仮SS:こまつといっしょ5


英国がイカルス号事件の為に直接土佐へ上陸する兆しがあると聞いた佐々木は再び土佐へ帰藩する為、薩摩の船をかりるべく吉井と薩摩藩邸へと向かう。これにはつみが同行を申し出、小松との面会取次を吉井に望んだ。

佐々木は『かの城代家老に会いたい』などと言い出すはつみに驚くが、それがまたすんなりと受け入れられた事で更に驚愕する。更に吉井は、わざわざ自分を通さずとも小松自らが『はつみが自分に会いたい時は何も気にする事なく自由に身一つで御花畑屋敷へ来てほしい』としている事に言及。はつみははつみなりに理由があって節度を保とうとしている様子も見られたものの、いずれにしても佐々木には度肝を抜かれる会話であり、初めて知ったはつみと小松の関係性であった。

 道中、佐々木ははつみに対し
「あー…なんぞ乾に言付けておく事はあるがか?」
と、含みのある様子で声をかける。含みがあるとはいえ『こういう話』が苦手な佐々木らしくなんとも直球な問いかけであったし、佐々木の様子からも何となく察したはつみは少し困った様に笑顔を見せた。

「…そうですね…わざわざ気にかけて下さって有難う御座います。乾に手紙を書こうと思うんですけど…この後少し、乾の事をお尋ねする時間を頂いてもいいですか?彼とはもうずっと連絡も取れてなくて、今どこにいるのかも知らなかったから…」

 どこか思わせぶりとも感じさせる可憐な笑顔に、佐々木は「お、おう…」と答えるので精いっぱいであった。




「おお…こいははつみどん。」

吉井や佐々木とは薩摩藩邸の入り口で別れ、改めて奥へ通されたはつみは、およそ10か月ぶりに小松と再会した。入ってすぐ、青々と茂る枝葉に白く印象的な花を付けた姫沙羅の生け花が、そのほのかな香りと共にはつみの視界に映り込む。故郷から取り寄せたのだろうか…咄嗟に、かつて自分と姫沙羅を重ね見ていると告白してくれた時の事を思い出してしまう。
こんな時に何を考えているのだと頭を振りつけるはつみに、小松は待ちきれない子犬の様に活き活きとした顔をしながら『おいでおいで』と手をこまねいていた。

小松は相変わらずの人懐こい笑顔を見せ、家老とは思えない程気さくな様子ではつみを迎える。元々気さくで温厚な彼ではあるが、その笑顔ははつみにだからこそ見せるものだという事は、いかに鈍感なはつみであっても既に知る所であった。はつみのすぐ近くにまでやってきた小松はまるで姫沙羅を愛でるかの様ににこにこと視線を合わせ、その手で彼女の髪を撫でながら、優しく落ち着いた声を掛けてくる。

「しばらくぶりじゃったな。会いに行けんで、すまんかった。」

そんな小松に対し、はつみは『お久しぶりです』と挨拶をした後、少しだけ気まずそうに手元を見つめていた。そんな彼女を見て小松も少しだけ気遣う様な色を微笑みに含ませる。想いを打ち明けてからこの方、彼女が露骨に一線を引くようになってしまったのには十分すぎるぐらい心当たりがあるからだ。

イカルス号事件の犯人として海援隊に容疑がかかっている所までの情報は当然小松の耳にも届いており、且つ、このためにはつみがグラバー商会との雇用契約を終了させ、通訳として龍馬らへ協力する為にここまで来た事も把握している様子だった。話が早い、とばかりに、はつみはこの件について話を振る。

「サトウさんをはじめ英国の通訳官の内誰が来ても信頼はしていますが、今回は龍馬たち海援隊側の通訳も含めて英国と土佐の関係が円満のうちに事件解決できる様、尽力したいと思っています。ただ、この事をグラバーさんは前向きに理解はしてくれましたが、今回の事件に関して私が海援隊側の通訳をする以上は、雇用継続は難しいとの事でした。グラバー商会へのお口添えをいただいたのに、すみません。」

