仮SS:添わぬうちが花


 閏8月。翌日からの復帰を決めた武市の元に、この夏、武市と義兄弟の契りを結び、時にはつみと行動を共にする事で彼女を『護衛』しそして『監視』を続ける田中新兵衛が改めて顔を出しに来た。新兵衛が武市と交わしたかった話の本題は別にあったが、病の件、そして今は席を外しているはつみに関する雑談が進んでいく。

「はつみどんが兄さぁの世話をしちょったでごわすか」

「ああ。柊と寅之進にも世話になった。」

 茶を飲みながら答える武市に、何ら変わった様子は見られない。いつもの落ち着き払った、武士の品を備えた風貌だ。しかしなればこそ、新兵衛には武市に聞きたい事があったのだ。

「はつみどん…あれはおなごでごわすな」

「―っ!?」

 飲んでいた茶を拭きだす―という事にはならなかったが、それに近い反応をしてしまう武市の堅物な性格が現れていることを新兵衛は感じ取り思わず眉間を開いてしまい、すぐに微笑を隠そうとした。だがそれと同時に、やはりあのやけに見眼麗しい女男が『女』であったという事を確信し、それはそれで複雑な思案事が溢れてくるのも感じる。

 武市などは元より知っている通り、日頃から基本的に男装をしているはつみであったが、事ここにきて大坂にまで追いかけて来てからはかなり気合の入った男装を心掛けている様ではあった。彼女なりに思う事があり、その性を隠しているつもりでもあるのだろう。だが、優れた剣豪である新兵衛は身体の動きなどからしてはつみが女である事をとっくに見抜いていたのだった。その上で、『真面目』を絵に描いた様な人柄である武市にも女を嗜む一面があるのだなと常々思ってはいたものだ。

「兄さぁとはつみどんは男女の仲ではないでございもすか?」

「…違う。俺には土佐に正妻がおる。」

 豪胆な性格の新兵衛から真っすぐに投じられた質問に一瞬どもりそうになるのを何とか堪えた武市は、表向きには表情を崩さず冷静に答える。しかし『冷静さを保とう』とする時点ですでに冷静でない自分の本心を自覚してしまっており、やはり他では経験する事のない心臓の高鳴りなど身体的変化を抑え込もうとする。そしてまた冷静さを保とうとし…という繰り返し。新兵衛はそれを見抜いてか見抜かないでか、腕を組み更に問うた。

「…兄さぁ程の方ともあれば、妾として囲えばよか」

「望むところではない。」

「はつみどんが拒んじょっとか?」

「拒むも何も、そがぁな関係ではないちゆうちょる」

 印象通り『真面目を絵に描いた様な人柄』だが、ここまで堅物だとは思ってもいなかった新兵衛は、図らずもその人間性に触れてまたもや微笑みを押し殺そうとして咳をする。それが演技だと気付いていた武市は何も言わず、煙管に煙草を詰め、火をつけた。妙な間が出来たが、はつみの話は無かった事の様にして『…他に何か用があったがじゃろう』と言う武市に、新兵衛は改まった様子で胡坐を組み直し、

「…まあ、男女ん恋は沿わんうちが花ちゆうでごわすか」

 と、あえてしつこく話を続けた。

「新兵衛、ええ加減にせんか。今最も大事な時に浮ついた話で皆の士気を下げとうないき。」

「そいじゃっと、おいはどげんしたらよかこつか。こんまで通り、はつみどんのこつは監視と護衛をすればよかでごわすか」

「…ああ。」

 武市は煙管を灰受けに置き、こちらをじっと深堀する様な視線を送ってくる彼に視線を返す。

「何ぞ、思う事があったがか?」

「いや、はつみどんに不審な動きはなか。ただ、土佐藩もようやっと上洛となりもした。ここらでの動きは大坂とは違い、時勢に直結すっち思っちょ。」

「うむ」

「もし、はつみどんがおいの前で妙な動きをしたとあれば、兄さぁに報告すっ前に、その場で斬っちょるやもしれんでごわす。」

「……」

 はつみを『監視』する新兵衛の

この数か月ですでに数名を天誅にかけた新兵衛が言うからには何とも言えぬ凄みもあったが、新兵衛が伝えたいのは『その時が来ればはつみを斬る』といった宣言ではなかった。

「そげんこつなる前にはつみどんを土佐に帰すか、それこそ兄さぁが囲って奥向きにすっこつはできんでごわすか。…兄さぁやったら、どげんでも出来もんそ。」

 つまり彼が言いたいのは、大義の為にはいくら武市の『想い人』であっても切り捨てる必要があると考えるから、そうなる前に疑いの芽には対処しておいた方がいいのではないかという再三の話であった。
 新兵衛は一見はつみともそれなりの付き合いをしてはいるが、当初の目的である『監視』とその先にある疑惑を忘れた訳ではない。だが土佐から身一つで武市を追いかけて来た妙に見眼麗しい青年であった桜川はつみが実は稀有な才覚を持つ女であったと確信し、病の為に数日対面謝絶となっていた療養中もそのはつみを手放さなかったという事実を受け、武市の真意や意思を確認しにきたという訳である。
 新兵衛の言わんとするところを察した武市は顔色を変える事ないもののふいに視線を落とし、煙草を燻らせると長く細い息をついてから答えた。

