仮SS:いろは丸事件・ルシの奇跡


4月8日大洲藩より借り受けた「いろは丸」が長崎入港

 慶応元年閏5月以降、今でこそだいぶ良くはなったがはつみが精神的に不安定で自暴自棄な様子が続いていた。

 龍馬はこれまで2度諦めてきた蝦夷開拓をこのいろは丸に賭けており、世界に開けた新しいふろんてぃあを蝦夷に展開するべく、はつみにも存分に活躍してもらうつもりだとかねてから打ち明けてくれていた。もちろんはつみが心身共に落ち込んでしまっている事は重々承知きらきらとした海を滑る様にして入港するいろは丸に夢をあずけ胸膨らませている龍馬がとても眩しく、頑張ろうねと声を掛けると、彼は太陽と青空の下力強く頷き微笑み返してくれた。
「おお!はつみさんを新しい世界へ連れてっちゃるき!楽しみにしてとおせ!」
「新しい世界…」
 歴史を知りながら助けたい人も助けられない、ただ時代の流れに翻弄されるだけ。一体何の意味があってタイムスリップしてきたのか、自分の存在とは一体何なのだろうかと、と自分の存在意義が分からなくなっていたはつみには『ここではないどこか』というだけでもやけに胸に響く言葉だった。
「おお!なんなら、おんしを攫って世界一周旅行ぜよ!な~んての!はははは」
「…そっかぁ…素敵だね!そんな旅ができたら、楽しいだろうなぁ…」
 本当に心からそう思った。何もかもかなぐり捨てて、自分の力で世界に飛び出せたらどんなにいいか…。…だが自分は、周りからの覚えがいい割には結局自分では何も切り拓く事のできない凡人なのである。『自分の力』で『自由に』飛び出すなどできないと分かり切っていた。自分の自堕落な態度も含め、自虐的にそれならばいっそだれかの子供でも身籠れば……とまで考えた程だ。
 はつみがそんな暗黒精神に陥っている事を龍馬はどこまで悟っているのか…。眩しそうに船を見つめるはつみの横顔をじっと見つめた後、彼はまるで父親か兄であるかのにはつみの頭に手を乗せ、「いつかわしが連れてっちゃるき!」と、いつもの様にぽんぽんと撫でるのだった。


4月19日「いろは丸」長崎を出港「今日をはじめと乗り出す船は、稽古はじめのいろは丸」


4月23日23時頃。岡山藩六島沖付近にて、いろは丸とどこかの蒸気軍艦が衝突する事故が発生した。

 同事件発生時は23時頃と真夜中であり、船のごく近くであれば多少の灯りもあったが非常に視界が悪かった。気が付いた時には、いろは丸よりもかなり巨大な軍艦~紀州藩の蒸気船明光丸~が宵闇の中右方向から『ぬっ』と現れた。先に気付いたいろは丸が取舵で左方向へ回避するも、紅灯を灯すともせず見張りも立てていなかった明光丸は後からいろは丸の存在に気付き、慌てて主舵で右方向へ回避。そしてどういう訳か再び取り舵を切って左へ進路を向け、再びいろは丸の右舷に接近。互いの回避行動の甲斐も無く、明光丸がいろは丸の右腹を突く形で衝突してしまった。

 船体の差、航海速度の差などは歴然としており、小さく軽かったいろは丸は大きく衝撃を受ける。
「きゃあーーーっ!?」
「―はつみさん!!!!」

―ドボン!!!

 これに耐えられなかったはつみは手すりを乗り越える程に大きく船外へ投げ出され、そのまま真夜中の暗海に落ちてしまった。それを間近で見ていた龍馬は躊躇う事なく飛び込み、近くにいた海援隊士たちも援助するべく即座に行動に出始めたが、衝突に驚き慌てて一度引いた明光丸が何を血迷ったか再び迷走した舵を切り全速力でいろは丸へと再突撃してしまう。

「うわぁー!!はつみと龍馬さんが海に落ちたー!」
「照らせ照らせ!救命具を投げろ…うわ…うわああ船が来るぞぉぉ!!!」
「衝撃ーーーーーーー!!!!!!」

―ドグシャア!!!バキバキ、メキメキメキ…!!!
ゴォォォン…ゴォォォン…!バキバキバキ…!!!

