仮SS:First meeting EP1


 元治元年8月。
諸外国4カ国艦隊による下関砲撃長州戦争は、宍戸刑馬と通訳伊藤俊輔らによって講和交渉が成立。今は戦争後の後処理や今後の開港についてのやりとりが行われていた。

8月17日。
 そんなある日。サトウと会した伊藤が、内密に合わせたい人物がいると言ってきた。『彼女』は今回長州とイギリス両者の架け橋になる事ができればと極秘の内に伊藤が招いたらしく、その三人称が示す通り『女性』だという。
  サトウは少し考えた後、横浜の領事館から見える沼の向こうに見えたみだらな地域を『ある意味日本と外国を繋ぐ場所だ』などと言われた事を思い出していた。
「そういうテの忖度だったら私は受け入れない」
  と言ったが、伊藤は一瞬きょとんとした後に笑い、
「あははは!そのテの話ではありませんよ」
  と和やかに否定する。そして彼女の名は『鬼椿権蔵(おにつばきごんぞう)』だと言いかけて、伊藤自身が噴き出し笑ってしまった。
「ああすみません、つい可笑しくて…彼女の名前は鬼椿権蔵、といいます。プフッ」
「『鬼椿ごんぞー…?』」
  鬼椿もなかなか派手な漢字の組み合わせに思われたが、女性の名前だと聞いて『権蔵』というのがかなり跳びぬけているという事は、外国人であるサトウにも分かるほどだった。

  サトウの率直な反応を見ながら、伊藤はにこやかに話を続ける。
「ここだけの話ですが、以前横濱で発行された新聞に彼女の記事が掲載された事もあったそうですよ」
「!?伊藤、その方はもしや…?」
「桜の次は椿、という事でしょうね」
「―!!!」
 サトウはようやく、その鬼椿権蔵がはつみと同一人物であるという事を悟った。同時に彼女は背中に大きな傷を負っておりおよそ二か月をかけて快癒したばかりである事も伝えられた。はつみがここに来ているというだけでなくケガをしたという聞いて愕然とし、サトウは当然詳細を尋ねるが、ケガの経緯については伊藤も本人へ訪ねたもののまだ聞けていないと話す。
「ああ神よ…こうしてはいられない!」
  と珍しく冷静さを欠いたサトウは伊藤と別れ、乗船していた旗艦ユーリアラス号に駆け戻ると同僚であり友であるウィリアム・ウィリスという医師の元へ
「急患だよウィリス!」
 と駆け込んだのだった。ウィリスによる診察予約とその他方々に許可を取り付けた後、サトウはまた下船して伊藤の所へ駆け戻り、改めてはつみをユーリアラス号へと招待したいと告げた。
  伊藤は随分手際がいいなと思いつつ
「今日はこのあと宍戸がはつみさん達と夕食の予定を組んでいるので、明日の朝9時頃にここへ来る様伝えましょう。よろしいですか?」
「ええ勿論!」
  こうして、図らずも遂にはつみとの対談を取り付けたサトウであったが、その日彼はずいぶん遅くまで眠る事ができなかった。誰かに会うのが楽しみで眠れないなんて、こどもの時グランマの家に遊びに行くのが楽しみでわくわくして眠れなかった以来だと自嘲する。
「(宍戸刑馬とディナー中なら、今から行って同席できないだろうか…いやそんながっつく様な真似はみっともないな…英国紳士として、スマートでなければ…)」
  とまで考えたものであった。


 8月18日、朝。
  はつみは2人の従者と侍女と港で別れ、緊張した面持ちで桟橋へと現れた。写真ではつみの顔を知っていたサトウは甲板の上から彼女の姿を認めるなり自ら下船して出迎えた。

 緊張した面持ちで対峙したはつみは、その軽やかな髪を潮風に靡かせ、夏のよく晴れた日の朝日にも負けぬ煌めきに包まれているかの如く、眩しく可憐に見えた。声を出すのも忘れてつい見入ってしまうサトウに、彼女の方から自己紹介をし始める。
「ー初めまして。桜川はつみです。本日は貴国の素晴らしい軍艦を見学する機会をお与え下さり、有り難う御座います…!」
 緊張して社交辞令を述べるその姿さえ、可憐だった。写真で見た以上に肌艶もあって若々しく、その声色も麗しい。佇まいは優雅さと知性に満ち、控えていてもにじみ出る様な華やかさはイギリスの社交場においてもまったく引けを取らないー!!!と、サトウの中のパッションが弾けんばかりであった。

