仮SS:First meeting EP3


 長州戦争後の後始末も大詰めとなった8月27日。

 伊藤の招きにあずかったサトウは彼の手料理にてヨーロッパ式の夕食をごちそうになっていた。コースの形式で出された料理のうち何品かは小首を傾げたくなるものだったが、よく趣向を凝らした心の籠ったもてなしである事には変わらない。サトウは全て平らげ、食後のワインを二人で味わっている所だ。

 政治の話もほどほどに盛り上がっていた所、サトウははつみから長州藩士の面々と知り合った経緯を聞いたと切り出した。
「ナゼ、あなたたちは思想の違うはつみを受け入れたのデスか?」
 伊藤は「あ~」と意味深に唸ったあとワザとらしく腕を組んで「う~ん」と更に唸り、サトウが「どうした?」と声を掛けると「いやぁ~」とこれまた歯切れの悪い様子ながらもニヤニヤしてなかなか話を切り出そうとしない。肩をすくませてリアクションをとるサトウ。
「彼女は自分が内政的な思想や野心を持ち合わせていなかったカラ、ただの珍しい英国被れだと思われ、あなた達が譲歩する形で交流してクレタと謙遜してイタが…」
 と、サトウが続けたところでやっと
「まあ、そういう言い方もできますけど」
 と、やっと言語らしい言語を語りだす。
「こちらが譲歩したというよりは、単純に彼女に惚れたからじゃないですかね?」
「ほ、れ…?」
 内心の感情をつつかれた様で一瞬ひるむサトウであったが、すぐに冷静さを装った。
「…ゴホン。惚レタというのは、男女の恋愛感情といったあれこれの事デスよね?」
「はい。あの当時彼女の話をまともに聞く事になったのも、もとはと言えば桂さんがはつみさんと知り合って懇意になったのがきっかけで、それが高杉さんの耳に入って『面白そうだ』とか『話を聞こうじゃないか』ってなっちゃった訳で…。」
「Mr.桂とMr.高杉…私はまだお会いした事がアリマセンね。」
「あ…そ、そうですね(宍戸さんの事なんだけどまだここでは言わない方がいいよなぁ)あ、でも、色事だけで国事を語っているという訳は決してないんですよ。」
 上司やはつみの名誉のために、と、伊藤は当時の心情についてもう少し踏み込んだ話を聞かせてくれた。
「はつみさんが当時からおっしゃっていた『日本が独自の文化や道徳心、政権を支配されないために世界各国のより優れた制度や技術を進んで取り入れ、列強と同等に応対できるしくみを得なければならない』という話は、攘夷の為にはまず異国の内情や技術を知るべき、という師からの教えを受けていた桂さんや高杉さんにはある意味凄く刺さったのだと思います。彼女は内政論を論じないというのも、確かに一見すれば『ただの日和見』とも捉えかねない、いわゆる『斬るに値しない』『ただの異国被れの戯言』の様ではあるんですが、いくら権力に霞みが見えてきたとはいえ幕府や朝廷を度外視して先の事を考えるなんて、ある意味どんな思想よりも強烈です。明言こそ避けている様子でしたが、新政府の樹立も視野に入れている、という事ですからね。彼女は政治に興味がない、ただの思想家の様に振舞っていましたが、当時にしては相当過激で斬新な考え方をされていたと思いますよ。もっとも、桂さんや高杉さんの様に彼女の事を真に理解できる人は限られていたと思いますが。」
「Hmm…しかし彼女は土佐の『吉田東洋』という人物から評価サレ、大名である『容堂公』とも面会シタ様ですが、そのどちらからも「話に血肉が感じられない」と言われた事を悩んでいる様デシタ。そのせいで、助けたい人を助けられずにイルのだと…」
「(助けたい人…武市殿の事かな…)彼女の欠点をあげるとすれば、彼女の思想や話が俯瞰的すぎてその説得力や先見性が聞く者の能力によって大きく損なわれかねない、重大な誤解を招きかねない、という所でしょうね。」
「ヒジョーにその通りだと思いマス。」
 同じ趣旨の話なのにはつみの視点からはまったく違う印象を語る伊藤の話は、サトウにとっても非常に興味深いものだった。そして、はつみがこれまで生きながらえてきたのは彼女自身も気付かないほど『綱渡り』の連続であったに違いなく、今回彼女が立場を偽ってまでこの長州にやってきた事も含め、これからもその『綱渡り』を続けていくのだろうと思うと…。胸が痛むのか、頭が痛むのか、とにかくはつみが心配で具合が悪くなってしまいそうな程だった。
