仮SS:天命


 大阪にて武市と合流を果たした寅之進は、武市、そして以蔵と改めて話をする中であまりにも衝撃的なここ数か月の出来事を知らされるに至る。

 まず4か月前には吉田東洋の政策により尊王攘夷派である武市達の意見はまったく取り入れられる事がなく、そんな中で薩摩が軍を率いて上洛を果たすなどといった情報が安易に飛び交った結果、土佐の出遅れに不満を抱いていた多くの同志が脱藩し、その中には坂本龍馬もいた事。
 そのおよそ1月後に吉田東洋が『天誅』のもとに殺害され、その数刻前にはつみも何者かの襲撃を受けていたという事…。

 こういった事を受け、武市ははつみの護衛として行動を共にしてほしいと、あくまで任意として寅之進に申し出る。寅之進は迷うことなく、この任を『天命』として承った。


 はつみは既に大阪に滞在しており、土佐藩の者達とは違う場所で寝泊まりをしているという。この後以蔵に案内させるという武市は、今年のはじめに土佐へ帰藩してからは以蔵がはつみを守っており、何者かに襲撃された時にも相手を撃退したのは彼だとも伝え、去っていった。武市から案内を引継ぎ、はつみのいる宿へと向かう以蔵は寅之進に対し、珍しく語り掛ける。

「おまんはこれが天命ち言うたが…正直俺はようわかっちょらんき…」

「はつみさんをお守する事が、ですか?」

 コクリと頷く以蔵。寅之進が井口村事件以来魂の内側から沸き起こる様に感じている『使命感』を押し付ける訳にもいかないと思い、言葉を選ぶ為に少し黙ってしまったが、少し歩いた後でまた以蔵がぽつりとつぶやいた。

「…好いた女子を守る事と、お国の為に剣を振るう事の違いが、ようわからんがじゃ…」

「………そう…かもしれませんね…」

 進んで時世や学問について思案しようとしない以蔵からすれば素朴な疑問なのかもしれないが、色んな情報の詰まった奥深い一言の様にも思え、返す言葉を詰まらせる寅之進。寅之進にしてみれば、『好いた女子』を守る事は『豊かな未来への思想』を守るという事に繋がる訳で…。日本を含めた広い世界に対する先進的な価値観と広い知識を持つはつみがの鮮明な姿が、彼の脳裏に浮かび上がっていた。

―と、そこまで考えたところで脳裏に浮かんだはつみが突然掻き消え、勢いよく以蔵の方へと視線を向ける。

「あの、その感じだと…以蔵さんも…あの、はつみさんの事が……?」

 そう思っても仕方のない会話の流れであったのは確かである。だが以蔵は思い前髪の下で何やら思案するかの様に目を伏せ、

「……いや……」

 と短く答えたのみであった。

 以蔵の言葉に嘘はなかったが、話の流れを考えれば寅之進に以蔵の質問の意図が理解できないのは当然だろう。状況把握や共感をしたくても、以蔵が考えている事を汲み取る言葉があまりにも少なすぎる。以蔵からすれば、寅之進が『好きな女』という言葉故に混乱しているのは手に取るように分かっていたが。

「天誅と活人剣じゃ。」

 ぼそりと、しかししっかりと以蔵の胸に在り続けているのであろうと思われる言葉を呟く。その先を促す様に相槌を打つ寅之進に、珍しくも以蔵の言葉が続いて紡がれていった。

「尊王攘夷ち言うて立ち上がった者らぁは皆、奸物は斬れち言う。…じゃが、はつみはそうではないき。あいつは俺に、人を活かす活人剣として剣を振るえち言う。…守る為だとしても、なるべくなら斬るなち、難しい事も言う…。」

 虎之進も相槌を打ちながら、以蔵の言葉に真摯に向き合い思案を巡らせていた。今、お国の為に立ち上がろうとする男達であれば捨て身も殺人も覚悟の上で風穴をあけようとする事が、『天誅』として必要とされているのかも知れない。桜田門外の変ないし、土佐での参政暗殺といった天誅が続くのもその表れなのだろう。だがはつみの価値観はこういった血塗られたものとは根本的に違うものである事は、井口村事件の際に寅之進も身を以て感じていた事だ。

 人としての知性と対話を重んじ、それを支える為に視野の広い基礎教養を促す。誰の命であっても尊重し、身分によって当然の様に犠牲が強いられる事があってはならないと訴える。

 以蔵が言いたいのは、はつみが言う『人を斬る為の剣と、人を守るために斬るの剣』の違い。どちらも結局は『斬る』のに何が違うのかという点については、はつみの独特で優しい価値観を理解しなければ難しいのかも知れない。自分達が生きて来た『武士の道』というのは、それほどまでに殺伐としたものでもあったのだ。


