―表紙― 登場人物 物語 絵画

長州志士





※仮SSとなります。 プロット書き出しの延長であり、気持ちが入りすぎて長くなりすぎてしまった覚書きの様なもの。
途中または最後の書き込みにムラがあって不自然だったり、後に修正される可能性もあります。ご了承ください。



 江戸剣術修行時代の知人として是非はつみに紹介したいとして、長州藩邸にやってきた。
 あの長州藩邸か…とまたも心拍数を上げるはつみであったが、目当ての人物は彼の出身道場である練兵館へ向かったと言う。では練兵館へと向かう一行であったが、ここでも『ついつい今さっきまでいらっしゃったんだがねぇ』とすれ違いであった。「まぁ~逃げ足がはようてようよう捕まえられん御仁じゃち、しかたないのぉ」と笑う龍馬に「も、もしかして…桂小五郎?」と尋ねると、まさかの正解であった。「何故桂さんの事をしっちょるがぜよ?」「えっ?いや…宿で休んでる時に、そういう話をしてる人がいたから…!」そうこう話をしている内に、門を出た所に先ほどには見られなかった人だかりが出来ている事に気が付く。中心にいる背の高い人物を囲う様に男性らが集まり、その周辺から通りすがりの女性たちが立ち止まったり振り返ったりなどして明らかに彼を意識した視線を送っている。
「おー!おったおった!おーい桂さん!」
 龍馬の大声に気付いて顔を上げた桂は直ぐにこちらへ気付き、周囲の人達に挨拶をしてこちらへ向かってきてくれた。…とんでもない美形、そして麗しい声とほのかに漂う上品な香りに、はつみは腰が抜けかけてしまう。