「うんうん、そいでよか。はつみどんの才はもそっと早う活かされるべきじゃった。グラバー殿からも連絡がきちょっと。全く、はつみどんが心配すっこつはなか。」

「…ありがとうございます!」

懐の深い小松の応答にほっとした様子を見せるはつみに、胸が高鳴るのを実感する小松。すぐにでも密事を囁きたかったが、はつみは抜け目なくも更に話を続けてきた為、姿勢を正す。
はつみが言うには『英国との直接外交となる今回の対応は土佐にとっては一大事であり、この事が政権改革の支障とならない事を願っている』との事だ。『政権改革』とはすなわち『倒幕』の事だが、『政権改革の支障』などという少し遠回しな言い方をしたのは、恐らく小松ら薩長が主張する『武力倒幕』に対し、はつみや龍馬ひいては土佐の全権を掌握している前藩主容堂公は大政奉還案を基盤とする『戦なき倒幕』を目指すという、目的に対する手段のすれ違いが生じている為である事はすぐに察しが付く。この場合、土佐の策が功を制して『戦なき倒幕』が成ったとしても、結局土佐抜きで『武力倒幕』が勃発すれば最悪の場合土佐が朝敵となってしまう可能性も安易に考えられる為、この最悪の場合である『土佐が朝敵となる』事を懸念しているのだろう。

皆まで言わずとも全て察する小松はいつもの様にはつみの話を真摯に話を聞いていたが、真摯に受け止めるが故に、包み隠さずこうも返した。

「じゃっどん、時が来たれば我らは即座に立上がりもす。いかな理由があろうとそん時土佐が明確な立場をとらねば、我らは土佐抜きで物事を構えにゃならんでごわす。」

それ以外の所では気さくで温厚な彼であっても、いざ政治の事となれば相手が誰であれ隙を見せる事はない。それもまた敏腕若家老ともされる彼の尊敬すべき一面であった。彼の言う事に納得の意を示して頷きながらも、強く断固とした視線で更に返すはつみ。

「その時は…薩土密約に基き、土佐の乾が必ず立ち上がります。」

 大政奉還による『戦なき倒幕』目指す龍馬、ひいては土佐に付き添う姿勢を見せるはつみであったが、『幕府では日本を束ねるどころか世界に通ずる外交を行うことはもはや厳しい』『日本は帝主導のもとに生まれ変わるべき』という意見は勿論小松達と変わらない。戦をしない理由も、恩顧ある幕府を武力で屈服させる必要はないとするよりは、海外勢力が外から虎視眈々と日本の領土や資源を狙っている中であえて内紛戦争を勃発させ、国力を削り金や資源を無駄遣いする必要はないと考えての方が大きい。ここが、徳川恩顧の念が大きいが故に今となっても公武合体論をその根底に抱く容堂公とは少し違う所なのである。
故に、自分達の手段が成らない時は…同志である乾に託す事は揺ぎ無い『倒幕』の決意として、明確に断言できるところなのだ。

「ご存じの通り、土佐には薩摩らと思想を同じくする乾退助ら勤王派がいます。そして土佐を出て天下回天の為に広く補佐をする中岡慎太郎さんも。彼らは必ず、結果を伴う行動を起こします。薩摩が発つ時がくれば迷うことなく乾にGOサインを出して下さい。彼は絶対に、約束を反古にはしません。」
と強く主張する。小松達にしても薩土密約を取り交わした乾の行動には期待をしている所でもあり、しっかりとはつみの言葉を受け止めた後で「しっかと心に刻んでおきもんそ」と返した。


その返答に満足そうにうなずいたはつみは、忙しそうに早くも席を立とうとする。

「―はつみどん…!」

思わず引き留める小松。はつみも決して期待していた訳ではなかったが、最後に会った長崎での出来事が頭をよぎらない訳がない。思わず胸がドキンと大きく打ち付けられ、身体全体を緊張させて立ち止まった。握りしめられたその手に背後から伸びて来た小松の指がかかり、そのまま絡みつく様に包み込まれるとそっと小松の方へと引かれていく。ゆっくりと手を引き導くがままに歩を進めてくれるはつみを、愛おしそうに見上げる小松。自分のすぐ間近へストンと座ったはつみは、緊張か或いは何かを我慢しているかの様に俯いて唇を引き縛り、美しい瞳を俯かせていた。前髪の下に隠れる頬へと優しく手を滑らせ、ひと撫でしてからそっと顎を持ち上げてやる。

