仮SS:長州志士


文久元年3月。

 江戸剣術修行時代の知人として是非はつみに紹介したいとして、長州藩邸にやってきた。龍馬が門番に問い合わせをしている最中、数歩下がった場所で藩邸の全体像を見上げ『これがあの、長州桜田藩邸か…』と心拍数を上げるはつみ。龍馬がやけに勿体ぶるので誰に会うのかとまでは聞かされていなかった、やはりここはかの有名な桂小五郎や高杉晋作、久坂玄瑞などといった名が脳裏をかすめ、期待もしてしまうというものである。
 そうこうするうちに龍馬が戻ってきたのだが、どうやらお目当ての人物は外出で不在の様だと残念そうに報告してきた。
「有備館っちゅう所へ行かれたっちゅう話じゃ。まぁ~逃げ足がはようてようよう捕まえられん御仁じゃち、しかたないのぉ」
 と頭をかく龍馬であったが、それ以上にどこかで聞いたフレーズに脳がパッとひらめく。
「も、もしかして…桂小五郎?」
 龍馬としては『非常に忙しくあちこちに出歩いている』という意味を含めての言い方であったが、その『逃げ足が速い長州藩士』と連想してピンときたのが、かの有名な長州藩士・桂小五郎の名前だった。思わず口にしてしまい、一発で名を当ててて来た彼女に対し龍馬はぱちぱちと目をしばたたかせた。
「おお、そうぜよ。何故桂さんの事をしっちょるんじゃ?」
「えっ?あっ…ほら、長州の桂さんって凄い剣豪だって有名人だから」
「はあ~、おんしゃあまっこと地獄耳じゃのぉ。ほんなら、もしかしてもう桂さんには会った事はあったがかえ?」
「ううん、一方的に聞いた事があるだけで、まだお見かけした事もないんだ」
 桂が有名人である事は間違いなく、謎に博識であるはつみが既に桂の情報を得ていたという点については違和感なく納得した様子の龍馬。加えてまだ『会った事は無い』とする返答には満足した様子で、何故か自慢げに話しを続けてきた。
「そうかえそうかえ!ほいたら紹介する甲斐もあるもんじゃ。まあ今日は残念じゃったけども、わしらあもまだまだ江戸滞在が続くき、また紹介しちゃろう」
 そう言って何気なくはつみの頭をポンポンと撫で、はつみも『うん!たのしみ!』と素直にうなずく。そして二人は自然と長州藩邸に背を向け、江戸滞在の時間を有意義機過ごす為に並んで歩き始めた。
「はつみさんもナンダカンダ言うて器量良しの男に鼻の下伸ばしちょるき、桂さんを見たら『麗しゅう~!』ゆうて度肝ぬかすぜよ~」
「あはは!なにその『麗しゅう~!』って!…ていうか、え、私鼻の下伸びてた?!」
「ははは!おんし、そこは否定するところぜよ!」
 そんなこんなで去りゆく二人であったが、追いかける様な足音を立てながら藩邸から一人の武士が飛び出して来た。やや小柄に見えるが肩の張った身体つきの良い男性が、愛想よく龍馬の後ろ姿に声をかける。
「よかった!まだいらっしゃった!」
「うん?」
「どうもどうも、僕ぁ伊藤俊輔ちゅうもんです。あなたが桶町千葉道場の塾頭をされちょった坂本龍馬さんですねぇ!桂さんから聞いちょったですよ。あ~そいで桂さんは今、でちょってまして…何か託けなどありましたら、僕が承りますよ。桂さんもきっと喜びますけえ」
 等という伊藤に対し、同じく愛想よく返す龍馬。
「おお、有備館の方へいっちょるち聞きましたき。いやいや伊藤さん、わざわざありがとう。ほいたら、桂さんには龍馬がよろしゅう言うちょったとお伝えつかあさい。近々また顔を出しますき。」
 その横で、はつみは驚愕の表情を必死に押し殺していた。そこにいる伊藤と名乗った武士は、かの有名な初代内閣総理大臣・伊藤博文だと気付いてしまったからだ。 伊藤もはつみの視線に気付き「こちらは?」と龍馬に訪ねる。
「おお、まさに今日はこの御仁を桂さんに紹介しようち思うての。」
 と言ってはつみの肩をポンポンと叩いてみせた。
「はっ、初めまして!桜川はつみと申します」
 促され、気を改めて伊藤に自己紹介をすると、彼もきちんと挨拶をしてくれたはいいものの妙に勘ぐった様な目で全身の上から下までをなめるように見回して来るではないか。嫌悪感を感じる程の長い時間ではなかったが、伊藤は腕を組んでやや小首をかしげた後、結構な率直ぶりで訪ねてくる。
「…失礼じゃが…あんた、女なんか?」
「ああ~伊藤さん、ええ所に気付いたのお。ん?はつみさんが女子に見えたがかよ?」
「え、違うんか?」
 龍馬が笑って間に入り、伊藤の視線に合わせると一緒になってわざとじろじろと視線を送ってくる。
「いや~どうかの~男かの?女かの?」
 としらばっくれている龍馬に対し、伊藤は
「いやいや、僕ぁこう見えて女子を見る目には自信がありましてねぇ。」
 等と返している。お互い一見やや軽めの対人能力を備えている故か既に意気投合している様子で、伊藤に関しては女絡みの話題は『嫌いではない』と言ってニヤニヤし始めている。男どものしょうもない腹の探り合いに構わず自分の事について率直に打ち明けようと一歩踏み出したところで、不意に、背後から柔らかな声がかかった。 