「ーアーネスト・メイソン・サトウです。ようこそ我らがユーリアラス号へ。はつみ。」
  脳内で叫んでいたパッションはどこへやら、サトウはスッと姿勢を正すと英国紳士の作法で頭を垂れ、英語で自己紹介を行う。はつみにとっても、朝日の清々しさにも負けぬ爽やかで洗練されたその身のこなしはうっかり惚れ惚れするものであった。
「どうぞレディ。」
  差し出された手を取ると、サトウは彼女をエスコートする様に船上へと歩み始めたのだった。

  船内を案内するサトウは、はつみに合わせ日本語を中心に会話を試みてくれた。
「ずっとお会いしたいと思ってマシタ。何から話せばいいのか分からない、夢のようデス」
  等と、興奮をスマートに伝えている。するとはつみは素直に
「有難うございます。私もです!」
  と、ようやく微笑んだ。その柔らかな笑顔はまさに女神の様に見え、サトウは自分の顔が赤くなってはいないかと気にする程、心も体も高ぶっていた。
「サトウさん、日本語がとてもお上手ですね!素晴らしいです、全く違和感ないです!」
「Really? ありがとうございマス。ふふ、あなたに褒めてもらう事が、私はとても嬉しいデス」
 とはいえやはり少し表現力で言うところではネイティブでなない故か、気持ちを率直な言葉に乗せてくるので、聞いているはつみは少々こそばゆくもあった。頬を可愛らしく染めて照れているはつみに、サトウも破顔しっぱなしであった。
  話したい事は沢山あるが、まずはつい最近まで怪我をしていたと聞いて心配していた傷の診察を、友人でもあるウィリアム・ウィリス医師に任せてほしいと伝える。はつみはありがたくその申し出を受け、医務室で待っていたウィリスの元へと向かっていった。

 診察中、サトウは隣の部屋で控えていたが、はつみが衣類を脱ぐ音が聞こえてきて一瞬はしたなくも邪な感情が沸いてしまった事を否定できなかった。すぐに背筋を伸ばし頭を振り付け冷静さを保ったが。
 はつみはウィリスからの問診を英語で対応していた。はつみは自分の日本語を誉めてくれたが、彼女の方こそ手紙でやり取りをしていた時よりも上手くなっている様に感じる。誰か良い教師でも見つけたのだろうか?
 聞こえてくるはつみの話によればケガ自体は六月の中旬、つまり二か月前に負ったもので、半月ほど前に傷口がふさがってからは温泉で温熱療法を行っていたとの事だ。蘭方医の手当を受け、彼らの指示で徹底的に消毒治療を行ったと。時折ウィリスが
「これは…大変だったでしょう…。」
  と唸る様な声が聞こえ、サトウはどれほどひどい傷跡なのだろうと、聞いているだけで胸が痛くなっていた。
 ウィリスの診察が終わり、身なりを整えたはつみの元にサトウが合流する。療養中無理をせず安静にして傷口を安定させた事と、清潔を保ち化膿を防ぎきった事が何より功をなしたと言え、湯治も血流を良くして回復力を高める事に効果があった。つまりもう殆ど心配はいらない、快癒の方向、或いは快癒している。との診断を受けた。傷跡自体の問題よりも、長期間の療養で傷回りの筋肉が硬直している事と身体全体の体力が落ちているだろうから、少しずつ体をほぐし体力を取り戻す様にとの事だった。また、傷口が引きつる事があるのは恐らく真皮まで傷ついてしまった事への後遺症であり、周囲の筋肉をほぐしつつ今後時間をかけて馴染んでいくか、そのまま継続していくかは正直今の時点ではどうなるか分からないという。
「縫合手術をする際にしかるべき道具を使って私が執刀していれば、傷跡の具合も含めてまた結果は違っていただろうけどね?」
…とウィンクを飛ばすウィリスに、サトウは肩をすくめた。はつみはちゃんとジョークであると理解し、軽やかに笑っていた。

