仮SS:自我
R15


 半月ほど生活を共にし、以蔵にとって何の不自由もない平穏な日々であった。しかし、何もない日々でもあった。毎日の様に道を抱いても、どうしてもはつみの面影を見てしまう。彼女の言葉を、身体を思い出してしまう…。

 当然言葉にする事もなく一人抱え込んでいた以蔵であったが、道も、以蔵が自分を見てくれている訳ではない事に何となく気が付いていた。だがそれでも傍にいてくれるだけでよかったし、その上こんなに素敵な殿方に抱かれるなんて女として幸せだと心から思っていた。普段の以蔵を見ていれば、町で流れている噂なんて嘘に違いないと分かる。しかし実際こんな大変な噂が流れていて、そして本人も剣の達人と見られる事を考えると、何か大切な使命をお持ちだった方なのではないかとも思っていた。故に、噂話しを流されて立場を悪くされたのではなど…。

 ある日、道は思い切って以蔵に心残りはないのかと尋ねた。何の事かと返す以蔵に、以蔵ほどの人ならば大切な使命があったのではないかと。それが気になっているのではありませんかと。

 素直にうなずいた以蔵は、自分が土佐攘夷派の武市半平太と道を共に歩んでいたと言い、その人の命によって一人の女性をずっと守っていたと話す。勅使に同行し将軍の御目見えにまでなるほど尊王攘夷旋風を巻き起こした武市の名は、既に京のみならず全国に轟いている。道も武市の名を聞いて驚くと同時に、ああ、やはり…とも思った。そして、以蔵が自分を見ずに『誰』を見ていたのかも察する。

 道が「今会いに行くのなら、誰に?」と、何となくその答えを想像しながらも尋ねると、意外にも『江戸にいる長州藩士・高杉晋作』の名を挙げる以蔵。はつみが『唯一、自分と同じ思想を持っている人』と言って高杉の名を挙げた事を覚えていたのだ。それに、見た目も立場も全く違う二人だが、以蔵にはどこか似た様な二人である事も感じていた。尊王攘夷旋風に煽られる時勢にははまらない、『世界』とやらを学ぼうとする姿勢に始まり、それ故に周囲に馴染めずにいる様子。状況に抗って無茶な行動を取ったり、機嫌が良かったり悪かったり…。そんな高杉に話を聞ければ、武市やはつみには聞く事ができずにいた事もわかるかも知れない。

つまり、武市は何故『お国の為の仕事』ではなく『はつみの護衛』を自分にさせ続けるのか。そのはつみが一体何を見て、土佐の上士などに抱かれてまで成そうとしている事とは一体何なのか―。

無論、思う事全てを口にしたわけではなかった。唯一挙げた高杉の名前を聞いたところで、それもまた、道にはよくは分からない。だがそこだけを聞いても、やはり、自分と同じところで生きている様なお人ではないのだという事をひしひしと感じていた。


 その日の夜も、以蔵は道を抱いた。だがいつもと違う様子に気付き途中で挿入をやめ、道の話を聞く姿勢を見せる。自分からはそういう姿勢を見せない人だと思ってはいたが、何かこちらが声にならない声を上げようとした時は直ぐに察してくれるのだと…この人は本当に優しい人なのだと、道は嬉しくも切なく締め付けられる裸の胸を押さえ、溢れそうになる涙を必死にこらえた。

 『以蔵様は江戸に行き、その高杉という人と会うべき』だと道は言う。甘味処の娘である自分にお国の難しい事はわからない。それでも、命を守る剣を持つ以蔵がまだお国への奉仕を諦めていないのなら、その道をゆくべきだと。以蔵がその剣で誰かを守るとき、誰かの命が救われている。同じ様に以蔵の剣がお国を守ろうとするときも、お国の御為になっているということ。道しるべとなるお方に会って、それでもここを思い出す事があれば、いつでも戻ってきて構わない…否、その時は迷わず、戻ってきてほしいと伝える。

 言葉を探している以蔵を置いて、道は素肌に着物を羽織ると、今夜、以蔵に差し出そうと思って用意していたというものを取り出す。綺麗に折りたたまれた以蔵の着物と風呂敷。お道ができうる精一杯の支援をつめた、旅道具だった。(綿入りの羽織と草鞋、団子10本、日持ちする煎餅、路銀少々)これをもって、今夜のうちに…と伝える途中で、声にならない嗚咽で言葉が詰まってしまう。

 言葉が見つからなかった以蔵は思うままに道を抱き寄せた。正直、はつみに対する気持ちとは違う。違うのだが、何か…自分が忘れていた何か、暖かいものを心に注がれた様な…。ただ一つ確かに言えるのは、ここにきて初めて『お道という女』を抱き寄せたという心持ちだという事だ。

「…嫌か」

 言葉少なな以蔵の言わんとする事は、道には伝わる。道の事を見ている訳ではない、他の女性の為に江戸まで行こうとする男に抱かれていいのかと、この人は心で思っているのだと。道は涙を湛えた精一杯の笑顔で、彼の言葉に対し顔を横に振った。

「いいえ。うれしおす…以蔵様…最後にもう一度、うちを抱いておくれやす」



 道を抱いた以蔵は、彼女が今までにない程の反応を見せ、自身も余裕がなくなる程に果てた事に不思議な感覚を覚えていた。道はようやく『自分』を抱いてくれる以蔵を心から慕っていたし、以蔵もまた、自覚なくも何となくその暖かさを感じ取っている。

 まだ夜も明けぬ頃、別れ際で涙を見せないよう堪えていた道であったが、以蔵の姿が闇夜に消えて見えなくなるとその場に崩れ落ち、声を押さえて泣いた。道の家の屋根に留まっていた白い鳥が、また一本、羽を落として飛び去って行った。





※仮SS