所属・拠点:土佐藩
文政12年9月27日生(約12才年上)
身長:182cm・筋肉質・逞しい
性格:誠実、徳高望重、表情希薄
一人称:俺、私
二人称:おんし、おまん
出会い:安政6年・土佐日常編
物語:「不鳴蛍焦身」
Image Colors: 薄花桜
土佐の白札郷士の家に生まれ育った彼は、常に己を律し行動する、武士の鑑とも言える様な人格者であり、実直で誠実、他人に厳しく、そして己にも厳しい。
当時の成人男性平均身長を遥かに超える長身であり、表情も稀薄で生真面目な様子からかなりの圧を感じるのも事実ではあったが、その立ち振る舞いには一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香るかの如き趣があり、その高潔な性格が多くの人心を惹きつける。
口数も決して多くは無いが誰に対しても誠実で面倒見がよく、指導者としての資質は若い頃から備わっていた。江戸三大道場桃井へと剣術修行に出た際には剣の腕のみならずその人格も高く評価されて塾頭に抜擢。風紀が乱れがちであった門下生たちを厳しくも適切に取り締まった。これにより道場の品位を再び押し上げる事へ多大な貢献をした。人望の篤さと器の大きさ、政治手腕等が申し分ない程に開花し、土佐郷士達だけでなく他藩志士らからも多くの支持と信頼を寄せられる様になる。
また、大きな体躯からは想像がつきにくいが手先も器用な方で、10代の頃から手習いを受けていた美人画や水墨画はかなりの腕前である。詩作なども嗜んだが、大好きな浄瑠璃を歌う事は下手であったとするなど、趣味に興ずる人間深い一面も持ち合わせていた。
若くして両親を亡くし祖母と二人きりになった武市は、それを機に妻・富と婚姻している。多くの者達からの尊敬を集める『武市先生』であると同時に、周囲から『鴛鴦夫婦』と言われる程善き夫であり、善き妻という関係であった。彼の妻に対する誠実さは、たとえ二人の間に子が生まれなくても決して揺らぐことなく続いていく。
…はずだった。
まさか、『恋』というものを知ってしまうまでは…。