その二日後。
その日はあいにくの曇天で陽の恵みもなく、五臓六腑に差し込むような寒さとなった。だが約束の昼過ぎ八ツ刻となると、まるでそこだけ春が訪れたかの様な陽気を纏ったはつみが、長州桜田藩邸ちかくの茶屋に現れる。
「ああいたいた!高杉さん!お久しぶりです!」
「ああ。」
10月以来のやや久方振りとなる再会でも、はつみは相変わらず男装であった。まあ男装自体は、寧ろ外を連れ立って歩くには都合がいい。
それよりも、手首足首顔周りに着込んだ姿が真新しくも見え、率直に『冬の装いもいいな』等と考えてしまった自分の頭を振り付ける高杉。そんな彼に向って、はつみは寒さで鼻の頭を赤くしながら無邪気に駆け寄ってきた。
少し息を切らしているのには、訳があるようだ。
「お手紙には藩邸待ち合わせって書いてあったのに、藩邸へ行ったらお外にいるって聞いて…探しましたよ?」
「迷うような距離ではなかろう。久々に会うて、早々に文句か?」
「そんなんじゃないですけど…あれ、今のちょっと面白いですね?『久々に会うて、早々に文句か』って…ふふっ」
「クッ、何を言うかと思えば…くだらんなあ」
代々藩主毛利家に仕える武家育ち、師や同志からは陽頑、暴れ牛、傍若無人など様々に言われる高杉晋作なれど、くだらないと笑って捨て置ける様な茶々入れも、実は嫌いではない。機嫌を損ねない為だけの気遣いや、中身のない世辞、道理の通らない思想や主張といった『ウワ』を大いに嫌う彼にとって、はつみのこうした率直な一面は案外心をくすぐられるものであった。
―まあ、今日のように高下駄を履いても、まだわずかにはつみの方が背が高いという点においてだけは、どう転んでも癪に障るのだが。
出会いがしらの会話を一通り済ませた後で、はつみは改めて礼を述べる。
「今日はお声がけ下さって有難う御座いました!私も今年中にご挨拶したいと思ってたから、嬉しかったです!」
「まあ、どうという事はないがな。」
礼を受けて更に気を良くした高杉は、誘いの手紙を書いた際に『また僕からの誘いではないか』などと内心ゴネていた事も忘れ、腕を組んだまま機嫌よさげに立ち上がった。そして、冬の乾いた空気に下駄の音をカラコロと粋に響かせながら、颯爽と歩き出す。
「―さて。今日は少々遠出をするつもりだが、構わんな?」
「はい、大丈夫です!」
自然な流れで『どこへ行くのか』と尋ねるはつみであったが、高杉は勿体ぶって明かそうとしない。
「そこに駕籠を用意してある。ひとまず乗りたまえ」
そう言って、茶屋の前に留められていた一挺の駕籠を顎で示す。はつみは突然示されたそれに一瞬きょとんとしたものの、すぐに合点がいった様子で瞳をしばたたかせた。事前に用意されていた駕籠に彼の心遣いを感じ、素直に心が浮き立ったが、しかしもう一挺が見当たらない事にも気付き、思わず高杉の方を振り返る。
「―高杉さんは?歩いて行くんですか?」
「いや、僕は馬を借りた。ほれ、刻が惜しい。はよう乗れ。」
実は、高杉はこう見えて船を始めとする乗り物が得意でない。しかしここは小うるさい姫に隙を与えない様、早々に駕籠へ乗せようとする。
「ほんとに一緒に行くんですよね?何か有名なお酒買ってこいとかじゃなくて?」
「やかましい。そんな訳あるか。ちゃんと一緒に行くから案ずるな。」
期待と疑惑の眼差しを向けてくるはつみが駕籠に乗り込むのを確認し、担ぎ棒を手に待機している人夫達へ『行け』と指示を出した。
雇い主である高杉から指示を受けた駕籠の運び手たちが姿勢を正し、二人の内一人がはつみの前で膝をつくと手慣れた所作で垂れ茣蓙を下ろす。
「あっ、閉めるタイプ…?」
中からか細い声が聞こえたが、次の瞬間、彼らは担ぎ棒を自らの肩に押し当て、走る構えへと移っていった。
「「えいやっさあ!」」
「ふわぁ!?―まって、持ち手…どこ?!きゃあっ!」
突如、気張った野太い声とともに駕籠が持ち上がり、男たちはそのまま力強く歩み始める。はつみはいかにも駕籠に乗り慣れていない様子で慌てた声を出し続けているのだが、高杉はというと、駕籠が出立したのを確認しつつ、別途、茶屋の脇に留めておいた借馬へヒラリと乗り込んでいた。手綱を握り、先行している駕籠へ視線をやると、垂れ茣蓙を捲り上げて身を乗り出してまで振り返ってくるはつみと目が合う。
