仮SS:余生


閏5月。『疝気』による激しい痛みや発作に伏せつつも処分の沙汰を待つばかりの武市は、恐らくは一方的で厳しい沙汰が下されるのであろうと覚悟をし、『余生』のつもりで日々を過ごしていた。
『余生』と覚悟をして残りの日々を生きる武市ではあったが、同情的で協力的な門番が様々な話、外の様子を聞かせてくれるのが有難かった。

 ある日、牢番から土佐の若き藩主・豊範についての話を聞く。 
 容堂の実弟である民部は勤王派であり、武市ら勤王党ともかなり綿密な関りを持っていた。獄中闘争中においても武市らへの同情的な姿勢を見せていたが、藩主・豊範は文久2年の参勤交代時の頃から常に容堂の顔色を伺いながらといった印象が強く、今となってはまさか擁護される事はあるまいと思っていた。
 しかし、幕府が旗を振る長州征討の為に自ら出兵する際、藩主豊範は隠居・容堂に対し『武市ら忠義の士に恩赦を』と、出獄について願い出たというのである。しかし極めて激しく叱りつけられた上に武市ら土佐勤王党らの不忠、悪人ぶりを説き、ついに豊範は『実父である前前藩主豊資の屋敷で泣いたらしい』と聞く。

…例え噂であるとしても武市は涙をこらえる事ができなかった。

 文久2年の秋、豊範公が参内する前日に御所内の地図を急遽所望したが何とかこれを調達した。それをしっかりと頭に叩き込んだ豊範公は土佐藩主として参内、帝への拝謁を立派に成し遂げたのである。…あの時の心底ほっとし、充実した表情を今でも忘れる事はなかった。

…とはいえ、土佐の藩政はいまだに隠居・容堂公の鶴の一声で左右する現状にある。故もあり、豊範は立派な藩主であれど、どこかで隠居・容堂公の傀儡であるかの様に感じていた自分を…心底恥じもした。


 武市は以蔵へも、ここにきて初めて獄中書簡を発した。
今回の獄中闘争において、以蔵だけは少々毛色の違う状況で入牢となっていた事は随分前から把握している事だった為、彼には『勤王党同志外』として一切の書簡も伝言すらも出さずにいた。

元々以蔵が投獄された当初の理由は『勝海舟護衛時の殺人と、桜川はつみ護衛時に田中新兵衛と私闘に及んだ罪』であったが、藩政にとってそれは口実にすぎなかった。以蔵は文久3年の池内大学暗殺の主犯としてまことしやかな噂となってしまった為に、やはり武市や土佐勤王党の密事に関わっているのではないかと強く疑われていたのだ。

 以蔵の昔からの無気力さを知る上士らは『いたぶれば必ず吐く』とくくって新証言の獲得を期待していた。…故に、彼は身に覚えのない勤王党の『密事』について様々に聞かれ、『自白せよ』と散々に拷問される事態となっていたのだ。
 実際、はつみと行動を共にしていた以蔵は土佐勤王党として『密事』に関わってはいないが、それを『詳しく知る』節もあった。故に間接的な自白をしてしまうのではないかと獄中の仲間からは不安視されていた。

…しかし彼は何も吐く事はなかった。

いや、自分の件については素直に自白をしていたが、その事が土佐勤王党に何ら害を及ぼす事はなかった。彼が犯した殺人や私闘はどう切り取って見ても『要人護衛による受動的な抜刀・殺傷』案件であり、もはやその要人、つまり幕臣・勝海舟に対して証言を求める程の事でもないと言うのは暗黙の了解であった。…これをどうやって土佐勤王党に絡めて行くか、詮議において藩はあの手この手で屁理屈のように以蔵へ迫ったが、結局勤王党の件については知らぬ存ぜぬを見事貫いたのである。

 以蔵の精神的な成長にははつみの影が見えたし、二人の間で何かがあったのか、以蔵の身辺に何かあったのか…見当も付かない。それでも、殆ど濡れ衣とも言える拷問を耐え抜いた事実だけはただ昂然と目の前にある。その以蔵に対し武市は素直に感心し、そして拷問を耐え抜いた他の同志に対するのと同じ様に、感謝の念に堪えなかった。



 妻の富へも、御目付があった5月28日の時点で書を認め、斬首、よくて切腹の処罰を覚悟する様にと伝え、『永遠の暇乞い』を申し出ていた。以後も武市からの文は続いたものの、自らの体調や獄中生活、死後の事を見据えた内容が続く。
 元々、万が一の事を考えて富からしっかりした文が返ってくる事は少なかった。弁当の希望や良くしてくれる牢番への接待、絵筆や衣類などの依頼などあれば実物を以て返してくれるのが常。武士の妻としてすがったりする事なく毅然と振舞い、主人に家の心配はさせまいとする意識を常に保っていたが故ある。
 …一度は男装をして牢にまで会いにこようとした妻を、そう言って諭したのは武市本人だったから。誰が見ても『立派な内助の功』であったと、富を褒め称えたであろう。


…しかしこの日は少々違った。

卸したてのまっさらな白装束が届けられ、短くはあったが文が添えられていた。


『家の責務は一命を賭して成します。
 諸事しかと承ります。
 最後のお勤めが立派に果たされる様お祈り申し上げます。』


 大筋この様な事であったが、『諸事』を汲み取った武市はまことに良い嫁をもらいながらもこの様な形で永別を迎える惜別の念と共に、不義をした己の人生最大の『恥』をその妻に託す事への自責の念に駆られる。

 士道に反する弱く女々しい心を認識しつつも、目を閉じ、長く息をつきながらあえてそれを飲み込んだ。





※仮SS