「あれは元々土佐のもんではないき…俺に出来る事があるとするならばあ奴の護衛を外し一人放り出す事のみじゃが、そこまでする道理は今のところはないち思うちょる」

 土佐勤王派、土佐勤王党の真の盟主として常に毅然と立ち振る舞い、あまり私情を込めて話をせず明瞭な語り口で聞き手を引き込む武市であったが、今回どうも釈然としないのは『一人の男として』の私情がちらつくからに他ならない。本能的に込み上げてくる私情が『大義や貞操観念に取って代わってはならない』とする誠実すぎる面と鬩ぎ合い、彼を決して素直にはさせないのだろう。その堅物さは下手をすれば妻以外の女は知らないのやも…とも、新兵衛には想像がつく。

 世の中の女遊びはもとより、妾や愛人などといった話も多々ある中、本来ここ日本では一夫多妻は認められておらず、男女の不義密通つまり不倫浮気も幕府が定めた『御定書百箇条』にて罪と認定され、場合によっては『不義をはたらいた男女もろとも死罪』ともされている。特に、武士の階級に属する者の配偶者には極めて厳しい刑罰や斬り捨てが下されることも珍しくはなかった。ただ、武士や家主の不義については不問とされることも多く、特に子を成していない武市には妻以外の女を置く事を勧める者が多いのも、こういった背景があっての事である。

 真面目を絵に描いた様な清廉な武士が、この様な理由から女を傍に置く事のみならず外で子を作る事を『不義』として嫌い、正妻に対し誠実に向き合っているという事自体、珍しくはあるがあり得ない話ではない。美徳として子孫に語り継がれるべき精神とも言えるだろう。だがそれ故に、武家としての習慣に極めて忠実に倣うあまり恋や女を知る事もなく、家同士の婚姻として本妻を迎えた武士が『本当の恋』を知った時、その本能的な感情をどのように理解し、込み上げる衝動をどこまで抑え込む事ができるのか。

―この『清廉な武士』こそ、そのまま武市に当てはまるだろうと新兵衛は見立てている。はつみへの想いをいかに問い正したとて、武市が率直にそれを語る事はほぼあり得ないだろう。彼自身が、溢れ出そうになる胸の内の感情を『不義』と認識し、押し留めようとしているのではとさえ考えた。
 それに、女性蔑視の文化が色濃い薩摩に生まれ育った新兵衛であっても、時として女は『その利用価値』によって、藩を、国を、時代を動かしかねないのも確かだと思う。いや、蔑視しているからこそその女性の人生などお構いなしの『物扱い』めいた発想が定着しているとも言える。現に、江戸から最も遠い外様藩でありながら幕府に深く関与し続けた薩摩はまさにそうする事で生き永らえて来たと同時に、藩内外においても女を巡る血みどろの騒動が起こっている。そう考えれば、女の存在も時と場合とその身分によっては、時勢や政治に大きな一石を投じる存在となっているのが現実なのだ。

 武市にとってのはつみという存在が、強靭なその精神を波立たせる一石のような存在なのだとしたら、いかな人斬り半兵衛と言われる程『斬り慣れて』いるとはいえ尊敬する義兄弟の想い人と思わしき女を斬る事は…大義の為とはいえ、極めて後味の良いものではない。できるならば、監視だのなんだのと言う前に彼女を囲っていっその事孕ませ『女の道』を歩ませるか、武市の力を以て京阪から遠ざけて静かにさせる方がよっぽど安心なのではないか。という所まで進言したかった。


 …だが、武市の心中を察するほどに、自分の考えが単純で浅はかだとも思い知る。『清廉な武士』である武市の強い信念とはつみへの微妙な感情が交錯する中で、軽々しく口を挟むべきではないのかもしれないと。武市の立場や性格を考慮すれば、下手に助言を加えれば加えるほど、その想いを抑え込もうとする彼の意志が却って強まるかもしれないと思い直したのだ。

…そういう意味も込めて、新兵衛は今一度この言葉を述べた。

「…やっぱい、男女ん恋は沿わんうちが花ちゆうでごわすなあ」


 先程までの前のめりになる様な問答の雰囲気から突然切り替わり、半分冗談めいた言葉でまとめようとする新兵衛に対し、武市は何の反応も示さなかった。ただ黙って煙草の吸い殻を灰受けに捨て、しかし、新兵衛が言いたかった事をなかば察していたかの様な間合いを置いてから改めて言葉を放つ。

「…これからも頼む。じゃが…はつみが間者であると掴んだ時は、俺に一報を入れて欲しい。…あやつの事は何であれ、俺が全ての責任を持つつもりじゃ。」

「…わかりもした。」


 桜川はつみについて全責任を持つという言葉は、真摯に真っすぐ建言をしてくれる新兵衛に対する精一杯の『真実の返答』だったのかも知れない。自分を追いかけてやってきた男装の娘を追い返す事なく保護しているのは、何よりも武市の意思によるものだという、その証言とも聞こえる言葉。
新兵衛は二つ頷いて理解を示し、気を取り直すと、元々情報収集していた『本間精一郎』について話し始めるのであった。





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