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時務を識る者は俊傑に在り





※仮SSとなります。 プロット書き出しの延長であり、気持ちが入りすぎて長くなりすぎてしまった覚書きの様なもの。
途中または最後の書き込みにムラがあって不自然だったり、後に修正される可能性もあります。ご了承ください。



12月、乾の思想は変わらず『尊王攘夷』ではあったが、東洋の狙い通りはつみとの語らいによって巷で流行り病の様に吹き荒れる安直な其とは一段違う思考へと変貌しかけていた。乾は幕府文久遣欧使節団出港の視察と称して横濱へ出る許可を得た様で、通訳にとこじつけてはつみを呼び出す。しかしまたもや、今度は龍馬と寅之進がついてきて再び露骨なしかめ面を見せた。

 この10月に15歳にして英国公使館付特別通訳官(sir)に任命されていたアレクサンダーが本屋から領事館へ戻る所で鉢合わせた。思わぬ再会を心から喜ぶ、乾以外の4人。勤務時間終了後の『夜7時』に待ち合わせをし、一同で共に食事をとる約束をした。
 この一年で英語を『英国公使に認められる程』マスターしたアレク。日本語は引き続き学習中だが、英語をまったく知らない日本人と会話をしていてもほぼ差し支えないレベルにまで修練されている。これで全6か国語を駆使できる通訳官の若き天才であった。同じく英語を熱心に学ぶはつみや寅之進とは日英語を交え、食事会というよりは殆ど勉強会の様な形で、しかし極めて朗らで良質な学びの時間が流れていく。

 一方、ここに乾は同席はせず、その酒飲みに付き合う龍馬。はつみの言う『真の攘夷』について理解できるかと問う乾に、龍馬は率直に
「正直はつみさんに見えちゅう『世界』の形はまだようわからんが、はつみさんが言う『尊王と開国は相反しない』っちゅう考え方は、今の朝廷と幕府をみちょれば何となくはわかるのう。…ま、これもはつみさんから教えてもろうた事じゃが。」
 と答える。乾は腕を組みなおし、それに続いた。
「…今土佐は蚊帳の外じゃが…長州と薩摩は公武合体論を推しておるそうじゃな」
「開国自体は、異人嫌いじゃった帝も容認された事じゃったっちゅう話ですき。ただその後に幕府が結んだしゅーこーつーしょー条約っちゅうのが良うなかった。」
「長年の財政難に加え将軍継嗣問題、さらには不平等条約の締結…無能の幕府か…」
「そうぜよ。そんではつみさんの凄い所は、『優れた語学力と世界的視野を以て異国と対等に条約交渉を行える人材が所属しそれを駆使できる組織であれば、幕府である必要はない』ち言うところなんじゃ。まぁ幕府にとって代わる組織っちゅうのは現実的な話ではにゃーけんど、これには長州の人達も浮世人の開国論者の視点に度肝を抜かれちょる。そんで、こういう話は乾さんも嫌いじゃないじゃろう」
 『龍馬が言う通り』と言うには妙に見透かされている様にも聞こえて少々癪にさわるが、大義の在る過激な発言は乾も好むところである。普段から無表情気味で大抵の事に動じない乾の根幹には、地域の血気盛んな青少年が集まって他地域の勢力と喧嘩だ何だと繰り広げた『盛組』の総長を務めた程の凄みや胆力が備わっている。
「…嫌いかどうか、俺の私心は大義とは別事ぜよ。」
 しかし思う所がありそうなのは、不動の表情からも何となく察しが付く。かねてより乾の胆力や利発な様子を評価していた土佐参政・吉田東洋は、これまでも何かにつけ乾の目を開かそうと話をしていた。一方の乾は尊王思考が極めて強かった為、その賢人とされる存在感を以て朝廷と幕府の間で注目される容堂公やその絶大の信任を得ている東洋らの政策に物思う所があったというのが正直なところであった。しかし桜川はつみという娘を『中浜万次郎の再来』として東洋が目をかけて以来、この様に視野が広がり、その分思考も多様性を伴い洗練されていく―といった状況となっている。それもこれも『乾が尋常でない熱量ではつみを見染めている』と見抜いた東洋によって『はつみの話であれば気の強い退助であっても幾分か耳を傾けるであろう』と策を講じられたのが、見事に功を成しつつあると言う事なのだ。
 しかしはつみにおいては、その東洋にさえも、まだ述べていない見識があるという事なのか。いや、東洋は自分の私塾にはつみを入れ『指導』したがっていた…乾に対する誘いと同じで、考え方の過激な所は『指導』によって角を取ろうとしていたのかも知れない。
「時務を識る者は俊傑に在り…ちゅう事かえ。」
「じむ…?」
「東洋殿が言うておった言葉じゃ。三国志のナントカらしいが、俺は詳しゅうないき詳細は知らん。」
 『時勢を知り必要な時に的確な言動を取れる者こそが俊傑である』と三国志の劉備玄徳に対し述べた司馬徽の言葉だが、成程東洋の言いたい事はさらによく分かる。開国黎明期にある今この世にあっては中浜万次郎やはつみのような存在は極めて有力な人材である事はもとより、思想を述べるにもしっかりと相手を見極めての事なのだと意味も含めて。
 何にせよ、はつみが自分にその事を打ち明けてはいないという事実だけは、今の龍馬の話で浮き彫りとなった。はつみが長崎へ語学留学へ行った時も、彼女は自分には黙って行った事を思い出す。確かに当時から自分は『尊王であれば攘夷を成すべき』との思想であったが、信用されていないのか、頼りとされていないのか……そもそもそんな些末な事は普段なら気にもならないが、どうも気に入らないとする自分にも『あやつに対しいつまで浮ついておる』と嫌気がさすぐらいだったが、波立つ感情は抑えきれるはずもなかった。

