高杉晋作らが画策した外国要人襲撃計画は、蒲田梅屋敷を経て阻止され解散の運びとなった。容堂公に対する暴言を吐いた周布政之助の処遇については容堂公本人による許しもあり、長州藩においては一旦カタがついたと言うところだ。
だが、この事件は土佐藩にとっては上士と下士の軋轢を浮き彫りにするものとして、ずるずると尾を引くものとなってしまった。周布によって土佐の英君たる容堂公が侮辱された時、当時居合せた下士に至っては何ら身動きを取る者すらいなかったと、上士きっての勤王派であり果断勇猛たる武士・小笠原唯八が容堂公の御前にて直接憤慨を露わにしたのである。
君主に対する忠義と時世に対する思想を秤にかけ後者に便宜を図ったものとして、君主ありて武士にあるまじき行為であったと深い遺恨を残すものとなっていた。今回『切腹』の形で責任を取らされる流れとなった間崎ら3名と、彼らを擁護する下士らは大い反発し、まるで一昨年前の永福寺事件を彷彿とさせる炎上絵図の模様となってしまっていた。
更にその矢先、本国土佐で結成された下士ら50人組が、京やその道中であらゆる騒ぎを起こしながらついに江戸へと近付いてくるとの報が舞い込んでくる。その『騒ぎ』には、またもや容堂公や藩主に無断で京師に関わるものや、土佐役人(下横目)らの殺人、江戸到着に至ってはとかく幕府に傾倒し公武合体を唱える容堂に仕える上士の領袖を暗殺せしめんとの噂まで舞い込んでいた。
単なる『思想の食い違い』であれば、ここまで上士と下士の軋轢が激化する事も無かったはずだ。もともと両者の隔たりは強い傾向にある家風ではあったが、それでも。…だが上士としても怒り事ここに始まった訳ではない理由がある。
近日まで江戸に謹慎し座する容堂公の側に控える上士から見れば、吉田東洋が暗殺され武市を中心とする過激派が急に藩政を牛耳り、土佐の精神的支柱たる容堂公が江戸にて謹慎中であった事をいい事に若き藩主をいいように担ぎ上げ、士分を遥かに越えて京師での朝廷工作をとりなし、市中では邪魔者を暗殺し続ける…といった、君主をないがしろにするという極めて耐え難い侮辱を抱え込んできていたのだ。これは『派閥』の問題も当然絡んではいるが、怒れる上士達の殆どはそもそもの『士分』について憤りを加速させている。
しかし容堂公は非常に忍耐強く、それこそ土佐全体の時世に対する影響を見極めようとしていた。江戸での謹慎が解かれるとすぐさま朝廷と幕府の間を駆けまわって調停役に徹し、若き将軍家茂公の覚えもめでたく、京師において不躾で過激な工作にひた走る過激派の尻ぬぐいをし続けてきた。全て事後報告でこちらに話が回ってくるから、実質踊らされている様な感覚さえ覚える。だがそれでも、朝廷と幕府という日本の巨山に対し難しい帳尻合わせを行えるのはまさに賢公にしかできない立ち回りでこれをこなしてきたのである。…それも、容堂公の腹心であり右腕であり不在中の土佐における若き藩主の補佐を一身に任せていた、吉田東洋を屠られた怒りは、時世における土佐の舵取りの前に一旦飲み込んでの事だ。容堂公の傍に仕える上士たる武士達は、例え乾や小笠原らの様な時世思想の異なる者であったとて、容堂公の精神的な強さと賢人さに、武士としての忠誠は勿論最上級の尊敬の意を示し、膝をつく以外の卑しい気持ちがある訳がなかった。
…にも拘らず、此度土佐では勝手に50人組など作って徒党を挙げ、あまつさえ朝廷工作に並び役人殺害、容堂公座する江戸に入っては、その時世思想に対立せし容堂公の側近たる上士暗殺までをもくろむとはまさに『激徒』であると断じる。小笠原のみならず、乾もまた、普段は動じぬその肝腹に怒りを燃やし行動を起こすに至っていた。
乾は土佐に控える上士らに檄を飛ばし、有志50余名から成る『臨時組』の前進たる集団を作った。しかし土佐と江戸はあまりにも遠く、乾自身も容堂公の覚えめでたく、留守居役としての任務も多々あり、その御傍を離れて組を微細かつ自在に動かす事ができずにいた。
そんな矢先、容堂公から乾へ呼び出しがかかる。件の『激徒』に対しどう対処すべきかを問うたのだ。
「あやつらのやり口はまっこと無礼千万じゃ。暗殺で周囲を黙らせ、藩主を恐喝し、身分もわきまえず京師をわが物のように動かし、此度はおんしを暗殺せしめんと江戸を闊歩してきよるぞ。退助よ、このような不届き者はどうすればええか?」
