仮SS:人斬り
R15微G


3月下旬。武市と市中を散策していると、壬生浪士組と名乗って市中警護を行う土方歳三、沖田総司らと遭遇した。

「あっ…寅之進……はつみさん?!」

「ーえ?あっ…!総司くん…!」

彼らははつみとは江戸遊学時からの知己であり、特に寅之進は土方や沖田も在籍していた天然理心流道場試衛館に通っていた同門だ。更に沖田となるとはつみに対し並々ならぬ私情を持ち合わせていた事もあり、本来ならば嬉しい再会となるはずだったのだが…。

野心の強い土方は、まるで獲物を見るかの様な視線で武市をじろじろと見ている。京での朝廷工作にて勅使を江戸に引き入れ、江戸城では将軍の御目見えにまでなったと名高い土佐勤王派の武市半平太。柳川左門という名で江戸入りしていた様だが、その実名は噂であっというまに広がっていた。また、かつては江戸三大道場鏡新明智流の桃井士学館の塾頭となり同情の品位と規律を立て直したとの逸話も、将軍御目見えとなったその噂に乗じて掘り返されている。色白で非常に長身の役者の様な男という風貌を聞き及んでいた為、勤王派の大物である武市であると気付いたか、疑っている様であった。

とはいえ、武市を捕縛する様な明確な罪状がある訳ではないのだが。はつみは歴史的な視点からも土方達の立場を理解していた為、武市と彼らを会わせる事はあまり良くない様なきがしていた。故に武市を土方から離れた奥へと追いやり、自らが表に出て彼らとあいさつを交わしてゆく。

一方の沖田は、はつみや寅之進とともにいるその大男が、かの武市半平太だとは気付いていなかった。ただ、何かを狙ってそうな土方と、少し焦った様子のはつみを見て、何となく場が宜しくないという事は直ぐに察した様だ。視線を合わせた寅之進とも、暗黙の了解で『今は良くない』といった合意がもたらされる。
 再会を喜び合うのも束の間、何か食って掛かろうとしてやりそうな雰囲気を出している土方を連れて去るしかなかった。


彼らが去り、武市は彼らについてはつみや寅之進に説明を求めた。江戸での同門であり知己である事を伝え、遠巻きに姿も見えなくなっていくのを見て『ごめんなさい』と視線を送るはつみに、武市が『俺の事は気にするな。会いに行って差し上げなさい』と言いかけたその時だった。

「武市半平太ァァ!!!」

 日常的な賑わいを見せる往来に、突如、殺意に満ちた鋭い声が響き渡った。突如往来で抜刀した男達が、殺気を纏って襲い掛かって来たのである。

「―っ!お逃げください!!!」

 一人は咄嗟に寅之進が引き受けそう叫ぶが、男達は3人。男の刀を抜き身に受け止めるもののがっちり組んでしまった寅之進の横を、残りの二人が通り抜けていく。


男の叫び声と妙などよめきが耳について振り返った沖田と土方は、振り返った先で刺客の凶刃が武市に向かって振り降ろされる瞬間を目撃した。武市ははつみを庇う様に彼女を背中にして一刀を受け止めようとしていたが、いくら日頃から鍛えらえた彼らの足を以てしても刺客の一刀が彼らを捉えるのに間に合うとは思えなかった。


武市は問答無用で抜刀する相手に対し静かに刀に手をかけたが…突然、はつみが武市の前に躍り出た。そして己の中の何かを捨てる勢いで躊躇い無く刀を抜き、相手を睨みつけている。その刀が妖しく煌くなり、はつみの戸惑うばかりだった気が凛とした剣士のそれに変わっていくのを感じた。

「武市さん、逃げてください!」

「何を馬鹿な事を…っ」

そんな彼女を咄嗟に引き戻そうとしたが、すでに剣戟が始まってしまう。はつみは江戸で少し剣術をかじったものの、その実力は『型で舞を踊る』かの如き絵空事の様な剣術である。決して熟達しているとは言えない。実戦で通用するわけがない。

「下がれ!はつみ!」

そう叫びながら、突如切りかかってきた相手の太刀を剣で抜いて打ち払う。武市が京に来て初めて…否、生まれて初めて、人に対して剣を振った瞬間であった。


…そして初めて知った。
人に対して刀を向け、ましてや振り下ろす事がどれほど恐ろしいかという事を…。



武市の中に、これまで暗殺を企てては切り捨ててきた者の顔が浮かんでは消えていった。後悔はしていない…だが己の刀に殺気の入った剣を受ける度に、これまで何度もはつみからいさめられ、その都度戸惑い、かみ殺していった一つの気持ちが急激に膨らんでいく。


『これで本当によかったのだろうか…?』


はつみの言うとおりにしていたら…
彼女が導こうとするところへ共に歩んでいたら…
人を殺める事もなかっただろうか。

学の無い以蔵に、暗に人斬りとして活躍させる事も、人を殺め排除する政策を行う事で、一番に信を育むべき容堂から目のかたきにされる事もなかっただろうか…


少なくとも、今はつみがその華奢な体で刀を振るい、
まさかこの自分を守る為に頬に切り傷を受けることも無かっただろう。




「―くっ…」

剣を下げた武市は瞬時に低く大きな一歩で刺客との間合い詰め、刀の軌道を塞ぐと同時に振り下ろそうとする相手の腕を掴み、そのまま身を翻してがら空きの胴に強烈な素手の一撃を見舞う。吐しゃ物を吐いて蹲るそいつを放り出し、すぐに背後へと逃したはつみの姿を探した。