「…おはんに会いたかっど」

「…もう、またそんな事を言って……」

 視線をそらしたはつみは部屋の板間に活けられた姫沙羅へと視線を投げた。自意識過剰…かも知れないが、きっと彼の言う事は本心なのだろうと思う。だからこそ鼓動が早まり身体が熱くなってしまっていたし、正直、どこか期待していた自分もいる気がして、自分が今どの感情でどの表情をしているかもわからないぐらい、複雑な思いを抱いていた。

はつみの様子を間近からつぶさに見つめていた小松は、そっとさらに近付いてはつみの顔を覗き込んでくる。じっと瞳を見つめながら彼女の心中と距離を推し量り…唇が重なりそうな所で、彼はその動きを止めた。

「…まだ、おいの想いば受け入れられんごわすか?」

肩をこわばらせるはつみが太ももの上で固く握る拳に、その手を重ね握りしめた。伏せられた瞳は動揺に揺れてはいるが嫌悪感といったものは感じられない。…会えなかったこの10か月で、彼女に何があったというのだろう。

…1つ想像がつくのは、以前、彼女自らが『闇の淵から手を引いてもらった』と言っていた長州の男の存在だった。

―まさに時代の寵児、長州の英雄、高杉晋作。彼がこの春に亡くなった事は小松も耳にしていた。はつみは多くの男から求愛をされる中、小松が知る限りでは2人の男を愛し、そしてその2人と死別している。まるで自分を責めているかの様な気の落ち様であったが、その沈みに沈み切った彼女を救い出した男というのが、恐らくは高杉晋作だったのだろう。今年の1月には坂本龍馬と共に下関へ向かったという報告も聞いている。その頃の高杉といえば、恐らくはその命を奪った労咳ですでに伏せっている状態だ。自然に考えれば、見舞いにも行ったであろう。

…彼にも、自分と同じ様に正妻と妾、それから嫡男もいたはずだ。もしはつみが高杉を愛していたのなら、正妻や妾のいる彼を愛したきっかけは何だったのだろう。
そして、彼が亡くなって半年が経過しているが、グラバーやグラバー商会の元へ出入りする部下からの報告によれば以前の様に塞ぎ込む様な事はなく、寧ろ一層、その才気を加速させるがごとく精力的に仕事を学び、こなしていたという。

…死を目前にした高杉から何かしらの話があり、それによってはつみの心に変化があったのしかも知れない。さらに言えば、彼が亡くなった後も彼女が己を見失うことなく、今こそ飛翔せんが如く精力的に動けているのも、永久の別れを前に深く言葉を交わす機会があったからこそかも知れない。そういった変化の一端に、今、目の前で想いを告げようとする男を受け入れるかどうかを迷う素振りを見せるきっかけがあったのかも知れない…。
小松は持てる思考力と情報を以てそんな風に考えていた。



「おはんが今何を抱えちょるか、すべてを分かっちょる訳ではありもはん。けんど…そんでも、おいはおはんを放っとけん」

はつみは一瞬だけ顔を上げ、間近に迫る小松の瞳を見つめた。揺るぎないその眼差しには、焦りや欲望ではなく、深く慈しむような感情が満ちている。はつみの瞳は俄かに煽情的な色を帯びて潤み始め、唇がわずかに動き何かを言いかけたが、その言葉は声にならない。またも視線を落とした自分をじっと見つめる小松の視線を感じながら、言葉を放てない葛藤故に唇を舐め、噛みしめた。

…もし、小松がこのまま自分を押し倒したなら…例え彼に正妻や妾がいるのだと分かっていても、きっと身体だけは彼を受け入れてしまうのだろうと思う。時代の寵児であり革命児であった高杉との深い関わりを経て、はつみの心には確かに改心とも言える大きな機転が訪れていた。いや、気付きがあったというべきか。

「…私は…」

ようやくはつみが言葉をこぼし、小松ははやる気持ちを抑えながら黙って彼女を見つめる。



「…私はきっと…小松さんには…相応しくない女だから…」



小松だけでなく…この世の誰に対しても、そうなのかもしれない。

何故なら、自分はどうしても、この世の人には成り切れない存在だから。



『おんしの俯瞰で見るが如き思想には感心するが、どこぞ血肉が通っちょらん』…思い返せば吉田東洋はそう見切っていた。先進的な才の持ち主などと言われ重宝されてきたが、自分の頭で考えている様でその実『歴史』を見ているだけだったのだ。

