1月22日、容堂公はじめ乾達は大坂に入港した。
容堂の思想は明らかに公武合体と言われるものであり、京へ入った狙いも朝廷からの招集に応えた形ではあるものの、実際には容堂の意に反して行われる、郷士達による政治的挙動を停止させる事に目的があった。とかく容堂の逆鱗に触れたのは、間崎哲馬など著しい意越権行為に及んだ青蓮院宮令旨問題についてである。これは、山内容堂によって牛耳られている土佐藩の藩改革を促す為に、事もあろうか中川宮朝彦親王に迫り、無理矢理の形で令旨を得たというものである。間崎は先の梅屋敷事件の折に露呈した上士下士の対立においても、渦中の人物としてその名が挙がっていた。これまでは尊王攘夷の為に朝廷工作に走っていた下士過激派達は、事ここにきてついに容堂公の存在の大きさを目の当たりにする事となり、藩政改革へと着実に工作を進めている事の証明でもあった。
容堂は大阪に入るなり早速、郷士達を大阪の藩邸に呼び集め、彼らに対し三か条の布告をなして牽制した。
武市を中心とする尊王攘夷の『過激派』が京朝廷にて大きな存在となったとはいえ、彼らの成している事は決して『一藩勤王』に基くものではない。土佐藩における藩論については、隠居の身でありながらも土佐の精神的な支柱として君臨する容堂公の意向がほぼ絶対的といえる状況にある中で下士過激派が躍進した文久2年は、その容堂公が謹慎・蟄居の身で江戸に封じられており、且つ、その右腕として土佐藩政を託されていた吉田東洋を真っ先に暗殺したからこそ、勢いが出たといっても過言ではない。そしてその勢いの最先端に、卓越した政治手腕誇り毅然とした正論を唱える傑出の人格者たる武市半平太がいたからこそ、勅使の実質的な一員となり将軍御目見えとなるほどの影響力を持つ一味へと成長できたのである。
だが、先述の通りここに『一藩勤王』の強みはない。下士過激派と君主との間には大きな溝がある。これでは時世を唱える前に『藩』に対する大義が成っていない、つまり彼らはただ傍若無人の極みを京師で行っているという事にもなる。
土佐藩内にて徐々に『攘夷派弾圧』の気運が高まりつつある中、乾もまた、『尊王攘夷、一藩勤王』からの『一君万民』といった思想を胸に抱きつつ、一方で武士の本懐をまっとうするべく君主の側に侍るという、歴史の表舞台にはいまだ立たずとも極めて難しい場所に立ち続けていた。
容堂公が郷士(下士)達に対し対処する一方、乾もまた、はつみの所在について手をまわしていた。だが京河原町藩邸にその姿はなく、武市の寓居にもいないとの連絡が至る。江戸に来ていたはつみに追従していた池田寅之進の姿もなく、だが、もう一人はつみに追従していた岡田以蔵の所在は掴めた。
彼は近頃藩邸にも武市寓居にも近寄らなくなったが、近くの小料理屋や飲み屋などにはちょくちょく顔を出しているという。乾は以蔵に話を聞くべく、長く付き合いのある信用できる部下を派遣した。真辺正精16才。代々藩主の小姓役を務める一族に生まれ、10の頃より容堂公の小姓を務める若き上士だったが、此度容堂公により馬廻り格へと昇格した。乾同様、容堂公からの信頼が厚く、若年ながらも非常に見込みのある聡明で口の堅い美男子である。
何故ここで以蔵なのかについては、至極簡単かつ確信できる理由があった。
乾が江戸にてはつみと顔を合わせた時に、幾度となく彼女から以蔵の話を聞かされていたのだ。彼は剣の天才だが、極端に周囲への興味が薄く、寧ろ彼は目の前にある事しか見ない様にしている、その為に、長い間剣だけに心血を注ぎ続けてきたのだと。一方で無類の上士嫌いが目に付くかもしれないが、それは彼の幼少時代に起った同情的な事件が原因であり、また、彼が周囲に興味を示さず目の前の剣にだけ心血を注ぎ続けてきた理由も、その事件に起因する。彼の人格形成には上士の影響が大きくあり、故に上士を嫌う。良くも悪くも、決して国事や藩政に対する強い信念が逢っての事ではない。そして、以蔵は在京の間ほとんどの時間を彼女と共に過ごしていたという事も主張していた。つまり、これまで京を震撼させ続けてきた『天誅』の数々に以蔵は絡んでいないという事だと乾は受け取っていた。
また、以蔵についてだけではなく寅之進についても彼女は良く話していたが、『彼は未知数の可能性。今は私についてきてくれてるけど、きっと何にでもなれる』といった、やや抽象的すぎる言葉で言い表していた事が印象深い。
ともかく、はつみが取り立ててこの二人の事を話すあたり、恐らく武市一派に組しているというよりは文字通りに『はつみ寄りの従者』として考えていいのだろうと判断しての事だった。
―略―
以蔵の様子や、彼による話
・小料理屋で酒を飲んでいる所を見つける。目立たないよう話しかける機会を疑って尾行していたのだがとっくにに気付かれており、見失って裏路地へ入り込んだ所で逆に掴まってしまう真辺。殺気はなかったが、寡黙な雰囲気の中に突出する刺すような覇気が凄まじい。
