神田明神祭の熱気も冷めやらぬ夜、内蔵太は龍馬やはつみと吉原に繰り出していた。
思い切った行動に出たのは、昨月8月に土佐勤王党を立ち上げた武市が同志を募り藩政を動かす為に自ら土佐へ帰藩し不在だから、というのも実は大きい。これも社会勉強だ、廓の遊女と会って話してみたいと鼻息荒くするはつみに対し龍馬が過保護すぎる気もしたが、基本的に女人禁制の吉原へ抵抗なく入っていくはつみを見てどこか安堵する心持でもある内蔵太であった。やっぱり男だよな?と。出先で伊藤と出会い、彼も大変に面白がって行動を一緒にすると言い出す。気難しい時世のはなしは無しに振舞ってくれる連中ばかりだったので、はつみも久々に気兼ねなく興味深い話題や遊びを楽しむ事ができた。桂が独身で恋人らしい恋人がいない事も知ったし、逆に高杉や久坂には妻がいるという事も知る。また、女達がやたらとはつみを「可愛らしい」「お肌もすべすべ」などと妖艶に褒め称える一方で年齢の話になり、ここではつみと内蔵太、そして伊藤の三人が奇しくも同じ年の20才である事が判明。おお~!と手を取り合い、龍馬を真ん中に円になって踊るという盛り上がりも見せた。
ただ、はつみは早々に酔っぱらってしまい、龍馬が連れて帰る事となった。内蔵太と伊藤は残り、特に伊藤は本格的に女遊びを続ける気であったが内蔵太がもうその気ではなく、何か別件について気にかけている事を察する。
「まあ、こうやって二人になったんも何かの縁じゃと思うて…一緒に過ごしちゃろうかの!」
よけておいた膳を手前に持ってくると内蔵太の前に胡坐をかき、酌をして内蔵太が抱えているであろう話を聞くと言い出した。伊藤の心意気に感謝した内蔵太は礼を述べた後に
「いやぁ…たいした話じゃないがよ…」
とごにょごにょする。その上更にごにょごにょした後でようやく
「伊藤さんは桜川の事をどう思っちょりますか」
と尋ねた。正直何か時勢に関して思う事があるのだろうか等と思っていたが、意に反してあまりにもざっくりとした質問だったので意図を測りかねてしまう伊藤。しかし、内蔵太がこう見えてはるばる土佐から出てきて江戸・安井息軒塾に学ぶという秀才であり、且つ、先日武市半平太が中心となって発足したという土佐勤王党の立ち上げにも大きく貢献した有能な士である事をまず考慮した上で返答をする事にした。
「う~ん、だいぶ独特な思想を持っちょるお人…ですかね。」
「あ~」
「ご本人はその持論を広く推していっちゃろうっちゅうつもりはのうみたいじゃけど、幕府に対するあの割り切り様には度肝を抜かれた。そんで妙に俯瞰で物言うけぇ尚更過激に聞こえる。記憶を失くされる前はどこの誰だったんじゃろか…。まぁ、面白い御仁じゃと思いますよ。今んところは」
「あ、ああ。うんまあそうなんじゃが…」
自分から話を振っておいてまったく生気のない相槌ばかりを打っている内蔵太に、小首をかしげて問い返す伊藤。
「さっきから一体どうされた?どうも様子がおかしいのう?」
「ああ、すまんちや!ちゃんと聞いちょるき。まあその、なんちゅうんかのお…」
ハッと目を開き改めて視線を合わせて来た内蔵太であったが、次に何を言ってくるのかと思いきやまたもやごにょごにょと言葉選びに慎重になってしまう。時勢の話でなければ一体何を言いたいのかさっぱり想像がつかない伊藤であったが、時勢の話ではない桜川の話…という風になるとこれはこれで何やら面白そうな風向きになって来たと興味をそそられる。そうこうしている内に内蔵太もようやく腹をくくったのか、やっと『本題』について話をし始めた。
「…もうちっくと、その…見た目とか、どう思うかち思うて」
「…見た目?」
『勤王の志士池内蔵太と言う人物に対する考慮』など必要ないほど短絡的な話題に一瞬我が耳を疑う伊藤。
「今日はもう酔いつぶれて帰ってしもうたが、俺はあいつが女と寝る様子を確認したかったんじゃ」
「ええ?」
斜め上すぎる内容で眉間にしわを寄せてしまうが、口元がにやけてしまっているのは伊藤にも自覚がある程だった。時勢に関する討論も勿論刺激的だが、伊藤は『女絡みの話』も大好きなのである。胡坐を組み直し、前のめりになって話の続きを促した。
「はぁ~!そんなもんを確認しちゃろうとは…池殿は随分趣向の凝った…」
「違う違う!俺の好みではないぜよ!」
妙に力強く否定する内蔵太が更に続ける。
「桜川が妙にほそっこくて、まるで女の様じゃち。じゃが俺らとおんなじ歳っちゅうことは女にも興味があるっちゅう事じゃろう?」
「うん?」
「そやき、純粋に、あいつが女を抱く時はどういう風になるがじゃろうと思っちょったんじゃ。」
「ああ、そりゃあつまり…」
最近では断トツに面白いと思える展開に、伊藤の頭は驚くほど冴え渡っていた。桜川の話、つまり女が女を抱く所を覗いてみたいという特異な趣味の話だと思って会話をしていたが、どうやら違うらしい。伊藤の丸顔は噴き出そうになる笑いを堪えるのに必死で更に丸く膨れるかの様な形相になってしまった。
