7月28日。長州下関。
京師における『禁門の変』にて大敗を喫し、多くの犠牲を出した長州本隊が散り散りとなり命からがらの状態で帰藩してくる中、これに平行する形で長州に迫りくる西洋四国連合艦隊による報復砲撃を何とか回避する為に英国から急遽帰国していた伊藤俊輔が、人を探していた。京で傷付いた兵士達が一人また一人と帰ってくる。そんな中、身体のあちこちに傷を負いつつも五体無事で落ち延びていた池内蔵太を見つけると弾かれた様に駆けだし、久々の再会であるにも関わらず人目を避けた場所へ連れ出す。
「内蔵太君!君を探しちょった。」
「おお!伊藤さん、帰っちょったがか!久しぶりじゃのお!…で?随分切羽詰まった顔をしとるのお。」
伊藤が藩命によってイギリスへ密入国をしていたという事は、伊藤本人から聞いていた話だった。彼と最後に会ったのはもう一年以上前になるか。伊藤がイギリスへ出国する前に、桂の為に女を用意してやりたいと言って幾松という芸妓を狙う山科の豪家を共に訪ね、刀で脅し幾松を諦めさせたのが最後だった。
江戸や京で顔を合わせていた時はいつもヘラヘラとした印象の伊藤がすこぶる真面目な顔付きをしているから、随分鬼気迫る表情でいる伊藤に別人かと思ってしまったなどと言う内蔵太。かくいうその内蔵太は、この様な状況で大変な内戦にも参加し怪我までしているというのに、相変わらず裏表のない人となりで清貧な印象が清々しい好青年だった。
信頼できる人柄。それでいて体躯もよく、健脚で、培った学による思慮もある。
―そして何より、桜川はつみとの縁も深い。
そんな内蔵太だからこそ、伊藤は彼に頼みたい事があったのだ。
「早速だが本題に移らせてもらうよ。もう噂になっちょるかもしれんが、もうすぐ西洋の艦隊が長州の攘夷砲撃に対する報復を仕掛けてくる。」
「な、なんじゃと?いや初耳じゃが…!長州が砲撃したんは去年の話じゃったし、報復はもう受けたがじゃろ?」
「西洋人らにとってはやったらやり返すというだけの話じゃないんだよ。僕も必死に上様やご家老衆に説いたけれど、やはり外国の話となると入りが悪い。こうなってしまってはもう、長州は西洋艦隊の砲弾を受け体に穴をあけながら、しかし最小限の被害となる様に渡り合うしかない…わかるか、内蔵太君」
あまりにも真摯な伊藤の視線を受け、内蔵太は笑顔を差し控えると同時に神妙そうに腕を組み始めた。
―真の攘夷、これからの日本の姿。
世界と対等にあるという事ー
はつみや龍馬達、そしてはつみの話を理解しようとしていた乾との対話を通して、内蔵太の中にも芽吹き始めていた視点であり価値観であった。平常時であれば一先ず話を聞いてみようという気にもなれただろうが、今は長州が立ち上がった直後に膝を折られ叩き伏せられたと言ってもいい程の惨敗を喫した所である。西洋艦隊が迫っているのが本当なのであれば対処せねばならない問題なのかも知れないが、外国へ恭順の姿勢を見せるというのはなかなかに厳しい現状であろう。
そんな中で、一体何を頼もうと言うのか…。疑問を顔で語るかの様な内蔵太に、伊藤は更に懇願を続けた。
「頼む、内蔵太君。神戸へ行き、桜川はつみを下関へ連れてきてほしい。できるだけ早く」
「なに?」
はつみの名を聞いた途端、凛々しい眉を顰めその瞳に困惑めいた色を浮かべながらもじっと伊藤を見つめる。こんなに無茶な願いを言ってくるだけあってよほどの理由があるのだろうとは思いつつ、『はい、いいですよ』と受け入れるには流石に突拍子が過ぎる申し出だった。
思わぬ所で想い人の名を聞いて浮足立ちそうになる内蔵太であったが、ぐっと心を抑えつけると落ち着いた風を装いながら疑問点を口にし始める。
「あいつは今…海軍操練所の人間じゃろう。俺らは、あいつらの母体となる幕府の息がかかった奴らとやりあっちゅう。手を取り合うんはなかなか難しくはないがか」
「勿論それは重々承知しとるよ。だが今こそ、西洋各国との外交をおろそかにする訳にはいかん。特に西洋の軍事力を甘く見てはならんのじゃ。京では薩摩が強い兵器を使っておっただろう?あれは西洋から取り寄せた兵器であって、恐らくほんの一部に過ぎん。今度迫ってくる艦隊は最新の大砲を何門も積んでやってくるぞ。」