とどめの一撃を受けて大破したいろは丸は大きく傾き、他の海援隊士たちも海へ投げ出される危険に晒され続ける羽目になっていた。皆にとっては慶応2年(およそ一年前)のワイルウェフ号の転覆事故もまだ記憶に新しく、海援隊の面々は戦々恐々としながらも必死に明光丸へと非難を開始する一方、海へ飛び込んで以来姿を現さない龍馬やはつみを追って飛び込もうとする寅之進や陸奥を抑え込む事にも四苦八苦していた。



 一方。海中ではつみの手を掴んだ龍馬であったが海の中は尚の事真っ暗で、上下すら分からない状態に陥ってしまう。また沖合だった事もあり海流が強く、『浮上できない』という最悪のシナリオが脳裏を埋め尽くそうとしていた。

実際にはそう長くない時間であったが彼らが窒息するには十分な時間で、既に意識を失っているはつみを抱き寄せた龍馬は覚悟を決めようとしたが、どこからともなく『ケーン!』と聞きなれた声が聞こえる。フと『顔を上げる』と光が見え、それはこの深夜の暗黒海中を照らすには不自然なほどの白く強い光であったが、龍馬は力を振り絞りそこへ向かって泳ぎ始めた。

光の方から『龍馬』『龍馬さん』『龍さん!』等など、自分を呼ぶ声も様々に聞こえる。

その声の一つ一つに聞き覚えがある一方、海面で必死に自分たちを呼び捜索しているであろう海援隊達の声ではない事はすぐにわかった。


それは…間違いなく、いまはもう亡き仲間たちの声だった。


死に直面した際の妄想か、はたまた何らかの奇跡か…酸欠で意識が遠のき始める龍馬にその疑問の答えが示されたのは、直後の事だった。龍馬はついに光を掴んだが、掴んだそれはどういう訳か桜清丸であり、次の瞬間そこから弾ける様に光と大量の桜の花びらが拡散し海流の様に一つのうねりとなって龍馬達を包み込んだのだ。

体感で分かるほど明確に体が上昇していき、気が付くと龍馬ははつみと桜清丸を抱えたまま、暗い『海の上』に立っていた。






 4月23日深夜から続く24日深夜。
雨の兆候があり月明かりも無い海はただただ暗かった。遠くで様々な叫び声や騒音が聞こえ、そちらへ振り返ると暗闇の中に明光丸の紅灯をはじめとする小さな灯りがいくつも浮かんで見える。恐らく海援隊の皆の声なのだろう。そちらへ向かおうとしたが、背後からまた「ケーン!」と呼ぶ様な声が再び聞こえた。先ほど海の中で聞いた時より現実味のある響きで耳に届いたその声の主は、月明かりもない暗闇の中で一点、光を放つかの様な白さで龍馬達の上空を飛び回っている。
手にした桜清丸も呼応する様に異常な熱さを放っている。

「…そうかえ。今、行くぜよ…」

 当然疑問は沸き起こる。海の上に立っている。

ここは現実なのか、それともあの世の入り口なのか?