 桂は坂本らを歓迎するとして急遽ながら長州藩邸へと誘った。久坂玄瑞、伊藤俊輔とする若人らが桂に肩を並べて挨拶をし、長州の豊富な酒でもてなされ宴会となる。酒の席でははつみが男装である事を直ぐに見破った伊藤によって、はつみの話が掘り返される事になるのだが…身元もしっかりしており既に江戸遊学の経験もある龍馬は別として、身元不明で記憶の一部欠如によって辛うじて土佐預かりの身となっている上に、そもそもが『女』であるはつみがどのようにして江戸行きが許されたのか?という疑問が率直に突き付けられた。これに対しては龍馬が、土佐参政・吉田東洋にして米国船に拾われ異国の知識を得た類まれな人材として幕府にまで召抱えられた中浜万次郎の再来とまで言わしめたとするその才にあると、はつみに変わって説明をする。
 意外な経歴に桂などは驚き興味を示したが、同時に久坂あたりから多少ピリッとした空気が醸し出され「開国派なのか?」と問われてしまった。土佐においては『敵意』の裏返しでもあった『開国派なのか?』という言葉。咄嗟に『危機感』を感じたはつみであったが、同時に龍馬もまたそれを感じ取り、いつもの様に道化を演じて話題を変えようと身を乗り出した…それを、はつみは「大丈夫だよ」と言って冷静に制する。『大丈夫』とする言葉にその力量が確かにある事を信用する龍馬は下がり、そんな二人のやり取りを見ていた桂達も『一体何が始まるのだ』と固唾をのんで見守っていた。
 まずはつみは、帝あってこその日本であるとする『尊王』、幕府つまり将軍は帝の『臣』であり、日本の長ではないとする意思を明確に示す。その上で、厳しい土佐での批判の中で考えに至った思想を彼らに打ち明けた。
「土佐においてはこの『尊王思想』と『開国論』は共存できないと拒まれましたが、吉田松陰様の思想行き渡る長州の方達になら、きっと理解して頂けると思っています。何故なら、吉田松陰様ご自身が『彼を知り己を知れば百戦殆からず』と孫子の一節を体現し、閉鎖的で前代的な対応しかできない幕府に変わって黒船を、その先の世界を知ろうとしたのだから…。」
 いきなり核心を突かれ桂や伊藤などは胸に刺さった様だが、豪胆な久坂の表情が変わる事はなかった。しかし彼にも確かに響いた様であり、はつみの言う事も間違ってはいないと、じっと見つめる。
…桜川はつみなる人物、敵なのか味方なのか、無害なのか有害なのか…
 どうやら微妙な所の様で、久坂は更に「では聞こう。幕府の事はどうお考えか?」と深く切り込むと、はつみは怯む事なく更に驚くべき返答をした。
「幕府の影響力はいまだ日本国内にあっては健在です。でもそれも次第に半信半疑に思えてくる藩が増えてくるでしょうし、諸外国が幕府の背後に朝廷がある事をきちんと理解して将軍は帝の臣である事を理解するまでの事だと思います。」
 そして幕府は長崎や函館、対馬などで独占的にオランダや清国と貿易を行い世界の情報も得ていたはずですが、にも関わらず、開国や通商条約を迫られた時には条約を結ばされてしまった。西洋諸国においては日本の幕府などが発布した封建制度を維持するための武家諸法度などとは全く目線の違う、民主主義という概念に則って形成された『司法』というものが存在していて、立法・行政の下にあらゆる法律というものを適用する事でその国ごとの決まり事、そして国際的に準ずる決まり事を『守る』とする規律があります。これに則って国同士の間で締結されるのが『条約』であって、一旦条約を結んだらそれは国と国との約束事ですから、安易に破棄したり覆したりする事は国同士の全面戦争に繋がり兼ねない亀裂を生みだしてしまう。つまり彼らと同等の知識や価値観、交渉力を以て条約を結ばなければ、帝が懸念される通り、尊王攘夷派の方達が言う通り『日本が土足で踏み荒らされてしまう、搾取され続けてしまう』という状況になってしまう。今はもう幕府によって既に不平等条約が結ばれてしまった状態ですから、ここから更に覆していこうとするのであれば、それは今の隠ぺい体質で閉鎖的な幕府の政治、その力量では無理だと思います。ですからこれからは、世界の列強と渡り合える様な広い知識と確かな言語力を持った人材を発掘し、あるいは育て、帝のご助力を賜り朝廷と手を取り合い、藩を越えて日本が一丸となって世界へ『論的』に対抗する必要がある…そういった形が取れるのであれば、それは『幕府である必要はない』と考えます。』
 尊王攘夷を唱え成破の盟約の下尊王攘夷の旗を振り続ける水戸・長州の尊王派であっても、実はここまで痛烈に幕府の存在そのものを否定する思想はまだ出回っていない。こうした『もはや幕府は必要ない』『倒幕』とも言える思想が出てくるのは、あと数年後の事なのであるが…歴史として客観的な知識があるはつみにはやはり『俯瞰』の思考が顕著すぎるきらいはあった。しかしそういった突飛な意見であっても、理解できる者にはしかと理解できるものなのだという事も確かな事なのだ。
「その…随分…お詳しいし達観してますよね…記憶喪失なのでは?」
 人懐こい様で胆力のある伊藤は『はつみは敵ではない』と捉えたか、空気を換えるべく冗談交じりの和む言葉を、同じく冗談を好むと見抜いた龍馬に向けて放った。
「そう思うじゃろう。じゃがまっこと、はつみさんは着物も着方も火の起し方も風呂の入り方分からんほど、浮世離れした御仁じゃき…。自分が何者か、どうやって生活しゆうかっちゅうところ以外では、こじゃんと冴え渡る説明のつかん御仁じゃき。やき、東洋さんにまで取り立てられたがよ」
「うーん、それって本当にかぐや姫って事なので?」
「うんうん、土佐が誇るかぐや姫じゃ」
 場を和ませようとしてか和む会話を続ける二人であったが、真顔の久坂がよく通る声で割入った時には再び雰囲気が引き締まってしまった。
「…確かに…我々の思う所も似通っておる。そもそも無能な幕府が不平等な条約を結び帝のお怒りを買ったその失態と罪を厳しく正さねばならぬ、責任を取らせねばならぬ、幕府の舵取りでなぁなぁに開国をさせるというのは日本の破滅に向かう事であるというのが我々の真に思う所でもある故。…それに君が言う『開国論と尊王論は必ずしも相反しない』という事は、なかなかに鋭い。確かに、そういった話を身内や同志から聞いた事がない訳でもない。」
 雰囲気は引き締められたが冷静に受け止め、実際に異国を知ろうとする姿勢自体は彼らの師である吉田松陰からも受け継がれているとして桂の事が紹介された。桂は龍馬と同じく、ペリーが来航した際に黒船を見た者の一人であり、吉田松陰とも親しい間柄であった事から孫氏に倣い『異国を知る必要がある』と行動を起こした者でもある。蘭学者でありシーボルトにも学んだという精鋭・村田蔵六を長州に招き、自身も異国の知識を得るなどしている。
 ここで、はつみと龍馬も長崎遊学において老シーボルトに会い、彼の息子であるアレクサンダーやシーボルト鳴滝塾の門下生である二宮などと交流をし、長崎においては英国語を中心に学んだと聞かせると桂は大いに興味を示していた。『長崎へは何の目的で向かったのか?蘭ではなくなぜ英国なのか?今現在、外国語はどれほど話せるのか…?』話の流れは桂から発せられる質問にとって変わり、更に続くはつみの答えは驚く程斬新な価値観と視点で桂らを関心させる一方、久坂はあまりにも精密で卓越しすぎているはつみの知識と弁舌に一抹の不安、警戒すらも覚えていた。
 久坂の様子も汲み取ったのか、気難しい時事の話でこの場の雰囲気が悪くなる事を嫌った桂が、「難しい話はこの辺りにしてここからは互いの親睦を深める宴にしよう」とした事で、最終的にこの宴は『表向き』よい雰囲気のまま終わりを迎える事となった。





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