内蔵太は実際にその『凄まじい兵器』を目の当たりにしたのだろう。表情がにわかに引きつり、言葉を飲み込む様な様子が伺えた。そんな彼を脅す訳ではないが、ただ真実を述べ協力を得るため、更に話を続ける。
「その上世界の海を渡り切り拓いて来た海戦のプロ…いや、海戦の達人じゃ。長州が抵抗を続けるのなら文字通り焦土と化すまで容赦せんじゃろう。もし、真に長州の為、日本の為と思うのなら、頼む内蔵太君。僕の頼みを聞いてほしい。」
伊藤の必死な様子に、内蔵太は過去に見た彼の真剣な表情を思い出していた。
もともと伊藤とは文久元年の江戸で、はつみや龍馬などを交えて飲み明かした仲であった。特にはつみと伊藤と内蔵太は同じ年という事もあってか、はつみを介して懇意の仲となり、翌年になって内蔵太が脱藩をしてからは伊藤と行動を共にする事が多かった。友といってもいいだろう。
とくに、文久三年の春先では、桂が懇意にしていた芸妓・幾松を狙っていた山科に対し刀を抜きかけて本気で脅しをかけていた伊藤の顔が印象的だった。命を懸けて英国密航を成す直前の事で、当時精神的に思い詰めがちだった桂を自分に代わって支える一柱とする為にと、幾松に便宜を図ろうと伊藤が下した独断に同行したのだ。
当然、あの時とは賭けているものが違うが、必要なものの為にこそ真剣そのものであるという姿勢に変わりはない。あの時も、そして今も、彼は本気で目の前の問題に対処しようとしている。そしてそれは自分の為だけの事ではなく、誰かの、何かの為なのだ。
伊藤とは文久元年の江戸で、はつみや龍馬などを交えて飲み明かした仲であった。伊藤と内蔵太、はつみに関しては年齢も同じであり、また内蔵太がはつみを「男だと勘違い」している様子も見られた事もあって、人懐こい伊藤はあえてそれをイジったりなどして面白おかしく過ごしたものであった。伊藤がそういった『昔なじみ』の誼として話を切り出して来たのは内蔵太にとっても想像に容易かった。彼と自分、そしてはつみを交えた懐かしい縁を思い出し、胸元に下げた金平糖の小袋を握りしめる。そして記憶にまだ新しいはつみの顔とその背中に刻まれた傷を思い出し、『いずれにせよ』と話を続けた。
「あいつに何をさせるつもりなんじゃ?」
「はつみには一日本人としての先進的な価値観と英会話の才が備わっとった。僕自身がイギリスを見て来たからこそ、その才が突き抜けていた事を実感しておる。今こそ、その才が強力な助けとなるかも知れん。」
そのはつみの『才』が今日の日本にとってどれだけ先進的なものであるかは、内蔵太にはまだ明確に理解が及ばないものであった。しかし、土佐藩の元参政、亡き吉田東洋の覚え愛でたく長崎や江戸への遊学まで支援を受けていたという事、そして英国へ渡った伊藤がこんな非常時にその才を求める所を見れば、やはり稀有なものなのだろう。
「何故はつみが神戸におると知っちょった?その口ぶりじゃと、横濱に帰国してすぐ長州へ帰藩した様に聞こえたが…長州で誰ぞはつみの話をしちゅう輩がおったがか?」
正直な内蔵太の表情は心配そうな色に染まっている。その思想や立場的にはつみが両間者の『天狗』として疑われ、結果的に長州の勤王派からよく思われていないであろう事は直ぐに想像がついた。内蔵太の表情は、恐らくそのはつみを憂いての事なのだろう。長州でその様な噂をしている者がいるという事はその分広く周知されていると言う事でもあり、今まさにはつみの身に危険が及んでいるかも知れないと想像をするのは容易い。はつみが直接被害を受けた事件は1度ならず2度3度と起こっており、内蔵太の思考内には常にその事を心配している状態だった。
しかし伊藤は、はつみの情報を得た経緯について思わぬ返事をする。
「僕が長州に戻ったのはもうひと月も前の事なんだが、横濱から英国の船で帰藩する時に、向こうの外交官と知り合いになってな。その人の仲間が、神戸に新しく創設された海軍操練所ではつみと会ったらしいんじゃ」
「英国の役人とかえ?」
