所属・拠点:英国出身・
横濱英国領事(公使)館
文久2年来日
天保14年6月3日生(約2才年下)
身長:178cm、中肉、足長
性格:高材疾足、紳士、社交的、
ロマンティスト&リアリスト、本の虫
一人称:私
二人称:貴女
出会い:元治元年・東西奔走編
物語:「Fabulous emotions」
IF外伝:「Alternative Romance」
Image Colors:胡桃染
イギリスはロンドン、プロテスタント(ルーテル派)の一般的な中産階級家庭にて三男として生まれる。
幼いころから本の虫で、学業においても卓越した才を持ち両親たちの期待を背負っていた。階級や宗教を問わない男子私立校Mill Hill Schoolを首席で卒業した後、University College Londonへ入学する。
1860年、すなわち日本においては桜田門外の変という一大事件が起こった年の秋。大学一回生の16才であったアーネストは兄が貸本屋から借りて来たイギリス外交官/ローレンス・オリファントによるエルギン卿使節団の中国・日本訪問に関する回想録を読み、日本に興味を持った。当時イギリスではジャポニスムが開花する前の文明時期であり、太陽が上る東の海の果てに『ライジング・サンとゴールドを象徴とする幻の国・ジャポン』が存在するという話はほぼ『おとぎ話』としてでしか周知されていなかった。
だが実際に日英和親条約を結んだ使節団がその名を冠して発表した論文に偽りがある訳がない。おとぎ話だと言われ続けていた未知なる世界への知的好奇心を押さえられないままに、サトウはその本を開いた。
『日本とは空が常に青く、太陽が常に照り続けている国。男達はバラ色の唇と黒い瞳を携えた魅力的な乙女たちに伴われて座敷に寝そべり、築山のある小さな庭を窓越しに眺めながら過ごす。神々の祝福を受けたかの様な、色鮮やかで、現世におけるおとぎの国。』
これに強烈な魅力を感じたアーネストはアッと言う間にこの本を読み尽くし、続け様にアメリカ/マシュー・ペリー提督の遠征記にも目を通した。オリファントの回想録よりもずっと冷静な体裁で書かれていたが、現実的な主観と具体的な報告内容により一層日本のイメージを確固たるものにできた。以後、サトウは他の事は考えられなくなる程、日本への興味を深めていく。
1861年夏、日本ではまさに尊王攘夷の旋風が巻き起こる文久元年の事。大学生となっていたサトウの日本への興味情熱はまだまだ続いていた。彼の同年代で極東に存在すると言われるおとぎ話の国にこんなにも夢中になっている者など殆どいないと言っていい。
そんな折、大学の図書室で日本・中国への通訳候補生を外務省へ推薦する旨の募集告示を目にして思わず飛びついてしまった。ほんのひと月前の6月末に誕生日を迎えていたサトウは、募集資格であった『17才以上』とする項を紙一重でクリアしている事に一人ガッツポーズをする程歓喜してしまう。この後の大学生活や学位習得がいかようになるかなど二の次で、この外交官見習い事項へ応募する事に一切の躊躇いもなかった。難色を示す両親を説得し、最年少にして試験を受けた結果、首席で合格。外務省から通訳候補生としての任を正式に拝命し、大学は飛び級で卒業となった。そして赴任希望先を問われた時、彼は迷わず『日本』を希望する。
しかし当時イギリスでは『日本語を習得する為にはまず中国語を学ばなければならない』などとされており、ひとまずは中国上海領事館において中国語や漢字を学ぶ出だしとなってしまった。ここでの『無意味』な学習は、この後およそ1年にも及ぶ。それほどまでに、イギリス国内ひいては世界においての日本言語、文化とはまったくの『未開』であったのだ。
翌年1862年、日本における文久二年初夏の頃。本当にここ上海での学習が日本語習得に役立つのだろうかとの疑惑を殆どの者が抱いていた頃、以前この上海領事館に所属し今は日本横濱公使館に所属するイラスト記者、チャールズ・ワーグマンの風刺漫画冊子『ジャパン・パンチ』が創刊される。ひと月遅れ程で上海にもこれが配布され、日本での勤務を心待ちにしていたサトウにとっては日本を知る貴重な活きた資料であるとして早速手に取ってみた。チャールズ氏のオリジナルキャラクターによるイギリス人好みの風刺が、彼が見た日本の「おかしな文化」「解せぬ風潮」などを中心に物語られていく。そこに描かれている事の殆どは実際に取材した上で描かれている訳だが、そうであれば一つ、とても気になる『風刺』がサトウの心を捉えていた。
『抑圧されたミューズ』と題付けられた、男装をした日本人女性を描いた風刺だ。手にはメモを持ち、そのメモには英語がびっしりと書かれてはいるが、周囲にいる日本人の男達に押しつぶされ発言の機会を奪われている。別のシーンでは、見るからに政治の事などは理解できていないであろう幼い男子が多くの大人を指示し、それを守る男達が刀で周囲を刀で威嚇する。それに怯える男装のミューズが正しい知識を振るう事無く去っていくといった様子などが描かれていた。
当時イギリスにおいては人種及び階級差別問題の他に子供の労働や女性の社会進出などについても声高に問題が唱えられている所だった。その関心毎から取り上げられた風刺である事は理解できたし、インスピレーションをもたらす存在としてギリシャ神話よりミューズという存在をチョイスし、フィクション性を持たせたキャラクターに位置づけている事も理解できたのだが…いずれにしても、これを作成したチャールズは『抑圧されたミューズ』をイメージさせる様な才知溢れる女性と日本で出会ったという事になる。
…オリファント卿の本でイメージした時といい決して下心が前面にあった訳ではなかったが、アーネストは男子学校出身で『そういった事』の経験も乏しく、年齢的にも『そういった事』に興味がないといえば噓になる。実際、日本についたらまずはチャールズ氏にこの冊子についてインタビューをしたい、あわよくば『抑圧されたミューズ』のモデルになった女性について詳しく聞いてみたい…等と、一層胸を膨らませるていた。
そして同年…文久2年8月。
青々とした素晴らしい晴れ空の元、アーネストはついに日本へと上陸する。