「俊輔…こんな所でどうした?」

 「「あっ、桂さん!」」

  声に反応した伊藤と、即座に振り返ってその人を目視した龍馬の声が重なる。一手遅れてはつみもその声の主の方へと振り返るが、彼を目視すると同時に非常に品の良い香りがふわりと周囲を包み込むのが分かった。
「(うわーっ!えっ、桂小五郎…やばイケメンすぎない…?)」
 とんでもない美形そして柔らかく麗しい声とほのかに漂う上品な香りに、はつみは腰が抜けかけてしまう。非常に中性的で整った顔に落ち着いた微笑みをたたえ、長い髪を一つにまとめているが、決して『女の様』といった雰囲気ではない。龍馬と同じくらいの高い背丈をスッと伸ばし、品と教養高い武士としての佇まいが非常に美しい。

そう、彼こそが、かの長州志士達の実質的なリーダーとも言える桂小五郎なのだった。

「ああ…!坂本君じゃないか。随分と久しいね、いつ江戸へ?」 
 はつみの視線が文字通りに『釘付け』となってしまっているその横で、数年前の剣術修行期間中に知り合っていたという桂と龍馬は手を握り合って再会を喜び合う。桂が改めて伊藤を龍馬に紹介した流れで、当然、龍馬と行動を共にしているはつみの話題へと移ってゆく。
「桂さん、おんしとの再会も心待ちにしちょったけんど、今日は是非この御仁を紹介したいち思うて顔を出したんじゃ」
「はじめまして、桜川はつみと申します」
「…!ああ…貴女が…」
 はつみの声と名を聞いた途端、それまで穏やかに龍馬との再会を喜び話を聞いていた桂の表情にハッとしたひらめきが宿るのが明確に伝わった。自然な流れで手を差し出して来たので思わず彼の手を握り返すのだが、図らずも桂は握ったはつみの右手へ更に左手を添え、耽美な微笑みを真正面から覗かせながら、その柔らかな声と香りで優しく包み込む様にして己が名を囁く。
「長州藩士、桂小五郎です。…実は貴女の事は、以前から私の友人が知らせてくれていてね。坂本君がわざわざ私に紹介する為に連れて来てくれるなんて、本当に驚いた。ご縁に感謝だね。」
「はえ~、桂さんも有名人じゃが、やはりはつみさんも知る人ぞ知るっちゅう御仁なんじゃなあ…。桂さん、どこではつみさんの事を聞いたんじゃ?」
「フフフ。勿論、お話しさせてください。宜しければこのまま藩邸に上がっていかれませんか?」
 桂からの友好的な申し出に対し龍馬らが首を縦に振るのを確認するや否や、気を利かせた伊藤が応接間を抑えると言って一足先に藩邸へと駆け戻ってゆく。