「ああ。船で直接僕に話を聞かせてくれた人はアーネスト・サトウという英国公使館の通訳官でな。はつみとは文通をして、懇意におるそうじゃ。間違いない情報じゃろう。」
「懇意って…異人と?!そがな事があるがか?」
仰天する内蔵太に、伊藤は何ら懸念に思う所など無いといった様子で頷いた。
「互いの国の言語を学ぶ者同士、文通相手としてマメにやり取りしている様だったよ。」
ついでに、どうやらサトウははつみに特別な感情を抱いている様子が垣間見れた…という事は、内蔵太の心情を慮って発言を控え、今回はつみを緊急で招集したいと考える最も考慮すべき理由を述べる。
「向こうの外交官と直接縁があるのなら、それが一番、互いにとっての信頼を築くきっかけともなり得るはずなんじゃ。信頼があれば、危機的な状況となったとしても何らかの余地を見出すきっかけとなるかも知れんじゃろう。例えそれが公的には効力のないもんだとしても、もとより長州には外交の切り札というものを殆ど持ち合わせておらんのだから、打てる手は1つでも多く打っておきたい。」
サトウの、公使及び公使館における発言力やはつみに対する心証がよほどいいと感知した上で、今回の戦争に万が一という時の事を考え少しでもイギリス側の心証を良くする策を打っておきたいと言う。肝の据わった思考と根回しの的確さ、狡猾さが垣間見える。彼の師は彼を政治家に向いていると評価したが、その一面が垣間見えたと言っていいだろう。
一方、一連の話を聞き終わった内蔵太は腕を組み、ひと際難しい顔をしていた。正直外交やはつみの西洋学問の進み具合云々よりも、異国人の男と文で通っているという事実が初心な内蔵太の心を萎縮させていた。はつみも、その英国の通訳官も、具体的に一体どういう心境で文通などをしているのかを推し量る余地もない。この個人的すぎる感情をぶつける先がない。そしてまた、はつみの事になると攘夷や夷狄排除といった目線から離れ、ただの一人の男になっている自分にも気が付き、天真爛漫で前向きな内蔵太であってもそこはやはりいち草莽の志士としては自己嫌悪に陥る汚点とも考えていた。
―だが、『個としての存在を大切にする』それこそが、はつみの理想である『世界の中の日本、一人の日本人』という個の尊厳と多様性を重視する価値観に近い感覚ではあったのだが、内蔵太にとっては『長州が滅亡の危機であるこんな時に、俺ときたら…』と、己の未熟で散漫な精神を痛感する想いなのであった。
険しくなる仏頂面に伊藤から『どうした?』と声をかけられるや否や、内蔵太は姿勢を正してフウッと息をつき、思考を呼び戻すかの様に両手で頬をパンパンと叩き頭を振りつけた。うまのしっぽのような後ろ髪が大きく揺れるのが落ち着くと、伊藤が必死に訴えている本題について再び思考を巡らせる様集中する。
「先ほどから外交じゃ通訳ち言うちょるが。これからエゲレスもんと一戦交えよう、命を投げ討とうっちゅう時に、もう白旗挙げて停戦交渉する時の事を考えちゅうがか?その為に、はつみが必要になるやも知れんち言う訳じゃな?」
そう正面を切って言われると辛く、伊藤は苦虫をつぶした様に俯いてしまった。それでも彼には『イギリスという国の力を見てきた者』であるが故の視点で長州を守る為に、それこそ命を懸けてできうる限りの事をやるのだという気概があった。
「…それが今の僕のやるべき事なんじゃ。突然イギリスから帰ってきて、空気も読まずに『攘夷をやめろ』、『列強相手に戦争をするなど無謀だ』と正面から言い切って総すかんを喰らっても、まだこの首は繋がっている。つまり、まだ僕にやる事があるから天に生かされているのだと思う。それならば、この命がどうなろうが今できる事をやっておきたい。なによりも、この長州の為に…!」
世界を見て来た伊藤が今抱いている危機感を、いま日本にいる者達の内いかほどが真に理解できる事だろう。内蔵太にはまだぼんやりとしかその実態が見えいなかったが、薩摩の武器が恐ろしい程の殺傷力で多くの仲間達を貫いていった事は記憶に新しい。そして何より、伊藤の熱く真剣な思いを聞き届けて心が動かされないほど、この問題に無関心でも否定的でも無かった。