「―はつみ!!!」

 武市の視界にはつみの姿が入ったその刹那、白い羽が数本宙に舞う中で勢いよく血しぶきが舞う。武市の目が恐怖に強張り、その場に崩れ落ちたはつみを躊躇うことなく抱き止めた。

「はつみ!おい!しっかりせえ!どこをやられた…どこをやられた…!」

 はつみを片腕の中でしっかりと抱き抱え、必死の形相で傷口を押さえようとその身体を探る。だが次の瞬間、悲鳴を上げたのははつみに斬りかかった男の方だった。

「―ぅぅぅぅぎゃああああああ!!!」

 はつみが斃れる恐怖と一体何が起こっているのかと反射的に滲む驚愕の表情で振り返ると、左腕の先を皮一枚繋がった状態でぶらぶらさせ、勢いよく血を拭きこぼしながら絶叫する男の姿がうつった。それを見て再びはつみの方へとみやると、彼女の左側にはかの最上大業物と言われた肥前忠吉―桜清丸―が抜き身の先端に血を滴らせて無造作に転がっており、はつみは酷い返り血を受けていたが刀傷を受けておらず、極限状態で相手を斬ったその衝動で放心状態となっている様だった。

「武市先生ご無事ですか!?はつみさんは!?」

「おい大丈夫か!!!!」

「はつみさん!?!?!?」

 寅之進や土方、沖田が駆け付けたのはほんの4歩5歩程度遅れての事であったが、襲撃の一幕は一瞬のうちに片が付いていた。武市は無論、彼の腕の中で真っ白な顔をして茫然としているはつみが無傷である事い一同が安堵した後、土方は周囲の人に奉行所へ通報するよう指示し、その場で斃れ或いは激痛に藻掻いている刺客たちの見聞を行う。本来であれば沖田を呼ぶべきだったが、はつみを心配する彼をできるだけそっとしておいてやろうという気遣いがそこにはあった。

 武市は腕に抱き止めたはつみにそっと声をかける。

「…はつみ…大丈夫か…」

「……武市さんは…寅くんは、大丈夫ですか…?」

「―俺は大丈夫です!」

「俺も無事じゃ」

 はつみの口から自分の名が出て来た事で咄嗟にそう返した寅之進であったが、彼は致命傷ではないものの腕に幾つかの刀傷を負い、はつみに作ってもらったケープも切り裂かれた上に自身の血で滲んでしまっていた。先ほどまで空を旋回していた白隼のルシが何処からともなくやってきて寅之進の肩に留まり、返り血に染まった羽を見て心配した沖田に怪我の有無を確認されている。ルシが今回もまた果敢に相手の頭上へと急襲する様子を、離れた場所から駆け付ける沖田は目撃していた。ルシがいたからはつみは自衛する事ができたのだ。
そんな様子を武市ははつみに無事を伝えながらも寅之進に目配せをし、寅之進が力強く頷いて見せた事やその表情から命に別条は無さそうだと判断し、再びはつみへと意識を集中させた。

「それよりおまんは。まこと痛い所はないがか」

「…大丈夫です…」

 辛うじて返ってくるはつみの声に一旦は安堵の表情を浮かべる武市であったが、今もまだ聞こえ続けている左腕を失った男の悶絶する声が、はつみの顔色を更に蒼白へと変えてゆく。力なく持ち上げた両手がぶるぶると震えだし、骨肉を斬り落とす際に刀から伝わってきた感触がまるで皮膚の下で蠢く無数の虫の様に這いずり回っている感覚に顔をゆがめた。辺りを漂う血の香りが、自分を殺そうと切り込みに来る男の顔と殺気を、骨肉を切り落とすその感触を、刻んだ腕の断面図を、より鮮明に思い出させる。

「……わたし…人を斬った……」

「……っ申し訳ありません…俺が、役立たずだから……」

 はつみの絞り出す様なか細い一言に、寅之進は己の不甲斐なさを痛感し、泣き出しそうな悔恨極まる表情で謝罪をする。沖田がその肩にそっと手を添えて首を横に振り、

「そんな事、はつみさんが思っている訳ないでしょう…。真っ先に身を賭して刺客に対峙した寅之進は、護衛の鑑だった…。そんな事を言ってはだめだ。」

 と、静かに、だが力強く諭旨した。これにはまったく武市も同意で、寅之進を真っすぐに見上げ、躊躇うことなくその意見を表明する。

「御仁の仰る通りじゃ。ようやってくれたぞ、寅之進。おんしがおらざったら、俺もはつみも命はなかったやも知れん。」

 不甲斐なさや申し訳なさ、そして自分を労ってくれる人達から得た小さな安堵感ゆえに、思わず涙ぐみそうになる目頭に力を込め、無言で歯を食いしばる寅之進。その傍らで、武市は腕の中のはつみが意識を失った事に気が付いた様だった。何度か彼女の名を呼び小さく揺さぶったが、はつみはその目尻からにじみ出た涙を一筋垂らし、カクンと力なく頭をもたげただけだった。

「ああ…はつみ……」

 腕の中で震えながら気を失った儚い恋人を、人目もはばからず包み込む様に抱き締める武市。不動の顔を悔恨の念に歪ませ、常に冷静で有らんと押さえ込んでいるその内なる情熱のままに、その目には涙が滲んでいた。

「俺は…まっこと、おんしに助けられておる……それなのに……」

 激しく対極する男達を前にいつでも言論のみで仲裁と和解に尽力し、あの以蔵に活人剣の精神を根付かせるほど、剣を頼りにしていなかったはつみに…。己の為に彼女を危険にさらしてしまっただけでなく、人を斬らせてしまった。
心に重くのしかかる後悔が、武市を押し潰していくようだった。





※仮SS