「今は横濱の方へ出てしまっているのだけれど、我が藩には村田蔵六と言う蘭学者がいてね。長崎ではシーボルト殿の門下生の方々や楠本イネ殿と学び、今も時折連絡を取っているそうなんだ。」
 部屋に通され酒や料理が用意されるまでの間に改めて自己紹介の話になると、桂がはつみを知っていた理由を穏やかに聞かせてくれた。長崎や宇和島と縁の深い村田蔵六という人物は、その『グローバル』な才を見込んだ桂によって長州藩に引き立てられた人物であり、シーボルトの娘であり女性産科医としてはつみの身体も診察してくれた楠本イネとの交流があるとの事だった。彼女が長崎に突如として現れた男装の娘の事を気にかけており、いずれ江戸のみならず時世に頭角を現す日が来るかもしれない等と手紙などに書かれてあったのを、村田を通して桂の耳にも入っていたという。
尊王攘夷派の急先鋒として活躍し名を広める桂であったが、彼の友であり師でもあった吉田松陰と思想を共にする上で『真の国防の為には夷狄を知るべき』とする信念を持ち、彼自身も蘭学に触れたり長崎遊学を望む事もあった。故に、蘭学ではないものの英米の文化や司法、教育等に基く価値観などについて造詣が深く、英語も操る男装の娘、というのは言わずもがな注目を引く人材であったことだろう。
ただはつみからすれば、思いがけず桂らのお眼鏡にかなっただけでなく長崎で良くしてくれたイネや老シーボルト達の名を聞いては懐かしさに顔を綻ばせ、素直に笑顔で応じるに難儀しない話題であった訳だが。
 そして長崎からの情報では勿論、龍馬の名前も桂の耳に入ってきていたと加える。はつみが土佐の坂本龍馬の実家に引き取られている訳ありの人物である事なども知っており、機会があれば桂の方から龍馬に手紙を書こうと思っていた等、思わぬ話で盛り上がりを見せていた。

 そうこうする内に久坂玄瑞や伊藤俊輔らが現れて座を共にし、長州の豊富な酒や料理でもてなされる宴会となった。久坂ははつみもその名を知る長州の有名な尊王攘夷派志士であったが、はつみが一方的にイメージをしていた人物像とはやや違って見えたのが印象的であった。…というのも、彼の人格を一瞬で見抜いたという訳ではなく、彼は最初からどこか不機嫌というかはつみに対してそっけない、寧ろ厳しめとも言える姿勢で対していた為、圧や壁のようなものをまざまざと感じてしまったというべきか。

 酒の席では伊藤によってはつみの話をどんどん掘り返されていったが、やや警戒の色を滲ませて『質疑応答』をしてくる者もいた。やはり、久坂玄瑞である。
 極めて実直な武士精神を持つ彼は、身元不明で記憶の一部欠如によって辛うじて土佐預かりの身となっている上に、そもそもが『女』であるはつみがどのようにして江戸行きが許されたのか?という疑問を率直に突き付けて来た。本人には脅すつもりなどはなかっただろうが、大きく堂々とした体躯からよく通る声で問い詰められると、例えはつみの様な女子供でなくても圧を感じてしまうものだ。ましてや今は井口村事件の時とは違って命のやり取りの場ではない事もあってか、はつみは『素直』に圧倒され、自分がいては場を乱してしまうのではないかと少し申し訳なさそうな顔で龍馬などに視線を送る。このような事は土佐にいた頃にも散々味わってきたが故の、はつみの反応であった。