「―は。主君に仇なす不忠者にあれば、そやつらと戦って死ぬるか、生き恥を晒してやつらに従うかの二つに御座います。」
このこの会話が示す通り、時世に対する主義主張や政治工作の前に、武士として通すべき「忠義」があるはずなのだ。無論、帝から直接勅命が下ったのであれば話は別だが、此度の事にあたっては、自分達の主義主張を通す為に殺人まで犯し、京を震え上がらせた上で公卿や役人らを動かしている部分も安易に見て取れる。そして土佐の吉田東洋が斃されたその時から、土佐の藩政は相次ぐ天誅の上に勢い付いた専横政治以外のなにものでもないのだ。そこに容堂公や若き藩主の意思はない。ましてや容堂公に至っては、過激派激徒らの尻ぬぐいの為に朝廷と幕府の調停人として駆けずり回る事となっている。乾に至っては、此度江戸に入ってくる土佐50人組の一部から命を狙われているという状況だ。
しかし臆する様子もなく真っ向から返事をする乾に、容堂公はにわかに楽しそうに酒杯を煽りながら、期待を隠し切れない様子で話を続ける。
「して、そなたならどうする」
「無論、戦って死のうと思います。」
表情一つ変えず言い切る乾の言葉に、容堂公は手にしていた杯をカタンッと小気味よい音を立てて膳に置き豪快に笑った。
「―はっはっは!そうかそうか、よういうたな退助!さて、気概だけではどうにもならぬぞ。策はあるがか?」
「土佐に同志50余名を集めております。軽率に数を投じれば大局が動く事にもなり様子見をしておりましたが、容堂様ご上洛に際し御身辺警護として京へ呼び寄せては如何でしょうか。不届き者の刃がこちらへ届く事があれば、即座にこれを鎮圧せしめる事ができます。」
「ほぉ、そのようなもんを準備しちょったか退助。忠義厚く勇猛果断たるや、その迂闊に動かさんあたりは英断じゃ。よし、おんしに任せる。」
「―ははっ!もったいなきお言葉に御座る。お沙汰しかと承りました。」
容堂公は公武合体論を推し進め、対する乾は生粋の尊王論者である。朝廷を動かし勅使を伴って将軍目見えとなろうと、もはや日の本の尊王家として名をとどろかせたる武市に比べれば、乾はいまだ『歴史』の表舞台には立っていない。だが、血で血を洗い政権を奪い取ったにすぎない下士尊王攘夷派は、いかに至誠を貫く正論派の大人格者たる武市を以てしても『一藩勤王』には到底至れずにいる。表舞台には立てていなくとも、武士の世にあってただ真摯に君主のもとに仕え、その中で声を上げ続ける事の難しきままならぬ道を、今の乾は歩み進めているのである。
無骨な武士らしい真っすぐな動きで礼をした乾は、すぐさま準備に取り掛からんと御前を辞しようとした。だが容堂公が次いで声をかけ、乾もまたその場に背筋を伸ばして座り直した。
「して退助よ。そなた嫡男はどうなった?」
「―は。」
突然、あまりにも方向性を違える話の内容に、思わず眉をあげて反応する乾。彼のそのような表情を見る事は常日頃顔を合わせている容堂公であっても中々稀な事で、愉快そうに『ハッ』と一息笑みをあげた。
「なんじゃその顔は。」
「いえ、失礼致しました。…不肖ながら、今は勤めに邁進しております故」
「なんじゃ、まったく兆しなしか?」
乾は政治の世に在っては『若輩』とも言える26才であったが、上士馬廻り格150石の乾家当主であり、今の正妻とは婚姻して3年が過ぎようとしているところだ。とかく乾が更に若くやんちゃばかりしていた頃も、当時藩主であった容堂公は色々と彼の様子を聞き及んでいた様で、結婚自体は10代の頃から経験済みではあるものの先に娶った娘2人も程なく離縁し、3人目に娶った現本妻の鈴との間には子女を設けて以来解任の兆しが無いまま乾が江戸詰めとなってしまったという事も把握している。結果、嫡男を成せていないまま月日は流れ、今に至るのだと。
そう、後継ぎの誕生は武士にとっては『士分の使命』とも言える、大事な役目の一つなのだ。この問題については、江戸詰めを任じられた際にも、亡き吉田東洋から現状を尋ねられる事もあった。
「江戸に嫁を呼べばえいち言うたじゃろう。あるいは妾腹に産ませるちゅう考えもあるろう。」
「容堂様のお心も休まらぬそのお傍で、夜伽などできませぬ」
「夜伽とな、はーっはっはっは!ああ、ああ、そうか、そうじゃな。ふっふっふ」