きっと伊藤には、はつみの言っていた世界がはっきりと見えているのだろう。昨年の大和挙兵から度重なる小競り合い、そして此度の進発にも参戦してきた内蔵太も、これらの戦を通して『時代が移ろうとしている』事は肌身に感じ取っていた。勤王の心と、幕府への不審に変わりはない。だが既に開国をしてしまった事実に対しては、眼を開き考えを変えていかなければならないのではないかもと感じ始めている。特に、外国の力を吸収して各違いの雄藩へと成長した薩摩をみれば、幕府と海外勢が蜜月となる事で幕府の驕りを増長させる事があってはならないと思うし、何より、単身攘夷を決行した長州こそ、帝や朝廷へ真の忠誠を誓う勤王の徒である。世が移りゆくと言うのなら尚更、彼らという勤王の目を摘んでしまってはならない。
…長州を救う事と、その新しい世界への理解を深められるのならば、彼の話に乗ってやってもいいのではないか。内蔵太はそんな風に考えた。だが、そのように考えたとしても大きな懸念が残る。
「…俺が神戸へ行く件については、わかった。やっちゃろう。じゃがはつみが来れるかどうかはまた別の話じゃぞ」
「ああ、勿論だ!有難い…だけど『来れるかどうか』というのは?」
「あいつは先月背中を斬られちょったじゃろう。まだ傷が―」
「斬られたじゃと…!?」
どうやら伊藤ははつみが襲撃に遭い傷を負った事を知らずに今回の策に乗り出した様だった。その様子では、船上で話を下アーネスト・サトウもはつみが遭難したという報には触れていなかったのだろう。
「い、何時の事だ?傷の深さは?いや、下手人はだれじゃ?!」
「今年の6月下旬。背後に袈裟斬りを受けたが背肉を切らせただけで奇跡的に助かった。…が、拷問の様な治療を続けちょった」
6月の下旬といえば、伊藤と井上はすでに横濱を経てこの長州に戻り、藩主に対して死を覚悟しながら海外情勢と攘夷無謀論を説いていた真っ最中だ。京での決起に向けて諸隊および本隊、永代家老福らも次々と京へ向け進発していた中の事で、『京の天狗』が斬られた程度の話は埋もれてしまったのだろうか。それとも開国を説く事によって強固な攘夷派からは既に命を狙われ始めていた伊藤らは要人と情報交換をする事も限られており、その噂に辿りつけなかったか…。とにかく、伊藤には初耳の事であった。
「君はその場におったんか?」
「いや、あいつは京で遭難したが、そん時俺は知人を忠勇隊に誘おうと大阪におってな。そこで偶然報を聞いて、共に京へ駆け付けた。ちなみにあいつを保護したがは会津の新選組で、長州の進発が近いち言うて神戸への避難経路を確保したんは軍艦奉行並み・勝海舟と、薩摩の家老・小松ぜよ。」
「……ッ」
京都守護職たる会津公の剣として新選組が誕生し、京師での活動が非常に厳しくなったという情報は伊藤の耳にも入っていたそうだ。もちろん勝海舟の名は知っていたし、朝廷と幕府の両方から寵愛を受けており長州の工作において非常に厄介な相手であるという京都守護職代理たる薩摩の敏腕家老・小松帯刀の噂も耳に入っている。はつみの災難はもとより、幕府及び公武合体派のそうそうたる名称が並び絶句する伊藤は、その下手人について再度尋ねる。
だが、その下手人について内蔵太は不自然ながらも明確に閉口する姿勢を見せた。
「この件についてはもうはつみとの間で解決しちょる事じゃき、下手人についても俺の口からは言わん。それでも知りたいならはつみ本人か桂さんから聞くんがえい」
支援者たちの名前に加え、遭難後のはつみと既に話が付いている事や京師で活動中の桂がわざわざ絡んでいるという事は、少なくとも長州寄りの人物に関係するのではなかろうかと察する伊藤。名を明かさない理由もあるのだろうが、これもまた、桂に直接訊ねよと言うからには恐らく桂との間でも示し合わされた事なのだろう。であればいずれ機会があるまでは問い質すのを控えるとしても、長州勢が彼女を斬ったというのなら、今自分が成そうとしていた策にも支障を来す事が想定された。
まず大前提として。
果たして、今自分たちは彼女に対し『長州の為に力を貸してくれ』等と頼み事をできる立場にあるのだろうか?