 これに対し、角が立たない様にと『へらへら』しながら横入した龍馬が助け舟を出してくれた。土佐参政・吉田東洋にして、米国船に拾われ異国の知識を得た類まれな人材として幕府にまで召抱えられた中浜万次郎の再来とまで言わしめたとするその才故に、正真正銘認められた上でここにいるのだと。才ある女性である事は承知していたがその意外な経歴を聞いた桂などは驚き興味を示す一方、久坂からは更にピリッとした空気が醸し出される。
「土佐参政殿のお墨付きという事は、佐幕派の開国論者という事になるのでは?」
 久坂からすれば、この時世にあって勤王か佐幕かあるいは他の思想があるのかどうかもはっきりしない土佐上層の動向に物思う所があったらしい。桂が落ち着かせる様にやんわりと「久坂。」と声をかけるが、実直な久坂らしく、『土佐の開国論者』が一体どういうつもりで桂や長州に近付いて来たのかをはっきりさせたい様でもあった。
 一方、背筋を正し久坂の言葉を真正面から受け耐えるはつみ。土佐においては『敵意』の裏返しでもあった『佐幕派・開国論者』というその言葉。先ほどに続き久坂からの敵意や疑惑を感じているはつみであったが、同時に龍馬もまたそれを感じ取り、再度道化を演じて話題を変えようと身を乗り出した。だが今回は、はつみが「大丈夫だよ」と言って冷静に制する。『大丈夫』とする言葉にそれだけの力量がにある事を信用する龍馬は慈しむ様な視線を返すと共に黙ってうなずき、何かあればすぐにいつでも助けるという気概を胸に一旦下がった。そんな二人のやり取りを見ていた桂達も『一体何が始まるのだ』と固唾をのんで見守っている。

 まずはつみは、帝あってこその日本であるとする『尊王』、幕府つまり将軍は帝の『臣』であり、日本の長ではないとする意思を明確に示す。その上で、厳しい土佐での批判の中で考えに至った思想を彼らに打ち明けた。
「土佐においてはこの『尊王思想』と『開国論』は共存できないと拒まれましたが、吉田松陰様の思想行き渡る長州の方達になら、きっと理解して頂けると思っています。何故なら、吉田松陰様ご自身が『彼を知り己を知れば百戦殆からず』と孫子の一節を体現し、閉鎖的で前代的な対応しかできない幕府に変わって黒船を、その先の世界を知ろうとしたのだから…。」
 いきなり核心を突かれ桂や伊藤などは胸に刺さった様だが、豪胆な久坂の表情が変わる事はなかった。しかし彼にも確かに響いた様であり、はつみの言う事も間違ってはいないと、じっと見つめる。
…桜川はつみなる人物、敵なのか味方なのか、無害なのか有害なのか…
 どうやら微妙な所の様で、久坂は更に「では聞こう。幕府の事はどうお考えか?」と深く切り込むと、はつみは怯む事なく更に驚くべき返答をした。
「幕府の影響力はいまだ日本国内にあっては健在です。各藩に対する封建制度が形を成している限り、