 そしてそれは、常にはつみの事を考え出来る限り傍にいて仕える事を望み、『武士の道』の外に広がる世界の存在に気付いた寅之進であっても、いまだ難しい事であった。


「それは…以蔵さんが自ら気付かれる事を、はつみさんは望んでおられると思います。」

「……どいつも難しい事を言う…」

「俺にもまだ、分からない事はありますから」

「…そうかえ…」

「ただ、俺がはつみさんを守る事が『天命』だと言ったのは、誰に言われたからでも無く俺自身がはつみさんをお守りしたいと思っていたからです。だけど俺一人の力じゃこうはなれなかった。はつみさんや武市先生…東洋様が俺の才を伸ばす道筋をつけてくれた。はつみさんの護衛をする様にとお役目を申し付けてくれた。だから、『天命』だと思ったんです。」

 横顔を向けたままぼんやりと聞いている様な以蔵であったが、寅之進の純粋な想いに満ちた言葉はわずかながらも以蔵に届いた様であった。ふと空を見上げ、さらりと流れた思い前髪の隙間から澄んだ美しい瞳が青空を写し込んでいるのが垣間見える。その様子に、少し前向きに思案を巡らす雰囲気を感じたのだ。

「……確か、江戸では天然理心流っちゅう誰も使っちょらん門を叩いちょったな。」

「!!!は、はい、そうです…!」

 思案を巡らせた結果口をついて出て来たのは、寅之進が江戸で入門した試衛館道場・天然理心流の事だった。他人に興味の無い事極まる以蔵がまさか自分のが選んだ流派に付いて把握してくれていたのは意外だ。そして、嬉しいとも感じた。
 若く素直で一途な寅之進が活き活きとした視線を向けてくるのを横顔に受けたまま、以蔵は再び視線を地面へと落とし

「……生真面目なおんしらしいのお」

 と呟く。

「……以蔵さん…」

 はつみに知ってほしいと思いながらも、はつみどころか誰からも触れられなかった『何故天然理心流なのか』という所を鋭く突いてくる以蔵に、思わず言葉を無くす寅之進。…やはりこの寡黙な人が秘めた感性はとても奥深い。奥深いのに気づいた事に対して淡白である為、きっと多くの人から『浅慮な人物だ』と誤解を受けているのだろうと思う。奥深さとは別で、あえて視野を狭めて見ない様に、そして見せない様にしている様にも思えた。
 そして以蔵の内から湧いて来た疑問についてはつみの存在を交えながら語った今、彼の雰囲気は以前の様な、拭い去れない闇に取り付かれたかの様なものではなくなった様に感じられた。何に対しても重く無関心であった彼が、このような心に問いかけるかの様な話題を振ってくる事自体が大変な変化とも言える。


…はつみさんと、どんな話をされてきたんですか?


そう聞きたかったが、聞けなかった。
あんなに他人に興味を示さなかった以蔵が、明らかに心を開きかけている。自分が離れていた間、はつみは以蔵に対し何を話しどのように接して、頑なに人を距離を置き続けてきた彼の心を開いたのだろう…。自分も十分すぎる程はつみの傍にいる事を許され、共に学ぶ事を良しとされ、多くの事を語り合ってはきたが…はつみは自分のいないところでも誰かと時間を共有し、自分以外の男とも、そうやってそれぞれの心に響くであろう話をしているのだ。

「………」

 今度は寅之進が、空を見上げる。江戸の空にまで続く空を見上げ、そこには試衛館の同門・沖田総司の顔が思い描かれていた。今になってようやく、沖田が思い馳せていた事を我が身の様に理解する事ができた様な気がしたのだった。





「『も』、ち言うたな」

 そんな寅之進を以蔵もまた見ていた様だった。いつものぼそりとした声ながらも唐突に話しかけられた寅之進は、ハッと弾かれた様に我に返って以蔵へと振り返る。

「『も』?一体何の事ですか?」

「俺『も』はつみの事が好きなんかち言うた。さっき。」

「えっ?あっ…」

 以蔵から投げかけれらた『好いた女子』という言葉から、以蔵もはつみの事が好きなのかと問い返した時の事だと気が付く。言われて見れば『以蔵さんもはつみさんの事が…?』などと口走っていたかもしれないと、慌てて口を手で覆う。今更覆った所で意味はないのだが。

「『も』ち言う事は、俺はそうではないがおまんははつみの事を好いちゅう訳じゃ。」

「ちょっ、以蔵さん!困りますよ!あのっ、以蔵さんがそういう話をしているのかと思ってつい口をついて出てしまいましたが、この事はどうかご内密にお願いします…!」

「別に、誰に言いふらす気はないぜよ。」

 はつみに想いを寄せているという自覚はあるが他人から直に触れられると途端に頭が真っ白になってしまう。浮ついた話題ではあるものの相変わらず抑揚もない以蔵の様子のお蔭で早急に冷静となる事ができたが、一方で、武市周辺との人間関係意外がまったく不明で女性関係もまったく見聞きしない以蔵からの『恋話』が斬新すぎて『以蔵さんの女性関係はどうなっているんだろう』などと思わず興味が湧いてしまった。