「心配になりますよね」
 心情を察するかの様な伊藤の言葉に、サトウはハッと顔をあげた後、
「ソウデスね…」
 と頷いて見せる。話の区切りがついたかの様にサトウはワインを口にし、伊藤もそれに同調してワインを一口含んだ。ここまで話をして伊藤は更に思う所があった様で、少し口ごもるかの様に切り出すのをためらっていたが、促す様にじっと見つめるサトウと視線が合うと降参したかの様に話し始めた。
「…今回、万が一の時の為に、サトウさんと親交のあるはつみさんをここへ呼んだのは僕なんです。」
「その件なら、薄々気が付いてイマシタ。横濱からの船の上でMissはつみと私に関りがアルと思ったのデスね?」
 しかしながらサトウは、自分は一介の通訳官に過ぎず英国組織に対して何ら影響力はないので『万が一』があったとしても何もできなかっただろうと言葉を添えた。伊藤は雰囲気を一転させ、策士めいた顔をのぞかせて応える。
「ですが、はつみさんは実際に長州とあなた方連合軍の橋渡しになるべくしてここまで来てくださいました。もし彼女が必死に両者の間を取り持つ流れになった場合、貴方はどうされるでしょう?…はつみさんに少しでも害が及ばない様、サー・オールコックに何かしら進言を重ねてくれたかも知れません。例えそれが『影響力』の内に入らないものだとしても、はつみさんがいなければその進言自体も無いのだと考えれば…もしかしたら、という事もあり得ますよね。」
「Hmm.」
「長州はそれだけ無防備な状態でしたから、打てる手は打っておくという意味では、僕は彼女を呼んで正解だったと思っています。」
「…」
「それに…もし彼女がサー・オールコックと会話を許されたのなら、日本にも諸外国をリスペクトし、よりよい体制、よりよい関係で開国を勧めたいとする優秀な分子がいるという事をアピールできるかも知れません。もちろん彼女には何ら権限といったものは一切ありませんし、何より女性ですから…人によっては面白いと興味を持つかも知れませんが、世間の目は厳しいかも知れません。しかし開国に内乱でごたつく今だからこそ、しがらみを乗り越えて行こうとする者の存在は得てして一筋の光となりうるとも思ったのです。」
「…ナルホド。」
 心証的なところを押さえるという意味では、あながち伊藤の言う事は間違ってはいないとも感じた。実際、船上でサー・オールコックがはつみと見えた時、非公式であり限りなくプライベートに近い雰囲気の中での短い会話であったが、彼ははつみに好印象を抱いた様だった。あの上機嫌ぶりからして、『幕府の軍艦奉行殿がこの様な隠し玉を持っていたとは…』『通訳官として公式の場で会う事を楽しみにしている』等と言ったのはリップサービスというだけではないだろう。椅子に座りワインなどを含みながらじっくり話をする様な事があれば、何かが変わったかも知れない…と思いたい気持ちは分かる。
「…気さくで聡明な紳士でアリながら、やはり貴方も『志士』なのデスね。」
「え?それって褒めて下さってるんですか?」
 謙遜する様に小首を傾げる伊藤に
「ええ、感心しているんですよ」
 と加える。
「たはは…そんな柄じゃないんですけどね」
 と頭をかいて苦笑する伊藤であったが、フと息をつくとしみじみと言葉を続けた。
「…認めたくは無いんですけど、僕もこうやって彼女を政治の道具として使い始めているという事なんですよね…。そして彼女と共にいる坂本さんもかなり特殊な特殊な人ですから…これからはきっともっと利用されていく事になると思います。彼らが望む望まないに関係なく…」
「ええ…」
「自分でこんな所にまで呼んでおいて何なのですけど、彼らがいつ斬られてしまうんじゃないかと心配しています。実際もう何度も襲撃に遭っているみたいですし…坂本さんもはつみさんも、日本の未来に対する発想と行動力は一介の志士とはスケールが違います。日本の枠に収まらないとは彼らの様な者の事を指すのだとつくづく思わされるくらいで…。」
