仮SS:漢気 乾編


『武市、桜川、池田、往来にて刃傷沙汰』との報は各方面へと飛び交い、当然武市の周りでは勤王派の者達が気を貼らせていたが、寓居からはむしろ人を払っていた。はつみも白蓮に預けられ、体調に問題はないものの心労故か眠りについており、寅之進らがその看病をしている状態だ。


今回の件は、かの会津公松平容保より市中警護の任を預かっていた壬生浪士組が松平公の名のもとに奉行所に話を付けてくれた事で一見の落着を見せてはいたが、犯人は3人とも佐幕派と言える浪士連中であり、明確に武市への殺意を以て襲撃を決行したとの事だ。その後の処分については任せたが、これは言わずもがな氷山の一角に過ぎない。武市にとっては決定的とも言える程の衝撃的な事件であった。

もはやはつみが自分と共にいる事がすなわち安全という事は全くなくなったという事だ。

他にも物思う事はあったが、事ここに至り早急に考えねばならない事ははつみの身の安全だ。どうするか…と一人思案していた時、夜遅くであるにも関わらず寓居に来客の気配があった。柊が取り次ぎ、部屋に通されてきたのは、なんと上士の乾退助であった。

事件を聞きつけたその日の内に、容堂の側用人でありながら強靭な尊王思想を抱きつつも、これまで武市ら勤王派とは若干相容れぬ存在であった乾退助までもがこうして現れる。乾はこの方勤王党員からは『勤王派の皮を被った容堂寄りの間者ではないか』と疑われる声が上がっており、武市はむしろ軽率に事を起こすなと釘を刺していた所だ。今回の事件を受けてこんなにも早く、しかも夜分にたった一人で駆け付けて来たという事は、やはり少なくとも佐幕派の人間ではない様に思われたが―開口一発目で怒鳴ってきたその要件は、武市の思案を遥か斜め上にいく、何のひねりもない真っすぐ極まる苦言であった。

「二度ならず三度もあやつを守れなんだか!一男子としてまったく共感に値せん!」

 突然の罵声に一瞬言葉を失う武市。乾は構わず続ける。

「おんしがその様に自己の正義でのみでしかあやつを見てやれぬのであれば俺があやつを奪うが、異論はないな!」

江戸における例の取引を以てはつみの覚悟を心身に受け止めていた乾は、彼女の尽力を知る由もなくどこまでも自分本位な武市の体たらくに我慢が成らず、派閥や思想など関係なく、ただ一人の男として武市に怒鳴り声を浴びせていた。部屋の外で控えている柊が思わず肩をすくめているのが武市の視界にも移り込む。

とはいえ、今回の件に関する苦言は甘んじて受けようとも、突然『奪う』などと言われては流石の武市もむやみやたらに受け帰す訳にはいかない。乾にどういう意図があっての事かは理解できないままに、武市は乾に対し語気を強めて真っ向から乾に返した。

「至らぬ不手際があった事はごもっとも。弁解の余地も御座らん。じゃが、自らの才を以て女の道にあだたぬ険路を選んだ者の行く末を、男の一存でいかようにも操れると思うたらそれこそ傲慢では御座らぬか。奪うも奪わぬも我らが論議するところの事ではない。あやつの意思はどうなる。」

一同武市の反論に息を飲みつつも、はつみは女だったという真実を聞いた内蔵太は口を押えて尚の事唖然としていた。

武市の言い分に対し乾は、『はつみが女にあだたぬ道を選びながらも女の性を取引の対価として捧げ、武市の為に心身を投げうった』という紛れもない事実を以て進言している。ただはつみの名誉の為にその全てをここで告げる事は憚られ、故に乾は、やり場のない怒りに拳を震わせるほど激情を露わにしていた。

「…まっこと…意思だの覚悟だの、その口がよう言う…。おんしは何ちゃあわかっちょらん!愚か者が!!!」

 少し前までは口論にしても武力行使にしても喧嘩っぱやいと有名な乾であったが、それでもここまで激情を露わにし声を荒立てる彼を見た者はそうはいないであろう。少なくとも武市や今周囲にいる者達は見た事も聞いた事も無かったし、乾がここまで核心的に避難してくるには、それを裏付ける自分の知らない何か、乾には言えない何かがあるのかも知れないとも思う。


嵐の様に突然現れ凄まじい轟音を立てながら去って行った乾であったが、彼が遺した爪痕は、一縷の望みにも気付かせてくれていた。

はつみの周囲には『ありのままの』彼女を守らんとする者、彼女の思想や価値観も含めてより深く共感しあえる者が多くいる事だ。身分や立場、思想も勿論大事ではあるが、何より厚い人望は、時には全ての価値観を越えてでもその人と人を結ぶ強靭な絆となりうるという事は、今となっては自分とはつみの関係を以て、己が一番理解している事であった。

もはや明白に下士攘夷派への弾圧に舵を切っている容堂公との対決、雇い人不明の刺客による襲撃。あまりにも多くの不安定要素を抱える自分でなくても、彼女を守り、彼女の道を共に歩める者へ望みを託すしかないと考えていた。。






※仮SS