見えたため、はつみは改めて姿勢を正しながらも、少し油断した表情で彼の話を聞く。寺村は表情を崩さないまま、その声にはどこか冷淡さを含ませながら決定的な事実を冷静に述べた。

「吉田東洋殿は、天誅によって殺されました。」

 はつみの顔から笑顔が消え失せ、息をのむ様にその顔と肩をこわばらせたのは一体何によるものなのか。親しかった吉田東洋の不幸を改めて思い胸を痛めたのか、それとも、他に『何か』を知っているからなのか…。寺村は鋭く見据えながら、はつみに『忠告』をするのと同時にその表情から真意を読み取ろうとする。

「貴女が東洋殿の暗殺と同じ日に襲撃されたという情報も、江戸に入って来ています。貴女が『間者』ではないかという声は郷士達の間だけでなくこちら側でも懸念されている事でしたが、貴女も吉田様と同じ目に遭っていた事が伝わった事で、間者疑いの声は少なくなりました。ですが…亡くなった方は、もうお戻りになる事はありません。」

 静かに『忠告』を続ける寺村の声に、わずかな怒りが滲んでいる事を察するはつみ。そう、彼らにとって時世への対応と同じくらいに大切な事は、吉田東洋暗殺の犯人を見つけだし、吉田東洋の存在価値に見合った弔いをする事なのだ。
 誰が犯人であるかと言うべき時ではない。だが『忠告』という形でこの事を伝えてくれる寺村の真意を察するのであれば…やはり、容堂公をはじめとする佐幕派上士達は、土佐尊王攘夷派つまり土佐勤王党の仕業であると内々に舵を切っており、そしてその事を解決するまでは両者が真に打ち解ける事はないという事を暗に示しているのではなかろうか。

 更に、寺村は柔らかくも冷静な声で話を続ける。

「そして、大坂や京でこれまでに行われた数々の天誅、朝廷や高貴な方々に対する身分をわきまえぬ政治工作…目に余るものがあります。貴女が目指す道は、そういった犯罪行為や容堂公の御意思を無視した政治工作を踏まえ、上士も下士も、佐幕派も攘夷派もすべての者が納得するように調整された上で初めて成し得るものだ。その事を理解し、なおかつ女子の身で、それを成す覚悟があるのですか。」

 運命の流れを差し止めたいはつみにとっては痛恨とも言える『歴史通りの見立て』を真正面から投げかけられ、思わず言葉を失うはつみ。単身江戸から偵察と工作の為に『政敵の巣窟』ともなっている京へ送り込まれただけを見ても、彼の優秀さは容堂公による折り紙付きなのであろうと理解できるが、土佐を取り巻く状況を冷静に分析しながら把握している所を見ても、やはり彼は容堂公の推挙を受けて『参政』となり得る器なのだろう。

 はつみ自身にとっても、間近で血の嵐が巻き起こっている事に心を痛め目をそむけたくなる心情である事以外に、『歴史は変わっていない。武市の運命は歴史通りの結末へと向かっている』という危機感は抱いていたし、京へ来てからは尚更、その不安が日に日に大きくなるばかりだった。武市自身の事で言えばはつみの話を聞いてくれる事もあり、実際今も周囲の炎上を押さえながらも傍に置いてくれているという事は、何かが変わろうとしている兆しなのかもしれないと思う期待もあった。だが、彼の周りにいる人々が、勢いが、武市を歴史通りの舞台へと引き戻してしまう。そしてその勢いとは、明らかに吉田東洋を暗殺したあの日から巻き起こっているものなのだ。

 非常に重く、受け入れ難く…だが事実を的確に指摘し、生半可な事では到底成し得ないという道程に対するはつみの覚悟を呼び覚ます『助言』であった。

 言葉を失いながらも頭を下げ、辛うじて反応を示すはつみに対し、寺村はさらに付け加える。

「貴女の先進的な思想や視野の広さ、そして明瞭な語り口には驚かされました。ですが東洋様が仰っていた通り、どこか血肉が通っていない…。」

「…はい。東洋様にも、同じ事を言われました。」

 彼らの言い方を自分なりに言いかえるならば、それは『歴史を知っているからこその俯瞰と打算』と言えるだろう。

「貴女がその俯瞰の見方を越え、自らの才や行動を以て事を成そうとする時、私に役立てる事があるならばいつでも相談に乗りましょう」

 加えてどんな忠告をされるのかと思っていた矢先に思わぬ声をかけられ、はつみの表情がハッとあがる。寺村は流れる様な仕草で自然と視線をそらしながら、話を締めくくるかの様に背筋を伸ばして羽織の衿を整えながら言った。

「今日、貴女を知り得た事は京での大きな収穫の一つとなりました。ですが、何事も命あればこそ。ご用心なさい。」






※仮SS