 数年前、サトウの友人達もMissハテュミの無事を祈った事があった事を思い出す。今はあの時よりも更に具体的な『開国』思想の元、そして明確な意思のもと、はつみは動いている。あの坂本龍馬という桁違いの器を感じさせる人物と『理想』を現実とする為に奔走しているのだ。そして実際、彼女は襲撃を受けている。それも一度だけではないという。彼女の傷跡を診たウィリスの話によれば、傷が浅かったのが奇跡でありもう少し踏み込まれていれば間違いなく背中の傷は致命傷となっただろうと言っていた。致命傷とはならなかったとしても治療には相当の痛みを伴った事が安易に想像できると。その様な目に遭っても尚、彼女は歩むことをやめない。「理想」つまり恐らく誰かを「助けたい」という願いを達成する為には、日本が列強と渡り合える力を持つ為に開国と諸外国との交流を是とする事を認めさせる必要があるのだと…。
 一人記憶を回顧していたサトウに構わず、伊藤はワインのグラスをグッと飲み干すと手酌で更にもう一杯継ぎ足し、またグッと飲み干す。少し勢いのある飲み方をするので彼の様子を伺っていると、それに気づいた伊藤は『たはは』と自嘲めいた笑い声をあげ、肩を落とした。
「自分は海外をこの目で見てきておきながら、長州の出方次第で回避できる戦争を回避させる事もできませんでしたから…話していて、不甲斐ないなぁと痛感してしまいまして。」
「NO、MissはつみやMr.坂本の話はモットモながら、その様にご自分を卑下する必要はアリマセン。」
 伊藤を励ましたり気遣うつもりではなく、サトウはただ『事実』を毅然と言い放つ。「え…」と顔を上げる伊藤に、サトウは真っすぐに続けた。
「貴方達長州は攘夷を実行し我々はソレに対して報復砲撃を行いマシたが、その立場・背景が非常に複雑であり、容易に1か月足らずで藩論を覆せるものではナカッタとは想像に難しくアリマセン。ですが講和交渉は別です。コレハおそらく貴方がいたからこそ早い段階で彼らも講和に踏み切り、結果、交渉も成立したのデス。戦争がモット長く続いていても、或いは講和交渉自体が決裂シテモ決しておかしくはナイ状況だったのデスカラ。」
「……」
「ソレニ、私は貴方や井上と周防の沖で別れた時、私の教師から従来の日本の価値観と仕来りで裁かれるなら、貴方達はホトンド斬首されるだろうとも聞き、非常に悲しくなりマシタ。デスガ貴方は今もこうして生きている。それは、貴方が貴方の上司から必要とされているカラ、貴方の持つ知識が必要とされているカラなのだと、私は思っていマス。…『無謀な攘夷はヤメロ』と進言する事は斬首に繋がるのだと貴方達も分かった上で、イギリスから急遽帰国したのデショウ?現実をありのままニ見据え受け止め、視野が広く真に勇敢である者を、誰が無能だナドと思うでショウか。」
「サ…サトウさん…」
 思わぬ熱い言葉を受けた伊藤は目頭が赤くし慌てて目元を擦り付けたが、今度は鼻を赤くして照れくさそうに笑った。
「へへ…すみません、彼女の話をしているはずが僕の愚痴になってしまっただけでなく…そんなお言葉をかけて下さって…グスッ」
 人知れずその身に抱える重圧があったのだろう。サトウは気難しい政治話はここまでとでも言わんばかりに、伊藤のグラスにワインを注ぎ、そして自分のグラスにもワインを注いだ。そしてどちらからともなく改めて乾杯をし、今度は陽気にグラスを空けるのである。

「そうだ!サトウさんとはつみさんの馴れ初めを聞かせて下さいよ!」
「―!?ナゼそうなるのです?」
「いやいや~うちの桂さん達のマル秘話もうっかりしちゃったので、代わりになる様な話を仕入れさせてほしいなと思いまして」
「そんな…そもそも私とMissはつみは『馴れ初め』など語れる程、関りはアリマセン」
「そうなんですか?おかしいな、僕の見立てでは…あ、じゃあ文通をするきっかけになったのは何故だったのですか?」
「…どうやら逃がしてくクレル気はない様デスね…」

 こうして、二人の友好は深まっていくのだった。



9月3日 伊藤らを乗せ、横濱へ出航する。 






※仮SS