乾の忠誠心に溢れながらもある意味『歯に衣着せぬ返し』を気に入ったのか、容堂公は随分と機嫌が良さそうだ。手にしていた扇を勢いよく開くと、顔を隠しながら笑っている。少しして笑いが収まると、何やら思い出そうと目を閉じ、指先で頭をトントンと叩きながら改めて問うてきた。
「あー、あれはどうした?西洋かぶれの、はちきんかぐや姫とやらは。」
直ぐに誰の事か察しがついた乾は、内心わずかに動揺した心を庇うかの様に頭を下げる。―と同時に、扇越しの容堂の視線が鋭く乾の動揺を認めた事にも気付いていた。質実剛健で怖いもの知らず、その心座して動かざること山の如し。武士としての本懐を遂げるのであれば命も惜しまぬといった気風のある乾退助であるが、どうやら気にかけるべき柔らかな部分は持ち合わせている様だと確信し、口角をほころばせる容堂公。
…はつみ自身は根無し草の土佐預かりという身分でしかない娘であり、元藩主という高貴な身分である容堂公の口からその名が出るだけでも特異な状況であったが、はつみの存在については亡き吉田東洋からの報告に名前が挙がったりなどしており、以前から把握していたのだという。また、別件ではあるが、乾自身もはつみの件について直接容堂公と話をしたのは記憶に新しい。
とはいえ何故桜川の名をここで出すのか。容堂公が乾の嫡男誕生について気をかけてくれている事も真であろうが、戯れておられるのだろうかなどとつまらぬ事を考えてしまう。とにもかくにも乾は改める様に小さく一息つき、伏した頭を俄かにあげてから、容堂公の質問に答えた。
「其が桜川の事でありますれば…恐れながら、あれは子を成せぬ女子ゆえ、子を成せぬと分かっちょる娘を所望する理由はありませぬ。」
各本面からはつみの噂や報告を聞き及んでいた容堂公も、彼女のそういった内事情については初耳だった様だ。にわかに眉を上げ『初耳だ』とばかりの表情も一瞬浮かべはしたが、そもそも乾という男の女に対する態度を知っているからこそ、そしてはつみに関しての話を広げる意図があってこそ、話を掘り下げていく。
「ほぉ、おんしら左様なめぐり合わせじゃったか。じゃがそれは本心ではなかろう退助よ。おんしが『好いた』女子であれば手元に置けばえい。毎晩仕込んでやれば、万が一という事もあるやもしれんぞ?妾腹はまた別におればえい話じゃき。」
この会話に対する容堂公の狙いがどこにあるのかをいまだ察せない乾であったが、とかく、女絡みの話は公も嫌いではない事を重々承知している。容堂公は酒豪のみならず女への趣向も強く、妾を何人も侍らせ、精力増強いわゆる絶倫の体力に満ちている。かの大老阿部正弘公が亡くなった際には、その愛妾であったお鯉尾を自分の所へと呼び寄せたという強烈な話もある。
―その容堂公も、乾の結婚歴については把握しているし、3人目を娶る際には渦中の桜川を娶ろうと、柄にもなく随分と励んだという話を東洋から雑談程度に聞いていた。だからこそ、容堂なりに『おんしともあろう者がどうした、妾にでもしたらどうか』といった発言をしたのだが。
「…畏れ入りますが、ご容赦を。」
そんな乾の返答に容堂公はわざとらしく大きなため息をつき、手にしていた扇をヒラヒラさせた。しかしすぐにそれを閉じると畳の上にドンと突き立て、それを支えにして身を乗り出す。
「いつもに増して随分と堅いのぉ退助。それとも、『桜川の話であるから』して、その様に頑なになっておるのか?」
乾も主義主張は曲げぬ気丈な性根を持ち合わせてはいるが、この様な『猥談』において容堂公に詰められれば全く歯が立たないのは分かり切った事だった。天下泰平にまつわる話ではなく、いち上士に過ぎぬ己の他愛もない話であれば議論に刻を費やす余地もないと、早々に諦める。
「恐れながら、時勢を見極めるにおいて私情を挟む事は御座いませぬ。されど此度、拙者嫡男の件に限り私心を申し上げるのであれば…後者にございます。」
目を伏せながらも白状する乾に、容堂は愉快そうに『そうであろう?』と頷いた。乾は黙りながらも、まさかこのような場所、しかも英君たる容堂公に対して己の女事情を打ち明ける事になるとは…『恥』とは思わないまでも、普段あまりない絡みであるが故に堪え切れないため息が漏れ出てしまう。
「はっはっは!まあその桜川の事じゃが、いまだに武市の所におるのか?」