しかし今はただただ目の前で起こっている事を受け入れるしかない。ルシに応える様に呟いた龍馬は、暗闇の中をかの鳥が示す方角へと『海の上を歩いて』行くのだった。



 程なくして船の衝突現場に近い六島の浜に辿り着いた龍馬であったが、波間から出て上陸した瞬間に体全身が鉛の様な重さとなり思わず膝を付いてしまう。全身ずぶ濡れだからといって単純に海水の重みでこうなった訳ではない。海水を飲み溺死寸前まで追い込まれた体は外傷無くとも限界を極めていたのだ。それでもここまではつみを抱えて『海の上を歩いて』辿り着けたのは、これまでずっと見て見ぬ振りをしてきたルシやはつみに掛かる『得たいの知れない何か』に守られていたのだろうとも思った。

 ともかくはつみは大丈夫かと腕の中の彼女の様子を見る。暗闇の中では顔すらも殆どよく見えなかったが、触れたはつみの頬や手は非常に冷たく、肌は陶器の様に白く血が通っている様に見えない。鼻や口のあたりからも呼吸をしている様子が伺えなかった。即座にはつみを砂の上に寝かせるとためらわず胸元に耳を押し付け、鼓動が殆ど感じられない事を確認する。

「―っ……!」

『血の気が引く』。はつみを前にこれを経験するのは何度目の事か。しかしこれほどに追い込まれる事は無かったほどに、龍馬の表情には焦りと不安で満ち溢れていた。鉛の体を気力で動かし、龍馬ははつみの顔に両手を添えると気道確保する。そして開かれたその口元からためらう事なく息を吹き込んだ。両手を重ねて胸を連続圧迫し、また息を吹き込む。

「はつみさん…!はつみさん…!逝くな…逝くな…!」

 何度も救命処置を繰り返すが、はつみが戻ってくる様子は見受けられない。この救命処置は、海軍塾時代にはつみの考案で隊士全員にその手ほどきが行われたものだった。当時は軽い気持ちで受けていたが、本当に自分が使う時が来るとは思ってもいなかった。どれだけ処置しても彼女が息を吹き返さないのは、あの時もっとまじめに取り組まなかったが故に正しく処置が行われていないせいなのか…唇を噛みしめながら胸部の圧迫を続け、また息を吹き込む。
彼女の命を諦めた訳では決してなかったが、『死』が現実として目前に迫っている事に途方もない恐怖と混乱が沸き起こるのを抑える余裕はなく、目からはひたすら熱い雫が流れ続けていた。


 そんな、懸命に蘇生を試みようとする龍馬の背後に音も無くルシが舞い降りる。そして次の瞬間、ふいに、龍馬のびしょぬれの肩に手が添えられた。

驚き振り返った龍馬の視界には見た事のない赤髪の少年が映り込み、彼は自分の肩に右手を添える形で身を乗り出し、じっとはつみを見下ろしていた。いかにもバテレンといった服装が印象的だったが、陶器のような白い肌に青いガラス玉の様な瞳といったコントラストに見覚えがあり、思わず

「おまん…ルシか?」

 と直感で口にしてしまった。


彼ははつみを見下ろしていた片碧眼をスーッと龍馬へと向けるとニコリと微笑み、龍馬の肩に右手を置いたまま、もう片方の左手を悠然と宙へ向け持ち上げた。

思わず手を止めてしまう程に唖然と様子を見ていた龍馬は、少年が天へ乞うた祈りが聞き届けられたかの様に、暗雲の夜空のどこからともなく光の筋が差し込むのを目撃する。その光を背に現れた一羽の白鳩がはつみの元へ舞い降り、その胸元にそっと舞い降り、その嘴に加えていたひと房のブドウを置くと一粒を咥えてはつみの口元へと入れようと試み始めた。しかしはつみの口へは入らず、何度か繰り返している内に何となく察した龍馬が少年へと視線を向けると、彼は龍馬に視線を合わせ、穏やかな表情でうなずいて見せた。

 龍馬が重心を動かし姿勢を変えようとすると少年はそっと龍馬から手を放し、後ろへと一歩下がる。ぐったりと生気のないはつみを後ろから抱き支える形で身を起こした龍馬は、先ほどから白鳩が食べさせようとしていたブドウを一つ摘みし、彼女の口に入れようとした。しかし力ない口元からはやはり転がり落ちるかそこに留まるだけだった。

