3月中旬。江戸総攻撃中止が成ったと勝からの報告を受け、サトウと共に横濱領事館(公使館)へと戻って来たはつみ。江戸総攻撃中止に至る経緯を公使パークスへ報告した後、別件としてパークスが一通の書簡を取り出した。
『差出人の乾という人物について調べさせてもらったのだが、官軍総督軍の板垣参謀と同一人物の様だ。心当たりはあるかね?』
と、まるでスパイを疑っているかの様に不穏な雰囲気で尋ねられ、緊張するはつみ。
乾=板垣である事には驚かないが、パークスはその短気な性格と日本人の『(幕府)役人』に対するあまり宜しくない印象により、思う事もある様子だった。
『新政府からの依頼で君を預かる立場として、その書簡の中身を確認する義務がある』
などと言い出し、要は、『この板垣という司令官は偽名を使ってまで私信をよこしてきた』『はつみはスパイではないか』と疑っているという事だった。はつみはこの展開に、つい先月あたりのデジャヴか何かという程なんとも言えない予感を覚え、はつみの隣に立って話を聞いていたサトウも小さく顔を横に振りつけながらも、こういう時のパークス公使に建言をするのは火に油である事をよく知っている為、已むを得ず、はつみに声をかけるに至る。
『はつみ…その手紙を確認させてもらってもいいかな』
『あっ、はい、それはもう、全然かまわないです…』
素直に手紙を託すはつみに焦った様子などは見られないが、パークスは何一つ見落とさないといった様子でじっと一連の動きを見つめている。妙な形で緊迫する空気の中、サトウの長い指が手紙の封を切り、折りたたまれた短い紙をぱらりと押し広げる。
『えー…前略。江戸総攻撃が回避される運びとなり、少しの間、君に手紙を書こうと筆を執った。此度、改名を致したので伝えておく。新しい姓は『板垣』という。今後君の耳に『板垣』という男の話が聞こえれば、それは僕の事だと承知してほしい。経緯等については、約束の時に改めて。息災で。板垣退助 月の君へ』
『………終わりか?』
『はい。終わりです。』
『………』
サトウが手紙を訳し終わった後、はつみはなんとも言えぬ顔で俯き、サトウとパークスは言葉を無くし立ち尽くしていた。その手紙の内容、意図するところを察し、先ほどまで緊張が走っていた執務室には明らかに微妙な空気が漂い始めてしまう。
強いて言えば内容は『ラブレター』の様なもので、板垣が差出人を『乾』としたのは、はつみが差出人を認識しやすくする為だけの事であった事も安易に察しがつく。三者ともに微動だにせぬ中、パークスはキョロキョロと眼球や眉を動かし、アイコンタクトのみでサトウに意思疎通を試みようとしていた。当然ながらパークス独特のスパイ容疑はきれいさっぱり取り払われ、最終的には
『…女性のプライベートへ安易に踏み込むという無粋極まりない真似をしてしまったな。これは、紳士として詫びよう』
…とまで言わしめる事態となる。もちろん、事情を知らなかったのは公使も同じであり、正しく仕事をこなしただけであるから気遣わないでほしいと申し出るはつみ。手紙、それも恋文を勝手に読むという事態を前に英国の女性であれば品位を疑う様な罵声がなされる様な所なのか、奥ゆかしく振舞うはつみにパークスはもちろん隣にいたサトウも、頬を緩ませる。
無事何事もなく解放され、部屋を出たはつみは、板垣からの手紙を手にしたままふうと一息つく。彼の名前がついに『板垣退助』となり、まさかその報告を本人から受け取る日がこようとは…という感慨深さ。そして、前回手紙をもらった時にも小松や寅之進の目に触れた事といい、今回の事といい、差出人本人である板垣は、まさかこのような私信が他の男達の目にさらされているとは露知らぬ事であろうと、思い馳せる。
「…ごめんねぇ、乾…」
はつみは苦笑を浮かべながら、残りの翻訳業務を進めるべく書斎へと歩を進めるのであった。
※仮SS