「あ、いたいた!高杉さ~ん!」
掌をひらひらと振りながら名を呼ぶはつみに、やれやれと息を付く高杉。子供か、と内心思いながらも、自分を振り返ってくれた事に『悪い気はしない』などと、自覚もしていた。パカパカと蹄の音を立てながら歩む馬を駕籠の横に並走させ、こちらを見上げる形で視線を合わせてくるはつみへと声をかけてやる。
「一緒に行くと言うただろう。これでいいか」
「はいっ、高杉さんがいると安心です!」
「フン。」
「お馬に乗るのも上手なんですね♪」
「武士ならば馬くらい誰でも乗れる。君こそ、揺れて酔うなよ」
「大丈夫です。私、乗り物酔いしないんですよ♪―あっ!知ってますよ?高杉さんて意外と乗り物酔いしちゃうんですよね?」
「…口の減らぬ奴だな、誰に聞いた?」
結局減らず口をたたかれながらも、高杉の声にはどこか面白がる色が混じる。そして、馬上に跨る姿勢のまま刀鞘を引き抜き、『誰に聞いたっけな~?』ととぼけるはつみが乗る駕籠をグイと押したりなどして、わざと揺らしてやった。
「―わあ!?ちょっと!」
「ほら、余計な事を言うからだ」
「わわっ!ちょ、思ってるより揺れてますから!落ちちゃう!!」
「安心なんだろう。しっかり掴まっておれ。ハハハ!」
駕籠が揺れた衝撃で垂れ茣蓙がバサリと落ち、はつみの姿を遮った。駕籠の中で『もおーっ!』と文句を漏らしてから再び茣蓙を手繰りあげている彼女を見下ろしながら、高杉は再び刀を帯に差す。
賑やかな気配が隣にある事を、彼は当然のように受け入れ、楽しんでいた。
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桜田藩邸近くの茶屋を出発した駕籠は、途中から隅田川沿いをゆるりと走り続ける。曇天模様の隅田川は、映し込む空の青もなければ青々と茂る草木も少ない。歳末の寒々しさを象徴しているかの様でもあったが、その分、春が宿った様に朗らかで明るいはつみの笑顔や声は、高杉の胸に温かく滲む。
出立から一刻ほど揺られて見えて来たのは、かの有名な浅草・風雷神門であった。
「え…!?ここってもしかして、浅草ですか?」
駕籠はまだ進んでいる最中であったが、はつみは興奮して中から身を乗り出し、角度によっては翡翠色にも鼈甲色にも見えるその瞳を瞬かせながら周囲を見渡し始めた。視界を一周ぐるりと見渡した後に馬上の高杉へと視線を送ると、彼は寒風で赤くなった鼻先をフフンと鳴らしてから、得意げな様子で応える。
「―そうだ。来たいと言うておっただろう?」
「えっ、本当に?うわ~~~!!!」
二月ほど前の秋頃であったか、確かに高杉とはつみ、そして桂や伊藤を交え、江戸の観光名所などを含む他愛もない会話をした事があった。桂から『行きたい場所はあるのか』と聞かれたはつみだったが、この時代の江戸観光に関する知識が乏しかった。そこで咄嗟に、現代でも有名で江戸時代にもありそうだった浅草寺の名を上げていたのだ。
この時代の浅草へ行ってみたいという願い自体は事実であったが、時世とはまったく関係のない雑談であったにも関わらず、あの高杉晋作が覚えていてくれた事に胸が熱くなった。
「ですです!嬉しいです、感動です!」
「フッ。そうか。風神も雷神も逃げはせんぞ。少し落ち着きたまえ。」
駕籠と馬の歩み一歩一歩に合わせ、少しずつ近付いてくる浅草の象徴・風雷神門。入母屋造の立派な門構えに『志ん橋』と書かれた巨大な赤提灯がぶら下がり、その両脇に風雷神像が堂々たる風格でそびえ建っている。歴史的経緯で言えばはつみのいた時代に至るまで何度も消失しているらしいのだが、その都度地元や企業の有志によってこの時代の姿を取り戻していたものを、はつみは目にしていたのだ。
『テレビ番組』や『ネット、SNS』で何度も見た事のある『あの雷門』と、殆ど変わらない風貌で目の前にある―。
この事実にも、はつみは更に瞳を輝かせていた。