「はつみさん…食べてとおせ…あん時のように…」

 はつみが消え入りそうな程に弱りはてた安政6年のあの日、『神頼み』で龍河洞から持ってきた天狗の飲み水を口に含んだはつみは見事に生気を取り戻し、元気を取り戻してくれた事を口ずさむ。思えばあの時も、龍馬達を見守る様に道案内してくれていたのはルシだった。今まさに体験している『奇跡』はあの時とは比べ物にならない程この世のものとは思えぬ出来事の連続であったが、それでも龍馬ははつみを救う為ならばとルシを信じ、導かれるがままにブドウを食べさせようとする。

 指先で潰して口に含ませようとしてもなかなか上手くいかない。
龍馬はブドウを口に含み噛み潰すと、はつみの顎を持ち上げて口移しを試みた。唇で塞ぎ、零れ落ちない様にゆっくりと舌で押し流す様に押し込んで…。

そうしてようやくブドウがはつみの体内へと染み行ったかと思うなり、彼女は突然深く息を吸い込んでは吐き出し、そしてそのまま、胸を自力で上下させ始めたのだった。

「―っかはっ!ごほっごほっ!!―っはぁっ、はぁっ…」

「はつみさん!!!っは…ははははっ…やったやった!帰って来たぜよ!」

 何にも代えがたい喜びのあまり歓喜の声を上げ振り返ったが、そこにはもう少年の姿はなかった。気が付けば白鳩もいなくなっていたが、彼らが持ってきたブドウだけは、はつみの胸元から転がり落ちた後も彼女の手に握られ、確かに存在していたのだった…。


「…今ははつみさんを…安全な所へ…連れて行かにゃあ…」

 今はもう気配すら感じられないルシに向かってそうつぶやくと、はつみを抱きかかえ、重く自由に動こうとしない己の体を鞭うつ様に歯を食いしばり、投げ出しそうになる意識を強引に繋ぎ止めながら立ち上がった。打ち上げられた浜に漁の道具などがある事から近くに人が住んでいる事は察しがついた為、迷わない様に海岸沿いを望みながら丘を登り、人里か安全に休める場所を探して移動を始める。
どんなに体が重く今までにない程辛く感じても、腕の中で寝息を立てるかの様に呼吸をするはつみを見、その温かさ、重さを感じる事がこの上なく幸せであり安心に思えた。


 月明りも頼れない夜闇の中、非常に重たい足取りで左右にふらつきながら、一歩、また一歩と丘を歩いていく。この島は水仙の群生地なのだろうか、かなりの数の葉が辺り一面に生えていた。普段なら「この水仙が咲き誇ったらば見事な景色だろう」「はつみに見せてやりたいものだ」と考える所だろうが、今の龍馬にはその様な余裕はなかった。龍馬やはつみの髪や衣類から延々と垂れる海水の雫が葉の表面に落ちては弾け、更に小さな雫となっていく。龍馬の意識もまたどんどん小さくなっており、この鉛の様に重い体は今誰の意思で動いているのか、この自由に動かない棒の様な足は誰の足なのか、本当に自分の足なのかなど混濁とし、前後不覚で倒れ込む直前だった。

 人気のある地域に辿り着くまでどれくらいの距離を歩いただろう。いろは丸が衝突し海に飛び込んだ頃は、辺り一面が真っ暗で見えなくなる程の月明かりも無い深夜であったが、気が付くと遠くの水平線が白みがかっていた。にわかに明るくなった世界に目を凝らすと、もうあと少しの所にある浜からあがった丘の上に人里がある事を発見した。息が切れ、妙な汗が続き意識が飛んでしまいそうな中、龍馬は力を振り絞って一歩一歩を進めていく。




 ようやく人里に辿り着き、小屋の扉を叩いて助けを乞う。
 漁師の朝は早いのだろうか。中の人はまだ未明時刻であるにも関わらず意気揚々とした逞しい声で返事をし、タッタッタと土間を駆け下りると勢いよく勝手口を開いてくれた。しかし刀を持った身体の大きな侍がずぶ濡れで現れた事に対し咄嗟に顔色を変えたのは想像に容易いだろう。

