元治2年(慶応元年)の頃、長崎の外国人居留地に大浦天主堂というカトリック教会が建てられた。
フランスのベルナール神父はここで隠れキリシタンと出会い、この出来事は『使徒発見』として教会の中でも非常に衝撃的な話題となった。彼らは数世代にも渡って隠れ潜んできた驚くほど敬虔な信者であり、江戸初期・島原の乱以降ひたすらに隠れ口伝でのみ受け継がれてきた信仰の『本物の』指導を願い出たと言う。
これを機に長崎周辺に潜んでいた隠れキリシタン達はひそかに大浦天主堂を訪れ、神父の教えを受け持ち帰り、広めていた。
活動が広がり信仰心を抑えきれなくなったのか浦上村などでは仏式の葬儀を拒むものが現れ、これが原因でキリシタン勢力の存在が露見したという。長崎奉行所は武装して浦上村へ乗り込んでいったが信徒たちは無抵抗で縄を受け入れ、棄教を迫る役人達から厳しい拷問を受けた。
…というのが史実であったが、はつみはこの辺りの事には殆ど詳しくなく、『実際には史実とは違う事件が起こっている』事や、『その事件が行方不明になっているルシと関りがある』とは気付けなかった。
長崎奉行所が浦上村の信徒を捕縛し拷問せしめた翌日、長崎に滞在していた各国公使及び領事が長崎奉行所へ強く非難するが、同時に信徒を捕縛した役人達が何者かの襲撃にあったとの報告が飛び込んできたという。
信徒らを拷問の最中、空から黒い何かが降ってきて次々に役人たちを襲った。
真っ赤な目をした黒鳥だったとの報告もあったが、信徒を取り締まる男達が一瞬にして地に膝を付くほど、圧倒的な襲撃だったと言う。恐れおののきキリスト教の呪いだと言う者に対し、各国はとんでもない侮辱である事を主張し断固抗議。黒鳥の正体も所在も分からぬままであったが、信徒たちは各自控えを取られた後ひとまずと留置は取りやめられ、それぞれの村へと帰らされた。
黒鳥の件はともかく、長年キリスト教を廃止してきた幕府はやはりこれを認める訳にはいかない。諸外国との摩擦も強くなり、大きな悩みの種が具現化した形となってしまった。
※仮SS