・桜川はつみの件について伺いたい事があると言うと不意に彼の雰囲気が和らぐ。そこですかさず、はつみと懇意にしている乾退助からの使者であると告げると、思う所があったのか『案内せえ』と同行する事に同意した。適当な料亭へそそくさと入る。
・以蔵、まずは乾が何故自分を探したのかという問いを投げかける。はつみがいつも以蔵の話を乾にしていたから信頼ができると思った旨を伝えると、以蔵もまた、はつみから上士いち信用が置けるのは乾退助であるといった旨をいつも聞かされていた。だから、上士は嫌いだがおまん(真辺)を受け入れる事にしたと述べる。
・はつみが危険な目に遭っている事を知る以蔵は、その所在地を乾に報せる事に同意し、彼女は京料亭『白蓮』か、伏見『寺田屋』にいる事が多い事を教える。
・乾が寺村から聞いていた情報について尋ねる。吉田東洋暗殺の折にはつみが襲われた件について何か知っているかと。
→知っているも何も、その場にいた。雨の中突然笠を被った男が抜き身を放ってきた。俺がおらざったらはつみは死んでおった、と。思わぬ情報に目を丸くする真辺、続けて犯人について尋ねるが、足袋をはいた男で身なりも悪うなかった。俺は上士であると思うた。との事。
またその折、犯人の落とし物である『小袋』をはつみが拾っているはずだとも伝える。
→その事は誰かに報告したのかと聞かれると、特に報告っちゅう報告はしていないが武市や龍馬はすぐに駆け付け、そこである程度の話はしたとだけ。その後の事はようわからん。あまり噂にもならんかった様に思う、との事。
ここまで話て、以蔵は「乾ははつみの事を気にかけちゅうがか」と訊ねる。真辺は私情については分かりかねる。だが桜川殿の才は、亡き吉田東洋様をはじめ容堂公のお耳にも届く程のものだとは聞いている、と。
「しょーもない」とばかりに鼻から息を吹いた以蔵は、それでもはつみが乾らの助けを得るきっかけになるのなら…と、更なる情報も提供した。
「おんしらはつみを守りたいち思っちゅうがじゃったら、もそっと危機感を持てよ」
「其れは御尤も…先の話、しかと乾様にお伝えいたす」
「違う。はつみが命の危険にさらされゆうがはそれだけではないき。武市先生がおらざったら、はつみの首なんぞとっくに飛んでおるぞ」
「え………」
「武市先生自らがはつみを匿っちょったき、尊攘派のもんらぁはあいつを斬るがをためらちょっただけじゃ。」
言葉を失う真辺に、以蔵は更に続けた。
「昨年江戸へ出る前に、武市先生の寓居で袋の鼠が投げ込まれる事件があった。はつみへの牽制じゃ。」
「ふ、袋の鼠…?」
「…切り刻まれたねずみが麻袋に入れられ、はつみの寝室ん前に投げ込まれちょったぜよ。」
「―ひっ…」
「あやつは気付かずにそれを踏みつけ、大声をあげよった。」
「ど、どうしてそのような事が…?」
「わからんがか。袋の鼠じゃ。『おまんをいつでも殺せる』っちゅう事ぜよ。」
辛酸を知らない若い上士に、流石の以蔵も呆れ顔を滲ませていた。真辺は寒気がする程に顔面蒼白となり、帰りは駕籠を取って大急ぎで乾のいる大阪まで戻っていった。
―略―
―かくして、あらゆる覚悟をして以蔵の元へと訊ねた真辺であったが、思っていたほど難儀する事もなくはつみの所在地を掴んで戻ってきたと思うや否や、尋常でなく怯えている様子に気付く乾。
真辺からの報告を受ける中で、自分が以蔵を信じてみる切っ掛けになったのと同じ様に、以蔵もまた、日頃から『上士だけど乾退助は信頼できる人である』とはつみから聞き受けていた事がきっかけで真辺を受け入れる事にしたのだと言う話に胸を熱くする。
だがまたその一方で、真新しく、そしてとても看過できない情報に、その不動の眉間にも深いシワが刻まれる事となっていた。
吉田東洋暗殺時にはつみを襲った『上士』と思われる男の存在。
そして、武市に守られていなければいつ命を落としてもおかしくはなかった京での状況……。
真辺からの報告の途中であると言うのに、固く握った手が震えるのをこらえる事ができなかった。…今すぐにでも、伏見寺田屋か京料亭へと駆け付けたい思いだった。
とはいえ、江戸取引において遂に身体だけの関係となってしまったはつみの心境を想えば、自分には逢いたくないと考えているかも知れない。…だが、はつみには聞かねばならない事、忠告しておくべき事もある。…そのように危険な状況を一切知らせずにいたというのなら、なおさら言うべき事がある。
此度上洛を果たした容堂公と武市ら過激派がどう反応を起こすかを注視する必要がある中、本人の意思に関わらず、その渦中には桜川はつみの存在も含まれている。
乾はその場ですぐに筆を執り、京料亭『白蓮』のはつみに向けて文を書いた。
『25日昼、京明保野亭にて待つ。』と。
※仮SS