仮SS:すれ違いの隙間は…


 勅使一行が江戸に到達してから数日後。はつみと寅之進、以蔵も江戸に入っていた。あらゆる方面から大注目を受けながら江戸入りを果たした勅使一行とは異なり、はつみ達の江戸入りは一般の旅人のそれと殆ど変わらない。にも拘らず、はつみが江戸遊学時に世話になった旅籠に入っていったのを見計らったかの様な絶妙な時差で、はつみに向けた一通の手紙が届く。

「宿のもんが受け取ったらしい。差出人はわからん。」

 はつみに直接手紙を手渡した以蔵の話によれば、どうやら正規に配達されたものではなく、何者かが宿の人に直接託けたものを以蔵が受け取ったとの事だ。受け取った手紙を目の前で表裏とひっくり返し、確認をする。封に宛名は書かれてはいなかったが、恐らくははつみの動向を気にしてくれている人物からの手紙ではないか、つまり武市からの文ではないかと思い、疑う事もなく直ぐに開封を試みていた。

 英語の筆記体は読めるのに日本語の行草書、いわゆる崩し文字といわれる文字はいまだに苦手なはつみであったが、この手紙は候文ではなく、はつみが書く現代文のテイで書かれていた。この時代においては読めなくはないだろうが独特とも言えるこの文体を理解してくれているのは、はつみの周囲にいる人物といっても人数がだいぶ限られてくる。そんな状態で差出人の名も分からぬままに読み始めたはつみであったが、早々に自己紹介をする文が出て来た為に最後まで読み切る前に差出人を把握する事ができた。

「薩摩 小松清廉…あれ?小松さん…?!」
 手紙の差出人は、長崎留学以来の知己であり、最近では薩摩若き敏腕家老になったと噂の小松帯刀であった。ただの個人として今回江戸にやってきたはつみの同行をしっかり把握している時点で、やはり小松は薩摩の若家老だ。恐らく精鋭の部下に命じ、つぶさに周囲の状況を探っている内に自分の情報も拾ったのだろうと考えた。