 でもそれも、今日本にやってきている諸外国が『幕府を中央政権機関ある』と認知した上で条約を結んでいるからに過ぎません。後になって帝はお認めになられましたが、元々は諸外国への認識と対応を怠った為に追い詰められ、無勅許での条約締結を結んだ事が、幕府への決定的な不審や世の混乱の始まりです。その上、諸外国がこの先日本に対する研究を深め、幕府の背後には朝廷という最高機関がある事を把握すれば、諸外国の動きも変わってくるのだと思います。
そして幕府は長崎や函館、対馬などで独占的にオランダや清国と貿易を行い世界の情報も得ていたはずですが、にも関わらず、開国や通商条約を迫られた時には条約を結ばされてしまった。西洋諸国においては日本の幕府などが発布した封建制度を維持するための武家諸法度などとは全く目線の違う、民主主義という概念に則って形成された『司法』というものが存在していて、立法・行政の下にあらゆる法律というものを適用する事でその国ごとの決まり事、そして国際的に準ずる決まり事を『守る』とする規律があります。これに則って国同士の間で締結されるのが『条約』であって、一旦条約を結んだらそれは国と国との約束事ですから、安易に破棄したり覆したりする事は国同士の全面戦争に繋がり兼ねない亀裂を生みだしてしまう。つまり彼らと同等の知識や価値観、交渉力を以て条約を結ばなければ、帝が懸念される通り、尊王攘夷派の方達が言う通り『日本が土足で踏み荒らされてしまう、搾取され続けてしまう』という状況になってしまう。今はもう幕府によって既に不平等条約が結ばれてしまった状態ですから、ここから更に覆していこうとするのであれば、それは今の隠ぺい体質で閉鎖的な幕府の政治、その力量では無理だと思います。ですからこれからは、世界の列強と渡り合える様な広い知識と確かな言語力を持った人材を発掘し、あるいは育て、帝のご助力を賜り朝廷と手を取り合い、藩を越えて日本が一丸となって世界へ『論的』に対抗する必要がある…そういった形が取れるのであれば、それは『幕府である必要はない』と考えます。』
 尊王攘夷を唱え成破の盟約の下尊王攘夷の旗を振り続ける水戸・長州の尊王派であっても、実はここまで痛烈に幕府の存在そのものを否定する思想はまだ出回っていない。こうした『もはや幕府は必要ない』『倒幕』とも言える思想が出てくるのは、あと数年後の事なのであるが…歴史として客観的な知識があるはつみにはやはり『俯瞰』の思考が顕著すぎるきらいはあった。しかしそういった突飛な意見であっても、理解できる者にはしかと理解できるものなのだという事も確かな事なのだ。
「その…随分…お詳しいし達観してますよね…記憶喪失なのでは?」
 人懐こい様で胆力のある伊藤は『はつみは敵ではない』と捉えたか、空気を換えるべく冗談交じりの和む言葉を、同じく冗談を好むと見抜いた龍馬に向けて放った。
「そう思うじゃろう。じゃがまっこと、はつみさんは着物も着方も火の起し方も風呂の入り方分からんほど、浮世離れした御仁じゃき…。自分が何者か、どうやって生活しゆうかっちゅうところ以外では、こじゃんと冴え渡る説明のつかん御仁じゃき。やき、東洋さんにまで取り立てられたがよ」
「うーん、それって本当にかぐや姫って事なので?」
「うんうん、土佐が誇るかぐや姫じゃ」
 場を和ませようとしてか和む会話を続ける二人であったが、真顔の久坂がよく通る声で割入った時には再び雰囲気が引き締まってしまった。
「…確かに…我々の思う所も似通っておる。そもそも無能な幕府が不平等な条約を結び帝のお怒りをかったその失態と罪を厳しく正さねばならぬ、責任を取らせねばならぬ、幕府の舵取りでなぁなぁに開国をさせるというのは日本の破滅に向かう事であるというのが我々の真に思う所でもある故。…それに君が言う『開国論と尊王論は必ずしも相反しない』という事は、なかなかに鋭い。確かに、そういった話を身内や同志から聞いた事がない訳でもない。」
 雰囲気は引き締められたが冷静に受け止め、実際に異国を知ろうとする姿勢自体は彼らの師である吉田松陰からも受け継がれているとして桂の事が紹介された。桂は龍馬と同じく、ペリーが来航した際に黒船を見た者の一人であり、吉田松陰とも親しい間柄であった事から孫氏に倣い『異国を知る必要がある』と行動を起こした者でもある。蘭学者でありシーボルトにも学んだという精鋭・村田蔵六を長州に招き、自身も異国の知識を得るなどしている。

 ここで、はつみと龍馬も長崎遊学において老シーボルトに会い、彼の息子であるアレクサンダーやシーボルト鳴滝塾の門下生である二宮などと交流をし、長崎においては英国語を中心に学んだと聞かせると桂は大いに興味を示した。
『長崎へは何の目的で向かったのか?蘭ではなくなぜ英国なのか?今現在、外国語はどれほど話せるのか?』
 話の流れは桂から発せられる質問にとって変わり、更に続くはつみの答えは驚く程斬新な価値観と視点で桂らを関心させる一方、久坂はあまりにも精密で卓越しすぎているはつみの知識と弁舌に一抹の不安、警戒すらも覚えていた。
 久坂の様子も汲み取ったのか、気難しい時事の話でこの場の雰囲気が悪くなる事を嫌った桂が、
「難しい話はこの辺りにしてここからは互いの親睦を深める宴にしよう」
 とした事で、最終的にこの宴は『表向き』よい雰囲気のまま終わりを迎える事となった。







※仮SS