…そうでなければ、何故、愛した人を3度も『救う』事ができなかったのか…


乾との取引から始まり、自分はもう何度、この『性』を利用してきたのだろう。男装に身を包んだのは動きやすかっただけではなく、『性』を利用するつもりもなければ『性』によって侮った対応を取られたくないと考えたからだった。だが、歴史改変を目指しながらもその道が行き詰りそうになった時、代償として求められるがままにこの身を捧げれば、行き詰った道が開かれ歴史改変へと向かう道が続くのではないかと思った。或いは、求められるがままに応じれば、相手の心が幾ばくかでも癒され、何らかの励みや基点、慰めとなるのなら…そんな風にも思った。歴史上にはいない自分と関わってしまったばかりに、本来彼らが味わう事ではない辛い想いをさせてしまったのではないかとの謝罪の想いもあった。
だが桂にも言われた通り、内に抱えた想いはどうあれ通常ならざる言動をとってしまっている。堕落した性的関係の果てに、子供を宿せぬ身体でよかったのかも知れないとすら考えた事もあった。その時点で、もはや相手に正妻や妾がいるから応えられないとかそういう事を言えた人間ではないのだ。

自分は恐らく、この時代の人達と同じ様に物事を考える事などできない。


土佐にて、一番始めに身柄の調査を受けた時、ただの記憶喪失の娘だと…この世の人間だと嘘をついた。


嘘に嘘を重ねる人間が、どうしてこの世の人たらんとしていられようか。


「…はつみどん…」

思わぬ事を言った後ふたたび言葉を失って俯くはつみに、小松は神妙な表情を浮かべて静かに姿勢を戻す。ただ彼女のか細い手だけは強く握りしめたまま、揺ぎ無い想いと共に言葉を返した。


「…おはんが相応しいか相応しくないか…それはおいが決めるこつじゃ。」


いつになく低く真っすぐな言葉がはつみに優しく降りかかる。そう言ってもらえる事ははつみにとって救いではあったが、だからこそ、理性を以て首を横に振らなければならない。それでも小松は言葉を紡ぎ続けた。


「いや、相応しいか相応しいか、じゃなか。…おいはおはんを愛しちょっと。おはんの笑顔も、涙も…全部、守りたかと願う。…おいでは、おはんを癒すこつはできんか…?」


姫沙羅の庭で言われた言葉が、あの時よりも深い熱を以て繰り返される。はつみの彼女の瞳には微かに揺れる迷いと戸惑いがあり、小松はその姿を見つめながら、握りしめていた手をそっと握り直し―

「…おいの気持ちは変わらん。いつでも、待っちょるけぇ」

―そう言って、はつみの手を優しく解き放った。小松の言葉には焦りも無理強いもなく、ただ彼女を見守りたい、一人で何かを我慢しているかの様な彼女の側に居たい、癒したいという、深い愛情が込められていた。だが、だからこそ、はつみは俯いたままわずかに首を縦に振るう。
感情の嵐が胸の中で渦巻いているが、言葉にするにはまだ時間が必要だということを、彼女自身が痛感していた。




 小松とはつみが睦言の様な会話をしていた同時刻。
土佐藩士らを薩摩船「三邦丸」で送る手はずを整えたと報告に現れた吉井と、薩摩の家老に此度の船手配の例と勤王家として一言挨拶をしようと同行していた土佐藩士佐々木が廊下を歩いていた。小松の部屋前にまでやってくると入室する機会を得る為に中の様子を伺っていたのだが、思わぬ内容が聞こえてきた為に思わず互いの目線を合わせ、口元を抑えて茫然とする。
聞いてはいけないものを聞いてしまった様な……

『そっち、そっちから行きもんそ…!』

『お、おお!』

石井が声にならない声で手を奥へと振り、佐々木は素早く、ここから音もなく素早く撤退しようと踵を返した。そこへ丁度茶を煎れて現れた小姓役と鉢合わせし、何事かと尋ねられそうになった瞬間、咄嗟に彼の口元を押さえる佐々木。続いて身を乗り出す石井が必死の形相で『シーッ!!!今、小松さあは取り込み中じゃっどん…!』と言って、一同を廊下の向こうへ向こうへと追いやるのであった。







※仮SS