 それはそうとして、はつみは文を読み進める。
 他者の習慣を知り取り入れる器用さと懐深さのある小松は、はつみが自分達の文を読めない事を長崎遊学で知っていた為、はつみが小松に出した一通の手紙からその書き方を真似てくれた様だった。『急遽出立のため、急いで筆をとりました』と、詳しい薩摩の様子が書かれている訳ではなかったが、わざわざはつみの言語や標準語に寄せて書いてくれた文章からははつみの安全を気遣う文字が度々散見される。
『土佐のご一行が江戸に入られると聞き、貴女もご一行に同行され、この江戸までやってくるのではないかと日々気にかけておりましたが、急遽出立と相成り、急いで筆をとりました。我が大事な務めの為とは言え、この度江戸で貴女と再会する事叶わず、非常に残念に思うばかりです。』  どうやらつい最近まで小松も江戸にいた様だ。その理由まではまだ何の情報も得ていない事もあり明確には分からないが、恐らくは、尊王攘夷派の勅使東下に併せての薩摩の動向である事は想像がつく。そんな事を思いながらも、手紙の続きへと視線を走らせた。 『京においては、薩摩人である私と会う事であらぬ誤解を受けたと聞いております。長崎で出会った頃の己とは違う立場も弁えず、ただ貴女に再会できた歓びのままに軽率な行動を取ってしまい、ご迷惑をおかけしました。あなたに無用な危害が及ぶ事が無いか心配です。  しかし、無理を承知で本心を申し上げれば、貴女と文を交換したい、出来る事ならいつかまた会いたいと、この小松は考えています。もし貴女が文を書いて下さるのであれば、差出人名に変名を用いても貴女だと判る様、封に『くまさんの絵』を記し、それを薩摩藩邸へと送ってください。どの名前で、どの薩摩藩邸へ届けられたのだとしても、必ず私の元へ届けさせる様にしておきます。』  そうして文末には、かつて長崎においてアレクサンダーという少年と遊びで描いた『らくがき』にあった、『くまさんの絵』らしき『イラスト』が書かれてあった。これはどう見てもこの時代で見られぬタッチで描かれた『くまさん』であり、明らかにはつみが書いたイラストだ。こんなものまでしっかりと覚えてくれていたとは…と、思わず感動まで覚えてしまう。そして、小松が書いた『くまさん』のイラストも中々に上手で、久々に『かわいい』を堪能する事ができた。これだけを見ても、若家老として大抜擢を受けた小松がいかに頭が良く器用で、要領もよく、そして誰かの懐に飛び込む事が上手い魅力的な人であるかを物語っているかの様だ。  手紙の末尾には健康と無事を願う文と共に『読み終わったら燃やしてください』との指示で締められている。  手紙を読み終わって『ふうー』と息をついたはつみは、忘れないうちにと、手元の火鉢で手紙を燃やし始めた。 …今、小松と接触する事は良くない事は身を以て理解していた。だがもし、小松と武市が出会い、互いの藩の傾向も含め時世について話あえたらなら、これは大きな流れとなり得るのでは…と考えたりもする。しかし情勢的にもそれはかなり厳しいだろうな…などと思う一方で、小松は純粋に再会を喜んでくれていたと取れるのにも関わらず、自分と来たら直ぐに『歴史を変え得る流れを生む何かとなり得るか』と、まるで道具の様に組み立てて考えている自分に心底自己嫌悪する。  いくら必死になっているとはいえ、なんて人の心のない考えをする人間になってしまったのだろうと…。 「はつみさん。大丈夫ですか?」  無表情で手紙を燃やしているはつみのもとに、書き物用の紙類や筆などの一式を買いそろえて来てくれた寅之進が顔を出す。窓際に腰かけて江戸の街を見下ろしていた以蔵が無言で寅之進に視線を送り、別段変わった事はなかった事を察しながらも、寅之進ははつみの無の表情を心配していた。ここのところは彼女の笑顔が陰り、自分達の知らぬところで根詰めている様な様子が散見される為、どちらが師と弟子か区別がつかない程にはつみを心配していた。 「あ、おかえり!これ、小松さんからの手紙だったの。最後に燃やしてねって書いてあったから燃やしてただけ。」 「小松様ですか…どうしてここにいる事がわかったのでしょう」 「逐一情報は掴んでるみたいだよ?今となってはもう薩摩の御家老だし、私達じゃ想像もつかない様な事ができるようになってるのかも。あちちっ。それより、お買い物ありがとう!わ~い、見せて見せて♪」  火が手元までついたので残りの部分を火鉢に落とし、寅之進が調達してきてくれた文具を早速手に取るはつみ。はやくも小松に返信をするのだと言いうので文机を出すなど甲斐甲斐しく手伝う寅之進であったが、先日の袋のねずみ事件のきっかけともなった小松に関わる事でもあったので心配もあった様だ。 「わあ、綺麗な模様の紙だね♪早速、お返事に使わせてもらおうかな」 「あの…小松様は何と?」 「うん?ん~、政治的な話とかは全然だよ。ただ再会した直後に、ちょっと事件とかあったじゃない?その事とかも把握してたみたいで、大丈夫?みたいな内容だった。あと、気軽に手紙頂戴ね、みたいな。」 「?それだけ、ですか?」 「うん。お互いの立場的に接触する事自体あんまりよくないよね、って向こうも分かってて、遠慮してくれてるみたいな感じはあったよ。」 「そうでしたか…」  ただ、それが手紙という間接的な形で接点を持ち出して来たのはどういう意図があっての事なのか。今はもう燃えてしまった手紙を読んだ本人であるはつみは妙に軽い受け取り方をしている様に話すが、一藩の家老ともあろう人物がわざわざこちらの事情を何らかの方法で把握しながら極めて個人的な手紙をよこしてくる事自体が、極めて異質な事なのだと寅之進は思う。はつみに対して良くも悪くも特別な想いが無ければその様な事をする必要すらないのだから。  問題は、その手紙が本当に小松から出されたものなのか?  手紙を出した理由は、この時勢に鑑みてはつみの才を保持しようとしての事なのか?  それとも、いち男性としての想いが込み上げて来てのものなのか?  はつみを守る為にも聞き出したいが、いくらはつみを守る立場だからといってはつみと他の異性との間の秘め事にまで立ち入っていいものだとは考えていない。そしてそこに私情が一切含まれていないと言われれば必ずしもそうとは言い切れないからこそ、踏み込んではいけないと自制もかかる。 はつみの書道具を整えようと手元の作業を黙々とこなしながらも考え込んでいる寅之進に対し、はつみの視線がじっと注がれていた。そこから更に、自分と同じ様に寅之進の無言の様子に気付いていながらずっと黙している以蔵と視線が合い、肩をすくめながら笑って見せる。以蔵は『何のこっちゃ』とでも言わんばかりに小首をかしげて再び窓の外へと視線を投げ出してしまった。声もなく苦笑したはつみは再び寅之進へと視線を向ける。 「寅くん。大丈夫ですか?」  先ほど聞いた様な台詞であったのも含めてハッっと表情を取り戻した寅之進は『あっ、はい!何でしょう』といつもの様子で顔を上げる。はつみは少しだけ『苦笑』の色を含んだ笑顔をみせ、ごく自然な動きで寅之進の頭に手を置き、ぽんぽんと撫でてやった。 「気を使わせちゃってごめんね。手紙を燃やしたのは、別に誰にも見せちゃいけない様な内容が書いてあったからとかじゃないんだ。」 「あっ…いえ…俺は別に……」  と咄嗟に口から出るが、図星であったのは間違いない。おまけにまるであやす様に頭などを撫でられて顔面から耳まで赤くなってしまうのは、日頃からどう体を鍛えていたって止められない現象であり、焦る自分もいた。 「内容、気になっちゃったよね。今度からは出来る限り寅くん達と共有するようにするね。ごめんね?」  頭を撫でられながら顔を覗き込まれる様に言われた寅之進は、間近にはつみの顔を見て更に俯き、それ以上は首の角度的に俯けないのではと思う所を更に超えて何とか頷いてみせる。『以蔵くんも』と言いながら以蔵の方へと視線を送った先では、 「俺は別に……」  と、寅之進とは対照的にしれっとしている以蔵がいる。窓に吹き込む夕方の風に前髪がさらりと流れ、かすかに見えた目元にはほんのかすかに親しみの色が見え隠れもしていたが。  はつみは微笑みながら二人を見渡し、文机に向き合うと新しい紙を広げた。夕日が差し込み手元を照らしていたが、はつみの為にと手元の灯りを灯してくれた寅之進に『ありがとう』と微笑む。  小松がわざわざ手間を割いてくれた手紙であったにも関わらず、それに乗じて武市のために何かできることはないかと考えてしまう自分に対する自己嫌悪が押し寄せてはいたが、こうして寅之進と以蔵がそばにいてくれるお陰で、今もまた、心折れる事も沈んでしまう事も無く乗り切れている実感があった。小松への手紙には、自分を気にかけてくれる小松への感謝と共に、何気ない日々の報告として、念のため彼らの名を伏せながらも周りに助けられている事を書き綴っていった。

※仮SS