仮SS:嗚呼、池内蔵太


 安政六年 五月

「むむっ…ここを…ゆっくりと…やった!」
「あら、お上手やねぇ。もうコツを掴んだん?」
梅雨入りの土佐、坂本家では中庭の紫陽花を眺めつつ、権平の妻・直とはつみが傘の手入れをしている所だった。張りに合わせて油紙を貼っていく作業なのだが、割と手先の精密さが要求されるというのもありはつみは苦戦がちだ。

一区切りついた所で茶を煎れて休憩となったが、直が貼った傘とは違ってはつみがこさえたそれは油紙のつぎはぎが目立つ随分不格好な傘へと変貌してしまった。直が優しく褒めてくれていたとはいえ、はつみの手技が上達したといえたのは最後の3貼り程度だったのだ。
「あああ、なんか目立つな~。ごめんなさい~!」
「全然!ええんよええんよ。手直しのお手伝い、有り難うございました。」
申し訳なさそうなはつみに対し、直は優しげに笑いながら丁寧に手を付いて礼を述べてくる。慌てて礼を返し、和やかに笑い合っているところに玄関の方からどやどやと騒がしい音が聞こえてきた。

「あら、龍馬さんがお帰りになったみたいやね。どなたかお連れになったんか?」
直は傘直しの道具を下げ、龍馬らの分も茶を煎れ直すと言ってお勝手へと下がっていった。それと殆ど入れ替わりの状態で、部屋に龍馬達が入ってくる。

「ちゃちゃ!はつみさん、ただいま!」
「おかえり龍馬さん!…あ、こんにちは」
「……オッ……」
 龍馬に振り返ると同時に見慣れぬ青年が視界に移り込む。若い青年の様だったが…後ろで結んだ馬のしっぽの様な髪がふりふりと左右に動いているのがかわいくて、なんだか目に付いてしまう。はつみの事を知っているのかじっと見つめてくる目に気付き、目を合わせて会釈をするのだがやはり見覚えのない顔だった。だが随分と整った顔立ちで、活き活きとした青年のそれに少年のかわいらしさを少々加えたかの様な。背も高く引き締まっていてタイルも良い。はつみがいた『現代』で相応の町を歩いていたらきっとスカウトされるであろう、いわゆる「イケメン」の青年だった。

会釈と共に挨拶をしてみたが、喉に物が詰まった様な声を一瞬放ったまま黙ってしまった。しかしその割には、じろじろと見てきては体のあちこちにまで視線を這わせてくるではないか。流石に初対面で居心地が悪く、はつみは焦った様な視線を龍馬に送った。それを汲んだ龍馬が青年の背中をばんばんと豪快に叩いた。

「ちゃちゃちゃ!おい内蔵太、一目惚れでもしたかえ?」

内蔵太という青年を諭すかの様に茶々を入れる龍馬だったが、その声に誰よりも反応したのはむしろはつみの方だった。


内蔵太という名前を知っている…!

もしや彼が、後に勤王志士として多くの戦を戦い抜き、龍馬もまた海援隊を継がせようと目をかけていた池内蔵太なのでは…!?


そんな脳内での情報もあって、気が付けば内蔵太とはつみは只ならぬ熱い視線で見つめ合っているという状況になっていた。

「およ…?」

 突然見つめ合い始めた二人に半笑いで困惑する龍馬であったが、内蔵太はそんな視線を気にする事もなく大きく深呼吸をし、何を思ったか突然叫び出す。

「…惚れた!!!」

「はあ?」

龍馬がすっとんきょうな声を上げ、はつみは言葉を失い目を見開いて内蔵太を見つめ返す。内蔵太はもともとそういった一本気で勢いのある性格なのだろう。龍馬らの反応には相変わらずかまいもせず、ただ一直線にはつみの目前にまで迫って更に追い打ちをかけてくる。

「俺と夫婦になってくれ」

「「はあぁぁ?」」

ーがしゃんっ

「あらっ!あらあらあら…」

はつみの手を取りつつの唐突すぎる求愛発言に、龍馬やはつみはもちろん、茶を持ってきた直までもが思わず手元を滑らせてしまう有様だった。とりわけはつみはまた別だが、この時代の女性にすれば思わず目を逸らしたくなるほどの『胸キュン場面』であっただろう。

