12月23日。改めて上海渡航が決まった。あと10日もしない内に江戸を出立する為、準備や下調べに掛かり切りとなると懸念して急遽はつみを呼び出した。
その二日後。10月以来のやや久方振りとなる再会でうっかり『冬の装いもいいな』等と考えてしまう自分の頭を振り付ける高杉。駕籠で出迎えられた事に焦るはつみを乗せ、浅草寺へと向かった。
一刻(2時間ほど)揺られ、雷門前に到着する。この頃から雷門があった事に感動を隠せないはつみ。浅草寺で旅の無事を願い、おみくじを引き、仲見世通りの茶屋で一休憩を愉しむ。英国行きが無くなってしまったのは残念であったが、はつみから貰った英語の単語帳は今も読んでいると…妙に素直な高杉。今の上海は英国が拠点としているのできっと役立つと伝えると、何故そんなことまで知っているのか。君は本当にわからない女だと鼻で笑う。随分機嫌のいい高杉はいつもに増して輝きが増して見え、魅力的だった。
「以前君が言っていた言葉だが…長州に僕が必要となる時が本当に来ると思うか?」
海を渡る最中に命を落とす事も十分に考えられる上、異国に渡った事で周囲からの認知が変わってしまうのではないかと思わないでもない…と、今回の上海遊学に対する期待の裏に隠す不安を覗かせてくれた事に、はつみは全力で背中を推す。日本の政治拠点はこれからいくらでも変わり様があるが、世界が日本を知ってしまった以上、日本が彼らを拒絶し攘夷をしようが、彼らを受け入れ共存を目指そうが、世界から逃れる事自体はもう絶対にできないという事。外国との交渉あるいは摩擦が生じる時、日本を守る為には必ず懸け橋となる人材が必要になる事。それを長州で真っ先に成し得るのは高杉なのだと。ご両親も、そんな高杉さんの事をきっと心から誇らしく思われると思います。と述べる。
時勢の展望から親への心配事まで、あまりにも胸の内を的確に掌握された高杉は内心深く感激して暫く黙ってしまう。
無言の彼に対しはつみが『高杉さん?』と小首をかしげた丁度その時、雪が降り始めた。
「…あ…雪だ…!わあ…!」
はつみが雪降る空を見上げ微笑むのを、停止した思考でただ見つめるだけだった。
「今日は太陰暦の12月25日。しかも雪が降ったから、ホワイトクリスマスですよ。高杉さん♪」
「…ああ…」
心底嬉しそうに微笑む彼女の顔は、可憐な乙女ながらも見た事のない洗練さを纏っている様に見える。それは彼女が発する外国語の様な言葉にも由来しているのだろうか。浮世人だとか、天女だとか…坂本龍馬あたりが言っていた『かぐや姫』という比喩も、あながち間違っていない。
「12月25日という日は、私の故郷では『クリスマス』って言われてて家族や大切な人と過ごす年末前の行事みたいなものだったんです。語源は西洋の宗教からきているものなので西暦上の『Christmas』って事になると時期も意味合いも少し変わってきちゃうんですけど…」
突然慣れない横文字を連発される事と西洋の宗教について触れた事、記憶障害があるという彼女から『故郷』という言葉が出て来た事など情報が一挙に押し寄せる高杉の理解が追い付く前に『まあ、今は難しい話はいいですよね!』と笑って、ずっと肩からぶら下げていた風呂敷の様なものへと手を伸ばす。ゴソゴソと中身を漁った後、掌に収まる巾着袋を一つ取り出して見せた。
「はい、クリスマスプレゼントです」
「なんだ?」
「クリスマスでは贈り物をするんです。西洋のクッキーというお菓子に似せて作ってみたので、是非食べてみてください」
高杉がクリスマスという日を狙って誘ってきたという事はないだろうと思いつつも、プレゼントとして作ってきたクッキーもどきを手渡す。初めて見る洋菓子にきょとんとする高杉であったが、何やら特別な日の贈り物と聞いて何気なく
「これは、僕にだけか?」
と尋ねる。不意に出た言葉に自分でも口を押えるほど驚くが、はつみは意外にも率直に頷き
「はい、高杉さんの分だけです。せっかくのクリスマスだったから…」
と、笑った。
はつみを正面に見据えた瞬間、高杉の視界から急速に背景が消え、彼女だけが鮮明に映る感覚に陥る。ハッと気づいて強く目を閉じ、頭を振ってから再び目を開くと、彼女が小首をかしげ、こちらを覗き込むような視線を送ってくる。男の心をまるで意に介さない、そのあざとい眼差しに、浮ついた熱がじわりと胸を支配していった。
抱き締めたい。
妻に対するものとは違う。遊女たちを相手に抱くのとも違う。同輩らを抱き締めたいと思う訳でもない。理由など分からないが、唐突に、ただ漠然とそう思った。
一歩踏み出し、少しだけ自分よりも背の高いはつみに向けて両手を広げる様に伸ばすと、彼女は意図せずはにかむ表情を浮かべてから同じく両手を広げて来た。
「うん、ハグしましょう!」
そう言って、高杉がはつみを抱きしめる前に彼女の手が彼の肩や背にかかると、ぽんぽんと軽くあやすように叩く。驚いた高杉の腕は暫く宙に固定されたままであったが、身体を押し付けて抱き締めるという訳ではないその軽い抱擁に不思議と安堵感を覚え、同じ様に軽くはつみの腕や背に手をかけるだけの抱擁で落ち着いた。
雪が舞い振る寒空の下で、彼女の抱擁に包まれている部分にだけ感じられるほのかな体温、ふわりと漂う香りが何とも言えない心地よさを感じさせる。
「気を付けて行ってきてくださいね…!」
当然、高杉がふいに思い描いた『抱き締める』という構図や熱量とは全く違う形ではあったが、それでも、深い癒しと共に自己肯定感をも得られる様な、満足感を得られる『ハグ』であった。
この日、高杉が江戸に出てから約4か月間に渡って綴られた初番手行日誌がおよそ2か月ぶりに更新された。一番初めに予定されていたヨーロッパ使節団への参加が見送りとなり意気消沈したのが11月のはじめ。それ以来の手記となる。
文久元年 十二月二十五日
浅草寺 ほわいとくりすます。くきいという焼き菓子をもらう。
大いに励まされる。
※仮SS