 頃合いを見計らって外に出た乾は馬に乗り、龍馬にひかせながら待ち合わせの場所へと向かう。アレクと別れの挨拶を交わすはつみをみかけた。…なんと往来で抱き合い、異人の方から頬を合わせている。はつみもはつみで嬉しそうに相手を受け入れているではないか。先程の話といい珍しく虫の居所が悪かった乾は手綱を握り直し、無言のまま馬を進ませた。異国人らも移動に馬を愛用し、横濱には競馬場という娯楽まであるというのもあって馬自体は珍しくはない様であったが、『袴に白足袋を履いた身なりの良い二本差し』で更に『馬に乗る』となると『位の高い侍』との認識が高い様で、外国人の目が向く。しかし乾にとってそんな視線など意に介す価値もなく、少しずつ近付いてくる楽しそうに談笑中のはつみだけが視界に入っていた。
「…乗れ」
「あ、乾。あ、アレクを紹介したいんだけど―えっ、ちょっ?!」
「…おんしに聞きたい事がある。いくぞ」
 話の途中で馬の上から手を取られたはつみは、引き上げられるがまま止むを得ず馬の上にまたがる事となった。アレクは先日の東禅寺事件の現場を目の当たりにした記憶も新しく、『侍』が強硬とした態度を出す事に少々怯えた様子を見せる。咄嗟に寅之進が「大丈夫ですよ、彼はよく知る人物です」とフォローに入ったが、慌てたはつみが馬上からアレクに声をかけようとすると乾は構わず走り出してしまった。
「ご、ごめんねアレク!また連絡するから…ちょっと、乾!?」

 馬駆け途中で一室とった茶屋にて、乾は時世への思想も含めずっと『大義に対し些末な私事』として黙っていた事をはつみに打ち明け。寅之進や龍馬達と取り残されたアレクサンダーは、はつみの周りには『そういった』男達が沢山いるという事を知る。





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