「まだ日ものぼっとりゃせんが…どうされました?」

 よく見れば若い華奢な女…?男?を抱いている事に気が付いたのか、一旦は顔色を変え疑惑めいた表情で警戒した漁師ではあったがすぐに身を乗り出し、気を失っていると思われる人間を見つめている。

「驚かせてすまんちや…海で遭難して…ここに流れ着いた者じゃ…。」

 人に出会えた事で一方的安堵してしまった事もあったのだろうか、龍馬はまるで強烈な睡魔に襲われるが如く意識が持っていかれるのをギリギリのところで押しとどめていた。

「なんじゃて?船が沈んだんか?!」

「ああ…じゃがすまん…詳しい話は後にして…まずこの娘だけでも、助けてやってくれんか…」

「あ…ああ、ああ!おい、おい!起きぃ、起きぃ!」

 龍馬がひどく疲弊しつつも落ち着いた様子で話し、大切に抱きかかえる彼女の顔を見せる。漁師の家なだけあって海難した者に対応してくれる気概は常にあったのか、勝手口に出てきた漁師は慌てた様子で家族を呼びつけ、一家全員総出で龍馬達を匿ってくれた。
嫁や子供ら、祖父母と思われる者達が奥の部屋から現れ、漁師の嫁と思われる人物とその娘の腕にはつみの体が渡ると

「体が冷えきっとるわぁ。海ん水もぎょうさん飲んだかも知れんねえ。あなた様も奥へどうぞ」

 と頼もしくも即行動に起こしてくれ、龍馬にも気遣って声をかけてきてくれた。

「ありがとう。わしの事は…気にせんとお、せ…」

―ぐらっ……ドシャアッ!

「ああっ!?お侍さんよ!お侍さんよぉ!?」

 はつみが奥の板間へと運ばれる為に引き渡されるや否や、龍馬は村人から注がれる優しさをそのまま返すが如くできる限りの笑顔で答えたが、言い終わる前に勢いよくその場へ倒れ込んでしまう。大きな図体が周りの籠やら笠やらを巻き込んで派手に倒れ込んでしまったので、はつみを奥へ連れて行くのとは別に長身の龍馬を担ぎ上げようとして男手が足りないとかあれが無いとか、一家はちょっとした騒ぎになってしまった。

 騒ぎを聞きつけた近場の村人らがなんだなんだと顔を出し、遭難した二人を匿っている事を知ると気前よくあれやこれやと協力し始め、気付けば外は雨が降り始めながらも夜明けの兆しが海の向こうに見え始めるのだった。





 4月24日未明。いろは丸は沈没し、海援隊は全員が明光丸に避難して福山藩鞆の浦に上陸していた。その後廻船問屋の桝屋清右衛門宅や対潮楼に滞在し、陸奥陽之助を筆頭に中島作太郎らが紀州藩との賠償交渉にあたっていた。はつみと龍馬の捜索は池田寅之進が筆頭を務め、福山藩の協力も得て行われた。

 4月27日。陸奥と中島が気力を尽くし行われていた紀州藩との交渉は、以前龍馬やはつみが話していた『万国公法』なる国際法に目をつけ果敢に交渉を続けていたものの紀州により一方的に決裂とされ、なんと彼らは明光丸を以てして鞆の浦を出港し長崎へ向かってしまった。
海援隊らは激怒し、担当者として残された紀州藩士に迫るという事態に陥ってしまう。その者にどこまでの権限があるかも分からないまま、長崎で賠償交渉・裁判を行うと合意させて解散。海援隊は今後の身の振りを思案する為、間借りしている宿に集まった。

 一方、いまだ見つからないはつみと龍馬の捜索活動においても進展はなく、皆何も言わずとも絶望的な状況だった。しかし寅之進だけは士気をさげる事無く、根気強く捜索隊の指示を行い活動していた。遭難の際、寅之進はルシの声を確かに聴き、闇夜の向こうへ跳んでいく白いものを目撃していた。

