8月15日、朝。
神戸からはるばる旅をしてきたはつみら一行は、いよいよ下関を目前とする長州・三田尻に到達していた。前日に発った長州の支藩である徳山において、あとを追いかけて来た坂本龍馬が合流してきた事を受け、一行は桜川はつみ、坂本龍馬、池内蔵太、池田寅之進、陸奥陽之助、お万里、柊智、そして、自由気ままに空から一同を追い続ける白隼ルシというちょっとした所帯となっていた。変装をしていた面々も長州に入って以来は通常の慣れ親しんだ装いに戻し、山道を歩くときなども皆がまとまって歩いたものの、町に入った時には2つか3つに分かれて目立たない様に心掛けていた。
三田尻に入ったはつみは内蔵太・柊と共に行動をし、みながそれぞれ、船の調達や情報の収集に努めている。
三田尻は先日の禁門の変で戦死した来嶋又兵衛や内蔵太たちが所属していた忠勇隊などが置かれていたゆかりの地であるためか、内蔵太や柊の顔見知りといった勤王派の面々も多かった。しかし数日前には英国を始めとする艦隊が物々しく通過していった事で、街にいる人達の関心は下関戦争の事でもちきりだった。一番新しい情報としては、下関で高杉晋作らが異国との講和談判に出向いているらしいという事や、その高杉らが俗論党や攘夷過激派など多方面から命を狙われているという情報も入ってくる。奇兵隊初代総督であり、一度は俗論党の手中に落ちた藩政を正義派のもと解放せしめた英雄たる高杉の人気はここ三田尻でも非常に高い様だった。
そんな中、やはりここでも船を調達していきたい所であったが、流石の藩内船であっても西洋艦隊が停泊し砲撃がどうなったのか実際の様子も分からない下関方面へと定期便を出している者はだれもいなかった。少し手前の長府港へ向かう船も見当たらない。威風堂々と異国の風を吹かせながら下関へと向かって横切っていった西洋艦隊に続き、禁門の変から命からがら戻ってきたと思われる戦で傷付いた長州の兵士達を見て、町の人達の不安は倍増しているのだろう。
だがそこへ、内蔵太たちが高杉を手助けする為に果敢にも下関へ向かおうとしていると聞いた豪商・貞永文右衛門が声をかけて来たのである。
「御前を失礼致します。私、ここらで商いをしております貞永と申します。数々の戦へ長州陣にて参戦された勤王の徒、池様とお見受けいたしました。」
「ん?おお、俺が池じゃが。貞永ちゅうたら、ここらじゃ有名な塩問屋じゃったか?」
声をかけて来たのは町人の身なりをした初老の男性であった。多くの塩田を有している貞永という商人はここらでも有名な豪商で、忠勇隊も援助をしてもらっていたと記憶にあった内蔵太の指摘は正しかった。他藩出身ながら歴戦の勤王志士として見知っていた内蔵太から、飾らない率直な礼を告げられた貞永は恭しく頭を下げ、その後で改めて、小声ながらも単刀直入に本題を切り出してくる。
「…高杉様をご支援される為に、下関へ向かわれる船を探しておられると聞きました。まことでございますか?」
「ああ。この御仁を下関まで送り届けるんが俺の役目じゃ」
そう言って、隣で海を眺めながらつっ立っていたはつみを引き寄せると貞永に紹介する内蔵太。はつみは話の脈略もわからないままに突然紹介され、慌てて「はじめまして」と挨拶をする。貞永ははつみを一目見て思う所があったのか、一瞬『おや…』といった表情を垣間見せたが、すぐに何事も無かったかの様に穏やかな表情へと戻し、改めて自己紹介を行った。丁寧な自己紹介を受ければ当然、流れに逆らわず自己紹介をしようとするのだが、横に控えていた柊がすかさずその口を手で塞ぐ。
「もがっ!?」
「―すまんが、下関の現状を見ても分かるように此度は重要な案件故、名を明かせん。今は鬼椿権蔵と名乗っちゅう」
咄嗟の良い判断とはいえ、口を塞いで見せるとはなかなか気心の知れた間柄とも取れる。身分の高い『姫』ではない様に見えるが、はて。では高杉晋作様とはどのような関係のある『女子』なのだろうか?その美貌を隠し切れぬ『男装』は世を忍ぶための姿なのだろうか…?
