仮SS:女の道にあだたぬ者


 武市が出立する前日。旅の準備も終わり、あとは明日の出立を待つばかりであった武市は、先日の『袋のねずみ』事件以来寓居から姿を消したはつみの事を考えていた。

 寅之進からの報告によって彼女が『白蓮』という料亭に寝泊まりしている事、つまり無事でいる事は把握していたが、彼女の無事が気になってこんなにも散漫になるとは思ってもいなかった。明日、自分が江戸へ旅立てば、京で何かが起こった際の報告ですら、数日も経ってからでないと把握する事もできないのだ。果たして本当にそれで良いのか…と考えていた矢先、自室の外から声がかかる。

「…武市さん。はつみです。」

「―っ!」

「入ってもいいですか?」

 思わずハッとして、柄にもなく反射的に立ち上がってしまう武市。気を取り直して座り直すと、落ち着いたいつもの様子で『入りなさい』と声をかけた。
 神妙な面持ちで入室してきたはつみは、まず、厚意で寓居内での居場所を提供してくれたにも拘らず勝手に出て行った事を謝罪する。その事に関して武市が不快な思いをしたと言った事はなく、ただ、心配していた事を伝え…二人の間には、なんとも言えぬ複雑な沈黙が漂う事となってしまう。はつみは意を決し、此度の江戸東下について同行させて欲しい事を率直に願い出た。理由は、ただ、武市の傍にいたいから。何か力になれる事があるかも知れない、襲い掛かる災難から守る事が出来るかも知れない、何か…何かできるかも知れないからだと、ただひたすらに述べる。

 武市は、はつみが歩もうとする道が到底娘子が歩む様な道ではなく、寧ろ極めて険しく、時に傷付く事も覚悟せねばならないものである事を説く。はつみはそれらを遠の昔に理解した上でこの京へやってきたと告げるが、さらに武市は、

「じゃが、おまんであれば良縁にも恵まれよう。これ以上『こちら側』へ足を踏み込めば、女子としての幸せは、二度とやって来ぬやもしれぬぞ。」

 と留めの問いを投げかける。はつみは俯き唇を真一文字に結ぶ様子が垣間見られたが、そこから顔をあげると、困ったような、悲しい様な、切ない様な表情で、真っすぐに武市を見つめながら返して来た。

「…これ以上、言わせないで…武市さん。」

「………」

 口にしてはならない。そんな想いがあるのは、まさに武市も同じであった。決して受け入れられる事はないと分かっている想いを貫くはつみの視線に、武市は推し負けてしまうかの様に思わず視線を落とし逸らしてしまう。額に手を当て、高揚しているであろう顔を隠しながら、鼻で深く息をついた。

「……寅之進と以蔵を常に同行させる。それが条件じゃ」

「え?」

 思わぬ返しを受けたはつみが、久方振りに眉を上げて問い返す時の表情を見せてくれたことにすら、内心安堵感を覚える程、彼女の事が心から離れない様になっていた事を自覚する武市。実際の所、江戸と京で離れ離れになり、彼女の危機があった時に駆け付ける事はもちろん、その安否を手元で確認さえも出来ない事を憂いていたのが本音なのだ。
 彼女の覚悟は女ながらに尊敬にさえ値するものであり、

「…江戸行きの手形を発行する。期限は、俺らが京へ戻ってくるまでじゃ。」

「―っ…!はい…!」

「ただし、無茶はするな…。必ず、何処へ行くにも、宿に泊まるにも寅之進と以蔵を控えさせろ。ええか」

 はつみは泣き出しそうな笑顔を浮かべ、大きく頷いて見せた。

「はいっ!…へへっ。心配性なんだから、武市さんは」

「……おまんがそれをいうか。」

 はつみの笑顔を見れた事も、そして自分が『笑った』と実感できた事も、久方振りの事であった。



『女の道にあだたぬ』とは、出会った頃の武市から『人の道とは』と小言を言われるたびに言われた事であったと、はつみは思い返す。人に相応しい道があり、それを外れるべきではないと。現代人としての価値観を色濃く持つはつみにとって、自分がしたいと思う格好をし、学才を磨き、時勢について語る事が『女の道を外れている』と自覚を持つ事はかなり窮屈な事ではあったが、幕末の人の価値観としてそういった考え方があるという事は理解できていた。…だが今は、武市も、自分も、お互いの事を思って正反対の事を言わんとしている現状に、悲しいかな、すれ違いの様なものを感じ取っていたのだ。

 武市は、はつみが自らの道を行き『武市を守りたい』という意思を尊重してくれた。

 そして自分は、武市の運命を変える為に手段を択ばず思考を重ねた結果として、『女としての武器』を以て江戸へ行く事を決めた。

 そう、手段を選んでいる余裕などないのだ。



 はつみはこれまでにない程の決意と覚悟をその旨に漲らせ、江戸へ黙々と向かう旅支度を行うのだった。






※仮SS