「う~~~~ん…」
予想外の事に思わず唸った伊藤はこめかみに手を当て、その場付近でウロウロと回り始める。内蔵太が言う様に彼女が怪我の為に物理的に動けないのであれば、それはまた別の問題でもあるのだが。それにその様な事情があったのなら想定以上に『ガード』が固くなっている事も考えられた。もしはつみや、はつみの周囲にいる者達が長州に深い恨みを抱いていたとして…そこへ内蔵太を送る事自体、危険すぎはしないだろうか。特にはつみの周りにいる者は、恐らく尋常でない程にはつみの身を案じ、そして彼女以上に、彼女を傷つける者へ敵対心を抱いている事だろう。
―しかし、否とも強く思う自分がいる。
長州を焦土としない為ならば、そのような配慮や感傷に浸っている余裕はないのだと。だが伊藤の表情には明らかに動揺が見て取れた。修羅場であれば修羅場である程に、持てる人脈を使い、あらゆる事態を見越して一つでも多くの策を講じる覚悟が必要だと言うのに…。政治面において人との絆が局面を切り拓く鍵となる事もあれば、足枷となる場合もある。枷を枷と思わないその覚悟が、命を捨てるつもりで英国密入国を果たし、尊王攘夷真っ只中の故郷へと戻ってきた今となっても、まだ足りないのだろうか。師には才があると評価されたが、若き伊藤にはまだ、情に流される事も多かった。
内蔵太は壁にもたれかかり、首からかけた小袋から一粒金平糖を出し口に放り込んでは、まだウロウロと思案する伊藤に付き合って待っている。神戸の海軍操練所へ行き彼女を連れてくるという策自体が、なかなかに大雑把でそれこそ『藁をも掴む思い』というのは内蔵太にも伝わっていたが故に、はつみの悲報を聞いてからそのなけなしの策に自信を失っている伊藤の様子もよく観察できていた。
「おんしがそがぁに真剣に悩むのであれば、俺も腹をくくって片棒担いでやろうかえ」
「片棒を?どういう事じゃ?」
よこされた助け舟に飛び乗る勢いで顔をあげた伊藤は、内蔵太の話に食いつく。
「あいつは斬られはしたが、おんしの頼みを突っぱねる様な事はせんと思う。立場上幕府への懸念や配慮もあるじゃろうが、異国との和平の為ならば大方長州へ行くち言うじゃろう。それが長年あいつが願い、言い続けておった事であると、俺は理解しちょる。」
「うむ…」
「じゃがもし、もしも万が一あいつやその周りにいる者らぁが報復など考えて、長州に協力しないどころかよくない行動を取ろうとした暁には…」
「暁には…?」
ごくりと生唾を飲み込む伊藤。
「そん時は、俺とおまんで詫び腹を切るんじゃ。その上で、長州への協力を訴える」
「く、内蔵太君…君って人は…」
もとより伊藤も命を懸けて動いていたが、その伊藤と共に腹を召す覚悟を見せつける内蔵太の潔さには思わず目を白黒させてしまう。内蔵太は金平糖の小袋をぐっと握りしめた後再びそれを戻すと、少々思い詰めた様子で更に一言付け加えてきた。
「…あいつが傷付くのはもう見とうない。あいつの体は癒えても心が傷ついたままなんじゃったら、願い出るこっちが誠意を見せるしかないち思う。…国事に女子の心配を優先させるがは女々しいかもしれんが、しかし俺は、命を懸けて長州の力にもなりたいち思いゆう。これはまっこと本心ぜよ。」
「…ああ、ああ。勿論僕も命をかけようとも。君という実直な友がいて、僕は本当に果報者だ。」
二人は固く握手を交わし、内蔵太は早速身支度をして下関を出るといって去っていった。
内蔵太を見送った伊藤は内蔵太の人情深さや潔さに改めて尊敬の念を抱きつつも、一点、気になる事があり思案する。
「(はつみさんが女だって事、やっと分かったんだなぁ)」
いつ、どのようにして気付いたのか。その辺の話をまたいつぞやの時の様に楽しく掘り下げたいものだとも思ったが、今は不謹慎であると考え思案する事をやめる。だが近い将来、長州を守り切ったその先の世で面白おかしくその続きを話せる様な状況になったなら、それは願ってもない事だ…と。思わずにいられなかった。
※仮SS