所属・拠点:長州藩
天保4年6月26日生(約8才年上)
身長:170cm、筋肉質、細身
性格:精金良玉、温和、品、情熱、忍耐
一人称:私
二人称:君、貴女
出会い:文久元年・江戸遊学編
物語:「清香残懐」
Image Colors: 本紫
かの知将・毛利元就の血を引く藩医・和田家の長男として生まれる。
後に大組・桂家の養子となり、士分を得たが、養子となった翌年、養子縁組はそのままで生家へ戻るなど少々複雑な家庭事情の中で育った。和田家(実父)は多くの遺産を小五郎へ残した為、小五郎は金で士分を得たのだと言われぬ様、忍耐強く、剣術学問ともに人一倍の努力を重ねる。
若き日の江戸剣術修行においても極めて優秀な実績を誇り、剣豪として江戸中に名を知らしめた。加えて目を引く長身と中性的な美貌、温和で真面目な人格と教養高さが品を奏で、老若男女、身分構わず人気を攫っていく。特に女性からはところかしこから羨望の眼差しや黄色い声援が向けられ、いつも良い香りを漂わせているとももっぱらの評判だ。
時事においては物事の芯を捉える事に長け、人望も極めて篤い事もあって人材をまとめ上げる事に優れた才を発揮する。しかし一方で、心労に耐える事も多かった。
そんな彼を慰めるのは柔らかな女性の存在だ。女性の膝に甘え、香を焚いた部屋で静かな夜を穏やかに過ごす事が癒しだった。年相応に結婚の経験もあったのだが、家の特殊な事情に加え彼自身の江戸滞在が数年にも及んだ事もあって、妻を開放してやるという形で結婚生活に終止符を打った。桂家の跡取り問題も勿論あったが特殊な家族構成で前妻を悩ませた事を想えば、その思慮深さ故に『私の元へ嫁ぐ娘は気の毒だ』とも考え、新しい婚姻話にも躊躇いを見せてしまう。
昨今珍しい程に『女性』の立場や心情を気にかける武士でもあったが、それが行き過ぎてか、彼は女性を『正妻』『妾、愛人』として拘束する事なく『互いに拘束しない関係』を前提とした交流を望んでいた。決して芸妓や飯女をとっかえひっかえしている訳ではないが、かといって特定の相手を作る事もしない。しかし、彼を慰めるのは宵闇での女性の存在…。この矛盾する事実故に、あらぬ誤解が起こる事も少なくはなかった。
水戸との成破の盟を取りつけるなど『尊王攘夷』の急先鋒として活動していたが、師であり友でもあった吉田松陰の様に『海外情勢』を学ぼうとする姿勢も併せ持つ。若き日には長崎遊学を望み、更には蘭学医である村田蔵六(大村益次郎)を長州に引き立てたのは他でもない桂だった。
そして文久元年・夏は江戸。稀有な女性との出会いを果たすに至る。
彼女は多方面にわたる教養と洗練された独自の価値観を持っていたが、男女の距離感や恋愛感についても一般的な感覚とは異なる様子が見られた。『役者の様』とも違う、真に『かぐや姫の如く』浮世離れした麗しい容姿に恵まれているのにあえて男装をし、女性である事を自ら度外視して時勢の荒波に飛び込もうとする。恥じらいが無いわけではないが、男社会に飛び込み時世を語り合っても相手に怯む事のない芯の強さ、或いはそれこそ、異文化で生まれ育ったかの様な価値観の違いや鈍感さのようなものを毅然と発揮していた。そして桂と同じで、己の器量良さには殆ど無頓着な様子も非常に印象的であり特徴的であった。
彼女と語り合う度に、その先進的な才と唯一無二の存在感が桂の中で大きくなっていく。その『鈍感さ』故か、桂を前にしても決して他の女性たちの様になし崩し的にはならない様子の彼女にじれったさを感じていた訳ではないが、ある日、桂は自身が袖下に常用している『袖香炉』を贈った。…子供や女性らが『良い匂いだ』と喜ぶから身だしなみとして持ち歩いていた袖香炉だったが、その香がいつも自分を思い出すきっかけとなってくれたなら…と、ほのかな期待を込めて。
単純に喜ばせる為ではなく、自分への依存性を見出そうとする。その様な意図で女性に何かを贈ったのは、初めての事であった。