仮SS:肥前国河内守藤氏正広


1月19日。土佐迅衝隊は官軍として四国平定に乗り出し、驚くほど迅速にこれを成し遂げていた。

乾率いる衝隊本隊が無抵抗開城の丸亀城に入るという土佐300年ぶりの快挙がなされたその日、陣中の以蔵の元へ実弟の岡田啓吉が駆け付ける。迅衝隊には軍飛脚を始めとする様々な後方支援が充実していたが、それを利用せず自らの足で駆け付けたには大きな理由があった。


武市家や京の妻子へ出来る限りの金銭を送り続けていた以蔵は、士分剥奪が赦されたあとも暫くは清貧を極めた出で立ちであった。彼の所業に感心した乾から『土佐正宗』を贈られるまでは大小の小すらも持ち合わせず、木刀で軍の操練に出る程であったが、ここにきて、以蔵への期待心を込められた二振り目の刀が預けられる事となる。


武市半平太の遺刀、肥前国河内守藤氏正広。


『官軍として土佐が発つとあれば、夫もさぞかし共に参りたかったことでしょう。』
以蔵からの暇の手紙を受け取った富が、そんな武市の心を以蔵に託さんと贈ってきたのだった。

柄にもなく震える手でそれを受けとった以蔵は、武市に語り掛ける様に目を閉じ、そして再び前を向くとしっかりと腰に差す。


―以後、武市の心は以蔵と共に官軍として戊辰戦争を駆け抜けていく。


様々な激戦や衝撃的な場面を経て幕府という巨木が倒れ、はつみが言っていた『世界の一つたる、帝が統べる日本』が広がっていく様を見守りながら。






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