ルシはこれまで何度もはつみを助け、時には自分たちの上空にも舞い降り導いてくれている。その為、寅之進は彼の存在に一縷の望みを賭けていたのだ。そしていずれにしても『生死に問わず』龍馬とはつみに対面しなければ到底諦めきれるはずはなく、自分ひとりででも残留して、引き続き捜索に当たると決意していた。



 4月29日早朝、海援隊が鞆の浦を(陸路)出立する折、残留予定であった寅之進の元に福山藩から一報が飛び込んできた。いろは丸と明光丸の衝突現場に近い六島にて二人の漂流者が村人に保護されているとの情報があるという。寅之進は直ちに海図を広げ、六島の位置やいろは丸の沈没場所などを確認する。

六島は岡山藩に属する為もあり詳細については現在確認中であるが、一人は大柄な侍、もう一人は男装をした女性だという事で、ほぼ龍馬とはつみであるだろうと皆が確信した。明らかな吉報ではあったが寅之進はまだ本人に会うまでは確信ではないと表情を強張らせたままで、そんな彼を陸奥がなだめながら、一同は急遽六島へと向かう事になったのだった。


 福山藩の厚意で用意された帆船に海援隊全員が乗り込み、晴れ空の下、六島へ向かう。終始緊張した表情の寅之進に、陸奥も柄にもなく肩を抱き、無言で『大丈夫だ』と伝えていた。

「―前方!!!六島を確認!!!浜を誰かが歩いています!!!」

全員が身を乗り出す様に先頭から身を乗り出す。そして浜を歩く二人の人影が次第に明瞭かされ、それが龍馬とはつみの姿を認めるとそれぞれに声を上げ、手を打ち鳴らし抱き合いながら大喜びとなった。

「おい!龍馬さんが気付いたぞ!こっちに手を振っちゅう!!!」

浜の二人も気が付いた様で手を振って来た。寅之進は安堵のあまり言葉を無くし膝を付いて泣き崩れ、彼の代わりに陸奥がまるで勝鬨を上げるかの様に、龍馬とはつみが見つかった事を宣言した。



「―はつみさんっ!龍馬さんっ!!!」
 代表して寅之進と陸奥が小舟を出して上陸し、龍馬とはつみに再会する。

「寅くん!陸奥も!…ごめんね、ごめんね…」

泣きじゃくる寅之進を見て思わず抱き締めるはつみ。一瞬硬直した寅之進ははつみを抱き返す事無く、彼女からの温かく優しい抱擁を享受し続けていた。それから、同じく涙をこらえている様子の陸奥とも視線を合わせると彼も引き寄せ、その髪を撫でてやる。いつもならそこに覆いかぶさる様にして飛びついてきそうな龍馬であったが、この時は3人を見つめて満足気な笑みを浮かべているのみだった。

龍馬を保護してくれた家の者達も「よかったのぉ」とつられて涙する。陸奥は家の者に十分な礼を支払い、またこの家に協力してくれた周囲の者達についても準ずる形で礼を支払った。この頃の海援隊は決して黒字路線ではなかったが、それだけの価値がある事をしてくれたのだと、珍しく素直に感激した様子で熱弁していた。


 体調も戻っていた二人はそのまま海援隊に合流し、福山藩の帆船で下関沖まで送ってもらう事に。下関からは徒歩で長崎へと戻る。

 しかしこの旅の道中にも、ルシの姿は一度も見る事がなかった。






(六島は丘の上に水仙が群生する朗らかな漁村であり、立派な大島神社がある。また港町の港には山の神を祀る祠がある。はつみと龍馬が遭難した頃もこれらは存在していたが、水仙の満開時期は2月~でありながら年中葉を茂らせているため、相当茂っていたのではと勝手に想像している)←







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