―このように、一目見てはつみが『男装をした女』である事を見抜いていた貞永は興味深そうにはつみを見つめる。その視線に気づいた内蔵太がスッとその長身をかがめ、貞永に耳打ちする様に手を添えて付け加えた。
「すまん、色々と複雑じゃき、ちっくと用心しちゅう。怪しい者ではないちいう証拠はないが、幸いおんしは俺の顔と名を知っちゅうろう?ここは俺の顔に免じて、堪えちゃってくれ。」
そう言って、生気に満ち満ちて蒼天に映える整った顔をまじまじと見せつける内蔵太。思わず男惚れしてしまいそうになる器量良しとその爽やかさを目の当たりにして引け腰になると同時に、興味深かったとはいえ明らかに勘繰る様な視線でじろじろ見てしまうという己の失態に気付いた貞永は、ハッと頭を下げた。
「これはこれは、つい見入ってしまいまして、何とも失礼をいたしました…!私どもでお役に立てることがあれば、ぜひお力添えさせていただきたく、その一心にてお引き止め申し上げた次第でございます。鬼椿様も何卒、ご容赦くださりませ…」
陸奥の悪乗りで決めた『鬼椿権蔵』という変名が初めて生かされた訳だが、改めて『鬼椿様』などと言われると我ながら違和感があり過ぎて、必要以上に恐縮してしまうはつみ。貞永が言う程『じろじろ』見られているとは思っていなかった事もあり、申し訳なさそうに謝りながら貞永の頭を上げさせた。しかし軽率に名を明かしたりどこかに漏れる事があればそれは神戸に直結する事も理解しており、咄嗟に制止してくれた柊にも目配せをして『ごめんね、ありがとう』と囁く。柊は一瞬眉を上げたがすぐにいつもの仏頂面をして『べつに』とそっぽを向いてしまったが。
そんな彼らの横で、内蔵太と貞永は話を進めていた。
「貞永殿、食い気味で申し訳ないがその力添えちゅうがは具体的にはどういう事ぜよ?」
「夷狄が押し寄せてくるなどという未曽有の大事にて…そこへ向かおうとされている方々の御為であれば、手前に出来る事は何でも。」
「おおっ!!それはまっことありがたい話ぜよ!是非相談させてくれ!」
「ここでは辛いお話もございます。当家にてお話を伺わせていただいても宜しいでしょうか?」
こうして、はつみ達3人は豪商・貞永文右衛門の邸宅へと誘われた。別行動をとっている龍馬達については貞永邸の者が代わりに探し出し、邸に案内する手筈となる。
龍馬達を待つ間、貞永には今下関で何が起こっているのか、高杉が何をしようとしているのかを、鬼椿権蔵たるはつみが改めて説明した。
西洋艦隊による攘夷報復砲撃の後には、今回の戦争をどのようにして『終戦』もしくは『解決』と見なすのかを話し合う講和会議が行われ、今、高杉は長州を代表して西洋艦隊の代表者たちと机を挟んで対峙し、激論を交わしている所であろうと伝える。これは長年にわたり海外にまつわる書籍を読み解いて知識を蓄え、長崎から上海にまでいき西洋の租界となった現地を見て生々しく危機感を覚え、帰国後はたとえ藩内で孤立しても思想に思想を巡らせてきた彼だからこそ成せる講和交渉なのであり、そしてその傍には、命を落とす事を覚悟の上で海外に繰り出しその知識と語学力を磨き上げた長州の人間が通訳に立ってこそ、その会議が成立しているのだと、熱意を以て話す。
つまり今、真の意味で長州を守ろうとしているのは、日本や長州を守る為にこそ世界を学んできた彼らであるという事。
佐幕派かあるいは俗論党かとする前に『開国論者は勤王思想の持ち主などではない』とする安易な議論がいまだに交わされている事を耳にするが、決してそうではないという事。