はつみはもはや驚愕を通り越し怪訝な顔で目の前の『イケメン』を見上げている。まるで凍り付いたかの様に内蔵太に手を取られたままでいたが、内蔵太は大事なことなので二度言いますとでも言わんばかりに、もう一度、改めて言う。直はこれ以上は見ちゃいけないと顔を覆いながらも指の隙間から「あらーっ」と二人を見ている状態だ。

「変わった御仁がおると聞いて来たが、こりゃきっと定めじゃ…な、きっと一生大事にする」

『胸キュンワードのランキング殿堂入りしていそうなセリフをイケボのイケメンから両手を握られ真っすぐに囁かれる』という、現代女子の多くが夢見る様な状況に一瞬意識を持っていかれそうになるはつみであったが、見開いていた目をパチパチと瞬きさせて己を呼び戻す。そして小刻みに首を横に振りながら、まずは自分に言い聞かせるかの様にうめいた。

「い、いやいやいやいや。流石にありえないでしょ」

「え…?」

「無理無理!ね、龍馬さん~!」

 困った様に半笑いで返し、最後に何とかしてくれと龍馬に泣きつくはつみ。浮足立った雰囲気が一瞬にして暗転し、内蔵太の眉間が不安げに寄せられる。はつみの浮世めいた言動からして龍馬はなんとなくこうなる事を想像していた様で『あちゃあ…』と苦笑していたが、直はますます見ちゃいけない場面をみているかの様に無表情で立ち尽くしている。

先程までの勢いはどこへやら、茫然としていた内蔵太はしばらくすると弾かれる様にはつみの手を離し、再びは凝視する様に見つめた。先ほどまでの脳内花畑となっている様な視線とは違い、まるで探る様な疑惑の視線に切り替わっている。そして見比べるかの様に龍馬や直を見つめ、特に直の気まずそうに遠慮を見せる素直な反応を見て『あちゃあ…』とでも言わんばかりの表情になっていった。




「あ、改めて、池内蔵太っちゅもんじゃ。先ほどはすまんかった」

 直が煎れてくれた茶をぐっ飲み干し、色々と落ち着いたところで内蔵太が改めて自己紹介をしてきた。初対面でタチの悪い冗談だとも思ったがはつみもあまり気にしていなかった…というより本気で言っているとも思っていなかったが、どうやら内蔵太は腑に落ちないというか何かひっかかっている事がある様だ。

「どういたぜよ内蔵太?…そらおまん、いきなり『夫婦になろう』とかいくら何でも振られて当然じゃろうが。」

『振られて当然』という言葉に内蔵太はひっかかりを覚える。

「いや、」

「なんじゃはっきりせんのう。拾い喰いでもして頭がおかしゅうなったがか?」

「そいで腹壊すならもっともじゃが頭がおかしゅうなるんは違うですろう」

 それもそうだと笑い飛ばす龍馬とつられて笑うはつみ。すると内蔵太は立ち上がり、今日は失礼をしてしまったから出直すといって坂本家を去っていってしまった。


 彼の性格を知っている龍馬は『内蔵太は割と本気で求愛をしたのであり、結果、真っ二つに両断された心地なのでは…』と苦笑いをしていたが、はつみはポカンと彼の後ろ姿を見送るばかりである。ドスドスと廊下を去っていく後ろ姿を見送り、やはりあの頭に付いた馬のしっぽが左右に揺れて目立つし、意外にかわいいななどとぼんやり考えていた。

「内蔵太は性根がまっすぐで勢いもあるええ男じゃ。」

 まるで内蔵太をフォローするかの様に、はつみと同じ目線までかがんだ龍馬が彼の後ろ姿を見ながら言う。

「あれでいて割と頭も良うての、つい先日まで神田村の秀才のところで学問を修めちょったがじゃ。」

 歴史上、池内蔵太が漢気のある健全な青年で、江戸留学の経験もある清貧なる志士として日本中を奔走していたのははつみも知っている。どうやらその性格はなんとなく想像していた通りのものらしいが…