桜川の名に並んで武市の名が出た途端、恐らくこれが、容堂公が真に話をしたかった事なのだろうとすぐに見当がついた。乾の中でピンと糸が張るのを、容堂公もつぶさに感じ取っている。
「…断言はできかねますが、恐らくは。」
「そうか。では、侍女にでも任じればあれらとも距離をとるか」
「…は。…」
容堂の言う意味が分からず、いや、その意図を推し量れず、発言を促す様に尋ねた。すると容堂公は目を細め、ようやく核心に触れたかの様にどこか挑発的な声色で応える。
「不忠義者共の側にあの才を侍らせておくか?おんしの妾にでもして傍に置いておれば、いざという時にも『飛び火』せずに済むであろうに。」
「……」
一瞬、はつみを側女として迎える事に興味があるとでも言われている様にも聞こえ、応答に戸惑ってしまった乾であったが、その深層には容堂公からの助言の様なものも含まれていた事に気付く。
「或いは、褥に侍らせて異国の事でも語らせれば、さぞ寝つきもようなるか」
「……容堂様、御戯れが過ぎまする」
腹の内を探らせない会話術に長けているというのは容堂公の強みの一つだったが、この様に時世談とも私的談とも言い切れぬ場面で発揮されると大変にやりにくいものであった。
この話の流れに、乾とはつみの間で組まれた取引事項である『容堂公に御目通りを願う』件について今ここで口にするべきかとも思ったが、私事の話題が重なり過ぎているとも思い一旦飲み込む乾。
どうやら容堂公は、吉田東洋らから聞いている桜川はつみという才女について、乾が思っていた以上に興味を持っていると言う事だけは理解できた。そのはつみの才を今すぐに登用するではないにしても、中浜村の一漁師に過ぎなかった中浜万次郎がその奇妙な経験と才を以て幕府旗本へと取り立てられた様に、例え桜川が女であろうともその秀でた才故にいずれ使いようがあると一考にあるが故に、『飛び火しない様』こちら側の側におくべきと言った発言に至ったのかもしれない。嫡男の件も然りか。
思い巡らせながらも思考に時を駆け過ぎて無礼を取ってしまう事のない様、纏まり切らない頭のまま、ひとまず容堂公へ対し首を垂れる。
「…桜川への格別なるご配慮、私からも感謝申し上げまする。然るべき時に裁きの対象とならぬ様、出来る限り注視しておきまする。」
「―おう、そうしちょけ。いずれ、土佐の役に立つ時が来るかも知れんきの。」
自らが話し終わる前に席を立とうとする容堂公へ更に深く首を垂れる乾であったが、立ち上がった容堂公は一旦背筋を伸ばして姿勢を正し、最後の最後にと、またも重い一言を放った。
「ああ、嫡男の事じゃがな、乾よ。久川晋吉を知っちゅうろう。なかなか器量のいい姉がおる様じゃき、土佐に帰った暁には会うてみるがよい。」
「―はっ…?」
その話ははつみの件に対する伏せ線であったと括っていた乾にはまさに寝耳に水の発言であった。思わず顔をあげて聞き返す乾の目前にしゃがみ込んだ容堂は、固くなっている彼の肩に手を置いて二度ほど軽く叩きながら、決定的とも言える忠告を続ける。
「武士たるもの死をも恐れず大義を成す。おんしの気概はまこと頼もしいかぎりじゃが、家を継ぐ男子を成さねばならぬという大事もある。それは忘れるな。」
「ーははっ…!」
…容堂が去って後(のち)、乾は下げていた頭を静かにあげ、その場に正座したまま小さく息をついた。土佐の英君であり賢人たる容堂公の深慮はまったく計り知れない。嫡男問題を話題掴みの切り口とし、そこから本題としてはつみの才と身柄をいかようにして上士側へと回し込むかを問う巧みな話術だと思っていた…その矢先の言葉だった。妾の話も、決してつなぎの話題などではなく、乾に対し『妾をとってでも嫡男を誕生させ武士の一分をまっとうせよ』との思し召しだったのだ。
…とはいえ、女の斡旋を受けるとは……。
容堂公直々の紹介ともあれば、その女を迎えねばなるまい。
代々続く家の事を考えれば、嫡男の事はやはり養子ではなく己の血を以て継続させていく事が最も望ましいと言う事は分かる。時世のうねりを目前にいつ己の命が潰えようがそれを恐れる事はない。だが血脈を残す事。これが自分の成すべき事の一つであるという事も重々分かっていた。
だが…………
妻以外の女を孕ませなければならない事を考えているというのに、後ろ髪引かれるかの様に思い浮かぶのは…桜川はつみの顔であった。