そして自分が今の下関へ呼ばれたとてまともに外交の手伝いができるとは考えていないが、勅令に従ったはずの長州がつまはじきものとされた上に朝敵にされ、仲間達も多く犠牲となり、その上西洋艦隊から砲撃まで受けるという未曽有の事態にあって自分を思い出し呼び寄せてくれた事には、全力で報いたいのだと決意を滲ませる。日本と世界の人々が言葉を以て意思疎通できる様になる為に、自分は語学の勉強を続けて来た。それは開国をした日本が世界に対し的確な場面で『否』と申し付けるその理由を正しく説明し理解を得る為に必要な事だし、世界と友好的な関係を築き、つまり平等な条約締結を以て侵略などされる事なく、帝の元でより豊かな和文化をはぐくむ為にも必要な第一歩であると信じているのだと。
貞永は感涙し、時代の変わり目にある事は感じ取ってはいたが、まるで目から鱗が落ちたかの様だと述べる。高杉に関して、かの松下村塾に集う名士としてその名は聞くが藩政においてはその名を聞く事は少なく、しかしある時彗星の如く表舞台に現れては奇兵隊という抜本的な軍改革を見事に成し遂げ、一瞬にして俗論党から藩政を開放せしめた。そして今は西洋の代表者たちと理を以て対峙し、長州をまもらんとしている。…なんという孤高の志士なのかという事を、実に明確に理解する事ができた。
内蔵太と柊も強く手を握りしめ、はつみの言葉を胸に刻み込んでいた。『真の攘夷とは何か』これまでにも何度もその議題に向き合ってはきたし彼女の言葉はいつだって変わらないのに、こんなにも心深くにまで浸透してきたのは、二人とも今回が初めてであった。
かくして、一行は豪商・貞永文右衛門の多大なる支援を受ける運びとなった。危険手当などと名目を付けて報酬を大幅に上乗せし、下関より手前の長府港まで向かう船とその人員を確保してくれたのである。長府にさえ辿り着けば、あとは歩いて一刻二刻程の距離で目的の白石邸へ到達できる為、旅の終盤で体の不調面も目立ち始めていたはつみやお万里らにとっては非常に助かる申し出であった。
別行動をしていた龍馬達も合流を果たし、準備が出来次第船に乗り込む手筈となる。『鬼椿権蔵』を気に入った貞永は是非にと献金まで申し入れるが、はつみはこれを頑なに固辞する。
「訳があるとは言え、今日は本名を名乗る事もできませんでした。長府までの船と人員までご用意して下さったのに、こんな立場でお金を受け取ることなどできません。」
『そういうものだ、受け取っておけ』と内蔵太や陸奥は言うが、はつみは首を横に振りつける。しまいには『ではこのお金で、傷付いて帰ってきた人たちを治療してあげてください』とも言い出し、どうしても貢ぎたかった富豪は仕方なくこれに頷き、手にした金子を懐にしまい込んだ。だが、そんな鬼椿権蔵をますます気に入った様子で、船が遠くになるまでずっと見送ってくれていたのだった。
8月16日昼前頃。一行を乗せた小さな帆船は遂に下関・馬関海峡の手前である長府へと差し掛かる。貞永文右衛門が用意してくれた帆船を降りた一行は、今回の四カ国艦隊による砲撃について三田尻よりも更にざわついている様子のこの町で色々な噂を聞いた。ここから下関へ向けて馬関海峡沿いに進んだところにある前田台場や壇ノ浦台場が、ものの一刻もしない内に全滅させられたとか。凄まじい人数の外国人兵士が上陸し、蹂躙していっただとか…。
ますます不安に陥る一行であったが、ここまでくればもう目的の場所である下関白石邸はすぐそこだ。歩いて早ければ一刻、遅くても今日中には到達できると見込み、この旅で最期でなるであろう昼食をかきこんで出発するのだった。
そして今、8月16日の夕方。一行は下関海峡と白石邸をすぐ下に望む丘の上に到着していた。