つまるところ、内蔵太ははつみの事を『女のような男』だと勘違いをしているのだ。
成り立っている様でそうではない会話は、彼が桜川を男だと勘違いしている為だと仮定すれば辻褄が通る。そして伊藤が察するところ、恐らく内蔵太はその『女のような男に恋をしてしまっている』というところまで一気に考察が進んだ。
「つまり…あがぁな女の様な男でも、女を抱く時は男らしゅうなるんかと…」
「ブフーッ!!!!!」
「ぶわぁ!?な、なんぜよ伊藤さん!?きったな…!!!」
こらえきれずに吹き出してしまった唾の飛沫が、真正面に座する内蔵太の顔面にかかってしまった。いい男が台無しである。
「いやいや申し訳ない!こりゃあまた、なかなか面白いこと言いよると思うて…!」
流石に伊藤も謝りながら手拭きで対処しつつ、内蔵太の決定的な間違いを訂正する事なく率直に彼の話に乗ってやった。
「確かに、あの人の風貌じゃ、致す時にはどがぁなるんか気になるっちゃ」
内蔵太に合わせた返答ではあるが、これはこれで嘘ではなかった。あの男装の麗人の濡れ場などは、想像しようと思っても具体的には想像がつかないものだ。つまり大変興味深いという事に異論はない。そしてこの返答を受けた内蔵太も内蔵太で、会話が通じている事からもやはり『桜川は男で間違いない』のだと、間違った確信をしてしまっていた。
「そうじゃろう?いやあ今日は絶好の機会じゃち思うたんじゃが、まさか一杯で酔いつぶれる程酒も飲めんとは思わんかった。」
「ははは、確かに!ちなみに坂本さんらあにはその話はしちょらんのですか?」
伊藤からの何気ない返答だったが内蔵太には突き刺さる一言でもあった。なんせ、一目惚れをして思わず漏らしてしまった求愛の言葉に真正面から『あり得ない』と言われたのだから。その言葉通りなのだとしたら、桜川は女ではなかったという事。男が男に求愛をしたから「あり得ない」とばっさり斬られたのだと考えるのが妥当である。しかし桜川と対面したり、遠く離れた時に想い馳せていると、どうしても本能的に反応してしまう自分の雄の部分を否定する事が出来なかった。なぜこんなに、桜川に『女』を感じてしまうのか?面倒な事に下手をしたらこの感情は自分とは無縁だと思っていた『男色』の趣向持ちという事にも繋がってしまう訳で…。『男色趣向』といえば、数年前に土佐上士の乾退助が『男色事件』を起こし、大身の上士でありながらも処罰を免れぬ程の凌辱行為をしでかしたと城下で噂になった事があった。非常に印象的な事件だったこともあって、まさか今度は自分がその舞台の役者になろうとは思ってもいなかった、という心境もある。
こうした理由から、本来性根は真っすぐで表裏のない内蔵太ではあったものの、流石に『男色趣向』の芽生えを周囲に悟られる事は憚られた。特に桜川と距離の近い坂本龍馬や寅之進らなどには、今更「桜川はまっこと男じゃち思うか?」と聞く事すら躊躇ってしまったのだ。―恋だ女だといった話には初心だったのもあって、尚更、上手い言い回しで乗り切る事ができなかったという事も否めない。
「いやあ…まあ、女と致しちゅう所を見たいちおかしなことはようよう言えんですろう、普通」
「フフフ、確かに。自称女好きの俺でも、なかなかの趣向じゃと思おちゃったよ」
「なんでじゃろう、伊藤さんには勢いで話してしもうた。ウマがおうたんかの?」
「いやぁ、そいつは嬉しい告白じゃね!」
「く、口説いちょるわけではないぜよ?!」
「ははは!!!」
ハハハ、まぁまぁと笑い合う二人。一区切りついたところで、改めて座を組み直した伊藤が胸襟を開くかの様な口調で再び話し始めた。
「昨今の時勢のことで皆殺気立っちょるけど、どんなに過激な攘夷論者でも、女は外せんもんじゃ。なのに皆、口を開けば血生臭い話ばっかしちょ。志あるもんが時勢を語るんは当然じゃけど、たまにゃこうして、女の話で盛り上がるような夜があってもええと思っちょるよ。だから僕は今、嬉しいんじゃ。」
そして内蔵太と自らの杯に酒を注ぎ、杯を掲げる。
「さあ気い取り直して、今夜を仕切り直しましょうか!内蔵太君!」
伊藤に続き、内蔵太も爽やかに笑って杯を掲げた。
「おう、俊輔君!改めて無礼講じゃな!ハハハ!」
先程までついていた女を呼び戻し、吉原での夜は新たな友情の芽生えに盛り上がり、深まっていった。伊藤は、同じ年であり裏表なく真っすぐで男らしい性格でありながら学識と尊王攘夷への気概も持ち合わせ、斡旋活動など縁の下の動きも任せられる有能な志士であるというだけでも十分、内蔵太とは誼を結んでもいい人物であると見切っていた。その上更に、あの桜川はつみを男だと勘違いしながらも惚れてしまい葛藤しているという何とも人間味あふれる内蔵太を、大いに気に入っていたのだ。
はつみが女である事を口添えしてやるのは簡単だし、恐らく他の誰かが内蔵太にそれを告げるか本人が気づくのも時間の問題であると思われる。故に、とりあえず今は黙ってこの面白い男を観察する事にしたのだった。
※仮SS