仮SS:思想違え何する者ぞ


1月末頃。

 一時土佐へ帰藩していた武市が再び京へと戻ってきた。早速容堂との直接対決かとも思われたが、ここにきて高熱を出し再び寝込んでしまったと、はつみが滞在している白蓮へと新兵衛が報せに来る。姿を消した以蔵の事もあり、はつみは寓居へ駆け付け、柊達のきつい視線を背に武市の看病に取り掛かる。こればかりは、男手が看病するよりもよっぽど効率的だった。

 武市は病床にあったが、駆け付けたはつみに対する武市の態度は意外な程に優しいものであった。ぎこちなさはあったが、それがまた一層、躊躇ってしまう程心に突き刺さってしまう。それは、昨年江戸から戻って以来はつみとの距離を感じていただけに、理性では抑えきれない武市の心が漏れ出た結果だった。

 ある日、快方へ向かう兆しが見えた武市に対し思い切って建言を行う。もはやこういう時でしか二人で話せる様な状況は持てなかったと言っていい。武市は日本中の尊王攘夷派から一目置かれる存在となっており、長州派もちろん、かの雄藩であり独自の路線をいく薩摩藩でさえ、その動向に逐一目を配る場面がみられるほどだ。

 つい先日も、藩主豊範が土佐へ帰ったのと入れ替わりに京坂へ入った容堂公が、15人程の土佐下士達を呼び出し『軽格の身でありながら京の高貴な方々へ直接政治周旋を行うとは何事か!』といった大叱責を放ち、諸々禁止とする条例を張り出した。にも関わらずその翌日には武市の右腕・平井収二郎が3日間に及んで周旋活動を行い続け、いよいよ容堂の逆鱗に触れて一切の活動を禁止されてしまった。
 藩主の名において命じられていた下士たちへの探索方等の役目を全て解任し、今後一定期間、帰藩した下士達の再入京を禁ずると言ったふれまで出した。

 はつみは一連の流れを改めて丁寧に武市に説き、その打開策として、再度…再度の開国富国強兵論か…もしくは脱藩をし、藩の外から時勢を動かしてはどうかと説く。尊王の志を忘れる訳ではない事を説き、まずは姉小路公知が勝海舟から説かれた摂海防衛策についてを詳しく話を聞いてみないかなど…。武市の意思や思想が明確に変わる事はなかったが、はつみが知る歴史とは違う兆しが現れている事に気付く。解れた糸の繊維ほどのか細さではあったが、彼の運命を変え得る希望が持てた事ははつみにとって非常に大きな事であった。

最終的に

「自分はたとえ思想が違い突き放されようとも武市の命を守ろうとする者である。絶対にあきらめない」

と言い残して去った。

部屋に残された武市は一人、天を仰ぎ深く息をついたのだった。







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