長府から下関を目指すにあたり、艦隊がうろついているであろう海峡沿いを歩く事は控え、藩内商人らの人通りもちらほらみられる西国街道を南下して今に至る。その為噂に聞いた前田台場や壇ノ浦台場の様子を見る事はできなかったが、到達したこの丘からは湾や町の様子がよく観察できた。下関湾に悠然と浮かぶ四カ国艦隊の威圧感は遠目から見ても凄まじく、船で行かなかった事は正解だった事を実感する。そして幸か不幸か、下関の港や町が壊滅的な程の被害を受けたようすは見られなかった。あちこちで焼け跡が見られるものの、既に再建へ向け解体工事や施工が始まっている所もある。更によく見ると、陸の上では西洋人も含めた武士や町人、あらゆる人たちが生活を営む様子が見られ、ひとまずはホッと息をついた。
下関の白石邸には、此度西洋艦隊との講和会議にて一定の成果を見出した高杉と伊藤が詰めていた。講和が成ったとはいえ、英国を始めとする西洋艦隊はいまだ下関沖にて圧倒的な存在感を放ちながら停泊中である。まだまだ対応するべき事や調整すべき事案が多く話し合っている所に、白石邸の下男がやってきて
「伊藤様。鬼椿権蔵様がお見えになりました」
と知らせを入れた。
「誰だって?」
思わず聞き返す伊藤。
「おにつばき、ごんぞう…様です」
眉をひそめて高杉へと視線をやった伊藤は、『僕は知らんな』とでも言わんばかりに首を横に振る彼を見て更に小首をかしげた。随分と風流な名前だが聞き覚えもなく、ここのところ俗論党や過激攘夷派から命を狙われ続けているだけあって居留守を使う事にした。
だがすぐに、下男が戻ってくるのである。
「伊藤様。先ほどの客人ですが、鬼椿権蔵様の他に細川左馬之助様という方もご一緒です。」
『細川左馬之助』が先日送り出した池内蔵太の変名で有る事は承知していたが、後に続く鬼椿権蔵なる者への不信感がぬぐえない…が、もしかしたら内蔵太変名を使っている様に、一緒に来たはつみか誰かの変名である可能性も十分に考えられた為、仕方なく腰を上げる事にする伊藤。伊藤が投じた桜川はつみ召喚の策を知らない高杉は、一杯酒を煽りながら肩をすくめる。
「やれやれ。俗論どもの差し金でなければいいがな」
そんな高杉のボヤキを背に、伊藤は下男と共に客間へと出向いていった。
下男が客間の襖をスッと開け、伊藤は『俗論党の差し金』ではない事を内心祈りながらも入室していく。だが、たった一歩入った時点で、そのような懸念はまるで意味の無いものであったと思い知らされた。
「―あっ!俊輔くん!」
突然声をかけられるも反射的に見知った懐かしい声である事を把握する伊藤。ハッと向けた視線の先には、記憶にあるよりも少し髪が伸びた見眼麗しい男装娘が笑顔で手を振っている。そしてその隣には、彼女を通して友となり、文字通りに命を賭して長州の為に動き続けてくれている『細川左馬之助』こと池内蔵太の姿があった。
「あっ……はつみ!?え、鬼椿権蔵ちゅうのは君のことか?!」
「うん、それ偽名なの。凄い名前でしょ?」
「おんしゃ警戒しおって、居留守をつかいおったのう?」
内蔵太の発言に顔を見合わせて笑う二人を見て、目に口にとあんぐり開いて唖然としていた伊藤にも遅れて笑いが込み上げてくる。おかしさと、そして安堵の笑みだ。
「ぷっ、ははははは!鬼椿権蔵って!いやあこれはしっかりと騙された!」
伊藤は相変わらずの人懐こい様子で二人を出迎え、まずは率直に二人をねぎらった。内蔵太に近付くと示し合わせた様に頷き合い、感極まってかがっちりと握手をして『ありがとう、ようやってくれた』と礼を述べる。そしてはつみにも改めて礼を述べた。
「大変じゃったろう。君の所属先は大丈夫なんか?」
彼が改めて言う『所属先』とは、幕府の管轄である『海軍操練所』だとわかっての事と承知して、応えるはつみ。
「一応、ここに来るまではずっと変名を使ってきたの。」
「長州に入るまでは全員変装もしちょったしな!」
「全員?」
君と内蔵太の二人じゃないのか?と訊ねる伊藤に、内蔵太は『いろいろあって、まあまあの大所帯になってしもうた』と返す。
「大所帯とは?」
「ん~、こいつを放っておけん男が他にもおったっちゅう事じゃ」
