所属・拠点:土佐藩
天保8年4月17日生(約4才年上)
身長:163cm、筋肉質、細身、無骨
性格:質実剛健、公明正大、現実主義、
表情稀薄、潔癖症
一人称:俺
二人称:おんし、おまん
出会い:安政6年・土佐降臨編
物語:「同床異夢」
IF外伝:「日日是好日」
Image Colors:舛花色
土佐上士の中でも大身となる乾家の嫡男として生まれる。
幼いころから逸話に絶えない悪童であったが、それは彼が極めて性根の真っすぐな気の強い男子で、且つ筋金入りの現実主義者であった事に大きく起因する。
子供の頃、物乞いの母子へ姉の振袖を与えた事を咎められた際、彼は『裕福な我が家にあっては一枚の贅沢品にすぎない振袖が、この冬を越す事も否まれる物乞いの母子にとっては命の存続を左右する大事な品となります』と言い切り母親を驚かせる。この頃から、生まれ持った現実主義観を以て民本主義思想の片鱗を現し始めていたのだった。そしてその『現実主義観』は、あらゆる迷信事を身を以て証明してみせるという実証主義観へも派生してゆく。
しかし『現実主義観』が行き過ぎる事も多々あった。ある時『御守を捨てると神罰が下るのか』という迷信を試した際に『バチ』があたり、片耳が難聴になってしまったのだ。耳の聞こえが悪くなった事で勉学にも普段の生活にも支障を来たしたが、しかしその結果は結果、『これが現実』として受け入れ、乾は事実を知ろうとする行為自体を後悔したり改めようとはしなかった。
成長するにつれ性への関心も深まる中、行き過ぎて『男色(狼藉)事件』まで起こしてしまう。乾家の下男を「いじめ」た上士の息子を懲らしめる為に手を出したのだが、その凌辱性に対し藩法に触れ実際に処罰される程の騒ぎとなってしまったという点については、知的(性的)好奇心、実証主義観が大きく影響してしまったとも言えた。
一方で、これらの時点で乾の婚姻歴は2度となっており、いずれも周囲からの世話で得た乾家にとっての良縁であった筈だが…やはり気の乗らない、『現実』のないウワの婚姻生活は長くは続かなかった。
この様に対人面においても徹底される『現実主義』っぷりは『公明正大さの証明』としても度々周囲を感心させている。恐れ知らずの性格は『相手に忖度せず事実や道徳観に基づいた正論と喧嘩にて成敗する』といった挙動を一貫し、公正で漢気あるその言動故に彼を慕う者が増えていた。気付けば地域の荒くれ青少年をまとめる『盛組』の『総長』へと推されて就いた事もある程であった。
喧嘩に明けくれた乾はある日に大罪を得てしまい、廃嫡の上城下から離れた神田村へと追放。無期限禁足という重い処罰を受けるに至る。しかしこの神田村での生活であらゆる身分の者達とありのままに交流を重ね、身分に固執しない適材適所の思想を根付かせ、人物として一回りも二回りも変化を遂げた。
そして4年後。
罪を許され城下へと戻った23才の春。城下は『かぐや姫』の噂で持ちきりであった。自分の目で確かめたくなった乾は『訳あり』の彼女が軟禁されている面会謝絶の庵へと足を運ぶ。
そこで、生涯忘れ得ぬ女性と出会う事となった。