仮SS:萩取引、前編後編
R18


11月。先日話の途中で退席した木戸が訪れ、もうすぐ近藤長次郎が萩に入り、藩主謁見が済次第下関へ戻る事を告げる。
そして『先日』の話の続きをしようとする。


 2人の関係について将来的な話をしようとする木戸に対し、はつみはあえて薩長同盟の事を切り出す。木戸は薩長同盟については是も非もないが自分が薩摩に、小松や西郷に頭を下げる事だけはしない。江戸における薩摩の二枚舌、818の政変、禁門の変を目の前で見てきた。多くの同志が殺され三家老が切腹に処された。長州が薩摩と手を組む事がいずれ幕府という大樹を倒す革命のきっかけとなる事は理解できているが、誰かが頭を下げねばならぬのなら自分以外の誰かを派遣してくれと、藩政にも申し付けている…と言う。

 一方のはつみ。
「同志達をまとめながら他藩との調整も自ら行い、大変な想いをしてきたからこそ許せないという気持ちが人一倍大きい…桂さんもきっと苦しいんだろうと思っています。…だけど、こんな時代だからこそ、誰もが煮え湯を飲まされているんです。立場のある人は尚更、そこから逃げちゃいけない。藩主様や世子様は国賊の汚名を被せられた張本人です。それでも、逃げる事も申し開きをする事すらもできないのに、桂さんは逃げるって言うんですか?」
「…逃げるだなんて。…君からそんな風に言われるのは心外だな…」
「どう思ってもらっても構いません。誰も言わないから、私が言ってるんです。藩の存亡がかかった一大事に皆があなたしかいない言い、あなたさえ帰藩してくれれば長州は持ち直すって誰もが信じて期待していたのに、どうして、ただ『やりたくない』の私情一つでここまでお役目を拒絶できるのですか?」
「…私の気持ちを理解してもらおう等とは思っていないけれど…」

 あのいつでも優しい木戸が、表情を無にして言葉を放つ。

「君は私を癒してくれる人だと思っていた」

 それを聞いたはつみは心底心が冷え込むのを感じた。桂…いや、木戸にとって大事だったのは、結局この才ではなく、女としての自分。女の癒し、女の身体だったのだと。たとえそれが木戸の思う所ではなく、彼は彼なりにはつみの発言に心を痛めてこぼしてしまった言葉だったのだとしても、はつみの心には一本の深い溝がビッシリと刻まれた瞬間であった。

「……癒しますよ…私でできる事なら…桂さんがそう望むのなら…」
「……?」
 様子がいつもと違う雰囲気なのを察する木戸であったが、はつみを見つめ直すその視線にはどこか期待めいた色が見え隠れする。木戸からどう思われているかなど最早関係なく、はつみは心を置き去りにして話を進めた。
「…桂さんは、私に何を望むのですか…。何をしてあげたら、あなたが飲み干す煮え湯の痛みを癒してあげる事ができるんですか…?」
「………はつみ……?」
 はつみの決意を汲んだ木戸の表情は複雑そうだったが、手を取ったその意思はもはや疑う余地もない。握った手を軽く引き寄せると、憧れに憧れた彼女がいともたやすく腕の中に落ちてきてくれた。潜む眉が物語るその感情は何だろう、不安か…哀しみ、失望の様にも読み取れたが、それは薩長同盟の為に大きな心を以て上京を成そうとしない小物な自分に対するものだと木戸は思った。…まさか、何気ない一言が決定的な亀裂となって彼女の心に刻まれてしまった直後だとは思いもせず、男女の間に漂う雰囲気のままに、口づけをしようとする。

―と、木戸の口元が彼女の白くか細い指でそっと押さえられた。
「…でも、ひとつだけ…忘れないで下さい…」

 間近に迫る美顔に似つかないたくましい腕と香りに抱かれながら、かすれる程小さな声ではつみは言う。

「桂さん…木戸さんにとって一番は、あの人だってこと…。」

 まさに木戸が話そうとしていた核心を突く言葉に、内心胸をえぐられる様な衝撃を受けながらも、表情ひとつ変えずはつみの目を見つめ返す木戸。『あの人』が幾松の事である事は当然すぐに理解できた。はつみは木戸の口元に指を押し当てたまま、無に近い表情をしたその瞳を左右交互にみやりながら続ける。

「私はあなたの一番にはなれないし、そうあるべきでないとも思っています。でも、みんなの期待を背負って長州を支える木戸さんが、その為に前へ進めなくなる程に傷付いて、癒しを求めたいと言うなら…」

「…君も、自分を『投げ出す』と?」

「…背負っているものが違い過ぎる事は重々承知です。それでも…木戸さんが前へ進む原動力の一つとなれるなら…」

 木戸の表情には次第に優しさと慈愛に満ちた柔らかさが広がり、何を思ってかその顔を横に振ってみせた。そして口元に添えられていたはつみの手を握り返し、そのまま指先を半分食む様にして口付ける。


「私の本当の苦悩を理解し、共感してくれる女性は、君だけだよ…」


 …女としての癒ししか求めていなかったのに、今更…?



 だなんて野暮な事は口にせず、引き寄せられるがまま唇を重ねた。


―後編へ―






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