そんなはつみの興奮も冷めやらぬ中、駕籠は門前広場の一角で止まり、人夫達の「お疲れ様でしたあ〜」の声と共にゆっくりと地に着いた。初めての浅草に感激した様子のはつみは、逸る気のままに駕籠を降りる。
「では、気の向くままに散策でもするか」
「はいっ!(私が行きたかった場所を散策…もしかしてこれ、デートってコト…!?)」
―こうしたミーハーで勝手な思い込みで胸の奥がそわそわと落ち着かない理由は考えない事にして、高杉と共に風雷神門へと歩み出すのだった。
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師匠も走り回る程忙しい師走の末。
その忙しさの中には、改めて神仏を拝み、今一年の感謝を捧げる事も含まれているのだろうか。二人が歩いている風雷神門から浅草寺へと続く参道『仲見世通り』には、冬の寒さなど忘れてしまいそうな程の熱気に満ちていた。浅草には非常に多くの神社仏閣が存在し、この仲見世通りには浅草地元民による屋台や出店がびっしりと並んでいる。その仲見世通りの道を、参拝客達がひしめき合って歩くのである。
「凄い賑わいですね!なんかもう、おしくらまんじゅうしてるみたい…!」
「年の締めくくりに足を運ぶ者も多いんじゃろう。僕らも同じようなもんだな」
通常の話し声では隣に居ても掻き消されてしまいそうで、二人の距離は肩が触れあいそうな程に、自然と近付く。
「ここだけ見たら、日本橋より賑わってるかもって思っちゃいますね!」
「はっは!確かにな!」
「高杉さんの、おすすめの浅草土産って何ですか?」
「いや、かくいう僕も、ここへ来たのは初めてでな。」
「あ、そうだったんですか?」
意外な答えに、はつみの瞳がパチパチと瞬く。高杉がはつみの為にと浅草寺を選び連れてきてくれた歓びに加え、彼もまた、この場所へ来るのが初めてであった事に親近感も加わり、感激したらしい。視線をよこして来た高杉と目が合うと、まるで少女のように無邪気な笑みを浮かべ―
「じゃあ、絶対いい思い出にしましょうね!」
―と、軽く前かがみになって彼の顔を覗き込んだ。
「今日は、喧嘩はナシですよ?」
「ハッ、それは君次第だな。」
「え~?高杉さん次第じゃないですか?」
「減らず口は相変わらずだな。」
高杉は腕を組み鼻で笑ったが、自然と口角も上がり、気分は上々だ。
「それより、折角の仲見世じゃ。気になるものがあれば言いたまえ。僕が買うてやるぞ。」
「いえいえそんな…駕籠まで用意して下さったのに…」
「細かい事は気にするな。僕の顔に泥を塗る気か?」
小娘に土産を買ってやる金ぐらい余裕で持ち合わせている、とでも言わんばかりの挑戦的な表情で『フッフッフ』と笑う高杉を見て、ここは素直に彼の厚意に甘えようと、頷くはつみ。
「ありがとうございます!じゃあ、今日の記念として、ずっと手元に残るものがいいな♪」
「フン(色町のおなごと同じ事を言うておる…)」
咄嗟にそんな事を思う高杉であったが、これがまた口論の火種になる事は明白だった為ぐっと飲み込むに留めた。はつみから女遊びや酒量に対して苦言を呈されるのは何度もあった上、高杉にとっては悔しい事に、彼女と口論になる時はいつも『人として正論かどうか』である点においてはつみの方が正しい事の方が圧倒的に多かった。―色酒に浸りすぎで、我儘で短気で理不尽ですらある自分に対し、彼女はまるで故郷にいる妻や母親らの様に、いやそれ以上に、毅然と向き合ってくるのである。まさに、『喧嘩をするかしないかは自分次第』の所が大きいと、素直な自覚が高杉にはあったのだ。
―もっとも、自覚があったとしてもそれを素直に実行できるかどうかは、結局気分次第なのだが。
―さて、はつみはと言うと早速仲見世の屋台列へ視線を巡らせている。『手元に残るものがいい』などと男心をくすぐる発言をした直後であるにも関わらず、まるで吸い寄せられる様に歩を進めていった先は、餡子饅頭屋だった。活きのいい声で呼び込んでいた店のおやじから蒸しあがったばかりの饅頭を見せられ、興味津々に目を輝かせている。そんな無防備な彼女を見守りながら、高杉は不意に心が揺らぐのを感じた。
