仮SS:身から出る錆


閏8月。突然、長刀を携えた華美な男に声をかけられる。江戸で付き合いのあった本間精一郎がはつみ達の前に現れ、江戸でのよしみで武市に会わせて欲しい等と言う。柊や新兵衛がはつみの素行や人間関係を監視していた事もあり、あえて彼らも交えての『堂々と座してゆっくり話をする』状況となるが、これが思わぬ事態を招く事となった。

 勤王草莽の志士として国々を奔走し、京においては高貴な方(公卿衆・青蓮院宮など)の元を出入りしながら多くの志士と交流する本間は、江戸にいる容堂と上洛中の土佐藩主及び武市ら攘夷派との間に軋轢があると考えており、『土佐の一藩勤王』に疑問を呈する様になっていた。柊が激怒し新兵衛も黙ったままじっと腰を据えて様子を伺う有様で、議論はもはやはつみそっちのけで行われている状況であると言っていい。

 利発な男には利発な男が。梼原村の神童として若い頃から安井息軒に学び短期間ながらも昌平黌にも推された柊もかなり弁舌が立つ人物であったが、本間も越後商人の息子でありながら江戸勘定奉行・川路聖謨に引き立てられ、そして彼もまた昌平黌を出た利発な頭脳を持つ。それでいて勝気でどこか相手を小馬鹿にする様な物言いの癖がある男であった為、柊とは必要以上の言い合いになり、隣で聞いていた新兵衛もだんだんと目が据わっていく様子が見て取れた。

 はつみはこの状況を見て初めて、歴史上の本間が『遭難』した理由が分かった気がした。

 何よりも、何かと事に付けて青蓮院宮などの名を出して強引に論破しようとするか、脅しとも取れる発言がかなり問題であると感じた。江戸で指摘した虚言癖は、この時世に公卿衆という強力な後ろ盾を得た事によって更に悪化している様に思われる。本間は、土佐の内部で一藩勤王が成っておらず、容堂公の采配一つで藩論がひっくり返りかねない状況を『公卿衆が』危惧しているなどと言う。その様な事を風潮している者がいるとすればそれは当然本間であると疑われても致し方のないぐらい恐れ知らずな発言で、この発言を機に柊や新兵衛の目の色が完全に変わった事を察知したはつみは慌てて間に入り込む。いや、これまでも何度も口を挟んでいたが柊に押し返されていたので、ここでは柊を押しのけてでも本間を説得しようと身を乗り出したのだった。

「本間さん、いい加減にして下さい!同じ尊王の思想を持つ同士でしょう?」

「嬢ちゃんこそ、その才を引っ提げておきながらいつまで武市殿の下にいるつもりなんだい?あんたが望むなら、尊い方々に目通りさせることも出来る。」

「そんな事、望んでません!」

「ま、だろうね。あんたはそんなナリをして男の世界に飛び込んではいるが、野心がある訳じゃあない。だが己の居場所は正しく選ぶべきだとは思うぜ。尊王攘夷と一言に言っても、やはり日の本全体と夷狄の出方を見極める知性が必要だ。わかるだろ?」

 そこまで言うと突然、人目もはばからずずいとはつみに近付いてきた。鼻と鼻が触れる程にまで近付いた本間はフと微笑み

「あんたにはその知性がある…。な?」

 と、吐息に絡めて艶やかに囁いた。はつみが目を白黒させると同時に寅之進が身を乗り出そうとしたが、それらの前に、以蔵と新兵衛の刀の切っ先が本間の喉元へと突き付けられていた。

「おおっと落ち着けよ。嬢ちゃんは来るわけないって分かってて、ワザと断られ…」

「俺はこいつを斬るべきじゃと思うが、どうするぜよ」

 本間の戯言などお構いなしではつみに訪ねた以蔵が、重い前髪の隙間から鋭いまなざしで瞬きすることなく本間を見据えている。新兵衛も黙ったまま、突き付けた刀をゆっくりと下げ、本間の胸元あたりの着物へ向けて刺さらない程度にグッと力を込めていた。
あくまでへらへらと『おいおい』などと言っている本間から慌てて離れたはつみは、歴史上では『人斬り』とも称された剣豪二人が揃って刀を突き付けている状況と、空気を伝ってくるほどに感じる殺気に震えながら、場を改めようとする。

「だっ、大丈夫です…二人とも、刀をおろしてください…」

 はつみの声を聴いた以蔵は相変わらず本間からは一瞬も視線を外さないままであったが、無駄のない動きで刀を収める。しかし新兵衛の方は刀の金属音を立てながら持ち手の角度を変え、その切っ先を本間の顎先へと押し上げた。大坂にて何某の血を吸った刀が、形の良い本間の顎先に付くか付かないかの所でぬらりと輝いている。