「そういう言い方しないの!心配してくれただけだよ」
「いやいや、そら同じじゃろ?」
目の前で繰り広げられる『スキンシップ』に目を据わらせる伊藤であったが、はつみの態度よりも内蔵太の態度の方が気にかかる。はつみの事を男だと思い込んでいた以前は明らかに男子に対するガサツな態度が散見されたが、今はもう、何を話すにしても恋をしている男の顔になっているではないか。もともとも器量が抜群に良い事に加え、彼自身は至って『シンプル』で『ストレート』な性格である所からして、彼女と視線を合わせて話をするときの様子と来たら…。同年代の自分から見ても、眩しい。
はつみが駆け付けてくれた事は、恐らく高杉にとって思いもしない『サプライズ』になると思われた。しかし仲睦まじいこの二人を見てどう思うだろうか…。いつぞやの桂に対しての様に、盛大に焼き餅を焼いてしまうのではなかろうか。それに、彼女を心配して付いて来たという他の面子の事も……。
―ハ、と我に返る伊藤。
砲撃の被害が『焦土と化す』という程までは大きくなく、何より講和会議が上手く言ったのもあって幾ばくかの安堵感を抱いていた事は否めない。とはいえ、あまりにも暢気すぎる件に懸念を抱く自分に呆れ、力の抜けた笑みを浮かべた。
「ああ、お二人ともええか?もう一つ伝えたい事があるんじゃが…」
まだ押し合いへし合いの様なじゃれ合いをしえいる二人に声をかけると、ようやくこちらに意識を戻してくれた。伊藤は咳をして仕切り直し、改めて、彼女の背中の傷の件について触れる。
「背中の件も内蔵太君から聞いた。…もう話合いは済んだと聞いたから、僕は下手人の事までは聞いてはおらんし、君がこれ以上掘り下げたくないと言うのならこれからもそういう事は聞かない様にする。ただ…」
うんうん、と頷きながら聞くはつみに、心ばかりのキメ顔を向けた。
「…君は時代の先を行く道しるべの様な存在だ。十分に気を付けぇよ。」
さり気なくも割と渾身の一言だったが、はつみの反応はある意味予想以上のものだった。
「あはは…全然そんな事ないよ。でも心配してくれてありがと!俊輔くんこそ、イギリス留学お疲れ様!落ち着いたらゆっくり話聞かせてほしいな」
…自分もだいぶ女たらしであり女好きの自覚を持ち合わせていたが、はつみの男たらしは天性のものだと感心すらする。どんなに褒めた事を言ってもその謙遜さでかわし、逆にこちらの褒めて欲しい所、見て欲しい所を狙ったかの様にちょいと突いてくるのだから。今生かぐや姫と揶揄されるのを耳にするが、かのかぐや姫もその器量良さだけでなく、口から発した言葉の美しさや教養高さから男達を虜にしたというのだから、一番初めに言った奴を思って『よう言ったものだ』と、こちらにまで感心する。
積もる話は高杉さん達と会ってからだと言いながら、まずは『大所帯』の面々が待つという別の客間へと向かう3人。部屋に入る前からなにやら数人の話声が聞こえ、勘ぐる伊藤と視線を合わせて笑う内蔵太とはつみ。とにもかくにも…と襖を開くと、龍馬、寅之進、陸奥、お万里、柊が一斉に伊藤へと視線を集めた。
「伊藤さんじゃいか!」
「坂本さん!?」
「のんのんのん!わしゃ『才谷米太郎』ぜよ?の?そこにおるがも鬼椿権蔵じゃろう?」
顔見知りの龍馬が居た事で思わず本名で叫んでしまったが、彼らの立場を考えれば変名を使う事に徹しなければならない。伊藤は首を細かく縦に振りながら『そ、そうじゃったな』と自分に言い聞かせ、改めて『才谷さん』と言い直し、驚きながらも全員と握手をしていく。
「いや、大所帯って…思ったより大所帯だなこりゃ!」