 その後、サトウははつみを『独占』した。甲板に出、日本の美しい晴れやかな気候の元でじっくりとはつみとの対面と会話を楽しむ。サトウは興奮を抑え込み、つとめて紳士に振舞う様気を付けた。
会話ははつみに合わせて日本語で、時々英語を絡めながらリズムよく広がりをみせた。その際「鬼椿権蔵」の偽名について話を振ると思いがけないユニークな話が引き出され、日本人に対するイメージが彼女を通してまた一つ変わる。
 そしてお互い外国語を学ぶ者同士、その経緯や進捗について話し合ったりもした。はつみから教材を送ってもらった時の喜びから始まり、とにかく教材が無くて苦労した話や、サトウは日本人との様々な出来事、またはつみは外国に興味を持つ人と拒絶する人との間であった出来事等を語り合い、ある意味似通った経験を通している事に共感を覚える。お互い非常に意気投合している自覚があった。横濱に出入りする日本人はともかく、これまで様々な場所で日本人と出会ったが、特に二本差しのサムライ(武士)は威圧しぞんざいに扱ってくる輩が多かった。命の危険を感じた事すらある。かたや同じ日本人であるはずなのに彼女は全てにおいてサトウを刺激する、まるで女神だった。その異質さの正体までは分からないが、ただ対面して話をしているだけで、この異国の地に着任して以来心労も多かったサトウを労い癒すかの様な…そんな感覚に陥っていた。これが恋の成せる業だと自覚するのは、もっと後の話だが。

 一方、サトウとはつみが仲睦まじい様子で会話を楽しんでいる様子を、寅之進や陸奥達は遠く港から見ていた。また、ブリッジからは公使オールコックもその視線を彼らに注いでいた。

 室内へ場所を移し座って話をしようという事になり船室へと案内する際、甲板に出てきたオールコックが二人に近づいて来た。非公式ながらも駐日公使に対面する事の意味を心得ているはつみは、失礼のない様にと緊張した面持ちで礼をする。サトウがはつみを「幕府軍艦奉行勝海舟門下生、桜川はつみ殿です」と紹介するとオールコックがじっとはつみを見つめたので「発言してもよい」と察したはつみは英語で自己紹介を行った。加えて、厚意にあずかり英国医師の診察を受けた事への礼を述べると、オールコックは至極簡単に自身がサー(騎士叙勲保持者)オールコックである事を伝えた後
「君は英語ができるのか。通訳は?」
  と思っていた以上に気さくに話しかけてきた。
「ウィリスの診察を受けたのか。どこか具合が悪いのかね?」
「二か月ほど前に背中を負傷したのですが、ウィリス医師から快癒との御診断を頂き、安堵したところであります」
「おお、そうか。養生したまえよ。」
「ありがとうございます。身に余る光栄です。」
「ふーむ。君の上司であるMr.勝の事は知っている。彼にこのような隠し玉があったとはな。彼との会談の際には是非正式な通訳官としての顔をみせてくれ」
 オールコックは朗らかな表情ではつみとの会話を終えると、サトウへ意味深にウィンクをしてその場を去って行く。サトウの直観では、オールコックははつみが見た目の服装通りの少年ではなく女性であり、サトウが個人的に懇意にしている事等を見抜いた様子だった。彼が去った後で礼を解いたはつみが、少し心配気にサトウを見上げる。
「すみません、作法など殆ど分からないもので…私の言動は失礼ではなかったですか?」
「…え?」
 彼は何とも言えない表情でオールコックを見送っており、少し慌てた様子ではつみへと向き直る。
「まったく問題ありません。公使は十分に会話を楽しまれた様子ですよ」
「そうですか!よかったです」
「十分すぎるくらいです…ハハ」
 自嘲の笑みを浮かべるサトウに小首を傾げるはつみであったが、気を取り直した彼に誘われるがまま船内へと移動していくのだった。移動する前に寅之進たちへ手を振り、
「彼らが私を心配していて、放っておいたらいつまでもあそこに居続けてしまうと思うので、寄宿先へ戻っていて下さいと伝えてきてもいいですか?」
 とサトウに尋ねる。
「ええ勿論。ご一緒しましょう。」
「有難うございます。」
「…貴女は彼らから慕われているのですね」
「ふふっそうですね、でも私も同じくらい彼らを信頼しています。大切な仲間ですから」
 何ら二心もなく言うはつみが遠くにいる彼らに笑顔を向け、手を振る。それがサトウには眩しすぎて目を細める事しかできずにいた。



つづく
【First meeting, EP2】






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