「 (そうやって、桂さんや他の男にも隙だらけの愛想を振りまいておるのか…) 」
正直、こんな奇妙な感情が沸き起こるのも随分前から自覚していた。特に桂に関しては、彼がはつみと二人でいる所に初めて遭遇した時から男女の気配を察しており、その延長ではつみと口論になった事すらもある。…その口論になった理由こそ、時世論でも思想の相違でもなんでもない、自分でも驚くほど彼女に対して沸き起こった、ただの傍若無人な言動だったのだ。
…第三者から見れば、あのような醜態は『嫉妬』と呼ぶ者もいる事だろう。
―しかし『そんな訳はない』と、心の中の自分が鼻で笑う。
根拠なら自分の中にある。はつみに対して色町のおなごの様な『色気』を感じないし、俊輔にも豪語した通り、『抱く対象の女ではない』。
―それに尽きるとしか言いようがない。
…ではこの、はつみが他の男と親密にしていると悟った時に沸き起こる、突き動かされる様なこの衝動は何なのか?以前、はつみが言っていた『LOVE』と『LIKE』の違いという事で、説明がつく事なのか…。
「…フー…」
―…あれこれ思考が巡り、考え過ぎる自分の悪い癖がこんなところでも出てしまった事に気付き、高杉はおもむろに天を見上げた。多くの人でにぎわう仲見世の熱気の中にあっても、天からは真冬の冷たい空気が落ちてくる。目の覚める様な冷気を鼻から吸い込み、長く息を吐いて、勢いだけで考えたものを一旦切り捨てた。
今は、己への違和感について考察する事はやめ、饅頭へ釘付けになっているはつみの元へと歩み寄った方がいい。『考える事』はいつでもできよう。だが、彼女と共に居られるのは、自分に向けられるその声を聞けるのは、今しか定かでないのだから。
―冷たい空気で目を覚ましたかの様に頭を振りつけた高杉は、人の気も知らずに大中小とある饅頭の大きさを真剣に吟味しているはつみの隣に立った。自分の胃袋と相談をしている様子の彼女を見てわかに口角を上げ、茶々をいれ始める。
「花より団子とはまさにこの事だな」
これ以上ないぐらい、今の彼女にはピッタリな言葉だろう。戸惑いを含んだ高杉の本心までは当然伝わってはいないが、揶揄われているという事だけは間違いなく察した様だ。はつみは眉間にしわを寄せ、饅頭に負けじと顔から蒸気を出しそうな表情をしてみせる。
「あ~っ、そういう事言います?これ、また喧嘩になっちゃいますよ?」
頬を膨らませ、わざと不満を誇張して見せるはつみではあったが、その声に険しさはない。高杉にとってはこの絶妙な距離感こそが、彼女に『色気』を感じない一因でもあり、その一方で、他に類を見ぬ不思議な心地よさの理由でもあった。
「つまらん脅しだな。―おいおやじ、こやつが機嫌を損ねる前に中饅頭を二つくれ。」
「へい、中饅頭二つ!」
店のおやじから饅頭を受け取った高杉は、片方をはつみに渡しながら尚も揶揄う。
「おお、ふくれっ面が饅頭のようじゃ」
「カッチーン☆あれ、始まっちゃうなぁこれ?高杉VS桜川、始まっちゃうなぁ?」
「訳の分からん向こうの言葉を使うな。ほら食え。冷めるぞ」
軽口を叩き合いながらも、高杉から差し出された一つの饅頭を受け取ったはつみは、手の中でほわほわと湯気をあげる饅頭に眉をあげる。そして口に入れた次の瞬間、その表情は面白いほどにコロリと変わった。
「―んん~っ、おいしいです!出来立てだからかな?これは出店ならではですね♪」
「―はっはっは!調子のいい奴だな」
張りのある笑い声をあげ、同じく饅頭を頬張る高杉。『うん、旨いな。』と言って満足げに一歩を踏み出し、はつみも饅頭屋のおやじに会釈をしてから小走りで追いかけ、当たり前の様にその隣へと並んだ。
「んふふっ♪ありがとうございますっ!」
「フッフッフ。まだまだこれからじゃぞ。片っ端から回ってやろう。」
「はい!」
こうして二人は、足取り軽く浅草仲見世の喧騒へと溶け込んでいくのだった。
―浅草クリスマス:後編へ続く―
浅草クリスマス:前編・浅草クリスマス:後編