全員の変名を確認しながら、お万里にはちゃっかりと丁寧に手を添え、必要以上の熱を込めて挨拶をする。そして最後に対峙した柊には『ありがとう、柊君』と言って労った。柊は若干ぶっきらぼうに『いえ…』と返すのみだ。内心、内蔵太とはつみが伊藤に会いに行ってからはきっと彼女の背中の傷の下手人についての話も出るのではないかと思っていたが、どうやらその様子は見られない。自分が下手人の一人である事が周知される事が気がかりなのではなく、はつみが自分の事を頑なに外へ漏らさない、話さない姿勢が気にかかっていた。
「俺は別室に控えてますき。また何かあったら、遠慮のうお声がけください」
「そうか、わかった。飯を運ばせるから、一足先に休んどってくれ」
柊について、武市半平太には随分懐いていたがやはりどこか他人を寄せ付けない雰囲気のある青年だと言う事は、なんだかんだで付き合いも長い伊藤も理解している所だった。こころよく彼を見送る一方で、寅之進や陸奥などは件の襲撃の現場に居合わせていた事もあり、いくらはつみ本人が『柊くんも改心しようとしてる。もう気にしない』と公言したとはいえ、まだ柊との距離に隔たりがあり、フとしたときに『雰囲気』として出てしまう。これはまだ若く血気盛んな彼ら故の仕方のない心理作用で、そういった関係で若干部屋の空気が変わったのを、龍馬のおおらかな声が内側から押し出していくかの様に響いた。
「さっそくじゃけんど伊藤さん!下関は思ったより落ちついちょる様じゃが、状況はどうなっちゅう」
龍馬の率直な問いに伊藤は軽やかに応える。
「戦の損害は大なり小なりですが講和交渉はなんとか上手く行きました。ですが藩論の変更に伴う今後のやりとりも含め、外国勢の方々とはまだ話し合いが続いています。彼らはこの辺りを視察するつもりもあるみたいで、そうなると通訳や護衛も必要になります。是非はつみさ…鬼椿さんにも同席してほしいと思っています。」
どうやら既に砲撃戦は終了し、まさに昨日には講話交渉までもが成立していた様だ。これは史実とおり高杉晋作と伊藤俊輔らの尽力によって成されたものである。藩論の変更もあった様だが、それにしても、外国人達の上陸を許可するどころかあちこちへの視察も受け入れるとは、なかなかに思い切った対応だ。
「ほお、随分柔軟に対応しとるんじゃのお」
「まあ…被害が思ったほど深刻にもならず、講和交渉も上手く言ったとはいえ、長州が戦争に負けた事は事実ですから…」
「過激な攘夷派の連中が黙っちょらんじゃろう」
「ええ。ですから、ある意味今もまだ踏ん張り時ではあります。少なくとも、何事もなく彼らを送り出す時までは。」
諸外国との様々な交渉・交流はまだ続いており、通訳やはつみの対応が望まれる「シーン」はあると言う。
「万が一の時には腕っぷしの方も期待させてもらっていいんですかね?」
「おお、わしらぁの立場はおまんらにとってはちっくと引っかかる所もあるじゃろうが…今のわしらは、鬼椿権蔵を助けるためについて来た才谷とその他数名じゃき。鬼椿がおんしらの下で才を活かすち言うのなら、全力でそれを支えるだけじゃ!」
そう言って伊藤の肩をがっしり掴み、もう片方の手では細肩のはつみをぐいと引き寄せてワハハと笑う。相変わらずの龍馬の言葉を信用8割保留2割くらいの感覚で受け入れ『ありがとう!』と返す伊藤と、胸の前で両手に握り拳を握りしめてやる気を滲ませているはつみ。その後ろで、相変わらずの陸奥のボヤキが聞こえて来た。
「その他数名って…他に言い方あるだろうが」
「風雅、文句を言うのは鬼椿さんをしっかりお守りする役目を果たしてからにしろ」
「もう永らく皆さまにお供させていただいておりますけれども、はよこの呼び名に慣れんといけませんなぁ。」
―と、ひとまずの話がついたところで、伊藤はさっそく高杉の名を出し、『もう随分お待たせしてますから、へそを曲げない内に会いに行きましょう!きっと驚きますよ!』と、一同を案内するのだった。
※仮SS