「あれは将来性も見込めるぞ。まあ、はつみさんの気持ち次第じゃがな?」

 ニヤリと横目で視線を向けてくる龍馬に、はつみは特に考えもなく反射的に両手を振って応える。

「いやいやいや!話が急すぎるよ!そういうものなの…?」

いくらいい男だからと言っても、出会い頭に猪突猛進に突っ込んでこられて「YES」とは言えない。だが今更ながら、内蔵太には少し失礼な事をしたかなと気まずく思いつつも、龍馬もそれを見越して笑い話としてくれているので気にしない様にしようと思うのだが…

「あら…内蔵太さんはもうお帰りになったのですか?」

 新たに茶を煎れてやってきた直がしずしずとやって来ては湯呑を交換してくれた。

「内蔵太さんはまっこと熱うて漢気のあるお方ですねぇ。胸がぎゅううてなってしもうたわ」

 まるで胸きゅんドラマを見てエモがっている人の様に恍惚とした笑顔で行ってくる直に、龍馬もまた

「まっこと。出会いがしらに玉砕するがは並みの奴にはできんじゃろうな。」

と言ってニヤニヤと笑っている。今回の事の一体どこからどこまでが本気で冗談のノリなのか…まだまだこの時代の価値観に馴染めずにいるはつみなのであった。





「…ありゃどう見ても…いや、そうとも限らんか」

夕暮れ前の本町通。
例の神田村から戻ってきたばかりの内蔵太は、顔見知りに挨拶をしてまわってきた所だった。皆帰宅して人通りもまばらになりつつある通りを、眉間に皺を寄せてはウンウンと悩みつつ歩いている。

「振られて当然」の失態を犯して坂本家を出た内蔵太であったが、龍馬が言う「当然」と内蔵太がくみ取る「当然」の意味が根本的に違っている事に彼は気付いておらず、故に悩んでいた。

「…確かに龍馬さんは『変わった御仁がおる』と言っていた…。あれが『女』だとは一言も言っていないもんな…」


どうしてこうなったのか。
内蔵太ははつみに『あり得ない』と振られた瞬間、はつみの事を「女だと勘違いしていた」と勘違いしてしまったのである。


はつみの事を疑わしそうに凝視していたのは、『男装をした娘ではないのか?』と勘ぐっていたからだ。龍馬に「振られて当然」と言われた事も、『はつみが娘ではなく男なのだから振られても当然だ』という様に解釈してしまった。
そもそも内蔵太はこの明るく一本気な性格に加え、決して鼻にかける事はないド天然ながら自信家の節も強い。『まさか結婚の申し込みを断られるはずがない』という、色々と問題ありな思考回路が働いてしまっている事を客観的に把握できていない。


「男を女だと間違えて一目惚れし求愛せしむ」などと本町中の噂にでもなろうものならば男気溢れる内蔵太には耐え難い屈辱でもあると考え、故に、誰にもあの者の性別を確認する事ができない。
かといってはつみ本人に「お前男か?女か?」と直接聞くのはもっとあり得ない。


…しかし、あの様に華奢で可憐な『男』がこの世に存在するのだろうか?


「~~~だああっ!だめだだめだっ!あいつの事を考えるのはよそう。そうだ、あいつは男だ…男だ…!」

~でも、もし本当に女だったら?


明朗快活で男装でもして武術もこなすぐらいの女性が好みである自分には、他にない出会いではないのだろうか。それにあの垢抜けた様な華やかな雰囲気は何なのだ?清々しい聡明さはどこからくるのだ?

あの者を自分のものにする事ができたら…

触れて愛でる事ができたら…???


「…うわあああああ!俺は何を考えちゅう!?!変態か!俺は男色かっ!?!やめろやめろ考える事をやめろっ!!!」


人がいないのが幸いか、内蔵太は突然もがき苦しむ様に声を上げると頭をかきむしった後に走り出してしまった。








※仮SS