「…おいもこいつば斬るべきじゃっち思うでごわす」

 新兵衛の瞳にはもはや光が宿っていない様にも見える程、空気はひっ迫している。だがはつみは強張った新兵衛の肩にそっと触れ、解き放たれる直前の猛獣を優しくなだめる様に、感情を控えた声で呼びかけ続ける。

「お願い、新兵衛さん。こんな事で波風立てたら、何より武市さんに面目が立ちません。斬る事に大義がありません。」

「……」

 はつみの声は確かに聞こえているであろう、新兵衛の視線がにわかにはつみへと寄せられたかと思うとすぐにまた本間を正面に捉えて睨みつける。そこへ、驚愕と怒りが入り交じった様な表情を隠し切れずにいた寅之進が本間を押しのけ、自らが新兵衛の刀の切っ先に立ち向かってゆく。新兵衛の視線は真っすぐ刺す様に寅之進へと向けられるが、彼は眉間にしわを寄せ、精一杯に心を強靭にして人斬りの波動に立ち向かっていた。

「…はつみさんがそうおっしゃっているので。刀を収めてください。」

「……ふん。まあ、今だけは命拾いしたのお」

 寅之進にではなく本間に向けてそう吐き捨てた新兵衛はぶれない動きで刀を引き、鞘に納めた。内心息をつく寅之進に『ありがとう』と視線を向けたはつみは、その後改めて本間に向き直る。

「本間さん、どうして敵を作るような言い方をするんですか。」

「俺は全て、真実を述べているだけだ。」

「言い方の話をしているんです。相手を挑発する様な言い方ばかりして。相手を説き伏せられれば何を言っても言い訳ではないんですよ?せめて同じ勤王の思想を持ち合っているのなら、手を取り合って帝や朝廷をお支えしようという考えにはならないんですか?」

「そりゃなるさ。土佐が本当に『勤王』を掲げて上洛をしたんならな?」

 懲りずに火種をぶち込む本間を柊と新兵衛がぎらりと睨みつける。本間はしれっとした様子で立ち上がり、乱れた羽織を肩にかけ直すと『あーあ、つまんねぇな』と言いながら首の凝りを取る様にぐるりと回し、最悪の空気の中でこちらを見上げてくる各々の顔を見てから更にはつみへと視線を送った。

「東西南北色んな藩を回って『同じ勤王の思想』を持つ御仁と話し合ってきた。だが、あんたらも知ってるだろう。土佐の勤王派の首魁であられる武市殿は、今年の春先に関所まで来た俺と会おうとはしなかった。吉村虎太郎が武市殿へ報告に行ったはずだろう?」

「……それは…確かにそうだったけど…」

 そうなのか、と明確な反応を示したのは新兵衛だった。柊へと視線を送ると、それに気付いた柊は難しい表情をしたままやむなしとばかりに頷く。

「しかしあんたには会わないとのお考えに至った理由があるはずだ」

 と返すが、

「『同じ勤王思想を持つのに手を携えよう』とはしなかった、という話をしているんだぜ。そっちが言い出したんだ。ガキみたいな言い訳なら他所でやんな」

 と鮮やかに切り返されてしまった。その場にいた誰もが、返す言葉もなかった。確かに、あの頃の吉村虎太郎は必死に武市を説き、各国を巡り勤王の志を持つ高名な志士達や公家衆の知己も得ていた本間を合わせようとしていた。しかし会わないと決めたのは武市の方だったのだ。理由は彼のみぞ知る所でありはっきりとはしていないが、結局、吉村虎太郎はこの本間精一郎を始めとするいくつかのツテを頼って間もなく脱藩をしている。そしてその結果、本間は土佐勤王派よりも一歩も二歩も先を行き、京師の高貴な者達の後ろ立てを得つつ同調する志士を集め、成すべき事を成そうと画策している。
 土佐には土佐の事情があり、彼に合わせなかった事が失敗だったという事は決してないが、その様に大口を叩かれた所で返す刃がないのだ。

 ただ一つ言える事は、彼は天狗になっていると言っても過言ではなかった。虚言とも減らず口とも言えるその姿勢を改めなければ多くの恨みを買い、やがて身を滅ぼすだろう。


…すなわち、歴史通りの顛末を辿ってしまうだろう…。


 本間はフゥと息をつくとはつみの隣に歩み寄って膝をつき、頭に手を置き紙を撫でてからするりと頬へと手を滑らせた。

「いつでも会いにおいで。もちろん、武市殿と一緒でも、俺と二人きりでも構わないぜ」

 そう言って頬を包んだ指でぷにぷにと頬の感触をたのしみ、そのまま立ち上がると男達を振り返る事なく颯爽と部屋を出て行ってしまった。





※仮SS