「(以蔵さんに聞いてみたいけど…。こんな事話してるのも不謹慎だしな…)」

 そんな事を考えながらも、はつみがいるという宿へと到着する。表で打ち水をしていた店の者へ声をかけ、名刺を見せながらはつみの所在をを問うと、二人が来ることは事前に藩邸から知らせがあったと言ってすぐに彼女を呼びに行ってくれた。ここでも、武市が店の者に対し『無用のものにはつみを会わせない様にしてくれ』とという配慮が予めされていた様だ。流石だなぁと思いながらも、はつみとの久々の再会が目前に迫っている事を自覚して心臓が早鐘の様に忙しく鼓動を繰り返し始めていた。

「…おんしの天命は活人剣じゃ。」

「え?」

 呟く声に振り返り、以蔵を見つめる寅之進。重い前髪で表情はあまり見えないが、目は地面を見つめ、伏せられている様に見えた。話題が戻っている事からして、以蔵は今もまだ、そして恐らくはこれからもずっと、その事を深く気にかけてくのだろうという事が伺える。

「じゃが、俺の天命は…まだわからん。」

 想いとしては武市に仕えたいという気持ちが大きいのが一番であった。荒み切っていた自分を引き立ててくれ、その恩を返すためにもただ、武市の側で『お国の為にと奮闘する武市の為に』己の剣を役立てる事を長年目標にしていた。しかし、武市としては最も信頼できる剣豪である以蔵だからこそはつみの傍に置いておきたいと考えているが、以蔵にはそこまで武市の心を汲めていない状況が続いていたのだった。以蔵が疎いのではなく、武市の私情に関する真意は周囲の者には殆ど通じてはいないという事なのだが、結果として、はつみの側にいる事は居心地がいいと感じ始めてはいるがそれでもやはり、己の『天命』とは武市の為に剣を役立てるという事ではなかったのだろうかと…彼なりに積み上げて来たこれまでの想いが、揺るぎ始めているのだった。
 そして当然、言葉も感情表現も少ない以蔵の真意をそこまで汲み取る事は寅之進には不可能だ。それでも、やはり以蔵がこんなに話をしてくれる事も滅多にある事ではない。寅之進は改めて以蔵へ真っすぐに向き直る。

「…俺に言える事があるとしたら…」

 以蔵もまた、前髪の隙間から、天命に使命感を燃やしやる気に漲る寅之進を見つめ返した。

「…はつみさんのお側にいれば、何か見えて来るかも知れません。あの方は、俺達にはないものが見えているんです。だから、きっと…」

 そう言い終わる前に、屋内から此方へ駆け付けてくる軽快な足音が聞こえた。一瞬で近距離まで迫るかの様な足音と共に、いくつかの戸や襖があけ放たれる音も聞こえてくる。寅之進の言葉が中断され、二人の視線がそのまま宿から聞こえる騒音の方へと向けられた直後、迫りくる足音が最も近くまで到達した。

「わぁ~!寅くん!久しぶり!元気だった!?!?」

 以蔵くんも、ありがとうね!と言いながらなんとも晴れやかな様子で現れたのは、まさに話題の渦中にいた桜川はつみだった。賑やかに寅之進に飛びついてはその方や腕をポンポンと叩き、続いて以蔵にも手を伸ばしてありがとうと言いながら二の腕の当たりをポンポンと叩く。相変わらずの距離の近さに寅之進は不自然な程に顔を引き締めており、以蔵も前髪の下で溜息をつくものの『そう悪い気はしない』とばかりにフンと鼻を鳴らして視線を他所へと投げやった。

「何?何かお話してた?大丈夫?」

「あっ、いえ。お気になさらないで下さい。ね、以蔵さん」

「…さあ…俺はようわかっちょらんき」

 天命の事も、活人剣のことも。
 だが、活人剣の事ははつみが言い出した事であり、自分の心のどこかに響いたからこそ、武市への恩返しと同じくらいずっと心の中にあるのだろうとは思う。であれば、はつみの側にいる事で何かが開けるかもしれないという寅之進の言葉も、頑なな以蔵の心にしっかりと届いていた。

 小首をかしげているはつみに、江戸からの土産もあると声をかけた寅之進は彼女に腕を引っ張られながら宿へと入っていった。

「以蔵くんもはやく!」
「以蔵さん!いきましょう!」

 これまではつみと2人で連れ添っていてもせわしい事ばかりだったし、そもそも群れるのは好きではない以蔵であったが。

「一段と騒がしゅうなりそうじゃ…」

 そんな事を呟きながらも、手招きをされるがままに一歩踏み出す以蔵なのであった。






※仮SS