―表紙― 登場人物 物語 絵画

江戸取引2





※仮SSとなります。 プロット書き出しの延長であり、気持ちが入りすぎて長くなりすぎてしまった覚書きの様なもの。
途中または最後の書き込みにムラがあって不自然だったり、後に修正される可能性もあります。ご了承ください。



 12月の始め。およそ1か月に渡って待たされた勅使達はようやく将軍・家茂と会見するに至った。その場には柳川左門と名乗る武市も同席し、将軍の目見えとなっている。はつみはそんな武市に対し『もはや自分の言葉が届く様な人ではないのかも知れない…自分の都合で彼の運命を変えるなんてできないのかも知れない』と思いながらも、乾退助との『取引』によって得た最大の好機に対峙しようとしていた。
 …かつて自分を引き立てようとしてくれた参政・吉田東洋。その東洋を己の右腕の様に起用していた土佐前藩主・容堂公との会談である。

 武市の運命について容堂との確執が最大の壁となるのなら、そこに何かしらのきっかけを築きたいとの一心だった。乾の好意を利用した形で『取引』したのも、その為なればの事である。しかし、時代の傑物・容堂を前にしたはつみは自分のペースで話をする事はできず、ただ容堂の知己を得ただけの会合となってしまっていた。

 容堂公が乾によるはつみの斡旋を受けたのは、その気鋭さを気に入って傍に置いている乾が斡旋してきたからというのも勿論あったが、他でもない亡・吉田東洋が彼女に注目していたからだ。土佐での聴取や交流における報告はしっかりと容堂の元へとあげられており、これを機とばかりに容堂は『開国富国強兵』『産業革命、殖産興業』『海外貿易』『教育』などについてはつみに訪ねて行く。

 とはいえ容堂公においては、ここ数日、土佐尊王攘夷派が事後報告で取り付けてくる朝廷との関りと幕府、佐幕派大名間での調整や会合、長州絡みの炎上対応などでキリキリ舞いであった心情の癒しともなる会談であった様だ。気を良くした容堂公は、土佐出身漁師でありながらアメリカへ渡り、帰国後はその語学力と西洋知識を以て幕臣へと取り立てられた中浜万次郎、はつみにとっては『ジョン万次郎』の名で知られた人物が記した『英米対話捷径』を賜り、大変上機嫌な様子で『励めよ』との言葉を下され……それで会合は終わってしまった。
 はつみはもっと武市と容堂公の間が自然と狭まり認め合えるきっかけとなる様な話題を切り拓く予定であったがまったくそうはならず、彼女が思う様な話ができず浮かない顔で出て行ったのを、乾は黙って見送るしかできないでいた。





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